ゼノビア・ド・クテシフォン2
「うふふ、セシリアが驚くのも無理はないですわ。私もこの話を聞いた時は、ファルサ様の頭がどうかしてしまったと思いましたもの」
「アウラ様も中々酷い事を言うね。僕は損得を考えた場合にそれが最適だと思ったから、そうするだけだよ。大体、勇者の育成にかこつけて不正貴族の摘発を行うのも中々とんでもない事だったと思うけど」
「私はそれが効率的だと考えたからそうしただけの事。結果、地方の腐敗した貴族は減り、圧政者がいなくなった事で民は喜び、王家の力は増し、勇者であるユリアさんも旅で経験を積み、と一石二鳥どころか三羽も四羽も落としておりますわ。感謝こそされ、非難される様な謂れはどこにもありません」
宮廷きっての腹黒コンビに、ゼノビアもセシリアも苦笑いを浮かべていた。
勿論、ファルサが仄めかした魔族との交渉はあくまでも表向きの理由であり、本当の目的はルウを親元に帰すという事になる。
次点がふざけた真似をしている黒幕を炙り出して後顧の憂いを無くす事であり、ヴァロワ王国に利益をもたらすなどはついでの様なものなのだ。
アウレリアに関してはファルサの思惑が他にもあると気が付いている可能性は高いが、無闇矢鱈と言及してくるつもりはないだろう。
ファルサがアウレリアの元で働き始めた時から、それはずっと変わらない。
「武官である私には到底理解できない話ですが、一先ずはわかりました。しかし、下の者たちには到底話せる内容ではないですね」
「セシリアさんの立場だと中々大変かもしれないけど、よろしく頼むよ」
「スペキエース卿に言われるまでもありません。私はゼノビアと共に道を進むだけですから」
ふん、と鼻を鳴らしながら紅茶をすするセシリアは、チラリとゼノビアの方に視線を移す。
それにつられてファルサも隣のゼノビアを見やると、美味しそうにサンドイッチを頬張っている女騎士の姿がそこにあった。
決して大口を開ける様な下品な真似はせず、侯爵令嬢然とした所作で上品さ保ちつつも、次から次へとゼノビアの口の中にサンドイッチが吸い込まれていく。
「一体、その体のどこに入る場所があるのか甚だ疑問ですわ。私など体型を維持するのにどれだけ苦労している事か……」
ゼノビアだけずるい、と言いたげなのはアウレリアだけではなく、その後ろに立つメイドや護衛たちも同意するかのように頷いていた。
王女の周辺を任されるだけあって、彼女たちも十分過ぎるほどにくびれのある体型をしているのだが、おそらくは日頃から並々ならぬ努力をしているのだろう。
僕も割と良く食べるけど太らないんだよなぁ、とファルサは内心で思いながらも、余計な事は口にはせずに紅茶で喉を潤す。
「わ、私は日頃から体を動かしておりますから。騎士団の者ならばこれくらいは食べても平気です」
「いや、そんなに食べるのはゼノビアくらいよ。食事と言えば、私たち以外の皆はお昼なんて食べられないから無駄に痩せてしまいそうね。それくらい今日の訓練は相当激しかったわよ。いくら何でも少しやり過ぎじゃない?」
少し恥ずかしそうにしながらも、貴族令嬢らしく優雅に口を拭いて答えるゼノビアに、セシリアはすぐさま反論する。
先の訓練はあまりに激しく、団員たちは今も訓練場でへたりこんでいるであろう事は想像に難くない。
騎士は体が資本であり、食事は体を作る為にも必要不可欠な要素の一つなのだ。
食事が喉を通らなくなるまで扱くのは、あまり良い方法ではないと言わざるを得ないだろう。
セシリアの疑問を聞いたゼノビアは、ちらり、とアウレリアの方を見やり、続けて隣に居るファルサに視線を動かしてから、最後にセシリアの元へと戻す。
アウレリアについては、先日に王宮から抜け出した事による警備の甘さを危惧しての事だろう。
今もアウレリアの後ろに控えている護衛たちは白百合騎士団の団員であり、訓練に参加していない者はこうして何らかの任務に就いている。
つい先日、ルウと他の魔族が王都の近くに現れたばかりであり、再び同じ様な事が起きないとも限らない。
王宮な内ならば万全の警備体制を敷く事も可能だが、街中はどうしても目が行き届かない場所もあるのだ。
もし、アウレリアが王宮を抜け出した日が少しずれていたら、万が一の事が起きたかもしれないと考えるのは当たり前の事である。
そして、ファルサの方を見た理由など一つしかないだろう。
