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【過去編】ミラージュとアスタルト7

 ミラージュは身の丈以上もある大鎌を携えながら宙に浮かび、遥か下にいる邪竜をジッと見つめていた。

 忙しなくゲートが足元から現れては消え、また現れては消えている様子から、転移魔法を用いて空中に滞在している事がわかる。

 邪竜は魔族領に入ったものの、国境線を破った後は魔王軍の管轄していない地域をいくつか襲撃していたのだが、ひとしきり暴れた後は休息を取るかの如く、動かずにいた。

 恐らくはまた少し時間が経てば動き出すのだろうが、ミラージュはそうなる前にどうにかしたいと考えていた。


「それにしても殆ど更地みたいな状態じゃないか。東方の言葉だと盛者必衰の理を顕す、だったかな?」


 現在邪竜が居座っている土地に住んでいたのは、先日の盗賊騒ぎで話題にあがった猫魔族の中でも黒毛族と呼ばれる魔族たちであった。

 力ある者が栄華を誇っていても、いつかは衰退する。

 ミラージュが口にした東方の諺にはそのような意味が込められていた。

 もっとも、実際には衰退ではなく一夜にして滅亡した為、正確に言うと違うのかもしれないが、その程度の些細な違いなどミラージュには関係がない事である。

 邪竜が来なければ、危険な種族として魔王軍が殲滅に赴く可能性が高かったのだ。

 他の種族を滅ぼして奴隷にする様な種族の命運は、どちらにしても一つしかなかったと言える。


「さて、まずは挨拶代わりだね」


 そう言ってミラージュが巨大なゲートを一つ開くと、その中から大量の岩石が現れて落下を開始する。

 今度はすぐに一つ目のゲートを消して岩石が落下する先に新たな二つ目のゲートを開き、転移先となる対のゲートは、二つ目のゲートの少し上に出現させる。

 上にあるゲートから岩石が出現し下のゲートへと消えていく、つまりは自由落下運動を際限なく繰り返させる事で、普通では到底成し得ない速度で岩石を落下させる攻撃が可能となるのだ。

 これだけ聞くと途轍もなく強力な攻撃に思えるかもしれないが、当然ながら欠点がいくつもあった。

 一つが、敵に向けて放つ場合はそのまま落下運動しか出来ないと言う点である。

 最終的な岩石の落下速度は音速と同等にまで加速するのだが、ミラージュの転移魔法の発動速度はそこまで早くない。

 つまり、攻撃を行う際には上下で繋げているゲートを消す事しか出来ない為、こうして敵の遥か上空から狙う以外に使い道がないのである。

 次の問題が消費魔力の多さになるのだが、転移魔法の消費魔力は移動距離と物体の質量、そして接続時間に比例する。

 この場合の質量とは単純に重さそのものとして扱っているのだが、それは基本的に転移魔法を使用する時は静止状態か、殆どそれに近い状態になっているからなのだ。

 転移させる物体に何らかの力が加わっている場合、ミラージュの魔力消費量は文字通り桁違いに跳ね上がっていく。

 そして重さが十倍になる場合と速度が十倍になる場合を比べた時に、重さはそのまま十倍として扱うが、速度は二乗、つまり百倍になるのだ。

 もっとも、魔力の扱いは術者の精神状態や体調、技術によって大きく変わる為、実際には正確な数字を出す事は出来ないのだが、それでもミラージュは体感で大よそこれくらいだろうと把握していた。

 挨拶代わりと言いながら、あっさりと途轍もない事をするのがミラージュなのだ。


「ふぅ、これだけ用意したから少しくらいはダメージを与えられると良いけど……アマ・デトワール!」


 ミラージュが興奮した様子で魔法名を口にすると同時に、大量の岩石が目にも留まらぬ速さで落下を開始する。

 言うまでもない事だが、ミラージュが使用していたのは転移魔法だけであり、詠唱や魔法名を口にする必要は一切ない。

 詠唱や魔法名は発動の補助をする役割を持っているだけであり、極端な話、何も口にしなくとも魔法を扱えるのだ。

 しかし、魔法の専門家たるミラージュが莫大な魔力を消費するこの攻撃に、何の名前も付けないなどあり得ない。

 そして魔力は消耗し過ぎると倦怠感や疲労を感じるが、それまでは独特の高揚感の様なものを覚える為、端的に言えば今のミラージュの心理状態は必殺技を口にして木の棒を振り回す子供と何ら変わらないと言える。

