ゼノビア・ド・クテシフォン1
「反応が遅い! 実戦では僅かな対応の遅れが命取りだと言っただろう!」
「も、申し訳ありません」
王宮の訓練場ではゼノビアが檄を飛ばしながら白百合騎士団の訓練を行っていた。
団員の全てが女性のみで構成されている白百合騎士団の一番上に立つのが、ゼノビア・ド・クテシフォン団長である。
若干十七歳にして一つの騎士団を任させるゼノビアの実力は、他の追随を許さない。
後ろで一つに纏めた金色の長い髪は馬の尻尾を髣髴とさせ、それを靡かせながら剣を振るう彼女の姿は、まるで神話に出てくる戦乙女の様である。
「きゃあ!」
ゼノビアと剣を交えていた女騎士が、女性らしい悲鳴を上げながら尻餅をつく。
隙を突かれてゼノビアに足を払われたのだ。
そして団員が握っていたはずの長剣は手から零れ落ち、そのまま地面へと投げ出されてしまう。
「何をぐずぐずしているのだ! 貴様が体勢を整えるまで敵が待っていてくれると思っているのか! 早く剣を拾え!」
ゼノビアが鬼の様な剣幕で怒鳴りつけるが、女騎士はその場にへたり込んだまま動けずにいた。
膝や肩が震え、どう見ても立ち上がるのは無理そうである。
その様子を見たゼノビアの眉間には深い皺が刻まれ、更に何かを言い出そうと口を開く。
「そんなことで――」
「――まぁまぁ、少し落ち着いてゼノビア。流石に朝から昼まで通しでの訓練は、新入団員には厳し過ぎるわ。正直言って、他の団員たちも限界寸前だと思うわよ」
そう言って二人の間に、別の女騎士が割って入る。
碧色の双眸でゼノビアを見上げながら、訴えを聞き入れるまでは頑として譲るつもりはないと目で語っていた。
ウェーブのかかった金色の長い髪や美しい顔は土で汚れ、彼女もまた厳しい訓練を行っていたことが目に見えて分かる。
「む、セシリアがそう言うのならばそろそろ休憩にするか。これより一時間ほど昼休憩とする!」
女騎士――セシリアの意見を素直に聞き入れたゼノビアが白百合騎士団の団員たちに休憩を伝えると、先程まで両の脚で立っていた者たちもその場にへたり込んでしまう。
どうやら皆、限界が近かったらしく、誰もその場から動こうとしない。
だらしない表情でぐったりとしている姿を見て、誰も彼女たちが全員貴族の娘であるとは思わないだろう。
「さ、さ、ゼノビア。ここは副団長である私と庭園でお茶でも飲みながら、優雅な昼の一時を過ごしましょう。既にメイドが準備をして待っているのよ」
一人だけ生き生きとした表情でゼノビアを誘うセシリアは白百合騎士団の副団長であり、ゼノビアが不在にしている間は団長代理を務めていたのだ。
つまり、ゼノビアにとっても一番信を置いている部下と言っても過言ではない。
セシリアがゼノビアの腕に絡みついて歩く様子は、同じ髪色という事も相まって仲睦まじい姉妹の様にも見える。
二人は汚れを落とし、汗を拭い、最低限の身だしなみを整えてから庭園へと向かうのであった。
「ゼノビア、あそこがそうよ。中々いい席を取れたでしょう?」
セシリアはゼノビアの腕を引っ張る様に歩きながら、メイドたちが立っている場所を指さした。
庭園のほぼ中央に位置する大木の周辺は特に人気が高く、事前の予約を取らなくては確保できない特等席になる。
一年樹と呼ばれている大木は、その名の通り一年を通して花が咲き続け、見る者を魅了する。
花や池を眺めながら優雅にお茶を楽しむのが、上流階級の嗜みの一つなのだ。
一年樹の下にある装飾の施された青銅製のイスやテーブルの上には、サンドイッチやケーキ、フルーツなどが並べられており、準備が済んでいるようだ。
