ゼノビア・ド・クテシフォン9
「ゼノビアの様子……か。私も頭が混乱していて余裕は無かったが、改めて振り返るとアウレリア王女殿下の御前と同じく、やはりどこかおかしかったのは確かだ。何と言うか、随分と思い詰めていた様に見えた。幾ら殿下の為とはいえ、ゼノビアが政略結婚をするなど考えられない話だ。非常に腹立たしい事だが、ゼノビアは貴様に懸想をしている。特に旅から帰ってきてからは、余計に気持ちが強くなっている気がした。ただ、今回は私にも本心を隠そうとしている節があった。こうして私が貴様に相談するとは向こうも考えていないはずなのに、何かが漏れるのを警戒しているみたいだ」
セシリアの過剰な想いを抜きにすれば、二人は騎士学校時代からの親友同士である。
ゼノビアがファルサとの惚け話をして、不機嫌になったセシリアが怒鳴り込んでくる程度には何でも話す仲なのだ。
一時期は、ファルサとセシリアの不仲をどうにかしようとゼノビアが二人を連れ出して出かけたりもしたのだが、上手くいった事はない。
ゼノビアがファルサの良い所を語れば語るほど、セシリアの機嫌は悪くなる一方なのだから、当たり前と言えば当たり前である。
公の場ではファルサもセシリアも普通に接している為、ゼノビアも二人を仲良くさせるの不可能だと判断して諦めた過去がある。
ファルサとしてはセシリアに嫌われようが特に問題は無く、嫌な顔をしながらもきちんと仕事をこなしてくれるのであれば、大きな不満はないのだ。
セシリア自身もその辺りは真面目な性格のおかげもあり、私怨でファルサの足を引っ張る様な真似をした事はない。
あくまでも、ゼノビア絡みで面倒くさいだけである。
「君って僕の事が嫌いな割に、妙なところで素直だよね。そもそも、騎士団長を続けられるからといって、ゼノビアと僕が結婚するのは平気なのかい?」
「へ、平気な訳があるか! ただ……私はゼノビアが幸せならそれが一番だと思っているだけだ。私が一番好きな昔のゼノビアはもう居ないが、貴様と一緒にいる今のゼノビアは凄く幸せそうだから、な。ああ、もう! 変な事を聞くな馬鹿者が! だから貴様は、ゼノビアを幸せにする責任があるんだ!」
セシリアが好きだった抜身の刃の様なゼノビアはもう居ないが、それでもセシリアの気持ちは以前と変わっていないのだろう。
本気で好きだからこそ本人の為になるならば何でも出来る、ファルサには到底持ちえない献身の心であった。
しかし、そう思ったファルサは、頭の片隅に何か引っかかっているような感覚を抱く。
「ねぇ、さっき君はゼノビアが警戒していると言ったけど、もう少し詳しく話してくれないかな。間違っていてもいいから、君の考えも合わせて答えて欲しい」
「私の決意の言葉は無視か……全く、貴様という奴は。まあいい。詳しくと言っても今しがた話した通り、ダンピエール公と結婚する理由を問い詰めても、殿下の為だとしか答えず、あからさまに本音を隠していた。私には知らされていない機密事項なのかと尋ねたが、それについても言葉を濁された。そもそもゼノビアが政略結婚をする様な性格じゃないのは、貴様も良く知っているだろう? それなら他に理由があるはずなのに、頑なに口を割らないんだ。初めて貴様と共同任務を行い帰ってきた時も似たような雰囲気だったが、それでも少しは話してくれたというのに……」
あぁ、そういえばあの時からセシリアに目の仇にされていたなぁ、とファルサは振り返る。
後に誤解が解けたものの、ゼノビアを洗脳したとか、誑かしたとか、脅迫しているとか酷い言われ様だったのだ。
頬を赤らめながらモジモジする当時十三歳だった女騎士の姿を見れば、何かしたと思われるのは仕方がないと言えば仕方がないのだが、ファルサにしてみればいい迷惑である。
「うーん、理由は一応わかっているんだけど、それにしては過剰なんだよね」
