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ゼノビア・ド・クテシフォン3


 沈みかけの太陽が王都を茜色に染め、人通りが徐々に少なくなる時間帯。

 王都の中心にある王宮を囲うようにして屋敷が建ち並ぶ貴族街の一角で、一台の馬車が止まる。


「ふぅ、流石に少し緊張するなぁ」


 馬車を降りたファルサは、巨大な邸宅を前に一人ごちる。

 ジレとキュロットにジュストコールを羽織っているファルサの姿は、いかにも貴族然としていた。

 普段ならば宮廷魔導士の証である赤と白を基調としたローブを纏っていても問題ないのだが、今回はゼノビアとの婚約についても絡んでくるのだ。

 ヴァロワ王国における貴族の正装をするのは礼儀として当たり前の事である。


「お待ちしておりました、スペキエース子爵。どうぞこちらに」


 燕尾服を身に纏う老齢の紳士、おそらくはクテシフォン家に仕える執事が門の前に待機しており、文句のつけどころがない所作でファルサを案内する。

 これからファルサはクテシフォン侯爵との夕食会に臨むのだ。

 案内に従って門をくぐると、石を敷きつめられた道と、その周囲に広がる良く手入れされた庭がファルサの視界に飛び込んでくる。

 流石はヴァロワ王国内でも有数の大物貴族の邸宅だ、とファルサは感心する。

 門から屋敷の入り口までは白と赤のバラが巻きつくパイプアーチが続いており、訪れた者を楽しませる造りとなっていた。


「これは、アルバローズとガリカローズですね。かつては対立の象徴にされていた薔薇を用いて調和を表現するとは、クテシフォン侯爵の王国を想う気持ちが伝わってくるようです」


「流石はサロンでも名を馳せるスペキエース子爵。園芸にもお詳しいとは僭越ながら感服致します」


「僕もそこまで詳しいわけではないですよ。ただ、この二つのバラは個人的にも思い入れがあるものですから」


「左様でございますか」


 老執事とファルサは言葉を交わしながらアーチの中を歩いていく。

 白のアルバローズと赤のガリカローズはかつてある国で王位継承争いを行っていた貴族家のシンボルである。

 バラ戦争とも呼ばれた争いは両家の婚姻によって終結し、その後は両家のシンボルである赤いバラと白いバラを融合したチューダーローズが誕生した。

 ファルサは自身の境遇と少し重なるそれらのバラが嫌いではなく、所有する屋敷の庭園でも育てているのだ。

 もっとも、自ら手入れをする時間は殆どないので庭師任せになって居るのだが、時折、時間のある時はそれらを眺めながら読書に耽っていた。

 また、クテシフォン侯爵は宮廷内の派閥争いに対して中立を貫いている事で有名な人物であり、常に時の国王に忠誠を誓うと公言している武人である。

 実直な人柄と、王国の為に尽くしてきた実績により、派閥の枠を超えて様々な貴族と親交がある珍しい存在でもあるのだ。


「感慨深いものですな」


 屋敷の入り口で立ち止まった執事は、ふと思い出したように再度口を開く。


「どうかされましたか?」


「ゼノビアお嬢様が自ら選んだ結婚相手を旦那様に紹介するなど、少し前には考えられない事でした。それにスペキエース子爵とお会いしてからは昔の様に、それこそレオナール様がご存命だった頃の様に良く笑って下さるようになりました」


