ぺたぺたタルトちゃん
夜も更けた頃、幻影城にある一室では、二人の男女が備え付けられている豪奢なベッドに腰をかけていた。
男の方は上半身をさらけ出し、顔に仮面を被っている為、何も知らぬ者が見たら間違いなくただの変態だと判断するだろう。
女の方は軍服を身に纏い、男の体をその白魚の様な手で撫で回している。
二人の距離は当然近く、男の体から得られる感触を一つ一つ確認するように、首から肩、胸に腰と、女の手が男の全身を駆け巡っていく。
女の表情は真剣そのもので、自身の細くて可憐な指先で、男の首筋を押してみたり、胸元の厚さを確認するように両手で胸と背を挟んでみたり、割れた腹筋を撫でまわしたり……と、かなり集中しているようだ。
一見すると、女は男性の筋肉にフェチズムを感じており、男は彼女の趣味に付き合わされているようにも思える。
「タルトちゃん、そろそろ終わりにしないかい」
仮面を着けた上半身裸の変態――四天王のミラージュ――が筋肉フェチと思われる女――副官のアスタルト――に向かって声を掛ける。
「いえ、もう少しだけお願いします」
アスタルトはミラージュの言葉を受け入れずに、そのまま体をまさぐり続けている。
相手の顔も見ずに、その視線は肉体の方に向いている。
「でも……流石にちょっと恥ずかしいし、ここまで拘らなくてもいいと思うけど。あと、角が胸にあたって少し痛いんだけど」
アスタルトのスベスベとした手で触れられるのはどうにもくすぐったいのか、ミラージュは少し体を捩りながら反論する。
また、アスタルトが今は腹部に集中しているせいか、その頭が非常に近く、銀色に輝く二本ある角の前端が何度もミラージュの胸へとチクチク刺さっていた。
「……ミラージュ様がそれを言いますか、私だって本当はこんな事をしたくないのですが、必要だからやっているのですよ」
ミラージュの言葉にむっとしたアスタルトは、漸く視線を顔に向けて、ほんの少しだけ距離が空く。
その表情は相変わらず固いもので、今までの行動をとっていた人物とは思えない。
先程までの二人は、まさに恋人のそれといっても過言ではないのだが、どうやら少々事情が異なるようだ。
「タルトちゃんの幻覚魔法への拘りはわかるけどね、ほら、男女がこうやっているのは良くないと思うんだ。こんな事、君のお父さんに知られたら、僕は大鎌で首をバッサリと飛ばされちゃうよ」
ミラージュは大袈裟に自身の首を切るようなジェスチャーをして、アスタルトを説得する。
彼女の父がそれほど恐ろしいのか、若干声が震えているようだ。
「父は関係ないですし、ミラージュ様が余計な事を言わなければ問題ありません。それにミラージュ様が度々不在にするから、私が幻覚魔法を使う羽目になるんですよ」
――幻覚魔法、それは名前の通り、相手にありもしない幻を認識させる魔法である。
それだけを聞くと非常に強力な魔法に聞こえるが、殆どの場合は、ちょっとした一発芸魔法という扱いだ。
そもそも幻覚を見せると一口に言っても、相手の脳に直接働きかけて幻を投影させるのだが、そう簡単な話ではない。
魔法を扱う術者のイメージがそのまま反映してしまう為、少しでも雑念が入ると失敗する上、成功してもイメージが弱いとぼんやりとした幻になってしまう。
自身の脳内で完全なイメージを持つというのは、普通はなかなか出来るものではない。
それこそ、ただ使用するならば誰にでも出来る魔法だが、相手を騙すようなレベルとなると、滅多に扱える者はいない。
極限まで突き詰めた場合には、ミラージュの転移魔法と肩を並べる難易度になるだろう。
「確かにそれはありがたいよ。僕がいない間は、タルトちゃんが軍を指揮してくれるし、僕の代わりに大体の事はやってくれているからね」
ミラージュが夜の間しかいなくても問題がないのは、偏にアスタルトの幻覚魔法のおかげである。