「過剰、とはどういう事だ?」
「僕の知っている理由なら、君やアウラは別として、僕だけに相談してくれてもいい筈なんだ。それをあんな風に独断で行動するのは、どうにも違和感があってね。ダンピエール公から縁談が来ているとクテシフォン侯爵から聞いた直後に、態度が急変したんだよ」
ゼノビアが隠している理由とは、ファルサが魔族と関わりがあり、ルウを親元に帰したいと願っている事である。
自惚れなどではなく、ファルサもゼノビアの気持ちを知っているからこそ、自分の為にダンピエール公との縁談を進めようとしているのは、献身からくる行動に他ならないと理解している。
しかし、あの場でいきなり結論を出すのは些か性急であり、一度保留にして余人を交えながら検討する事も可能だったのだ。
それなのにゼノビアは、勝手にダンピエール公との縁談を進め、ファルサを邪魔者扱いしている。
「ちっ、何が僕だけに相談だ。私に対する嫌味か。貴様のいけ好かない態度はこの際目を瞑ってやるが、ダンピエール公に弱みを握られているとかじゃないのか?」
「もしそうなら事前に話しているか、最初から様子がおかしくなるはずだよ。少なくとも、それまではいつも通りだった」
父親の前でファルサとの子作りを妄想していたポンコツ女騎士が演技であるならば、ゼノビアは今すぐ王都の劇場で主演女優になれるだろう。
「それなら、私も貴様も知らない理由があるとしか思えんな。業腹だが、ゼノビアは貴様に心底惚れているのだから、並大抵の理由では動かないだろう。魔族の少女を護衛する時ですら恋愛話をしていた程だ。最初は魔族の情報を得る為だと思っていたら、実は互いの好きな相手について語っていたとか、流石の私も呆れて物が言えなかったぞ」
「それは……流石にちょっと恥ずかしい話だね」
何せ、ゼノビアもルウも、同一人物について語っているのだから。
そう思い至った瞬間、ファルサは一つの仮説に辿り着く。
しかしそんな荒唐無稽な仮説が本当に起こり得るのだろうか。
自分にゼノビアの様な経験がないからこそ、起こり得ないと思ってしまうのではないか。
「セシリア!」
「ひゃ! ひゃあ! 近い! 近いぞ!」
「君に聞かせて欲しい事があるんだ」
「わかった! わかったから離れろ!」
ファルサは勢いよく席を立ち、セシリアの肩を掴んでその双眸を真っ直ぐに見つめる。
少し日焼けをしているが、それでも十分に白いセシリアの頬は少しだけ赤く染まっていた。
それは窓の外から差し込む日射しのせいではなく、だからといって恋する乙女の羞恥でもない。
「近いから離れろって言っているだろうが!」
見る者を恐怖させるであろう形相でファルサの腕を取り、セシリアは見事な背負い投げを決める。
彼女が白百合騎士団に在籍している最大の理由はゼノビアが居るからなのだが、二番目の理由は男の団員が居ないからである。
研究室の壁に向かって投げ出されたファルサは、空中で体を捻って回転させ、体勢を整えてそのまま床へ着地した。
興奮するあまり失念していたファルサだが、セシリアは男が苦手なのだ。
日常会話をする程度なら問題ないのだが、体に触れたりするとすぐに手が出てしまう。
今回は自分が悪いので素直に投げ飛ばされたのだが、痛い思いをするのは嫌で壁にぶつからない様にしたのは、何ともファルサらしいといえる。
「ごめんごめん、悪気は無かったんだ」
「ふん、悪気があれば投げ飛ばすだけでは済まなかったからな。それで、聞きたい事とは何だ。さっきからあれこれ聞かれているが、その様子だと何か思いついたのだろう?」
「まぁ、一応は。ただ、前提条件を確認する意味も込めて、君の素直な気持ちを聞かせて欲しいんだ。嘘偽りなく、真剣に考えた上で」
「貴様お得意の遠回しな表現に付き合うつもりはない。何でも答えてやるから、御託を並べずにさっさと本題に入れ。」
