【過去編】ミラージュとアスタルト3
死屍累々、現状を端的に表すにはこの言葉が一番ふさわしいと思えるほど、数多くの兵たちが訓練場のあちらこちらに横たわっている。
もっとも、胸元が上下しているのを見る限り死んでいるという事はなさそうなのだが、満身創痍なのか身じろぎする事すらない。
剣、斧、弓、槍など、彼らのものと思われる武器が散らばり、地面には所々大きな穴が開いていた。
四天王ベルゼビュート直々の訓練、それがこの惨状を作り出した原因である。
内容は至って単純で、兵士百名対ベルゼビュート一名による模擬戦を行うだけなのだが、未だに兵士側が勝利した事は無い。
各々の実力で捌ききれる限界寸前の攻撃をひたすら浴びせられるのがこの訓練の肝となるのだが、限界と言うのが強化魔法を全開状態で使用する事が前提となっていた。
強化魔法を後先考えずに全開にして長時間耐えられる訳も無く、その様な無茶をした場合、魔力が切れると同時に全身が動かせなくなるのは当たり前である。
この訓練の目的は一つ、極限状態まで追い込まれた中で限界を超えてその先に辿り着く事だ。
そして、この地に赴任してきた翌日からミラージュも訓練に参加し、既一年もの月日が流れていた。
「さて……と、残りは君たちだけみたいだね」
ずれた眼鏡を直しながら不敵な笑みを浮かべるベルゼビュートが視線を向けた先には、肩で息をしながら大鎌を構える副官の二人組、ミラージュとアスタルトがいた。
先日の一件で露呈したミラージュの弱点、そのうちの一つである近接戦闘を鍛える為に渡された大鎌。
四天王ベルゼビュートの代名詞とも言える武器であり、娘のアスタルトも愛用している武器になる。
戦場では敵陣のど真ん中に乗り込んで、その首を次から次へと切り落としたという逸話も残されている程である。
実際には近接、というよりはハルバードの様にリーチを生かした長柄武器なのだが、実に様々な使い方が出来るのだ。
長い柄の先に付けられた巨大な円曲線を描く刃は敵を斬るだけでなく、引っ掛ける、叩く、突くと非常に応用が利く。
足を払い、鎧や兜を破壊し、武器を落とさせるなど、ミラージュはこの一年の間で多くの用途を学んでいた。
結果として、今では他の兵士たちの様に地面に突っ伏すことなくアスタルトと共に肩を並べているのだが、限界は近い。
「ミラージュ、私の魔力もそろそろ尽きかけています。次が最後になるでしょう」
「僕もそろそろ限界かな。一年も振り回しているけど、どうにもこの武器にはなかなか慣れないよ」
「……一年でそこまで扱えるのならば十分だと思いますよ。これでも私は幼少の頃より愛用しているのですが」
「まぁ、僕の場合は魔力量に物を言わせているだけだから……」
「それでも……ですよ」
眉を顰め額に汗が滴るアスタルトに、仮面で表情こそ見えないが限界を口にするミラージュ。
魔力量に物を言わせているとは、強化魔法の事であった。
大鎌は見た目からもわかる通り、非常に重たく重心が前にある為、扱い方を間違えると体が持って行かれてしまい大きな隙が生じやすい。
大鎌は様々な用途で使える反面、状況に応じて使い分ける適切な判断力と経験が最も必要とされる武器である。
ミラージュはまだまだ取扱いに未熟さが残るが故、膨大な魔力量で強引に身体能力を大幅強化して誤魔化しているに過ぎないのだ。
アスタルトからすれば自身との差を埋めるだけの馬鹿げた魔力量を保有していると考えられず、どちらかと言うとミラージュの謙遜に聞こえているのだろう。
いくらミラージュの魔力量が多いと言っても、アスタルトも実力で四天王の副官と言う立場に就いており、魔法の扱いにも長けている。
だからこそ、おそらくアスタルトはミラージュの魔力がいくら多いと言っても自身の二倍、三倍辺りだと捉えているのだ。
実際にミラージュが表向きの実力として見せている魔力量もそれくらいに調整している為、その推測は間違っていない。
しかし、強化魔法はどれだけの魔力を消費しているのか外側から推測するのは難しく、一の魔力で一の効果を出す者もいれば、十の魔力で一の効果しか出せない者も居るのだ。
そして日頃から遠距離での魔法攻撃を主体とする戦い方をしていたミラージュは後者であり、一年前よりマシになったとはいえ、強化魔法の練度は達人と呼べる者と比較するとまだまだ低い。
そうした事情から、アスタルトから見たミラージュの成長速度と、ミラージュ自身が感じている己の成長には齟齬が発生しているのだが、お互いその事実に気が付いていないようである。
「二人とも、お喋りはそれくらいにしてかかってきなよ。いい加減、私を追い詰めるくらいはして欲しいものだね」
「僕もいい加減休暇を頂きたいので、いつまでも後塵を拝するつもりはありませんよ」