 魔法使いは常に冷静であれ、と言う格言があるのだが、こうした状態を危惧して発せられた偉大な先人の言葉だったのかもしれない。

 程なくして大量の岩石は雨の様に地上へと降り注ぎ、土煙が舞い上がって邪竜の体を覆ってしまう。


「とりあえず、ここにいるのはまずいよね。ゲート!」


 上空から攻撃を仕掛けたのはすぐに気が付かれるはずであり、そんなところで呑気に構えているほどミラージュは愚かではない。

 先の一撃はあくまでも敵の強さを測る為であり、この程度では倒せる相手ではないと思っているのだ。

 少し離れた地上の岩陰に身を隠し、マナポ―ションを飲みながら様子を伺っていると、土煙の中から空に向かって漆黒の槍が駆け抜ける。

 そして荒野に響き渡る怒りの咆哮。

 あまりに馬鹿げた大きさの魔力を感知したミラージュは、背筋に何か冷たい物を感じてしまう。


「いやいやいや、何あれ、あり得ないよ。あんなのと正面切って戦ったらそりゃあっという間に全滅するでしょ」


 誰に聞かせる訳でもなく、ミラージュは独り言を発してしまう。

 邪竜の体からは黒い煙の様なものが立ち込めており、そこから感じる魔力は冗談だと思いたい程に膨大で、邪悪で、禍々しい。

 先に見せられた漆黒の槍もそうだが、その魔力量はミラージュの理解の範囲を超えており、最早、天災か何かの類と認めたくなるほどであった。

 同時に奇妙な違和感を覚えたミラージュは、視界の先にいる邪竜の近くに小さなゲートを作り出そうとする。

 しかし、ミラージュが手足の様に扱える転移魔法は不発に終わり、そこから一つの推論が導き出されるのだった。


「……やっぱり、どういう理屈か知らないけど、周囲から魔力を集めているみたいだ」


 魔力感知に長けたミラージュだからこそ気が付けた真実。

 邪竜は周囲の魔力を吸収して溜めこむ事で、先程見せたような魔法を発動させているのだろう。

 魔法の発動は基本的に体内の魔力を消費して行われるが、空気中にも微量な魔素と呼ばれる魔力の元が漂っている。

 消費した魔力は魔素を体内に取り込む事で自然と回復するのだが、邪竜はミラージュが魔法を発動する為に放出した魔力まで取り込んでいたのだ。


「他にも色々と調べておくか。彼を知り己を知れば百戦危うからず、ってね」


 ミラージュの発した諺は、敵と味方の情報を把握していれば百回戦っても負けることはない、という意味であり、東方の有名な戦術家が残した言葉である。

 魔力を吸収するどれくらいの距離があれば魔法を発動できるのか、また魔法の強さは関係するのか、邪竜の索敵能力はどうなのか、基本的な行動原理など。

 軍事会議までの間に調べたい事は山ほどあり、ミラージュは邪竜から情報を集める事に徹するのだった。

 そして勝利とは、何も正面から相手を打ち破る事だけに限らない。

 防衛戦ならば敵を撤退させれば勝ちであるし、戦力差が十倍以上の劣勢でも敵の指揮官だけを狙って倒せれば、残りは烏合の衆と化す。

 しかも知能が近しい者、魔族や人間が相手と違って、邪竜は本能で行動している魔物なのだ。

 そして魔力の多寡や使用できる魔法の違いが、戦力の決定的な差ではない事をミラージュは良く知っていた。

 膨大な魔力を有し、転移魔法と言う反則的な固有魔法を有していても勝てない相手がいると、ミラージュは東の地に来てから嫌と言う程思い知らされたのだから。






「ミラージュはまだですか! この非常時に一体どこで油を売っているというのですか!」


 会議室に響き渡るアスタルトの怒声とテーブルを叩きつける轟音、既に士官の中でも上位である二十名は全員集合し、残すはミラージュだけとなっていた。

