【過去編】ミラージュとアスタルト5
四天王ベルゼビュートの副官となってから幾星霜を経て、同じく副官であるアスタルトとは何度も共に任務をこなしてきたミラージュ。
既に二対一の模擬戦であればベルゼビュートと互角に渡り合えるほどまでになった二人は、いつしか四天王の代理として様々な仕事を任される事になる。
基本的にアスタルトが名代となりミラージュはその補佐にあたるのだが、さしたる問題も起きることは無く、万事順調といった日々を過ごしていた。
「投降をお勧めしますが、如何いたしますか?」
「こ、降参だにゃ」
大鎌の刃を相手の首筋に突きつけるアスタルトと、丸まった両手を挙げて降伏を口にする猫の様な顔をした魔族。
言葉を発すると同時に毛で覆われた顔があどけなさが残る少女へと変貌し、どうやら獣化魔法を使っていた事が判明する。
アスタルトは手慣れた様子で猫魔族の少女を拘束し、両手の自由を奪う。
彼女たちは猫魔族と呼ばれる種族で、近隣の村から作物や家畜を盗んでいた。
獣化魔法、彼女らの場合は猫化魔法で動物の猫に似た姿となれる猫魔族は、とにかく素早く夜目も他の魔族よりも利く為、暗闇に乗じて悪事を働き続けていのだが、それを放っておく魔王軍ではない。
度重なる苦情に対応するべく、ベルゼビュートの代わりにアスタルトが軍を率いて捕縛作戦に乗り出しのだ。
猫魔族たちがねぐらにしている洞窟、そこに攻め入って数刻、猫魔族たちを指揮する頭目を発見して今に至る。
「貴方たちの頭目は既に捕縛しました! 無駄な抵抗はやめて即刻、戦闘行為を止めなさい!」
「お頭!」
「お頭が捕まったにゃ!」
「にゃにゃ!」
他の兵士と戦闘を繰り広げていた猫魔族たちは、アスタルトの降伏勧告を聞いて一様に驚きの声を上げながらも、次々と武器を降ろして獣化も解き始める。
洞窟内の広い空間で乱戦になりながら戦っていたのだが、これでどうにか収拾がついた事に安堵したのか、アスタルトはホッと一息吐いていた。
しかし、あまりに異様な光景にアスタルトは目を見開き、思わずと言った様子で拘束した猫魔族の少女に声を掛ける。
「見たところ……女性しかいない様ですが、男性はどこにいるのですか?」
「……黒毛との縄張り争いに負けて、殺された。マオたちは奴隷になるのが嫌で逃げ出してきたにゃ」
魔王軍に統治されていない魔族たちは昔ながらの縄張り争いを行っている事が多く、中には負けた種族の男を根絶やしにして、女は全て奴隷として扱う様な場合もある。
猫魔族は獣化した後に体を覆う毛の色で細かく分かれており、悪魔族と同じ様に種族内で争う事も珍しくない。
しかし、この言葉をそのまま信じる訳にもいかず、アスタルトたちを油断させる罠の可能性も考慮しなくてはならない。
だが、その警戒も杞憂に終わる事となる。
「どうやら、その子が言っている事は本当みたいだよ。洞窟の奥で小さな子供たちと、お年寄りたちを保護したからね。でも、男の姿も、住んでいた痕跡も見つからなかった」
そう言って兵士や他の猫魔族を引き連れて現れたのは、ミラージュであった。
ミラージュはアスタルトたちとは別のルートで洞窟内を進み、行き着いた先で非戦闘員の猫魔族たちを発見、そして保護したのだ。
そこで事情を聞くと、彼女たちは猫魔族中でも三毛猫族という種族らしく、元々は魔族領の東端で暮らしていた。
しかし、黒毛猫族たちに村を襲われて応戦したものの、あっさりと負けてしまう。
それでも村の男たちが時間稼ぎをしてくれたおかげで何とか逃げ出す事に成功し、そのまま魔王軍の治める領地までやってきたのだ。
黒毛猫族たちも魔王軍と事を構えるには不利だと察したのか、追っ手を撒く事には成功したのだが、次は食料と住居の問題に直面する。
住居はこの洞窟を見つける事で当面はどうにかなりそうなものの、百名近い三毛猫族たちが生きるには相当な量の食べ物が必要になる。
その上、半数は子供や年寄りでまともに働ける訳も無く、必然的に近くの村から盗んでくると言う結論になったのだ。
