【過去編】ミラージュとアスタルト8
アスタルトは紅玉を想起させる美しい双眸を大きくさせ、先程までは真一文字に閉じていた口をぽかんと空けてミラージュを見つめていた。
それは転移魔法でいきなり現れたが故の驚愕や、遅刻をしたにも拘らず飄々とした態度を取っている事に開いた口が塞がらないという訳でもないだろう。
ミラージュの仮面は赤黒い血に塗れ、魔王軍に採用されているアスタルトと同じ軍服は焦げ付き破れ、そして同じ様に血が滲んでいるのだ。
その姿は正に満身創痍であり、他の士官も似たような表情をして固まっている。
「あれ、もしかしてもう会議が終わっちゃいました? 折角、邪竜を何とかできそうな算段が思い付いたのに必要なかったとか働き損じゃないですか。こんな怪我まで負って邪竜を調べてきたのに……」
おそらくこの会議室内に居る者たちの心境を端的に表すならば、訳が分からない、だろう。
今まさに、その邪竜が何とも出来ないと言う不安が皆を支配していたのに、事もあろうかそれを何とか出来るとミラージュは宣うのだから。
「ミラージュ殿、邪竜を何とかすると仰せられますが真ですかな。我々はベルゼビュート様が不在の中、戦力的に厳しいと感じておるのじゃが」
長老が皆の気持ちを代弁するかのように、ミラージュへと問いかける。
色々と突っ込みたい所はあるにせよ、今ここで一番重要なのは邪竜を倒せるか否か、という事なのだ。
皺が多くたるんだ瞼から瞳を覗かせて、値踏みをする様な視線を向ける長老だったが、その様な態度になるのは仕方のない事だろう。
アスタルトと同様にミラージュの強さは誰もが承知しているが、それはあくまでも副官としての話である。
「いやぁ、正直な話ベルゼビュート様が居ても変わらないですよ。というか魔王様でも無理なんじゃないですか」
「ほう、随分と異な事をおっしゃる。その根拠をお聞かせ願えますかな」
一転して、今度は全身を刺すような厳しい視線がミラージュへと向けられる。
今の物言いでは、ベルゼビュートや魔王リリスには無理でも、自分がいれば何とかできる、当聞こえてしまうのだから。
所詮は出世で鼻が高くなった若造の戯言か、そう評価を下げられてもおかしくはない態度なのは誰の目に見ても明らかだろう。
「まぁ、僕も魔王様やベルゼビュート様の真の実力は知らないですが、邪竜に接近すると魔力が吸収されてしまい碌に魔法が扱えなくなるので、誰が相手でも結果は同じですよ。これは強化魔法も同様で、攻撃が通らない上こっちの防御力まで下がります。見ての通り、僕も魔法発動が可能な距離を見誤ってこのザマですからね。」
そう言って両手を挙げておどけたような仕草をする血に塗れたミラージュだったが、皆の表情は一様に険しいままだった。
決定とまではいかなくとも、ベルゼビュートがいないまま作戦を遂行するならば、やむを得ず接近戦を挑む事になるとは誰もが予想していただろう。
しかし、魔力が吸収されて強化魔法が使えないなど初耳であり、それで接近戦を挑むなどただの自殺行為である。
そうなると次に脳裏に浮かぶ作戦は一つであり、今度は別の士官が疑問の声をあげた。
「それでは遠距離からの魔法攻撃しかないという事になりますが、ミラージュ殿も報告には目を通しているかと存じます」
「勿論、目を通していますよ。それに遠距離からの魔法攻撃も意味はないですね。多分、ベルゼビュート様のムスペルヘイムでも表面がちょっと煤けるくらいじゃないでしょうか。同程度の威力を有した魔法を放ちましたけど、足止め程度にしかなりませんでしたし。まぁ、そのお蔭でこうして帰ってこられましたけど」
いやぁ本当に命拾いしました、と笑うミラージュに、とうとう我慢の限界を迎えた少女が怒りに震えた様子で三度、会議用の長机を勢いよく叩きつけた。
「ふ、ふざけないで下さい! 貴方の言っている事は荒唐無稽も甚だしく、お父様や魔王様を著しく侮辱しています。お父様のムスペルヘイムは誰にも真似が出来ない唯一無二の魔法。火に強い火竜ですら焼き尽くす灼熱の炎です。それが足止め程度だなんて恥を知りなさい!」
ムスペルヘイムとは煉獄のベルゼビュートの切り札とも言える魔法で、ミラージュも一度だけ目にした事がある。
