【過去編】ミラージュとアスタルト10
「ご足労頂きありがとうございます、ミラージュ。端的に申し上げますが私と手合せをして下さい。そして、私が勝った時は明日の式典で四天王を辞退して頂きたいのです」
深夜の訓練場にミラージュが訪れるのを待っていたアスタルトは、挨拶も碌に交わさないまま唐突に言い放つ。
ミラージュのニヴルヘイムによって凍り漬けとなった訓練場は、既に元の姿を取り戻していた。
「二月ぶりに会って早々、夜中に呼び出されたと思ったらいきなり決闘の申し込みかい。てっきり僕は愛の告白でもされるのかと思ってワクワクしていたのに」
「戯れ言を仰らないで下さい。先に言っておきますが私は貴方が四天王だなんて認めません」
そう言って大鎌をミラージュへと向けるアスタルトに目は真剣そのものであった。
どうやらこれは言葉だけでは何ともならないな、とミラージュは判断して準備運動がてら大鎌を軽く振り回す。
風を切るような音が心地よい音色が周囲に鳴り響き、やがて止まる。
まだまだ万全な状態とは言い難いけどこれなら大丈夫そうだな、とミラージュは自身の体調を鑑みてそう判断する。
既に邪竜が討伐されてから二ヶ月、明日は東の地を治める新たな四天王が任命させる式典が開かれる予定となっていた。
新たな四天王の名はミラージュ、そして副官に就くのはアスタルトである。
「君が認めようと認めまいと、僕を四天王だと決めたのは魔王様だよ。無駄骨に終わるかも知れないけど、それでも構わないのかい」
「……構いません。それにどれだけ四天王に推したくとも、その責を全うできない者を就かせても仕方がないでしょう。魔族の決闘で片方が命を落とす事は珍しくもないですからね」
随分と物騒な事を口にするアスタルトであったが、確かにその発言は間違ってはいない。
真剣勝負の決闘において手加減など出来るはずもなく、不慮の事故と言うものは往々にして起こりうるのだ。
ミラージュもアスタルトも既に魔王リリスからは事前の打診を受けているが、他の兵たちは誰が四天王に就任するのか知らされていない。
しかし、殆どの兵はベルゼビュートの娘であるアスタルトが四天王に任命されると思っているだろう。
仮に急な変更があったとしても、それを知るのは一部の者だけになるのだ。
そして何故このような事態になったのかは、少し前の出来事を遡る必要がある。
二ヶ月前、アスタルトが会議室で目を覚ました時には、既にミラージュと士官たちはその場から消え失せていた。
慌てて部隊を編成して邪竜を誘導する予定の地へと赴いたアスタルトは、緑豊かな草原の変わり果てた姿を目の当たりにする。
草木は枯れ果て、大地は削れ、大よそ生物が住めるとは思えない程に荒れ果てた土地。
どれだけの激しい戦いが起きればこのような爪痕が残せるのか、そう疑問に思わざるを得ない光景。
周辺は勿論の事、ミラージュが作戦で提案していた邪竜を誘導する進路上などもアスタルトは捜索したが、邪竜はおろか、ミラージュや士官たちの死体すら見つける事が出来なかった。
アスタルトが魔王リリスに相談した結果、少なくとも邪竜の目撃情報が一切無くなった事からミラージュたちが討伐に成功したと判断して、その後は難民の保護や滅ぼされた村や街の復興、新たな士官の補充など、忙しい日々を送る事になる。
討伐に向かった者たち安否は勿論気がかりであったと思われるが、何よりも領地に住む民たちを放っておくことが出来る訳も無く、アスタルトはその身を粉にして働き続けるのだった。
東の地も少しずつ落ち着きを取り戻し始め、四天王ベルゼビュートの帰還も間近に迫った頃、アスタルトの元に魔王リリスから知らせが入る。
ミラージュが魔王城に姿を現した、と。
「随分と僕が四天王になる事が気に食わない様だね」
「部下を駒のように扱い見殺しにする貴方に命を預けるなど、私は死んでも御免です。お父様を退役させるだけでも納得が出来ないのに、その上ミラージュが次期四天王などとは……魔王様がご乱心されたのかと疑いましたよ」
まるで反逆の意志があるかのような危険極まりない発言をするアスタルトに、ミラージュはこの二か月の間の事を思い出す。