 既に予定時刻よりも十五分ほど過ぎており、邪竜と言う脅威を考えれば会議に遅刻などあり得ない失態である。

 それでも転移魔法と言う軍事行動には最適な固有魔法、アスタルトと同じく四天王の副官と言う地位に就いている為、やむを得ず待っているのだ。


「まぁまぁアスタルト様、落ち着いてくだされ。そうカリカリしていては身が持ちませぬぞ。緊急時こそ冷静に、それが我が軍の強さを支えてきた基本理念ですじゃ」


 銀色の角を持ち真っ白に染まった髪をした老人が、好々爺然とした笑みを浮かべながらアスタルトを窘める。

 彼は長年にわたってベルゼビュートを支えてきた言わばご意見番であり、長老と呼ばれて皆から敬われている。

 ベルゼビュートも幼少時代は彼から様々な事を学んだと言われており、アスタルトも幼い頃は爺やと呼んで懐いていた。

 単体での戦闘能力こそ他の士官に劣るものの、常に冷静さを失わない大樹の様な安心感で部下の信頼を集めている、老練の兵なのだ。


「長老……。皆さんもすみません、見苦しい姿を見せてしまいました。」


「いやいや、アスタルト様はまだ若い身空。血気盛んなのは仕方がありますまい。ベルゼビュート様の若い頃とよう似ておられる」


「そ、そうですか。それは……喜んでいいのか少し悩みどころですね」


 ベルゼビュートに似ていると言われ、アスタルトは表情にこそ出さないが明らかに声が上ずっていた。

 流石は年の功と言うべきか、先程まではアスタルトの怒りで妙な緊張感に包まれていた会議室内の雰囲気が、長老のおかげで幾分か軽くなる。


「こほん。では、これ以上待っていても時間がもったいないので、先に会議を始めたいと思います」


 そう言って咳払いをしてから仕切り直したアスタルトは、ミラージュの到着を待たずに会議を開始させる。


「まず、報告に上がっている邪竜の現在位置ですが、ゲルマニア帝国との国境から南西方向に進んだ、丁度ここにいます」


 ミラージュが威力偵察に向かった事など知らないアスタルトは、手始めに現在の情報を全体で共有する事にしたようだ。

 壁に貼ってある魔族領の地図に記号を入れながら、士官たちへと説明する。

 ここ三日間でも邪竜の行動、具体的な被害、周辺住民の避難状況など、情報は多岐に渡る。

 そしてある情報が出た時、会議室内が再度重苦しい空気に包まれてしまう。


「魔法攻撃が効かない……ですか、俄かには信じ固い、と言うよりも信じたくない話ですな」


 長老が蓄えた白いひげを撫でながら、苦虫を噛み潰したような顔で言葉を発する。

 他の士官たちも皆一様に同じ様な表情をしており、似たような事を考えているようだ。


「だが……報告が間違いだとはおもわねぇな。アイツはそんなタマじゃねぇ」


「左様。かの御仁は優れた分析力と冷静な判断力を有していた」


 長老の言葉に対して他の士官たちも続けて声を上げる。

 アイツ、とは邪竜と戦った部隊を率いていた士官の事を指しているのだろう。

 報告書の中にはどのような攻撃を仕掛けたのか事細かに記されていたが、その全てが邪竜に傷をつけるが出来なかったと書かれていたのだ。

 なお、交戦中にこの報告書を託された伝令兵以外は、全員が邪竜によって殺されてしまい既にこの世にはいない。

 本来であれば故人の冥福を祈りたいのだろうが、今の彼ら出来る事は一刻も早く邪竜を倒す事だけなのだ。


「少なくとも、生半可な攻撃が通じる様な相手ではないという事でしょう。竜種の皮膚は鋼鉄のように固く、種族によっては特定の攻撃に耐性がある事も珍しくありません。基本的に接近しての物理攻撃を中心とした作戦を立てた方が良さそうですね」