唯一つ、誰もが違和感を覚える特徴を上げるとすれば、サンドイッチの量が二人で食べるにしては尋常ではない程に多い事だろう。
そしてセシリアとゼノビアは殆ど同時に別な事にも気がついたのか、視線を自分たちが座る予定の席よりも少し先にずらす。
「やぁ、二人とも奇遇だね」
「あら、奇遇ですわね。折角こうして顔を合わせた事ですしご一緒に如何かしら?」
笑顔で挨拶をする二人の男女、片方は宮廷魔導士筆頭のファルサ・スペキエース、そしてもう片方はヴァロワ王国第一王女のアウレリア・ド・ヴァロワであった。
ファルサは奇遇だと言いながらも、やっぱりこの二人か、と庭園に来ることを予想しており、おそらくはアウレリアも同様だろう。
庭園でのお茶会は貴族たちの間では好んで行われる催しの一つなのだが、軽食であるはずのサンドイッチを山の様に積んでいる光景など普通はあり得ない。
しかも、パン生地が乾いてしまわない様に水系統の魔法を使って、湿度を保つメイドまで居るのだ。
執事やメイドが魔法を扱えることは高位貴族のステータスとされており、当たり前であるがその賃金は桁違いに高い。
そのようなメイドをサンドイッチが乾かない為に働かせるある意味でお馬鹿な貴族など、ファルサには一人しか心当たりが居なかった。
「アウレリア王女殿下のお誘いを断る者などおりませぬ、喜んでご一緒させて頂きます」
「アウレリア王女殿下からのお誘いとは恐れ多いですが、謹んでお受け致します。ですが、お二人の邪魔にならないでしょうか?」
ゼノビアはアウレリアの誘いに承諾し胸に手を当てて頭を下げ、セシリアも同様だったが、ファルサとの一時を過ごす邪魔ではないかと心配している様子を見せる。
もっとも、ファルサはその言葉が本心ではない事を知っており、アウレリアもまた同様であった。
アウレリアはセシリアの様子を見て悪い笑みを浮かべたが、すぐに扇子で口元を隠して誤魔化してみせる動作は随分と手慣れているようだ。
「あらあらセシリアさん、邪魔と言うのであれば私たち、特にファルサ様の事ではなくて?」
「い、いえ、その様な事は決してございません。殿下が構わないと仰って頂けるのであれば、喜んでご一緒させてください。スペキエース卿ともご一緒出来るとは、光栄の至りです」
「まぁ、そう言う事にしておいてあげますわ」
くすくす、と一見すると可愛らしい笑い声と笑みを零すアウレリアだったが、ファルサはまた悪い癖が始まった、とため息を漏らす。
当たり前ではあるが、アウレリアは自身の配下の過去や交友関係などを全て調べて知り尽くしており、それはセシリアに対しても同様であった。
セシリア・ド・モンモランシー、彼女はモンモランシー子爵家の長女として生まれ、下に四人の妹がいる。
モンモランシー子爵は男子に恵まれず、後継者は養子か婿かと悩んでいたところ、その様子を見兼ねたセシリアが父の為に剣を習い始めたのだ。
どうやら彼女には剣の才能があったらしく、いつしか配下の兵士たちすら敵わない腕前になるのだが、やがて王都の騎士学校で一人の少女と出会う。
それがゼノビア・ド・クテシフォン、後に王国最強の騎士と呼ばれる存在であった。
初めこそゼノビアへの対抗心で何かと敵意をむき出しにしていたセシリアだったが、いつしかその実力を求めて、共に訓練をこなす様になる。
特にセシリアは、昔のゼノビアが放つ触れた物を傷つけるような鋭さが気に入っていたのだが、一人の男がそれを変えてしまったのだ。
「ファルサ殿、隣に失礼させて頂く」
「っあ……!」
会話を聞いていたメイドたちが手早く席を用意していた為、ゼノビアはファルサの隣に腰を下ろす。
セシリアはその様子を見て小さく声を上げるか、それ以上はなにも言わずに、ゼノビアの正面に座るのだった。
