ゼノビア・ド・クテシフォン6
「はぁ、全く二人は一体何をしているのかしら」
大きなため息を吐いたアウレリアは、呆れた様子で視線の先にいるファルサとゼノビアを睨み付ける。
クテシフォン侯爵家での食事会の翌日、ファルサとゼノビアは現状報告で王宮に訪れていた。
本来の計画では、クテシフォン侯爵の仲介でダンピエール公との交渉を行うはずが、その交渉相手にゼノビアが輿入れするという話になっているのだ。
それも一切の相談も無く、勝手に話を進められているのだから文句の一つも言いたくなるのは仕方がないだろう。
「面目次第もごさいません」
アウレリアの私室とはいえ、周囲には護衛のセシリアや側付きのメイドも控えており、ファルサは謝罪の言葉を述べて頭を下げる。
実際にはゼノビアの独断であり、ファルサに非があるわけではない。
しかし、共同で事に当たる以上、ゼノビアのミスはファルサのミスであり、その逆もまた然りである。
余人の目が届かぬ場所ならまだしも、謝罪をしている姿を見せるのも重要なのだ。
「アウレリア王女殿下、私の浅慮でご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。しかしながら、独断で動いた以上は責任を持って、ご満足いただける結果を残します。それにファルサ殿も何かと忙しい身です。私一人で目的を達せられるのであれば、そちらの方が良いかと愚考致します」
ゼノビアが淡々と発した言葉通り、既にクテシフォン侯爵を通じて、ダンピエール公にゼノビアの意向を伝えた手紙は届けられている。
後はゼノビア自身がダンピエール公の真意を探りつつ、アウレリアの意向と沿う様にかじ取りをするだけなのだ。
こうなってしまった以上、ファルサの出る幕はないと言える。
ファルサはちらりと横目でゼノビアの表情を窺うが、本心を探られない様に意識しているのか、無表情を貫いていた。
アウレリアも同様の感想を抱いているのか、訝しげにゼノビアを見つめている。
「私としてはゼノビアが他所へいくと困りますわ。その辺りの事も考えておりますの?」
「そういったご懸念は尤もです。しかし、どこに行こうと私の忠誠はアウレリア王女殿下に捧げております。表立って動く事は出来なくなりますが、第二王子派に傾倒するような事はあり得ません。騎士団については後任としてセシリアがおりますし、大きな問題はないでしょう」
「状況によっては、第二王子派からだけではなく、私の派閥からも裏切り者の烙印を押される可能性もありますわよ?」
「元より、覚悟の上です。それが殿下の為ならば」
臣下の礼に則り頭を垂れて跪くゼノビアの姿を見れば、誰もがアウレリア王女に忠誠を誓う騎士だと思うだろう。
ゼノビアの受け答えは、大よそファルサが想定した通りであった。
宮廷魔導士と白百合騎士団、ファルサとゼノビアがそれぞれトップを務める二つの組織は、アウレリアが自由に動かせる数少ない存在である。
身分や規模の面で後ろ盾としては脆弱であり、ダンピエール公爵家を含めた北部貴族が、ゼノビアを通じて中立もしくは協力的な立場になるのは非常に心強い。
最終的には王位を巡って敵対するとは言え、当面は協力関係を築く事は良策だとファルサも判断している。
そして、万が一の場合もゼノビアから内部の情報を得る事が出来るのだ。
「そこまで覚悟の上なら構いませんわ。ゼノビア、もう下がって結構よ。セシリアも引継ぎなどがあるでしょうから、今からゼノビアと今後の打ち合わせをして頂戴」
「しかし、私には殿下の護衛の任が……」
「丁度、時間を持て余しているスペキエース卿がおりますわ。ただでさえ今は人手不足で、人員を遊ばせておく余裕なんてありませんのよ。それから……部屋の外に居る騎士たちにも、まだ部屋に入らぬように伝えて下さいまし」
「はっ、かしこまりました。それでは失礼致します」
「私も失礼致します」
アウレリアの指示に従いセシリアとゼノビアは一礼をして部屋から出ていき、残されたのはメイドが二人とファルサだけとなる。
しかし、ゼノビアとセシリアの退出を見届けたメイドたちはいそいそと動き始め、隣の控え室へと下がってしまう。