そうした事情をアスタルトにも説明したミラージュは、彼女がどういった判断を下すのかを待つ。
最終決定権はベルゼビュートの名代を務めるアスタルトにあり、ここで三毛猫族を処罰すると言えばそれに従うしかない。
「……彼女たちには魔王軍で衣食住を提供し、仕事を斡旋する事にしましょう。被害にあった村への賠償は一時的にこちらで肩代わりし、後に労働で得た賃金から出させます。勿論、賠償金ですのでいくらかの上乗せも必要ですね。本来であれば財産を没収した上、追放処分にするところですが……どう見ても今日明日の食い扶持に困っている状態ですし……またここに戻ってこられても困りますからね」
「にゃ! みゃーたちに仕事をくれるのか?」
「もう洞窟で寒い思いをしなくてすむのかにゃ?」
「温かいミルクもついてくるかにゃ?」
アスタルトの発言を聞いて、にゃーにゃーと三毛猫族たちが騒ぎ始める。
どうやら、彼女たちも今の生活には限界を感じていた様で、それを何とかしてくれるならば喜ばしい事なのだろう。
ミラージュたちが知っている限りでは、彼女たちは盗みを働いていたが誰かを傷つけたという報告は上がっていない。
勿論、盗みを働くだけでも立派な犯罪行為なのだが、事情を考えれば同情の余地が生まれ、まともに生活できる基盤さえ整えれば更生出来るとアスタルトは判断したようだ。
「おかしらぁ! あたらしいおかしらぁ!」
「ちょ、ちょっと、止めてください! 私はお頭などではありません!」
「新しいおかしらだにゃ!」
「おーかしら!」
「おーかしら!」
「おーかしら!」
アスタルトに拘束されているマオは両手がふさがっている為なのか、顔を擦りつけると言う行為で感謝を現していた。
そして勝手にお頭と呼び始め、周囲の三毛猫族たちもそれに賛同して盛り上がっている。
どうやらこの種族はあまり頭の出来が良くないみたいだな、とミラージュは冷静に分析し、彼女たちをどの様な仕事に就かせるか思案する。
少なくとも事務関係は難しい、だが人当たりの良さと身軽さは諜報員として生かせないだろうか。
表向きは魔王軍に降ったふりをして、裏では寝首をかこうとする種族も少なくない。
主要な街に酒場等を作ってそこで働かせ、特に身体能力の高い者は潜入任務に就かせる事も出来るだろうか。
しかし、万が一の場合に機密事項を漏らさない様にするにはそれなりの教育が必要だな、とミラージュは次々に思考を展開していく。
「ミラージュ、考え事をしていないでこの状況を何とかしてください」
「うん? とりあえずお頭じゃなくて教官の方が良さそうだね。タルトちゃんが面倒を見た方が話も早いだろうし、君たちも異論はないだろう?」
「きょーかんだにゃ!」
「アスタルトきょーかん!」
「タルトちゃんだにゃ!」
「一体、何の話ですか……。それとタルトちゃんではなくアスタルトです。貴方たちも真似をしないで下さい」
既にミラージュの中ではこの三毛猫族たちをアスタルトが担当する事は決まっているらしく、勝手に教官扱いをする。
そしてミラージュは見逃さなかった、アスタルトが三毛猫族の耳がぴこぴこと動くたびに、チラチラと視線を動かしているのを。
猫魔族たちの耳は頭の上から生えており、獣化魔法を使わなくとも手の平にも肉球が存在するのだ。
女性ばかりと言うのもあるのだろうが彼女たちは小柄で愛らしい姿をしており、可愛い物好きのアスタルトが反応しない訳がない。
もっとも、今は大勢の部下たちの手前、だらしない姿を見せない様にしているのか無表情を貫いているのだが、目の輝きだけは誤魔化せていなかった。
「まぁ細かい話は城に戻ってからにするとして、とりあえずは彼女たちを連れて移動するとしようか。黒毛猫族の事も気になるからね」
「それも……そうですね。それではこれより城へと帰還します! 三毛猫族の皆さんは拘束した状態でそのまま連行する形となります。それからお年寄りやお子さんには馬車を用意して輸送しますのでご安心ください。万が一、逃亡行為などを行った場合にはこちらも手荒な真似をせざるを得ないので、くれぐれも大人しくこちらの指示に従うように! それでは総員、移動開始!」
