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つんつんタルトちゃん

「ミラージュ様、も、もう平気ですから。とにかく立って下さい」


 アスタルトが今にも消え入りそうな小さい声を発したのは、ミラージュが土下座を始めてから間もなくであった。

 以前に同じベッドで眠ってしまった事を考えると、暫く時間が掛かるかと思っていただけに、ミラージュは少し不審に思いながらもゆっくりと立ち上がる。


「あ、あまりこちらを見ないで下さい」


 両手をもじもじと動かしながら顔を背けているアスタルトは、横目でチラチラとミラージュの方を見ていた。

 恥ずかしがっているのには変わりはないが、それでも以前の様に無視をされるとか、部屋に引き籠もる様な心配はなさそうだ、とミラージュは少しだけ安堵する。

 そして、アスタルトが恐る恐るといった様子で少しずつミラージュに近づき、その胸元に飛び込んだ。


「え?」


「う、動かないで下さい。その、とりあえず私の部屋に転移して頂けますか?」


 ミラージュは何が起きたのかさっぱり理解できないまま、とりあえず転移魔法を発動させようとする。

 しかし、魔力を練り上げた瞬間、全身に刺す様な鋭い痛みが走るのだった。

 やっぱりそうだよね、とミラージュは一人で納得しながらも、何とかゲートを作り出す事に成功する。


「こちらに来てください」


 転移先は指定された通り幻影城にあるアスタルトの私室であったが、移動するや否や今度は部屋の中央にある巨大なベッドに押し倒される。

 立場が逆だとか、抵抗したくても体が言う事を聞かないだとか、ミラージュはぼんやりとそんな事を考えながらも、アスタルトに身を任せるのだった。


「ミラージュ様はそのまま楽な姿勢で。私が動きますから」


「え、あ、うん、ありがとう」


 アスタルトの声にミラージュは少し戸惑いながら礼の言葉を述べる。

 タルトちゃんのベッドは良い匂いがするな、と間違えても口にできない事を思いながら、ミラージュは視線を動かして周囲を見渡す。

 医学書や歴史書、戦術書や魔法関係の書籍などが種別ごとに収められている書棚。

 簡易的な実験器具や、医療用の器具、瓶詰された試薬などが置かれている薬品棚。

 他にも美術用品や楽器、紅茶など、それぞれが棚ごとに区分けされており、アスタルトの几帳面さが伺える。

 部屋の隅にある作業用の机には幾つか書類が積まれ、その反対側には描きかけと思われる木製のキャンバスに布がかけられていた。


「では、服を脱がしますね」


 そう言ってアスタルトは優しい手つきでミラージュの服を脱がしていく。

 以前に幻覚魔法の訓練を行った時には上半身だけ裸になっていたミラージュだが、今回は下も脱がされてしまい、最後の砦である下着一枚だけが残される。

 仮面を付けた裸の男と、その上に馬乗りになっている美しい少女、最早犯罪の匂いしかしない。


「タルトちゃん、無理してないかい?」


「別に無理などしていません。まだ少し恥ずかしいですが、我慢できます。それから、私は初めてなのでどうしても痛みが生じるかと思いますが、その辺りはご了承ください。慣れると気持ち良くなるらしいので、暫くの間は毎日続けますから、きちんと帰ってきてくださいね」