邪竜を討伐してから碌に体も動かせなくなったミラージュは、最後の力を振り絞って魔族領のとある山奥にひっそりと存在する生家まで転移したのだ。
どうせこのまま死ぬなら、父親の墓がある場所で死にたい、と。
何故か邪竜の死体まで一緒に連れてきてしまったのは誤算だったが、結果としてそれがミラージュの命を繋ぐ結果を生み出す事になる。
竜の肝や血は薬になる事は有名な話であり、既に半死半生の状態のミラージュは意識が混濁しながらも、邪竜の死体から血をすすり、肝に齧りついたのだ。
そこには何の打算も確証もなく、本能的に生を求めて希望に縋りついただけだったのだが、いつしか傷が癒え何とか体も動かせるようになった。
しかし、魔法を発動しようとしても転移魔法はおろか他の魔法も含めて一切の発動が出来なくなり、連絡を取りたくてもどうする事も出来なくなってしまう。
魔力の通り道である魔力路が傷ついているせいだと結論付けたミラージュは、それから暫く療養に努める事に決め、日々を過ごす事になる。
そしてようやく転移魔法が扱えるようになったのがつい先日の話であり、まずは先の邪竜討伐の責任を果たす為、魔王リリスの元に赴いたのだ。
「あんまり滅多な事を言わない方が良いよ。まぁ、僕も正直驚いたけどね」
鞭打ちか、それとも斬首か、兎にも角にも何らかの処罰は免れないと思っていたミラージュだったが、魔王リリスはなによりも先に自分の無事を喜んでくれたのだ。
そして、ひとしきり抱きつかれて全身を撫でまわされた上、仮面を取られそうになった後、ベルゼビュートの退役とミラージュを次期四天王に任命するという話を聞かされる。
ミラージュは当然断るつもりだったのだが、今回の件に対する処罰代わりと言われては逆らう事も出来ず、それからアスタルトへ連絡がいって今に至るのだ。
また、二十名の士官たちの行方はミラージュも与り知らぬところであった為、彼らがどうなったのかは知らないが、未だに姿を見せていないという事はそう言う事なのだろうと思っていた。
「爺や……アガレスは私の事を本当の孫みたく可愛がってくれました。バルバトスはいつも乱暴な振る舞いをするけど、根はとても優しくて強い方でした。ベレトはお父様の事が大好きなのに、娘である私の事も好きでいてくれました。オリアスは口数が少ないけど、訓練が辛くて泣いていた時に慰めてくれました」
アスタルトは士官たちの名前と共に思い出を語っていく。
幼い頃から彼らと共に過ごしてきたアスタルトにとって、全員が部下であると同時に家族同然の存在であった事は想像に難くない。
祖父であり、祖母であり、父であり、母であり、兄であり、姉であった二十名の士官たち。
皆がアスタルトを大切に想っていたのと同じ様に、アスタルトもまた同じ様に彼らの事を想っているのだ。
一度に大勢の家族を失う悲しみ、それが分からない程ミラージュは鈍感でも間抜けでもない。
しかし、他に選択肢が無かったのも事実であった。
「私は貴方が嫌いです。他に選択肢が無かったとしても、残酷な選択をする貴方が嫌いです。お父様の代わりに四天王になる貴方が嫌いです。こんな私を副官に就かせる貴方が嫌いです、認めたくありません」
転移魔法で好きに逃げられるミラージュにとって、魔王軍を抜けてどこか遠くの地で平和に暮らす事も可能だという事は、アスタルトも重々承知しているはずである。
だが、頭で理解は出来ても感情がついてくるとは限らない。
士官たちを死に追いやった怒り、悲しみ、憎しみ、複雑な感情が入り混じった矛先が行き場を失って、作戦を提案して一人生き延びたミラージュに向いてしまうのも仕方がない事なのだろう。
その上、まるで邪竜を討伐した功績が認められて四天王になったようにも思える此度の決定が、明らかにアスタルトの感情を後押ししているのだ。
「やれやれ、随分と嫌われたものだね。別に君が認めようと認めまいと、邪竜を討伐した僕は四天王で眠っていただけの君は副官だ。それが嫌なら……僕より実力が上である事を示して、この座から引きずり降ろしてみる事だね、副官のタルトちゃん」
わざと挑発するような言い方をするミラージュだったが、別に本心で嫌がらせをするだとか、アスタルトを貶めるつもりは一切ない。