そしてアウレリアは自身の隣に座るセシリアを見て、くすくす、と再び小さな笑い声を発していた。
「残念だったわね、セシリア。愛しの君の隣に座れなくて」
「い、いえ、王女殿下のお隣に座らせて頂ける事が何よりの喜びです!」
「あらそう? その代わりゼノビアは良かったですわね。ファルサ様の隣に座れたんですもの」
「警備上の観点から選んだので、他意はありません。殿下の後ろに護衛が控えている以上、反対側に私が座り盾となる。騎士の務めです。」
このままじゃアウラに勘付かれるかもな、とファルサはゼノビアの言動からそう判断する。
アウレリアは悪戯好きと言うか、腹黒いと言うか、集めた情報を元に他人をからかう癖があるのだ。
セシリアはゼノビアを変えてしまったファルサの事を嫌っており、自分より強いゼノビアを慕っている。
そしてゼノビアは言うまでも無くファルサに好意を寄せているのだが、普段通りなら、からかわれた時にもう少し動揺していてもおかしくない。
ファルサ絡みになるとポンコツになるのがゼノビアなのだから。
「ふーん、まぁいいですわ。さぁ楽しいお茶会を始めましょう」
美女三人に囲まれながらも、全く楽しめないお茶会の開始にファルサはため息を吐いた。
王侯貴族の女性たちが頻繁に楽しむお茶会は、社交の場でもあると同時に情報戦の場でもある。
中には家の情報を娘が漏らし、それが元で没落した家も存在するくらいなのだ。
特にアウレリア王女は話術に長け、油断した隙を突くのが上手い。
ゼノビアも侯爵令嬢としての腹芸は出来るが、ファルサ絡みになると弱いのが玉に瑕である。
今のところは冷静さが垣間見えるが、どこまで持ちこたえられるのか不安なファルサであった。
口づけを交わした事について漏れてしまえば、アスレリアは元より、セシリアも黙ってはいないだろう。
その上、ユリアやパルミナに知られてしまえば面倒事は更に大きくなってしまうのだ。
「そう言えば、近々クテシフォン侯爵が王都に来るそうね」
「はい、今朝届いた手紙によると、おそらくは明日の夜か明後日の朝には到着するかと。到着の知らせがあればすぐにファルサ殿と父を引き合わせるつもりです」
「ねぇ、ゼノビア。何でスペキエース卿とクテシフォン侯爵を引き合わせるのかしら?」
アウレリアは既に知っている事を話題に出してゼノビアの様子を探ろうとするが、セシリアは詳しい事情をまだ知らない。
疑問に思うのも当然であり、セシリアが結婚話について知れば怒りが爆発するかもしれないな、とファルサは思いながら、テーブルの上にあるクッキーを一つ摘まむ。
「あぁ、理由はいくつかあるのだが、一番の目的は北部の地方貴族と渡りをつける事だ。ルウ殿を匿っている以上、魔族への敵対心に端を発する余計な干渉は事前に避けておきたい。派閥争いも行き過ぎれば他国の付け入る隙となるし、現状よりも内憂外患になるなど御免だからな」
ゼノビアが語った理由は至極当然の内容であったが、アウレリアの後ろに控えていたメイドや護衛が少し顔を強張らせて、ちらりとファルサの方に目配せをする。
四人が今いる場所は王宮の庭園であり、周囲には他の貴族たちも同じ様にお茶を楽しんでいる。
しかし、王位継承権第一位のアウレリア王女と派閥の中核をなす三人が揃っている為、誰も彼もが利き耳を立てているのだ。
余計な情報が漏れてしまう危険もあるのではないか、と心配するのは仕方のない事だろう。
ファルサは片目を閉じて問題ない事を知らせると、メイドや護衛は少し安心した様子を見せる。
防諜魔法は宮廷魔導士の基本であり、いくらファルサが不調と言っても発動できない事は無い。