「ふーん、ゼノビアはファルサ様と何か良い事でもあったのかしら。思わず舞い上がって訓練に没頭してしまうくらいの何かが。ファルサ様が隣に座っても平気な顔をしていたのは、その程度では動じなくなるだけの経験をしてしまったと考えるのが妥当ですわね」
アウレリアは鋭い目つきをしながら、扇子の先をゼノビアへと向ける。
ついに来たか、と判断したファルサは、周囲の人目も気にすることなくゼノビアの左肩に手を回し、そのまま体を自分の方へと引き寄せる。
「スペキエース卿! 何をしているのですか!」
「な、ひゃ、ひゃるしゃどの、にゃにをしゅるんだ」
「何って、昨夜もした事じゃないか。アウラ様は知っているけど、僕とゼノビアは婚約関係にある事が前提でクテシフォン侯爵に会いに行くんだ。その時にこんな調子じゃ、いくらなんでも不自然だからね。少しは耐性を付けて貰わないと困るから、荒療治みたいなものだよ」
疑いの眼差しを向けたままのアウレリアと怒りで顔を歪めるセシリア、そして既にポンコツ状態のゼノビアを含めた三人相手に、ファルサは事も無げに答えるのだった。
勿論、言葉の中身は嘘を吐いているわけではないが、真相を語っているわけでもない。
ただ、ゼノビアがファルサとの決闘に負けて結婚をすると勘違いしたのは四年以上も昔の事である。
仮にそれから今まで恋人関係にあったとするならば、少しくらい体を寄せた程度で動揺するのは些か不自然であり、クテシフォン侯爵に疑念を抱かせてしまう可能性があるのだ。
ルウの事が無ければすぐにでも勘違いを解消するところだが、交渉する前にそんな事をしてしまえば、侯爵家の令嬢を弄んだと思われかねない。
寧ろ、婚約者としての立場を最大限に利用し、義理の息子として接して貰う方が遥かに目的を足しやすくなるのは明白である。
ゼノビアとの関係が進展した事には一切触れず、もっともらしい理由を盾にこの場を誤魔化すのはファルサらしいやり方と言えるだろう。
「ま、ファルサ様がそう言うのならばこれ以上は追求致しませんわ。それよりも目の前でベタベタとされる方が不愉快です。もう止めてくださいまし」
「アウレリア王女殿下の仰る通りです! スペキエース卿、早くゼノビアから離れてください!」
「はいはい、了解だよ。それから……後ろの君たち。わかっているとは思うけど、他言は無用だよ」
ファルサはゼノビアから離れながらアウレリアの後ろにいるメイドと護衛、もとい白百合騎士団の団員たちに笑顔を向けると、彼女たちは勢いよく頷いて了承の意を示す。
王族の側付きとは何よりも秘密を守る事を第一に考えているのだが、ファルサは敢えて口止めをする事にした。
貴族同士の色恋沙汰は社交界の花とも言えるのだが、偽装での婚約など知られたら大問題になってしまう。
もっとも、メイドや護衛はアウレリアが選別した信頼できる者をだけを採用している為、そこまで心配する必要もないだろう。
つまり、ファルサの本当の目的は口止めなどではなく、防諜魔法で会話を聞けずにいる周囲の貴族たちに今の光景を見せる事にある。
ファルサがゼノビアの体を抱き寄せたのを見た者たちは、二人の関係はかなり深い仲だと認識するだろう。
その後、メイドや護衛に口止めをしたであろう二人がクテシフォン侯爵に会いに行けば、自然とファルサとゼノビアが結婚するつもりだと知れ渡る。
同じアウレリア派の主要人物同士ともなると、その話題性は抜群だろう。
そして大きな話題で本来の目的を覆い隠し、更には真実が漏洩するかどうかで内通者が近場に居るかどうか確かめる事も出来るのだ。
白百合騎士団副団長のセシリアにアウレリア付きのメイドや護衛。彼女たちが本当に信頼に足るのかどうか、もしくは本人たちも与り知らぬ状態で裏切りに繋がる行為をしていないのか、今の段階で選別するのがファルサの目的になる。
ファルサが王都を離れていた期間は約一年、その間に何らかの工作がされている可能性はアウレリアが居る以上限りなく低いがゼロではない。
唯でさえ魔族が暗躍しているとわかっているのだから、用心に用心を重ねても足りないくらいなのだ。
「ファ、ファルサ殿は、もう少し場を弁えて行動をしてくれ。これではまるで私とファルサ殿が、こ、こここ、恋仲に見えてしまうではないか。侯爵令嬢の私が公衆の面前で男に肩を抱かれるなど、ご、ご誤解を招いてしまう。全く、本当に困ったものだ、本当に」