魔法の天才であるミラージュでも模倣する事すら敵わず、それはアスタルトでも同様であった。
だからこそ、それが効かないと言う事実は信じがたく、敬愛する父親が侮辱されたと感じるのも無理はない。
「えーと、とりあえず皆さんも言葉だけじゃ納得できないと思うので、僕が実際に邪竜に放った魔法を見てから判断をお願いします。今から実演する為にちょっと転移しますので、その場から動かないように注意して下さい」
そう言葉にしたミラージュは、了承も取る事無く会議室内にいる全員を強制的に転移させる。
移動した先はベルゼビュートとの訓練で嫌と言う程使われた、ここに居る誰もが馴染みのある訓練場だった。
百名もの兵士が暴れ回るだけの広さを有したこの場所は、大規模な魔法の実演をするには最適と言えるだろう。
「あぁ、皆さん、もう少し下がってください。まだまだ不慣れで、細かい制御が出来ずに巻き込んでしまうかもしれませんから。念のため魔法で壁なりなんなりを各々で作っておいてください」
何をそこまで大袈裟に、と言いたげな表情をしながらも、士官たちは言われた通りにミラージュから離れる様にして入り口付近まで後退する。
その様子を確認したミラージュはその場にしゃがみ込んで、右手を地面に付けて魔力を練り始めた。
魔力を感知できない者にとって、魔力を練り上げていても何も感じない。
しかし、ミラージュの周囲に白い靄のようなものが現れ始めた事で氷雪系の魔法であると見極めたのか、士官たちは皆、火炎系の魔法を唱えて炎の壁を作り始める。
氷や雪の魔法には火や炎で対抗する、これは魔法使いならば誰でも知っている当たり前の事であった。
「天地創造以前より存在する氷の国よ、今ここに顕現せよ……ニヴルヘイム!」
ミラージュにしては珍しく詠唱をしてからの魔法発動、そして時が止まる。
そう錯覚するほどの迫力に、後方から見ていた士官たちは言葉を失っているようだ。
訓練場全体が天井を含めて文字通り凍りつき、更には後ろで見ていたはずの士官たちの服にも霜が付いている。
瞬間的に周囲の熱を奪いつくし、神話に出てくる氷の国に閉ざされたような状況を作り出す魔法。
これはミラージュが四天王ベルゼビュートの魔法を見て、開発した新魔法だった。
魔法について誰よりも得意な自負を持っているミラージュでも、ムスペルヘイムだけはどうしても再現出来なかった。
普通ならば無理だとそのまま諦めるのだろうが、発想を転換して真逆の属性で似たような魔法を作ればいい、ミラージュは単純にそう思っただけなのだ。
本当ならもう少し完成度を上げてからベルゼビュートのムスペルヘイムにぶつける予定だったが、今でも威力だけなら相殺できるまで昇華しただろう、とミラージュは自負している。
名前も神話に出てくる灼熱の国ムスペルヘイムに対抗し、氷の国ニヴルヘイムにした辺りに、ミラージュの魔法への自信と密かな対抗心が現れていた。
「へーっくしょい! おいおい、どうなっていやがるんだ」
「こちらの魔法をたかが余波でかき消すとは……」
「きゃあ! 髪が凍っているわよ!」
士官たちが真っ白は息を吐きながら騒ぐのは無理もなく、ミラージュは彼らとは反対方向に魔法を発動したのに、その余波だけでもこれだけの被害が出ているのだ。
そして術者であるミラージュの右腕は完全に凍りつき、仮面や服にも同様に霜が降りていた。
誰も彼もが寒さに震えながらも暖を取る為に魔法を使い、さながら雪山で遭難した者たちの様相を呈している。
「原理などは一旦置いておくとして、これは僕がベルゼビュート様のムスペルヘイムを元にして開発した魔法です。見ての通り、対となる属性を意識してみました。ですが、これでも邪竜に対しては足止め程度にしかならなかったので、他の魔法でも効果はお察しかと思います。あ、また会議室に転移するので魔法を発動している方は火事の元になるので、一旦やめてくださいね」
士官たちの戸惑う様子もお構いなしに、ミラージュはすぐさま会議室へと移動する。
凍りついた訓練場の後始末はどうするのか、という些細な問題は誰もが投げ捨て、各々は黙って席に着いていく。
その表情は驚きから恐怖に移り変わっており、歴戦の猛者たちですら今回の事態がどれだけ恐ろしいのか理解したのだ。