「私は別に休暇を必要としておりませんが……二対一で遅れを取っているこの状況は、そろそろ打開したいものですね」
ベルゼビュートによる模擬戦は限界まで体を酷使させられる為、一部の例外を除いて毎日参加する兵はいない。
階級や実力に応じて適度な期間を空けられているのだが、副官であるミラージュとアスタルトはこの一年の間、毎日休みなくベルゼビュートと刃を交えていた。
二人に課された目標、それは二対一で四天王ベルゼビュートを打ち破る事である。
もっとも、ベルゼビュートは二人の相手をする前に百名の兵士たちと模擬戦を行っている為、実際には百二対一の様なものなのだが、それでも土をつける事は叶わないでいた。
「行きますよ!」
「了解」
アスタルトの掛け声を合図に、二人は左右からベルゼビュートに切りかかる。
模擬戦用の武器なので刃は潰されているが、それでも受け方を間違えれば骨の一本や二本は簡単に折れてしまう。
しかしベルゼビュートは焦る様子を見せず、相手の力を受け流す様にして目にも留まらぬ速さの攻撃を難なく捌いていく。
その姿はさながら演舞のようで、銀色の長髪と相まって美しさをより引き立てる。
悪魔族は魔族の中でも特に老いるのが遅い事で有名な種族だが、ベルゼビュートは人間で例えるならば二十代半ばにしか見えない。
「中々……息が合ってきているじゃないか」
激しい攻防の最中、不意にベルゼビュートが言葉を漏らす。
アスタルトもミラージュも返事をする余裕がないのか無言のままだが、確かに二人は連携が取れている。
常にベルゼビュートを挟んで対角線上の位置を保ちつつ、片方が視野の外になるように立ち回っていた。
獣化して体の作りそのものを変える種族という例外はいるものの、通常時の魔族は人間と同じく視野の範囲は最大で約二百度であり、自身の耳より後ろを確認する事は出来ない。
加えて大鎌の刃は柄に対して弧を描くような形をしている為、攻撃の軌道が非常に特殊なのだ。
受け手側にとってはやりにくい事この上ないのだが、それは攻め手側にも言える。
技術が稚拙な者が二人の様に立ち回ろうとした場合、お互いの大鎌同士が絡み合ってしまうだけではなく、間違えて相方に攻撃を当ててしまうだろう。
実際に訓練の初日は連携と呼べない有り様であり、ミラージュはアスタルトから何度も叱責を受けていた。
ミラージュの技術向上に加え、お互いの動きを把握できるようになったからこそ、曲がりなりにもベルゼビュート相手に立ち回れているのだ。
「でも……まだ甘い」
一瞬の隙、いや、常人であれば隙とは思えない程の綻び、ミラージュとアスタルトの連携がほんの僅かだけずれてしまう。
一対一ではミラージュもアスタルトもベルゼビュートには及ばない。
だからこそ二人で息つく暇を与えない様な連続攻撃を仕掛ける事で、相手を防御に専念させる事が出来るのだ。
だが、アスタルトの仕掛けた攻撃が早すぎたのか、ミラージュの追撃が遅すぎたのか、ベルゼビュートに反撃をする余裕を与えてしまう。
ベルゼビュートは自身の大鎌の刃でアスタルトの大鎌を掬い上げるにして奪い取り、宙へと高く飛ばす。
本来であればミラージュの追撃を防ぐ余裕を失ってしまう動作、しかし今は僅かにだけ隙がある。
アスタルトが武器を拾い復帰する時間と、ミラージュが一人でベルゼビュートを抑える時間、どちらが長いかは明白であった。
「チェックメイト……だね」
ベルゼビュートが振り上げていた大鎌の軌道を、ミラージュの攻撃を防ぐ為に修正する。
間に合わない、そうミラージュは判断したが、同時に本当に間に合わないのか、という疑問も生まれていた。
確かに自分は全力で強化魔法を使用している、だが、それはあくまでも制御出来る範囲での話だ。
ならば、いっそのこと制御を無視したらどうか、と。
勿論、ミラージュの思考はここまで正確に考えていた訳ではない、しかし、咄嗟の判断で殆ど反射的に行動に移していた。
右腕の強化魔法に使用する魔力だけを爆発的に増やし、ベルゼビュートに刃が到達する時間を短縮させる。
「なっ!」
驚愕の声を漏らし、目を見開くベルゼビュート。
間に合うはずの防御が間に合わず攻撃を受け損ねてしまったのか、ミラージュの攻撃によって弾かれるようにしてベルゼビュートの大鎌を持つ両腕が持ち上がり、上体が反れてしまう。
もらった、そうミラージュが判断して再度右腕を振るうが、虚しく空を切るだけだった。
「なるほど……諸刃の剣どころか、これじゃあ使い物になるかもわからないな」
ミラージュが呟きながら視線を向ける先では、先程まで掴んでいたはずの大鎌が鈍い音を立てて地面に落ちるのだった。
そして、ミラージュもアスタルトも武器を失った以上どうする事も出来ない上、魔力も尽きていたので、あっさりと降参を宣言して訓練が終了する。