しかし、今のアスタルトは非常に不安定な精神状態だとミラージュは判断してこのような方法を選んだのだ。
敬愛する父親は引退し、愛する家族でもある部下を失い、目標としていた場所をミラージュに奪われたアスタルト。
これまでは東の地を復興して難民となった者たちの生活を支える為に頑張る事が出来ただろうが、それがなくなればどうなるのか。
心の拠り所を失い、いつしかその歩みを止めてしまう事は明白である。
だからこそ新たな目標が必要であり、それが仮に自分を憎む事であったとしてもアスタルトを動かす原動力になれば構わない、とミラージュは考えていた。
自身が四天王に就き、アスタルトが副官になる以上、それが最も効率的であるという判断である。
正直言ってミラージュは、四天王と言う面倒くさい事この上ない地位など、理由が無ければ今すぐにでもアスタルトに譲り渡したいのだ。
「私の名はタルトちゃんではなくアスタルトです。そのような変な名前で呼ばないで下さい、四天王のミラージュ様」
言葉だけ聞くと皮肉に皮肉を返したようにも聞こえるが、アスタルトの表情はとても冷たく、ミラージュを射殺す様な目をしていた。
ミラージュは仮面の下で密かにほくそ笑む。
やらなくていい事はやらずに、やらなくてはいけない事は効率的に、がミラージュの信条だ。
今のミラージュがやらなくてはいけない事は、四天王の任を全うするのと同時に亡くなった士官たちへの贖罪、つまり彼らが愛していたアスタルトが歩み続けてきた目標までの道のりを諦めさせない事だろう。
四天王を任命するのは魔王であるリリスだが、誰からも認められるような実力と実績をアスタルトが兼ね備えられれば、問題はない。
自らを倒すために鍛錬を重ねたアスタルトが四天王として認められれば、何の気兼ねも無くミラージュは退役出来るのだ。
「嫌なら僕の首でも刈り取ってみる事だね。そうすれば何も言えなくなるよ」
「それは良い案ですね。ミラージュ様の首を切り落とし、私が四天王の座に就く事にしましょう。ついでにその美的センスの欠片も無い仮面も剥いであげますよ」
物騒な提案にあっさりと返事をするアスタルトに少し驚きながらも、ミラージュは警戒を強める。
アスタルトは油断して勝てるような相手ではなく、二ヶ月近くも療養していた事も相まって、勝算は五分五分と言ったところだろう。
それでもこの場では勝利以外の結果を残すわけには行かず、今後も越えるべき壁としての役割がミラージュにはあるのだ。
だからこそ不利を悟られずに、あたかも余裕をもって勝利したかのように見せかけなければいけない。
「さて、御託もこれくらいにしてかかってきなよ。さっさと終わらせて部屋で休みたいからさ」
「言われなくてもそうします。あの世で好きなだけ休んでください!」
アスタルトは自らに気合を入れる様な大声と共に、大鎌を振りかぶってミラージュへと襲い掛かる。
強化魔法による身体能力を最大限に利用しているだろうアスタルトの目にも留まらぬ連続攻撃に対して、ミラージュは巧みに大鎌を操って攻撃をいなして反撃に転じる。
時折、お互いの大鎌に刃がぶつかり合って火花を散らしながらも、一進一退の攻防を繰り広げていた。
「どうしたのかな、タルトちゃん。僕を倒すんじゃないのかな?」
「その不快な呼び名はやめてください、不愉快です」
「さっきも言ったけど嫌なら僕を倒してみなよ」
挑発を続けるミラージュと、不快感を露わにするアスタルト。
これから先、アスタルトは幾度となくミラージュに勝負を挑むことになり、その度に癖や弱点が無いか観察を続けていく事になる。
いつしか刃を交えなくても、どのような攻撃を仕掛ければどのようにミラージュが動くのかを頭の中で想像し魔法でそれを再現出来る様になるのだが、今のアスタルトには想像もつかない事だろう。
そしてそれがミラージュの不在時に使われるようになり、再現性を高める為に触感や匂いまで直接確かめる様になるなどもってのほかである。
「絶対に貴方を倒して私が四天王になってみせます」
両者の大鎌が舞い踊り、深夜の訓練場では暫くの間、激しい戦いの音が鳴り響くのだった。