直接的にしろ間接的にしろ、アウレリアが護衛を遠ざけるのは、大抵がファルサに内密にの話をする場合である。
護衛のセシリアを都合よくゼノビアに押し付けて、ファルサだけを残す意図を読めない程、メイドたちとアウレリアの関係は浅くない。
勿論、公式の記録ではファルサとアウレリアが二人きりになったという事実は残らずに、適当な報告書が提出される事だろう。
余談だが、アウレリアが頻繁に王宮から抜け出す時も、同様の措置が取られていた。
「ファルサ様が私の予想を裏切るのはいつもの事ですが、このような状況になるとは些か驚きましたわ。ゼノビアの忠誠を疑うつもりはないけれど、そもそも政略結婚を受け入れる様な性格ではないと思っていたのですが……ファルサ様はどうするおつもりですの?」
メイドたちが扉の向こうに消え、アウレリアはいつもの調子でファルサへと問いかける。
アウラはゼノビアという人間を良く知っているからこそ、忠誠心だけでは説明が出来ない違和感の様なものを感じ取ったのか、とファルサは推測する。
だが、反対をするにも、ダンピエール公側から縁談を申し込んできた以上、ゼノビアの判断自体は間違っていない。
現状ではゼノビアの選択が最良だからこそ、やっかいなのだ。
ファルサの主目的はルウの事だが、アウレリアの場合はルウを利用して魔族側から古代技術文明時代の品々を王国の手中に収める事である。
同盟国の集まる三国会議でヴォロワ王国の政策として発表する予定なのだが、事前に国内で根回しをしておく為に、ダンピエール公が必要なのだ。
アウレリアは為政者として利を得る判断をしなくてはならないのだが、本音を言うとゼノビアを手放すのが嫌なのだろう。
そんなアウレリアの瞳には、人の上に立つ者としての義務と、アウラという少女の感情が混ぜこぜになった様な、言い表せない光が宿っている、とファルサには思えて仕方がない。
「どうするも何も、僕は僕に出来る事をするだけだよ。ゼノビアは誰にも渡さない」
「あら、随分と情熱的なお答えですわね。妬いてしまいますわ」
「もしアウラが同じ状況なら、僕は君を攫って悪の魔導士として名を馳せても構わないと思っているよ、お姫様。さて、冗談はおいといて、僕はクテシフォン侯爵家とダンピエール公爵家の周囲について調べ直すから、以前に調査した資料を持ち出す許可を貰えるかな。僕がクテシフォン侯爵家に赴くタイミングでダンピエール公からの縁談があるなんて、あまりにも都合が良すぎる。亡くなったゼノビアの兄、レオナールとダンピエール公は騎士学校時代の親友同士だったから、その辺りが関係している可能性も高い。可能なら直接接触したいところだけど……ん? 随分とぼーっとして、どうしたいんだい?」
今後の対応と現状の考えを述べていると、アウレリアが口を空けて少し驚いたようにファルサを見つめていた。
ファルサの指摘にハッとした表情に変わり、慌てて扇子で口元を隠す姿は年相応に愛らしい。
新雪のような白い肌には朱が差し、気の抜けた顔を見られたのが随分と恥ずかしかったようだ。
「ん、んん。許可については問題ありませんわ。それよりも……婚約を破棄をされたというのに、ファルサ様はあまり動揺されないのだな、と思いまして。他の有象無象ならまだしも相手はゼノビア。ファルサ様も憎からず想っているでしょう?」
「あぁ、確かにそれは間違ってはいないけど、後ろ向きになっても解決する類の話じゃないからね。ゼノビアの態度がおかしい理由、ダンピエール公の思惑、クテシフォン侯爵家、調べる事は山の様にあるのに、一々落ち込んでなんかいられないよ」
ゼノビアがダンピエール公から真意を探ると言っても、相手は若くして公爵家の当主の座についている英傑だ。
腹芸など一枚も二枚も上手であるのは間違いなく、ゼノビアが単独で対処出来るとは思えない。
しかし、ダンピエール家とクテシフォン家の縁談に、第三者が介入するのは難しい。
ファルサはファルサで別方向からアプローチをする必要があり、それにはまず情報が必要なのだ。
クテシフォン家の屋敷では少し感情的になってしまった事は反省すべきだが、後悔して時間を無駄にする方がもったいない、とファルサは思っていた。