 一体、タルトちゃんの思考回路は何がどうなってこうなったのだろうか、とミラージュは混乱する。

 もしかすると暴走しているのではと思って声をかけたミラージュだったが、アスタルトは少し頬を赤らめながらも普通に返事をしたのだ。

 内容は色々と突っ込むべき所が多いのだが、どうやら既に覚悟は決まっているらしい。

 それどころか、慣れる為に今後は毎日行うと言うのだから、驚きである。


「準備をしますので少々お待ちください」


 アスタルトはミラージュに一声かけると、一度ベッドの上から降りて薬品棚の方へと向かう。

 確かに準備は必要だよね、とミラージュは現実から逃避しそうになりながら、アスタルトの後姿を眺めていた。

 こんな光景、ベルゼビュート様に見られたら殺されるだろうなぁ。

 でも、土壇場で断るのも失礼な話だし、あんなことをした以上は覚悟を決めるしかないか。

 ミラージュがそんな事を考えていると、アスタルトが両手を合わせたくらいの大きさの木箱を片手に戻ってくる。


「お待たせしました。それでは……失礼します」


 アスタルトは再びベッドに上がると、そのままミラージュのお腹に腰を下ろし、耳元に顔を近づけていく。

 甘い香りがミラージュの鼻腔をくすぐり、アスタルトの滑らかな髪が頬を撫で、吐息が耳を刺激する。


「タルトちゃん、ちょっとくすぐったいんだけど」


「我慢してください。最初は耳からと決まっていますので。」


「……その情報、誰に聞いたのかな?」


「本で読みました」


「なるほどね」


 アスタルトの言葉にミラージュは得心がいく。

 書物と言うものは様々な知識を与えてくれる素晴らしい物なのだが、その一方で筆者の考え方が色濃く反映されている。

 書いた本人の経験、趣味趣向、知識、思想など様々な要因が混ざり合った結果が、一冊の本と言う形で世の中に広まる。

 仮にそれが世間一般での常識から外れていたとしても、書いた本人が耳からと思っていれば耳からであり、足からと思っていれば足からなのだ。


「そ、それではミラージュ様、いきますよ」


「うん、タルトちゃんの好きにしていいよ」


 耳元に届くアスタルトの少し強張った吐息交じりの声に、ミラージュは優しく答えた。

 好き勝手されるのはミラージュの趣味ではないのだが、今は体を動かすのも辛い状態なのだ。

 だが、こうしてアスタルトが厚意を持ってしてくれるのであれば、断る理由もない。

 アスタルトの白魚の様に美しい指先が、ミラージュの耳に触れる。


「うっ」


「ミラージュ様、大丈夫ですか?」


 思わずミラージュは声を漏らしてしまい、ミラージュの耳元でアスタルトが心配そうに囁いた。


「だ、大丈夫。そのまま続けて。ちょっと予想以上だっただけだからさ。それにしてもタルトちゃん、初めてなのに随分と上手だね」


「へ、変な事を言わないで下さい! ただ、その、ミラージュ様のお体の事を考えていたら自然と出来ただけです」


 耳元に居るアスタルトの顔をミラージュが確認する事は出来ないが、ちょっと怒った様な、それでいて恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

 日頃からミラージュの観察に努め幻覚魔法で再現できるからこそ、こうした行為にも役立つのだろう。

 それからアスタルトは反対側の耳、首、肩、胸元、と少しずつ下がっていく。

 同時に、アスタルトの小さなお尻が乗せられていた場所も、ミラージュの臍の辺りから、下腹部、そしてもう少し下へと移動していくのだった。


「仮面を付けていなければ、お顔にも出来たのですが……」


 少し残念そうに呟くアスタルトを眺めていたら、ちくり、とミラージュの胸に痛みが走る。


「これだけ色々な場所にしてくれるなら、僕は満足だよ。体調が戻ったらタルトちゃんにもしてあげたいくらいだね」


「へ、変な事を言わないで下さい! 全くもう、ミラージュ様は本当に底抜けのお馬鹿さんです。私がみだりに肌を晒すような行為を許すとでも思っているのですか? 少しはその足りない脳みそで考えてから発言してください」


 アスタルトの羞恥心の線引きとして、するのは良くてもされるのは駄目なのだろう。

 冷たい眼差しで自分を罵るアスタルトを見て、毒を吐かないタルトちゃんが相手だと調子が狂っちゃうから、いつも通りの反応で良かったよ、とミラージュは少し安心する。

 おそらくは、ミラージュの体調を心配するあまりアスタルトは自然と態度が軟化していたのだろう。

 だが、ミラージュにとってもアスタルトにとっても、慣れ親しんだ四天王と副官の距離感はこれくらいになる。

 多少の事故を起こしてしまったが、お互いが変に意識したりするよりは今の方がミラージュとっては居心地が良いのだ。


「ごめん、ごめん。それじゃあ治療を続けてもらえるかな」


「仕方がないから続けてあげますよ。東方の鍼治療であれば、ミラージュ様の体と同じく頭も少しはマシになるかもしれませんね」


「頭はわからないけど、魔力孔や魔力路の損傷には向いているかも知れないね」


 鍼治療とは東方に伝わる医療行為であり、体に点在する経穴に針を刺す事で、経絡を通る気の巡りを良くする効果があるとされている。

 この気という概念が魔力と非常に似通っており、経穴が魔力孔、経絡を魔力路に見立てることが出来るのだ。

 勿論、細かい事を言えば違いはあるのだが、ミラージュの傷ついた体内の器官を治す手助けにはなるだろう。

 そう、アスタルトはミラージュに鍼治療を行う為に服を脱がし、全身に極細の針を刺しているのだ。


「それにしても転移魔法の発動が遅かった時は驚きましたよ」


「やっぱり気が付いていたんだね」


「いつもミラージュ様を見ていますから。そのおかげかも知れませんが、かなり冷静になる事が出来ました。もっとも、今後も無茶をするつもりだと思うと、頭が痛くなります」


 はぁ、と深いため息を吐きながらアスタルトはミラージュの体に針を刺していく。

 そもそも、アスタルトの態度はかなり不自然なものであった。

 以前にミラージュと共に寝てしまった時は、部屋に籠り顔を合わせないようにした程、アスタルトは異性への耐性がない。

 だからこそ、今回の件で調子を取り戻すまでに時間が掛かるだろう、とミラージュは思っていた。

 しかし一方で、訓練や治療の一環であればミラージュと身体的な接触しても平気な顔をしており、異性としての意識がなければ驚くほど大胆な行動を取ってしまうのだ。

 怪我の功名と言うべきなのか、皮肉にもミラージュがボロボロの状態になっている事で、アスタルトの中で羞恥よりも心配の感情が勝ったからこそ、こうして普通に会話をしていられるのだろう。