椅子に座り直したファルサはセシリアと向い合せになり、改めてその双眸を見つめる。
目は言葉以上に真実を語る。
瞳孔の開き具合、視線の動かし方、瞬きの数、それらを意志に反して誤魔化すのは並大抵の努力で行えることではない。
パルミナほど観察力に長けている自信はないが、セシリアの様に感情が表に出やすい相手ならばファルサにもある程度は見極める事が出来るのだ。
「まず一つ目、君はゼノビアが貴族でなかったとしても、今と同じ様に接する事が出来るかい?」
「愚問だな。身分など関係ない」
「二つ目、ゼノビアがヴァロワ王国人でなかったらどうする? 例えば、僕みたいに黒髪黒目の東方出身であったり、ゲルマニア帝国の人間だったとしたら?」
「また仮定の話か。一つ目の質問と答えは同じだ。身分や人種など、本人とは関係ない。血統主義者ならばこの場で貴様と会話すらしていないだろう」
ここまではファルサも予想していた。
アウレリア王女派には血統や人種、身分を笠に着る様な考えを強く抱いている者はいない。
それはセシリアも例外ではなく、そもそもファルサがアウレリアの片腕の時点で、髪の色や瞳の色で侮る様な者は最初から派閥に属さないのだ。
スパイとして潜り込む目的であれば話は別だが、セシリアならそれも殆どあり得ない話である。
そしてファルサは少しの間を置いて、次の質問に入るのだった。
「三つ目、もしもゼノビアが犯罪者だったらどうかな。例えば、無辜の民を殺めた事があるとして、その事でゼノビアが責め立てられていたら君は味方になるのか、それとも敵になるのか」
「……何だその質問は。もしゼノビアがそうしたのならば、そうせざるを得ない理由があったのだろう。だから先程と答えは変わらない。私はゼノビアを信じているから、絶対に味方するぞ。まぁ、理由くらいは知りたいと思うかもしれんが……」
「流石だね。四つ目、君は身分や人種など関係ないと言ったけど、それが人間ではなくルウの様な魔族だったとしたらどうかな。ゼノビアが人間の振りをした魔族だとして、その正体を知ってしまったとしたら……先程と同じ様な答えが出せるかい?」
「それは……」
これまでの質問に即答していたセシリアが、初めて答えに詰まりながら視線を泳がせる。
ヴァロワ王国にとって魔族は三百年来の敵であり、セシリアにとっても例外ではない。
魔族に与するような行為は異端審問に掛けられる可能性もあるのだから、容易に答える事は出来ないだろう。
しかし、こうしてセシリアが協力的になってくれているのだから、ファルサとしてもこの機会に聞いておきたかった。
これから先、ルウや自分が居る以上、魔族と接する機会があるのだから。
考えあぐねているのか、セシリアは中々次の言葉を発しないが、ファルサは決して急かそうとはせずに、答えが出るのを待ち続ける。
そしてようやく、重々しく口を開いたセシリアが、ゆっくりと自分の答えを述べていく。
「あまりに荒唐無稽な話だが、仮にそうだとしてもやはり私の気持ちは変わらない。私はゼノビアの味方であり続けるだろう」
「そうする事で、君自身が窮地に陥ったとしてもかい? 家族や国を敵に回すかもしれないんだよ」
「勿論覚悟の上だ。もし本当にゼノビアが魔族だとしたら、一人くらい味方になってやらないと……あまりに可哀想だろう? だから私だけでも味方になってやりたい」
まぁ、所詮は仮定の話だがな、と締めくくったセシリアの瞳は、ファルサが見る限り嘘を吐いているようには思えなかった。
決して揺るがぬ事のない信頼、それはファルサにとってはあまりに眩し過ぎた。
正体を隠し続け、人と魔族の間で蝙蝠の様に過ごす自分は、一体何をしているのか。
自らを責めたくなる気持ちを何とか抑え込み、ファルサは質問を続けていく。