「それは……いえ、それならば僕としても喜ばしい限りです」


 ファルサの目の前に居る老執事はゼノビアが幼い頃から仕えていたのだろう。

 それこそ、ゼノビアが亡くなった兄のレオナールと共に育っていく様子や、兄を失い宮廷魔導士への憎悪に囚われていた姿も間近で見てきたはずだ。

 血が繋がっていなくとも、家令と主人という身分の差があったとしても、家族同然の感情を持っているであろう事は想像に難くない。

 謙遜して言葉を返そうとしたファルサは、そうした背景を踏まえて敢えてこのような返事をしたのだ。


「おっと、家令として出過ぎた発言をしてしまいました。それではスペキエース子爵、屋敷の中へとご案内致します」


 好々爺然とした笑みを浮かべた老執事は深く頭を下げた後、豪奢な装飾が施された扉を開け放つ。

 ファルサは老執事の後に続き、出迎えの為に玄関へと集められた使用人たちが立ち並ぶ中を進んで行く。

 玄関ホールは天井が高く、宝石などが散りばめられたシャンデリアが光輝き、壁に飾られている絵画はどれも名画と呼ばれる一級品ばかりである。

 壺や像も洗練された技術が冴え渡っており、名のある職人が長い年月をかけて作った物である事が伺える。

 質実剛健な武人であるクテシフォン侯爵と言っても、身分に相応しい生活というものが求められる。

 特に領地を持つ貴族は収入が平民とは比較にならない程多く、彼らがその財を使わなければ経済は冷え込んでしまうのだ。

 中には成金趣味と言っても過言ではない肥え太った貴族も居るのだが、クテシフォン侯爵の屋敷は品のある高級感を醸し出していた。

 貴族の屋敷は家主の性格を現すとさえ言われている程であり、そのような観点から見た場合、クテシフォン侯爵の屋敷はファルサ好みと言える。

 調度品を目で楽しみながら屋敷の中を歩いていたファルサだったが、間もなく食堂へとたどり着く。


「旦那様、お嬢様、スペキエース子爵をお連れ致しました」


「うむ、入れ」


 食堂に入ったファルサの目に飛び込んできたのは、二十人か三十人は席に着けそうな長いテーブルだった。

 テーブルの上には燭台や花瓶に入った花が並び、壁際には多くの使用人たちが控えている。

 そして食堂の一番奥、長テーブルの上座には両腕を組んだ偉丈夫が瞠目して待ち構えていた。

 口ひげを蓄え威厳のある顔つきに服の上からでも分かる鍛えられた胸板の厚さによって、軍閥貴族として名を馳せているクテシフォン侯爵だと一目で判断出来る。

 ファルサは背筋を伸ばし、落ち着いた様子で奥へと進んで行く。

 

「この度は夕食にお招き頂きありがとうございます、クテシフォン閣下」


「よく来たなスペキエース卿、いや、親しみを込めてファルサ君とお呼びした方が宜しいかな?」


「閣下の呼びやすい方で結構です」


「ふむ、ではファルサ君、積もる話もあるだろうがまずは掛けたまえ。我々は体が資本、先に食事を摂る事にしよう」


 優雅な礼をしてクテシフォン侯爵と挨拶を交わしたファルサは、促されるがまま銀製の食器が用意されている自分の席へと着く。

 ファルサの向かい側には緊張をしているのか表情が強張っているゼノビアが座っており、クテシフォン侯爵は右斜め前、俗にいう議長席の位置に座っている。

 普段の鎧姿とは違い、黒を基調としたドレスに身を包むゼノビアは非常に美しく、上流階級の令嬢としての気品に溢れていた。

 流石に父親の前という事もあって、以前の様な露出の高い服装ではないが、密かにファルサが贈った髪飾りを付けているのは、乙女心の表れだと思われる。

 一方、クテシフォン侯爵はヴァロワ王国人に多い金色の髪を短く刈り上げており、日に焼けた肌は浅黒く、ファルサと同じ貴族の正装をしている事で逆に浮いて見える。

 どちらかというと鎧姿や軍服の方が似合いそうな風貌なのだから仕方がない事だろう。

 体が資本、とは今でも戦いに身を置いている侯爵らしい発言だ、と思いながらファルサは自らのマナーを試されているのだと気が付いていた。

 貴族には多くの作法が存在し、生まれながらにして貴族の家で育った者は必ず、幼少期から教育を受けているのだ。

 しかし、ファルサの様な成り上がり貴族は誰もが平民出身であり、当たり前の話であるが貴族の作法などは知らずに生きていた者が殆どである。


「ところでファルサ君、アペリティフは如何かな?」


「頂きます」


「父上、わ、私は炭酸水を」

 