幻覚のミラージュの姿で兵たちに指示を出したり、ミラージュが戦場の到る所に転移しているかのように見せて士気を上げてみたり……と、幻影軍の戦いの半分はアスタルトの貢献によるものだ。
そうした事情から自身の幻影という二つ名も、四天王としての実績も、半分以上タルトちゃんのおかげ、とミラージュは考えていた。
「その通りです。今は視覚や聴覚だけで何とかしておりますが、触覚にも働きかけられるようになると、更に幅が広まります。ミラージュ様が城を不在がちな以上、万全を期するのも部下の役目だと思いますが。少しは私の苦労を解かっていただけますか?」
ここまで仕事に対して真面目な人物もなかなかいないだろう。
本来であれば、ミラージュはアスタルトの爪の垢でも煎じて飲むべきなのだが、内心では、そこまでするくらいならそのまま四天王を代わってほしいと、相変わらずな事をミラージュは考えていた。
「あー、うん、なんか本当にありがとう。あ、そういえばこれ、忘れていたけどタルトちゃんにお土産だよ。」
ミラージュは空間の裂け目から大きめの箱を取り出し、アスタルトへ手渡した。
昼間にオークの浄化を終えた後、農村を馬車で出発したユリア達勇者一行は、その地域を治める領主の住む街へと向かっていた。
しかし馬車を使っても数日かかる距離の為、途中にある街に寄り停泊しながら進む予定になっている。
既に一日目の旅程を終えて道中の街に着いた一行は、宿を取った後に街中を散策しており、ファルサ――として行動していたミラージュ――はそこでお土産としてアスタルトの好きな甘味を購入していた。
早い話が、物を使ったご機嫌取りである。
「そうやって物で簡単に釣ろうとするのは、やめてください。正直、浅はかで反吐が出ます。大体、こんな物を選んでいる時間があるなら、その分仕事をしたらどうですか」
アスタルトはミラージュに冷たく言い放ちながらも、その箱を手放す様子はない。
こうして何度もお土産を渡すたびに悪態をつかれるミラージュだったが、突き返されたことは今まで一度たりともなかった。
意外と相手の希望に沿ったプレゼントを贈るセンスがあるのか、ミラージュ及びファルサの贈答品は、密かに好評だったりもする。
「ミラージュ様、アスタルト様、魔王城より連絡が来ております。入室してもよろしいでしょうか」
部屋のドアをノックするとともに、伝令兵の声が響き渡る。
魔王城からの連絡は、執務室にある連絡玉から入ったのだろう。
実は連絡玉は大変貴重な品で、魔力を使う事で対になる玉と連絡を取る事が出来る道具だ。
魔王軍では、四天王へ二対ずつ配布しており、一対は各四天王の居城と魔王城に、もう一対は四天王自身が自由使えるようにしているのだ。
幻影軍では、ミラージュとアスタルトが対の連絡玉を持っており、魔王城から四天王ミラージュへの連絡の取り次ぎは、基本的にアスタルトが対応している。
また、予備の連絡玉もいくつかは魔王城にあり、必要に応じて兵に持たされることもあるが、常に携帯しているのは四天王だけになる。
ミラージュの様に転移が出来る者が殆どいないこの世界では、離れた場所と連絡が取れる道具はそれだけ希少でまた高価な品なのだ。
しかし、今はお互いにミラージュの自室に居る為、他の兵が対応し伝令をよこしたのだろう。
「どうぞ、鍵は空いているので入室してください」
アスタルトは間髪入れずに答えると、部屋のドアが開かれる。
当然、ミラージュは上半身裸の状態であり、更に二人はベッドの上でかなり近い距離で腰を掛けている。
伝令兵が自身の上司――それも四天王とその副官――が、そのような状態でいる姿を見てしまったら、大問題である。
しかし、アスタルトはミラージュに服を着させる余裕を与えることもなく、また、それ以上距離を取る動きもなく、伝令兵の入室に応じてしまうのだった。