先に見せられた魔法より強力な攻撃が可能な者が居るかと言われれば否であり、それすら効かない邪竜とはどれだけの化け物なのか、と。
長老ですら眉間の皺を寄せて、余裕のない表情を浮かべていた。
「では皆さん、邪竜の恐ろしさが十分に伝わったところで、僕から邪竜を倒す為の作戦を提案させて頂きます」
この仮面の男は何度驚かせれば気が済むのだ、言葉にしていなくともこの場にいる者たちの心情は、表情から簡単に読み取れる。
しかし、少なくともミラージュが嘘偽りを述べているだとか、大袈裟に話をしている訳でもなく、あくまでも徹頭徹尾、事実のみを伝えているだけである。
だからこそ、ミラージュには気負いも無ければ焦りも無く、周囲からすればその姿は不気味な程冷静に映っている事であろう。
もっとも、気負いや焦りが無いからと言って心の内が穏やかなのかと言われるとそうではないのだが、今はまだ誰もそれに気が付いた様子はない。
「まず、邪竜には攻撃が効かないと申し上げましたが、それには大きく分けて二つの要因があります。まずは僕が邪竜から削り取ってきた鱗を見てください」
そう言ってミラージュは懐から真っ黒な鱗を何枚か取り出して、正面のアスタルトと隣に座る士官の男に手渡した。
皆は順に鱗を眺め、指で叩いてみたり、ナイフで突いてみたりと自由に確認をしていく。
中にはへし折ろうと力を込める者まで居たが、新たな傷つく様子はない。
だが、ミラージュはその鱗を削り取ってきたと言い、どのような攻撃を加えてきたのか、誰しもが気になって居るのだろう。
一通り鱗が回ったところで、ミラージュは再び口を開く。
「一つ目は皆さまわかると思いますが邪竜自身の強靭な鱗が。そして二つ目は強化魔法、いや我々のしっている強化魔法とは違うようですが、魔法的な何かで肉体をより強固なものにしています。そしてその魔法は副次効果として、周囲の魔力を無理やり吸収します。その為、近距離だと魔法の発動自体が困難となるようですね」
ミラージュが淡々と説明する中、士官たちは真剣な表情で一言一句漏らさぬように聞き入っているようだ。
しかし、今のところ邪竜の強さばかりが際立つ話しかない。
「だからといって遠距離からの攻撃もあまり意味を成さない上、反撃として巨大な黒い槍の様な魔法が邪竜の口から放たれる事もあります。もしかしたら、少し前に皆さんの目にも届いたかもしれませんね」
この言葉に、何人かの士官が思い出したかのように首を縦に振る。
上空から邪竜に岩石を振らせた際の反撃は、遠く離れたこの場所からも観測できようである。
「しかし、どうやら使用する魔力が大きいのか、邪竜はそれを連発する事はありません。そして、その場合は周囲にある魔力を吸収して回復に徹する行動を取るか、敵が視界に入れば近づいてブレスもしくは直接攻撃をするかのどちらかになります」
ミラージュは転移魔法で自在に姿を消せる為、邪竜の行動原理を把握するために何度も何度も攻撃を繰り返して、様々な状況を検証したのだ。
結果として、僅かに近づきすぎて転移魔法の発動が遅れてしまう事もあり、竜のブレスを直に浴び、尻尾で叩きつけられる追い打ちまでくらってしまった。
「どうやらゲルマニア軍はこの習性を利用して、魔族領付近まで邪竜を誘導したと考えられます。そして邪竜は魔力を吸収する特性上、より魔力を集めやすい場所、つまりは人間の領土から我々魔族の領土へと本能的に移動したのでしょう。エサが無くなったからエサのある場所に向かう、その程度の知能しかない唯の獣と一緒です。魔力を喰う割には、魔力感知の精度も低く、あくまでも感覚的に吸収した魔力が多く思えるところに移動していると推測できますね」
魔力感知についても、身を隠して転移魔法を発動しても気が付かれなかったことから、感知ではなく吸収で魔力の多寡を判別しているだけだとミラージュは結論付けた。
そして凶悪な邪竜を獣と例えて冗談めかしたミラージュだったが、会議室内の雰囲気は重苦しいままであった。
そんな事よりも本当にそこまで恐ろしい化け物に対抗する方法はあるのか、そう訴えかける視線が集中する。
0時過ぎに次話投稿します