アスタルトの号令と共に、兵士たちは統率のとれた動きを見せていた。
三毛猫族たちが何かを企んでいる様子は一切ないが、窃盗を行っていた罪人である以上、拘束するのは仕方がない事である。
アスタルトとミラージュはベルゼビュートからそれぞれ百名の兵が与えられているが、彼らは日頃の訓練の賜物で練度も忠誠も高く、理由も無く三毛猫族に手荒な真似をする者はいない。
それでも、ここまで温情を与えた状態で逃亡を企てるような輩には容赦しない事は間違いなく、逃げ足の速い種族が相手ならば尚更であり、逃亡阻止の為に多少の怪我を負わせる行為に躊躇しないだろう。
三毛猫族たちを捕縛してから数時間後、ミラージュたちは隊列を組んで街道を西の方角に進んでいた。
前方では五十名の兵が警戒にあたり、魔物などを発見した場合には素早く討伐を行う。
中央には指揮官であるミラージュとアスタルト、そして五十名の兵たちが周囲を囲い、万全の態勢で守りを固めている。
後方には両手を拘束されながら歩く若い三毛猫族たちと馬車に乗せられた子供や老人、それを監視する百名の兵士たちが続いていた。
「後はこのまま城に戻れば無事に任務完了だね。それにしても三毛猫族たちが面倒くさい種族じゃなくて助かったよ」
「ミラージュ、油断は禁物です。今は非戦闘員も含めた状態で行動しているからこそ、好機と見て敵が襲ってくる可能性もあるのですよ」
馬に跨りながら呑気な事を口にするミラージュに、アスタルトが厳しい口調で叱責する。
決してミラージュは油断をしていたという訳ではなく、周囲の緩んだ雰囲気を察知してわざとそうした発言を行ったのだ。
魔物を警戒している前方の部隊や三毛猫族たちを監視している及び、後方からの襲撃に備えている部隊はまだしも、中央の部隊が即座に対応するような状況はあまりない。
特にミラージュたちが進んでいる街道は見晴らしも良く、襲撃者が潜む様な遮蔽物も少く、何らかの脅威が近づいてきたとしても事前に察知して、大抵の相手ならば前方の部隊だけでどうにでも出来ると言える。
また、現在地は魔王軍が治めている土地であり、敵対する魔族が侵攻しようものならばすぐに連絡玉で報告が入るのだ。
だからこそ魔物と三毛猫族の動きに注意をしておけば安全な道のりと言えるのだが、ミラージュが仮に自分たちを襲撃するつもりならその隙を突く。
「おっと、怒られちゃったね。ま、外様の僕はともかくとして、誇り高きベルゼビュート様が長年配下にしている兵に、油断するような不届き者がいるとは思えないから問題ないよ」
その言葉を聞いて、若干緊張感の薄れていた様子が垣間見えた周囲の兵士たちは表情を引き締めた。
緩んだ空気を締め直す方法はいくつかあるが、直接叱責するのではなく、間接的に誰かを叱責する事で周囲の意識を変えるやり方をミラージュは実践しているのだ。
二人が引き連れている兵士は古参の者が多く、ベルゼビュート並びにアスタルトへの忠誠は厚い。
しかし、幼い頃からアスタルトを知っているからこそ、直接叱責をしても効果は薄くなってしまう。
寧ろ、一部にはそれがご褒美だと言わんばかりに幸悦の表情を浮かべる者までいるくらいなのだ。
まだまだ外様扱いであるミラージュだと、命令には従うが忠誠を誓っているとは言い難く、見かけ上はともかくとして内心では素直に受け止めてくれない可能性が高い。
だが、ミラージュに反発している者ほど同じ様に見られたくないと言う心理が働き、一連の流れで緊張感を持って行軍に臨むだろう。
「全くもう……貴方は私と同じ副官なのですから、もう少し威厳と言うものを考えてください」
「ははは、アスタルトがお堅い分、僕はこれくらいの方が丁度良いんだよ」
この場にいる兵士たちで、ミラージュに反発心を抱いていたとしても、侮っている者は誰一人としていない。