ゼノビアが男だとしたら、女誑しだったら、多額の借金を抱えていたら等々、ファルサの本命が何かを悟らせないために十、二十と重ねていき、時間が刻々と過ぎていくのだった。
「――じゃあ最後に、もしもゼノビアから果たし状が届いたら、君はそれを受け入れるかい?」
「本当に最後までおかしな質問だな。私もゼノビアも騎士である以上、剣で語り合う事も時には必要だ。当然、答えは望むところだ……っておい! 何故笑うんだ!」
何ともセシリアらしい言葉にファルサは苦笑いを浮かべて、質問を終わらせる。
剣で語り合う、拳で語り合うなどの、脳味噌が筋肉で出来ているのではと疑いたくなる言葉はファルサの辞書に存在しない。
しかし、人間でも魔族でも同じ考えを持った者が数多く存在する。
何かあれば決闘と言い出す彼ら彼女らに、何度振り回されたか分からないのだ。
ファルサとしては言葉を交わして解決する方が楽なのだが、世の中はそう都合よく出来てはいないのは、三百年生きてきて十分身に染みていた。
「いや、色々と思い出してね。さて、君に協力して貰えたおかげである程度の算段はついた。ただ、今のままじゃ確実とは言えないから、行動を起こす必要がある」
「おお! 流石は小賢しいさにかけては他の追随を許さないだけの事はあるな。それで何をするのだ? ここはやはり定番の、結婚式の最中に花嫁を掻っ攫うか、深夜に屋敷に忍び込んでゼノビアを押し倒すかのどちらかだと思っているのだが、どうだろうか? 後者であれば当然、私も混ぜて貰うぞ! なに、二人で抑え込めば相手がゼノビアとはいえ、碌な抵抗も出来まい、くひ、くひひひ」
「はぁ、そんな馬鹿な真似をするのは物語の中だけだよ」
息を荒げ気持ち悪い笑い声を上げて、とんでもない犯罪計画を口にするセシリアには、先程までの真摯な面影が微塵も残されていない。
一体どの口がゼノビアの幸せを願っていると言っていたのか、疑いたくなるファルサであった。
腕を振り、やる気は十分と言わんばかりのセシリアだが、当然その様な選択肢は存在するわけもなく、ファルサが心底呆れた表情で否定したのも無理はない。
犯罪の方は論外として、王族なども間違いなく出席するであろう公爵家の結婚式で花嫁を攫うなど、下手をすれば不敬罪で捕まって鉱山送りか死罪である。
運が良くても貴族としての身分を剥奪されてから国外追放されるのが関の山であり、本末転倒も甚だしい。
「ぬ、それでは一体どうするというのだ」
「セシリア、君はゼノビアを取り戻すためなら、何でもするって言ったよね?」
「確かに言ったが……おい、何をさせるつもりだ」
「何って、僕と一緒にお出掛けするだけだよ。ただし、僕の新たな婚約者として、ね」
悪魔の様な笑みを浮かべたファルサの言葉を聞いたセシリアは、王宮中に響き渡りそうな絶叫をあげる。
そして、ファルサに掴みかかろうとしたが逆に拘束され、長時間に渡って洗脳、もとい説得をされる事になる。
セシリアは拘束を解こうと暴れながら、やはりゼノビアに捨てられたから自棄になって私に乱暴する気か、騎士としてその様な辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシだ、くっ殺せ、等と叫んでいたが、防諜魔法によって研究室の外に漏れ出る心配はなく、ファルサは拘束を緩める事はしなかった。
仮にも騎士団の副団長であり、油断をすると逃げられてしまうのだ。
数時間後、髪を乱して涙を浮かべながら、生まれたての小鹿の様な足取りで研究室から出てきたセシリアの姿が目撃され、様々な憶測と共に噂が王宮中に広がっていった。
一方、セシリアの説得と言う面倒な仕事を終えたファルサは、連絡玉でアスタルトに平謝りをして、そのまま研究室で夜を過ごす。
全ては、馬鹿な考えで馬鹿な真似をしているであろうゼノビアの為に。