 民や兵を大切にするアスタルトは言葉こそ厳しい時もあるが、根は真面目で優しい女の子なのである。


「無茶はしたくないんだけどねぇ。それどころか働きたくないくらいだよ。僕、問題が全部解決したら山奥で隠居生活を送るんだ」


「はぁ、本当にミラージュ様のそういう所は変わりませんね」


 心底呆れた様子でアスタルトは再度ため息を吐く。

 一日中読書をしながら過ごしたいという気持ちは、ミラージュの中で今も昔も変わらない。

 既に資産は何千年生き続けても遊んで暮らせるだけ貯まっているのだ。

 心残りさえなければ、世界中の書物を集めながら朝から晩まで書物を読み耽る生活を送りたい、とミラージュは思っていた。


「これで終了です。気休め程度かも知れませんが、少しは良くなると思います」


 会話をしながらも施術を続けていたアスタルトが、今度はミラージュに服を着させていく。

 下着姿で全身に針を刺している仮面を付けた変態から元の姿に戻ったミラージュは、ゆっくりと体を起こしてアスタルトを引き寄せる。


「わ、な、何ですか、いきなり」


 そう言いながらもアスタルトに抵抗をする様子は無く、そのまま胸の中へと収まるのだった。

 ミラージュは胸元にあるアスタルトの頭に右手を伸ばして、優しく撫で始める。


「さっきは間違えちゃったからね。きちんとしておこうと思って」


「もう、折角忘れかけていたのに思い出させないで下さい。そもそも、あのような不埒な真似をするなど女性にとっては許し難い事ですよ。私は絶対に、あのような行為をしたミラージュ様の事を許しません。仮に今すぐその首を刎ね飛ばしたとしても、溜飲を下げる事など出来ません。私が四天王になって、ミラージュ様を副官として死ぬまでこき使い続けてやります。辛くて泣いて謝っても一生許しませんからね。勝手に死ぬことすら許可しませんよ」


「うん、わかった。肝に銘じておくよ」


 ちくり、とアスタルトの角がミラージュの首を刺す。

 我慢の限界が訪れたのか早口でまくしたてる様に恨み言を連ねるアスタルトを、ミラージュはその小さな体をしっかりと包み込みながら言葉を返す。

 そして、小さな子供をあやす様に、とん、とん、と間隔を空けてアスタルトの背中を叩く。

 ミラージュは病床に伏していた父に、こうして落ち着かせてもらった事を思い出しながら、何度も、何度も、何度も。


「私はミラージュ様が嫌いです。いい加減な性格が嫌いです。何でもわかっている様な態度を取るのが嫌いです。私に罵倒されても平気な顔をするのが嫌いです。私の知らない事でも知っているのが嫌いです。こうやって私を子供扱いするのも嫌いです。私にはどうする事も出来ない事でも何とかして、その上余裕を見せてくるのが嫌いです。勝手に無茶をしてそれを隠すのも嫌いです」


「うん、知ってる」


 アスタルトの言葉は心に深く突き刺ささり、ミラージュの胸元を濡らしていく。

 両手をミラージュの背中にまわして力強く抱きついているアスタルトは、震えながらも精一杯背中を掴んでいた。

 まるで今の心の内を表しているように。


「ついでにその仮面のデザインも嫌いです。正直、ミラージュ様のセンスを疑います。よくその恰好で恥ずかしげもなく外をうろつけますね」


「それは何度も聞いたよ。流石に傷つくからやめてくれないかな」


 仮面の下で苦笑いを浮かべながら、ミラージュは少し強めにアスタルトの頭を撫でまわす。

 柔らかい髪はミラージュの指先に絡みつくことなく、その全てを受け止めていた。

 窓の外からは、少し位置の高くなった太陽の光が差し込んでくる。


「それから、今後も治療をしますので毎日ここに来てください。どうしても事情があって無理な時は、代わりに毎晩私に連絡をする様に。何日も連絡が無ければ、決裁印を使ってヴァロワ王国に進軍しちゃいますからね」


「約束は出来ないけど、なるべく守るようにするよ」


「それから……」


 そう言いながらアスタルトはミラージュの胸元に両手を移し、体を引きはがす。


「きちんと責任は取って下さいね、ミラージュ」


 太陽の光で銀色の髪を輝かせ、紅い瞳と涙の痕を見せながら微笑むアスタルトの姿は、この世の誰よりも強く、そして美しかった。



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