 貴族の食事においてアペリティフ――食前酒――を飲む事は、ヴァロワ王国貴族にとっては常識の一つである。

 基本的にはヴァロワ王国南部が主な産地であるシャンパンを、アルコールを避けたい場合には炭酸水にレモンやライムを絞ったものを飲むのが一般的とされている。

 使用人たちがそれぞれの席に飲み物を運び、ファルサとゼノビアはグラスを持ちながらクテシフォン侯爵の言葉を待つ。


「クテシフォン家とスペキエース卿に良縁をもたらした女神フォルトゥナの導きに感謝を」


「感謝を」


「感謝を」


 女神への感謝の言葉と共に細長いグラスが掲げられて、三人だけの食事会が開始される。

 それにしても良縁とは随分と気が早い話だ、とファルサは少し疑問に思う。

 当然、ゼノビアから今回の訪問における趣旨を聞かされているはずであり、婚姻について認めてもらう目的でファルサが訪れている事はクテシフォン侯爵もわかっているのだ。

 形式としては食事を通じてファルサの貴族作法を見極めてから、本題に入るはずである

 しかし、先の挨拶の様に最初から良縁であるなどと口にするのは、些か気が早いと言わざるを得ないだろう。

 通常であれば親交、もしくは出会いに乾杯するのが適切であり、良縁という言葉を使うのならばファルサとゼノビアの婚約が認められた後、二人の関係を公表するような場で使うべきなのだ。

 ヴァロワ王国でも歴史の深いクテシフォン侯爵家の当主がそのような常識を知らないはずがなく、ファルサでなくとも違和感を覚えてしまう。

 現にファルサの向かいに座るゼノビアも不思議そうな表情を浮かべて、横目で父親の様子を伺っているのだから。

 もっとも、今はその様な事を気にしても仕方が無い為、ファルサは運ばれてくる前菜を始めとした料理を、貴族らしく上品に口元へ運ぶ事に集中する。

 ヴァロワ王国の食事作法は周辺国と比べても特に厳しく、気を抜く訳にはいかないのだ。

 サラダにスープ、パン、魚料理と次から次へと料理が出続け、ファルサは魚料理と共に出された白ワインを口に含んだところである事に気が付いた。


「これは……もしかしてクテシフォン侯爵領で獲れたブドウを使用しているのでは?」


「ほほう、ワインに詳しいのかね?」


「嗜む程度ですが。シャルドネ種を使用したワインはオーク材の樽で発酵させる為、独特の香りがありますからね。ヴァロワ王国東部、特にクテシフォン侯爵領では良質なブドウが獲れる事は有名です」


「ワシはワインなら東部産が一番だと思っているからな」


「同感です」


「若いのに中々わかるじゃないか。どれ、幾つか秘蔵のワインを持ってこさせよう」


 そう言ってクテシフォン侯爵は使用人に指示を出し、地下室で寝かせていたワインを幾つか振る舞い始めるのだった。

 ファルサとクテシフォン侯爵によるワイン談義は止まる事無く、貴族の食事会というよりはテイスティング会を髣髴とさせる様相を呈していく。

 ゼノビアはそんな二人の様子を眺めながら、少し嬉しそうな表情を浮かべていた。


「ハッハッハ、ワシと倍以上歳の離れた若者とこれほど語り合う事になるとはな。レオナールとも……こうして酒を酌み交わしてみたかったものだ」


「父上……」


 赤ら顔のクテシフォン侯爵は哀愁の漂う声色で言葉を発し、視線を大きな窓の外へと向ける。

 ファルサはクテシフォン侯爵の気持ちを、何となくではあるが察することが出来た。

 自分が親という存在に特別な感情を抱いている様に、クテシフォン侯爵も息子という存在に渇望を頂いているのだろう。


「いきなりこのような話をするのはどうかと思うが、君も知っているとは思うがワシの子供は今やゼノビアしかいないのだ。妻は元々子供の出来にくい体質だと言われていて、二人も産めた事自体、奇跡の様なものだった」


 それについてはファルサも良く知っていた。

 アウレリア王女の派閥に属する者の出身や家柄、友人関係や能力、過去の行動など、ありとあらゆる面において調べ上げているのだ。

 クテシフォン侯爵家の内情なども当然、調査済みである。


「確か、奥様とは周囲の反対を押し切ってご結婚なされたとか」


「うむ。妻は子爵家の出とは言っても身分の低い側室の娘だった。当然、侯爵家の跡取りであるワシとの結婚、それも正室にするなど周囲から大反対を喰らったものだよ。その上、医者からは子供を望む事は難しい言われてな。結局は勘当覚悟で、半ば駆け落ちの様な状態で一緒になる事を選んだ。まぁ、当時のワシは既に騎士団の副団長だった上、実家とは関係なく男爵位を叙爵されていたから、妻の一人くらい養うのには問題はなかったがな」