「それでこそファルサ様ですわ。ただ、釈迦に説法かもしれませんが、世の中には感情を優先して理屈に合わない行動を起こす者も少なくありません。努々、お忘れなきように」
「そのお言葉をしかと胸に刻ませて頂きます、アウレリア王女殿下」
ファルサは芝居がかった態度で恭しく一礼し、部屋から退出する。
非公式とはいえ、高貴な身分の女性と部屋で二人きりというのは外聞が良くない為、長居をするべきではないのだ。
アウレリアに仕えるメイドとはいえ、密室での出来事が気にならないはずがない。
口や態度に出さなくとも、内心では邪推したくなるのが人間の性というもの。
特にファルサは防諜魔法を使用できる宮廷魔導士であり、何をしていても音が漏れず、余計に他者の妄想を掻きたててしまう。
短時間で用件を済ませるのは必然といえるだろう。
「全くもう、ファルサ様は女の敵ですわ」
今しがた、ファルサの出て行った扉の方向を見つめながら、アウレリアは小さく声を漏らす。
女の敵という言葉とは裏腹に、その表情には喜びが溢れていた。
「でも、ファルサ様がゼノビアと結ばれてクテシフォン侯爵家を継げば、王族の結婚相手としての家格は十分。損して得取れ、本当にその通りですわ」
そう呟きながら、アウレリアはテーブルの上にあるベルを手に取って鳴らし、隣の部屋に居るメイドたちを呼び戻す。
通常、王女の嫁ぎ先は他国の王族や公爵家が多く、どんなに身分が低くても侯爵家などになる。
宮廷魔導士筆頭とはいっても子爵位のファルサでは、どう転んでもアウレリアの結婚相手にはなれないのだ。
そもそも、一代で子爵位を叙爵されている事自体が異例であり、平民出身である為、これ以上の爵位を得るのも非常に難しい。
国家に莫大な利益をもたらす様な働き、例えば魔族領を手中に収めるなどすれば伯爵位になれるかもしれないが、荒唐無稽な話である上、それでもまだ身分が足りない。
自らも子爵家の娘と半ば駆け落ちの様に結婚したクテシフォン侯爵家に婿入りする事は、ファルサが合法的にアウレリアの結婚相手としての立場に立てる唯一の方法といえる。
勿論、あくまでも身分に限った話であり、問題は他にも山積みなのだが、それでも可能性がゼロでなくなる事は確かである。
「我ながら、気の遠くなる話ですわね」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、貴方たちの結婚相手も状況が落ち着いたら見繕わないといけないな、と思っただけですわ。ただ、その落ち着くまでというのが気の遠くなる話でしょ」
「私たちはアウレリア王女殿下の晴れ姿を見るまで、お側に仕えるつもりです」
「私もです」
恭しく礼をするメイドたちに笑みをこぼしながら、アウレリアは用意された紅茶を口につける。
メイドたちも年齢的にどこかの家に嫁いでいてもおかしくはないのだが、アウレリアが側仕えとして重宝している為、未だにその様な機会が訪れていない。
メイドとはいえ、王族に仕える彼女たちは侯爵家と五女と伯爵家の三女なのだ。
貴族の娘が行儀見習いとして上位貴族や王族の家で働く事は一般的で、特に王族に仕える事は誉れ高く、憧れの対象といっても過言ではない。
そして、主人である人間が彼女たちの嫁ぎ先まで面倒を見るのだが、時折、主人に見初められる事もある。
クテシフォン侯爵の様に正妻とするのは珍しいのだが、家格の釣り合わない相手と結ばれる事を夢見る娘も少なくないからこそ、王都の劇場では身分差の恋を題材にした演目が常に人気だったりする。
密かに、アウレリア王女の監修で自身とファルサを題材にした話が作られているのだが、保管庫で資料と格闘中の宮廷魔導士筆頭は、別の事で頭を悩ませている為、それに気が付くのはまだまだ先になるだろう。
「そうね、貴方たちにも早く晴れ姿を見せてあげたくてよ」
晴れ姿、とはアウレリアの花嫁姿なのか、それとも女王として即位した姿なのか、はたまた別の誰かを意図しているのか、真実を知るのは本人のみである。
同時刻、ファルサが保管庫内で盛大なくしゃみをしたのだが、それが埃によるものなのか、アウレリアの言葉によるものなのかは、誰にもわからない。