 アスタルトがそのように纏めるが、重要な情報が抜けていた。

 それは邪竜に近づきすぎると、魔力を吸収されて碌に魔法が扱えないという事である。

 もっとも、それを知った兵士は既にこの世に居らず、伝令兵は遠距離からの魔法攻撃を見届けた後、邪竜が接近する前にその場を離れている為、この場には真実を知る者は誰もいない。

 いくら強靭な肉体を持つ魔族とは言え、強化魔法が使えなければ竜種の前では赤子に等しく、接近されればなすすべもないだろう。


「そうは言っても、ベルゼビュート様が不在の状態で誰が邪竜に致命傷を与えられるのかしら? 少なくとも全滅した部隊も似たような作戦は取っただろうし、他の魔族や人間たちも同様だと思うわよ。それでも見かけ上は無傷という事は、相当な防御力があるってことよね」


 今度は女性士官が自らの考えを述べるが、それは真実に当たらずとも遠からずであった。

 正しくは音速で飛来した岩石が当たっても平気な防御力である。

 しかし、その様な事実を知らなくとも推測は可能であり、士官たちや各部隊の実力は多少の差はあっても、圧倒するほどではない。

 別の部隊でも無傷の相手に対して、自分たちが致命傷を与えられるかと言えばどう考えても無理な話なのだ。


「私が……私が先陣を切ります。自惚れではなく今この場で一番近接戦闘に優れているのは副官である私です。ベルゼビュート様から今回の邪竜討伐を託された以上、必ずやり遂げて見せましょう」


 そう宣言するアスタルトの瞳には強い意志が見て取れたが、それを聞いた士官たちは何とも言い難い表情を浮かべていた。

 確かにアスタルトはここにいる誰よりも強く、年齢を考慮するとそれは途轍もない才能と努力の成果だと言える。

 ミラージュと二人でならベルゼビュートとの模擬戦でも互角に渡り合っており、副官としては文句のつけ所がないだろう。

 だが、古参の士官や兵士たちは、戦場で金角の悪魔族と凄惨な殺し合いを繰り広げていた暴君たる男を知っている。

 まだ魔族領が今よりも荒れ果てていた時、民衆を脅かす凶悪な魔物を相手に返り血が乾く間もなく三日三晩休まず狩り続けた、誰よりも強い男を知っている。

 この場に居る全員が同時に挑んでも勝てない様な埒外の化け物、それと同時に味方である事が何よりもありがたい存在、それが四天王、煉獄のベルゼビュートなのだ。


「確かにお嬢の強さは認めるが、それでもちょいとばかし厳しいんじゃないか?」


 だからこそ、こうした意見が出るのは仕方がない事だと言える。

 アスタルトは強い、間違いなく強い、だが、それでも理解が出来る範囲での話なのだ。

 自分たちよりもいくらか強い程度の話では、今回の邪竜討伐は不確定要素が多すぎて厳しいと思ってしまうのだろう。


「そ、そうよ。それに魔法だってベルゼビュート様の切り札と、アスタルト様では方向性が違うじゃない。遠距離から攻撃できる可能性も考えると、やっぱり私もベルゼビュート様に何とか戻ってきてもらった方が……」


「おい、それは――」


「――私では、私では指揮官として相応しくない、そう言う事でしょうか」


 会議室内が水を打った様に静まり返る。

 頭のどこかでそう思いながらも、誰も口に出さなかった言葉なのだ。

 副官たちはアスタルトから視線を外して黙したままだったが、その態度こそが答えを如実に表していた。

 アスタルトは拳を握りしめ俯いたまま肩が震え、部下の手前という事もあり涙こそ流していないものの、その心中は容易に推し測れる。


「いやぁ、遅くなってすみません。もう会議って始まっちゃっていますよね?」


 突然、アスタルトの席と机を挟んで対面の席に仮面を被った男が現れ、会議室内の視線が一斉に集中する。

 お気楽な調子で平謝りをしているその男こそ、アスタルトと同じく副官を務めるミラージュであった。



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