なぜなら、四天王ベルゼビュートによる地獄の訓練を毎日こなしている姿を皆が知っているからだ。
アスタルトも四天王の娘だからと言う理由だけではなく、確かな実力を持っているからこそ、兵士たちは命を預けて命令に従っている。
また、ミラージュにとっては自身の評価など気にするつもりはないし、アスタルトと言う求心力のある副官がいる以上、自分が今の役回りをする方が効率的だと考えていた。
多くの魔族は種族主義的な側面が強く、基本的に別な種族の下に付きたがらないのだ。
今の魔王軍があるのも、魔王リリスが長い年月をかけて種族統一を図ってきたからに他ならない。
別な種族同士が同じ軍として働く価値観を魔族たちに浸透させるまで、相当な苦労があった事は容易に想像が出来る。
そうした事情を鑑みると、突然副官としてやってきたミラージュを一応は受け入れているベルゼビュートの部下たちは、しっかりと魔王軍の理念を理解していると言っても良いだろう。
こうした些細なミラージュとアスタルトのやり取りの中にも、多くの理由が存在しているのだ。
もっとも、ミラージュの場合は効率的に働く事で最終的に自分が楽をする為というのが一番大きな理由なのだが、今更言っても詮無き事である。
「そのような軽薄な態度だから貴方は――」
「――ちょっと待って……これは……ゲルマニア帝国? いや、でも、まさか……」
「そうやって誤魔化そうとしても……ミラージュ、どうかしたのですか?」
まだまだアスタルトのお小言が続きそうだったが、自身の魔力感知に何かが引っかかった為、ミラージュは意識をそちらへ集中させる。
アスタルトもミラージュの様子が変わった事を察知し、単純に話を誤魔化すつもりではないと、言葉を口にしている最中に気が付いたようだ。
魔族領の南側は人間の国であるヴァロワ王国と接しているが、東側の多くはゲルマニア帝国と接していた。
ゲルマニア帝国はヴォロワ王国と共に魔族へ対抗する為の三国同盟を結んでいる人間の国なのだが、魔王軍と大規模な戦いになった事は殆どない。
それどころか魔族の文化に興味があるのか、闇商人と呼ばれる人間たちが密かに入り込んでくるのだ。
表向きは利益を追い求めて勝手に魔族と取引を行う人間の商人という事になっているが、裏では帝国の中枢部が関わっている可能性が高いとミラージュは聞かされていた。
魔王軍にとっても人間の技術や文化を知る絶好の機会でもある為、魔王リリスも密かに了承をしている言わば公然の秘密である。
もっとも、魔王リリスと四天王ベルゼビュート、そして副官のミラージュとアスタルト、実際に取引をしている魔族以外には一切の事実を公表していない。
そんな関わりが浅いとは言えないゲルマニア帝国の方向から感じ取れる魔力。
いくらミラージュの魔力感知が優れていると言っても、自分以外の魔力を感じ取れる限界範囲はそこまで広くないからこそ、違和感を覚えるのだ。
「いや、僕の勘違いかも知れないから気にしないで。とりあえず今は城に戻る事を優先しよう」
「そう言われると余計気になるのですが……まぁ、いいでしょう」
周囲には兵士たちも大勢いる上、三毛猫族たちも引き連れているのだから、ここで不安を煽る様な真似は得策ではないとミラージュは判断を下す。
国を跨いでも魔力が感じられるという事は、少なくともゲルマニア帝国で大規模な魔法かそれに準ずる何かが発動されたはずである。
だが、そのような馬鹿げた事があるだろうか、とミラージュは疑問に思う。
少なくとも今まで生きてきた中で、魔族領の外から魔力を感じると言う経験は皆無だった。
それ故に、ミラージュが今回感じた事について自信を持って断言できないのは仕方がないと言える。
漠然とした不安を抱えながらミラージュは軍を率いて帰路を進んで行く。
そして、城に戻ってから一ヶ月後、ゲルマニア帝国との国境を警備している部隊から緊急の連絡が入る。
――ゲルマニア帝国領から魔族領へ竜種と思われる魔物が襲来。国境警備隊及び、撃退に向かった部隊が全滅――