「はぁ、ゼノビアはこれが無ければ優秀なのに。確かに困ったものですわ」
「他の団員たちには見せられませんね。本当にスペキエース卿は余計な……いえ、失言でした」
ちっとも困った顔をせず、頬を赤く染めてだらしのない表情を浮かべているゼノビアに、アウレリアもセシリアも憤りを通り越して呆れているのが手に取るようにわかる。
メイドたちが素早く立ち位置を変えて、ゼノビアの表情が周囲からは見え無い様にしているのがせめてもの救いだろう。
「ははは、僕からは何も言えないや。さて、僕の方は用件も済んだ事だし、先に失礼させてもらうよ。アウラ様、お茶に誘って頂いてありがとうございました。ゼノビアとセシリアは午後の訓練も頑張ってね」
「あら、ファルサ様は用が済めば簡単に私を捨てるのですわね」
「お戯れを。それではアウレリア王女殿下、ゼノビア嬢、セシリア嬢、後は淑女の皆様でゆっくりとお楽しみください」
元々ファルサは優雅にお茶を楽しむ目的で庭園に居た訳ではなく、ゼノビアと同様にアウレリアにも働きかけてほしい相手がいたので、それについての話をしていたのだ。
そちらが一段落したところで丁度ゼノビアとセシリアがやって来た為、ついでと言わんばかりに先程のような行動を取ったに過ぎなかった。
不満そうに小さく頬を膨らませるアウレリアに対し、ファルサは礼儀に則った言葉遣いで別れの挨拶をして、席を立ち優雅に礼をする。
これはすでに防諜魔法は解除したという無言の合図であり、ここから先は当たり障りのない会話をして欲しいという意味が込められている。
「ご機嫌よう、スペキエース卿」
「ご機嫌よう、ファルサ殿」
「ご機嫌よう、スペキエース卿」
三人はすぐに意図を察し、淑女らしく別れの言葉を発するのだった。
アウレリアがわざと名前ではなく苗字で呼んだのは、ファルサの意図を汲んでの事だろう。
別れの挨拶を交わしたファルサはその場から立ち去り、足早に王宮内の廊下を進んで行く。
表情は余裕を表す笑みを浮かべていたが、人目のない場所では明らかに表情が固くなっていた。
角を曲がり、階段を上り、廊下を進み、貴族とすれ違えば挨拶を交わす。
そうした事を何度も続けた先、宮廷魔導士たちに宛がわれた研究棟の最奥にファルサの研究室があるのだ。
扉の鍵を開け、部屋の中に飛び込んで内側から鍵を閉めたファルサは、ズルズルとその場に崩れ落ちる。
「ガハッ! ゲホッゲホッ!」
ファルサの口から零れ落ちる赤黒い液体が大理石の床に広がり、白を基調とした室内を汚していく。
吐血。
それも尋常ではない程の量だ。
蹲りながら何度も咳込んで血を吐いていくファルサ。
「けほっ。ふぅ、まいったなぁ。流石にこれはつらいよ」
ファルサは弱音を吐きながら、懐から小さなガラス製の容器を取り出してコルクの栓を抜くと、中に入っている黄銅色の液体を嚥下する。
この分だと内臓にも相当な損傷があるかもしれない、とファルサは冷静に自分の体について考えを巡らす。
言うまでも無く、先日のルヴトーとの戦いにおける無理がたたった結果が今の状態なのだ。
アスタルトから受けている鍼治療は決して即効性があるわけではなく、自己治癒を助ける働きしかない。
本来ならばパルミナやユリアに改めて回復魔法をかけて貰いたいところではあるのだが、何をしたらここまで悪化したのかという言い訳が思い付かないのだ。
特にユリアなどはファルサを殺しかけた張本人であり、弱った姿を見せてしまうと余計な責任を感じさせる事になるだろう。
そうなると必然的に選択肢は限られてくる。
「とりあえずは薬で間に合わせて、近いうちにパルミナを頼るしかないかな」
独り言をつぶやきながらファルサはおもむろにその場から立ち上がり、仮眠用として置かれているベッドまでおぼつかない足取りで歩きだす。
痛みを我慢しながらも転移魔法で床に広がる血液を綺麗に消し、仰向けにベッドへと倒れ込むファルサ。
天井をぼんやりと見つめて、今後の展開を頭の中で巡らしていく。
人間として、魔族として、どちらの生活も守りながら、ルウを無事な状態で親元に帰し、裏で暗躍している黒幕を見つけ出す。
その目的を達成するまでの道筋を改めて考えている内に、いつしかファルサの瞼は落ちてそのまま夢の世界へと旅立って行くのだった。