もっとも、魔力路が損傷しているせいか体中に刺す様な痛みが走っているのだが、ファルサはそれを悟らせないように笑顔を浮かべるのだった。
「確かに、クテシフォン侯爵は宮廷内の派閥争いにはあまり興味のない方だからいいかもしれないわね。ただ、そこまでしてあの魔族を保護する必要はあるのかしら? あ、決して王女殿下の方針に反対するとかそういうつもりはないですけど、苦労の割にあまり益が無い気がして……。それと、他の団員たちからも不安の声が出ているものですから」
セシリアは少し慌てた様子を見せながら疑問を投げかける。
白百合騎士団の団員たちは何も全員がアウレリア派という訳ではない。
基本的に皆、団長であるゼノビアを慕っているが、実家の立場などから複雑な環境に身を置いている者も中には存在する。
ルウの護衛を担当している団員はそうした立場の者を事前に外しているが、外部から見た場合に白百合騎士団が魔族に与していると思われかねない可能性もある。
表向きは魔族の情報を引き出しつつ、外部からの暗殺を防ぐ事になっているが、面倒事には変わりない。
「君は騎士だからあまり馴染みが無いかも知れないけど、魔族は魔法に長けている種族だからね。僕としては魔法の真髄に近づけるかも知れない可能性を捨てるほうがもったいないと思っているよ。それに、魔族の土地には古代文明の技術が眠る遺跡が山ほどあるのはセシリアさんも知っているよね?」
「それは知っていますけど、それが何に……」
古代文明、遥か遠い昔に栄華を極めた魔法時代。
魔族と人間が争っている大きな理由の一つが、三百年前に起きた魔族による王族の殺害、そして二つ目が魔族領に眠る古代文明時代の遺跡なのだ。
未だに現代の魔法技術では解明できない優れた出土品も多く、それらは場違いな工芸品――オーパーツ――と呼ばれて高値で取引されている。
ファルサの持つ連絡玉はその最たる例であり、万が一ヴァロワ王国で発見された場合、屋敷どころか城がいくつも買える様な値段になるだろう。
セシリアはファルサが答えた事に不服そうな表情をしていたが、どうやら理由を知りたいという欲求の方が勝ったのか、続きを促す様に目で催促する。
「どうやらあの魔族の娘、ルウちゃんのお父さんは狼魔族という種族の族長らしくてね。魔王軍としても無下に扱えない可能性が高いのさ。例えば……貴重な魔道具、それこそ古代文明の技術が使われている物を手放してでも、取り戻したいと思えるほどに」
「ま、まさか、魔族と交渉の――」
「――そこから先は今ここで話す様な事じゃないよ。ま、少なくとも見せしめで処刑するよりはヴァロワ王国に利益をもたらすでしょ? そして必然的に僕たちが担いでいる神輿、つまりはアウラ様の評価もうなぎ上りになる。過去三百年、誰も成し得なかった偉業を達成したと言う形でね」
ファルサがわざと意味ありげな笑みを浮かべて答えると、セシリアの双眸は得体のしれない物を見る様な目つきになる。
ヴァロワ王国では過去三百年、魔族との交渉を行った事など一度も無い。
魔族、というよりも殆どが四天王の一角であるクリューエルの仕業なのだが、執拗に人間を痛めつけて村や街を滅ぼす様な攻撃を繰り返してきた事、そしてヴァロワ王国で国教となっているフォルトゥナ教の存在が大きな足枷となっていた。
誰に聞いてもあり得ない、不可能だ、馬鹿げていると口にしたくなるファルサの発言だが、セシリアは反論せずに口を噤む。
不可能を可能にしてアウレリア王女を王位継承権第一位まで押し上げ、自身も平民の出でありながら子爵位を授かり、伝統のある宮廷魔導士の筆頭にまで上り詰めたのが、ファルサ・スペキエースという男なのだから。