 あの時はワシも若かった、と語るクテシフォン侯爵の顔は、いたずらに成功したやんちゃな少年の様であった。

 身分違いでの結婚自体はそう珍しくない話だが、その殆どは側室、それも第三夫人、第四夫人といった具合になる事が多い。

 正妻とはあくまでも政略結婚で、お互いに本命の愛人を抱える様な事態も珍しくないのがヴァロワ王国の貴族社会なのだ。

 もっとも、その様な関係は問題も起きやすく、当主の愛情が側室の子供に注がれる事へ腹を立てた正妻が、側室とその子供を暗殺すると言った話も枚挙に暇がない。

 大抵は闇から闇へ事実を葬り隠蔽されるのだが、そうした貴族社会の事情を前提に考えると、クテシフォン侯爵は規格外といっても過言ではないだろう。

 そして、跡継ぎである男子を産む事は貴族の妻にとって最大の義務である。

 どれだけの苦労を経て駆け落ちにまで至ったのかは、想像に難くない。

 クテシフォン侯爵の駆け落ちは王都でも演劇になった程、広く浸透しているのだ。

 身分違いの恋、そして二人の子が誕生する奇跡はいつの世も好まれる。

 しかし、嫡男であるレオナールが亡くなってからは、クテシフォン侯爵を題材とした演目は自粛されていた。


「なるほど。それだけの大恋愛を為されたからこそ、閣下は今も奥様一筋を貫いている訳ですね」


「まあ、な。貴族としては恥ずべき行為だとは自覚しているが、やはり今でも妻以外を愛する気は起きないよ。結局、私以上に侯爵家を継げる能力があると判断された兄弟も居らず、後に長男が生まれた事でこうして侯爵家の当主なんぞになっているが、適切な跡継ぎでもいればすぐにでも譲るつもりだ。レオナールの死後も何かと外野が騒がしかったが、こうして良い話が舞い込んでくたのだから、果報は寝て待つ物だな」

 

 亡くなったレオナール、そしてゼノビアの後に子をなしていないという事は、そう言う事なのだろう。

 貴族として家の存続を考えるならば、今からでも何人かの側室を迎え入れるべきであり、レオナールの死後にそのような話は数多く舞い込んでいるのは、調査結果にも載っていた事実である。

 同時に、ゼノビアへの縁談も山の様に降り注いでいたが、それらは本人によって斬り捨てられていた。

 しかし、それでも妻一筋を貫き、ゼノビアの意志を尊重したクテシフォン侯爵にファルサは尊敬の念を抱いていた。

 だが、同時に疑念も生じる。

 あまりにも理解が良すぎる、と。


「良い話……ですか。ご存知かとは思いますが、私は平民出の成り上がり貴族です。青い血も流れていなければ、見ての通り純粋なヴァロワ王国人ですらありません。その私がゼノビア殿と結婚する事を良い話だと、良縁だと本気でお考えですか? もしそうだとしたら些か、名将と名高い閣下にしては軽率な考えだと苦言を呈せざるを得ないですよ」


「いきなり何を言い出すのだファルサ殿。流石にそれは言葉が過ぎるぞ。酒に酔ってしまった上での失言ならばすぐに取り消すのだ。緊張しすぎて飲み過ぎたのだろう?」 


 ファルサの暴言とも取れる発言にゼノビアは声を少し荒げて注意する。

 本来の目的は婚姻関係である事を理由に、クテシフォン侯爵に北部貴族との間を取り持ってもらう事なのだ。

 クテシフォン侯爵がファルサに対して好意的であるのならば、それだけ話が早くなる。

 わざわざ相手を怒らせるような言葉を発するのは悪手と言うほかない。

 だからこそ、ゼノビアはわざと酒に酔った事にして謝れとファルサに勧めているのだ。

 失言は失言でも、緊張から飲み過ぎて口が滑ったという言い訳なら、まだ取り返しのつく内容なのだから。

 しかし、ファルサはゼノビアの気遣いに乗る様子も無く、表情を崩さずにただジッと、黒い双眸でクテシフォン侯爵を見詰めて返事を待つのだった。


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