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【過去編】ミラージュとアスタルト1

「僕が異動ですか?」


 魔王城の執務室でミラージュは疑問の声を発する。

 目の前には魔族統一を掲げる魔王軍のトップ、魔王リリスが目を細めながら笑みを浮かべていた。


「せやでー。ウチの目が届くところにずっと置いておくのもええんやけど、東方の諺でも可愛い子には旅をさせよって言うやろ? ミラージュたんにも魔王城を離れて世間の荒波に揉まれて貰おうと思うてな」


 そう言ってリリスは一枚の書類を人差し指と中指で摘まんでミラージュへと渡す。

 ミラージュは書類に視線を落として内容を確認し始めると、どうやら異動についての詳細が記載された辞令書であり、魔族領の東側を治める四天王の下で働く事が大きな文字で書かれていた。

 魔王様はいつも唐突だな、とミラージュは毎度の事ながら大きくため息を吐く。

 元々は一兵士として魔王軍に入隊したはずのミラージュだが、転移魔法を扱える事でリリスに目をつけられてしまい、何かにつけては便利に扱われているのだ。

 気が付くと雑用なのか護衛なのか、それとも魔王の秘書なのかわからない立場になってしまい、魔王城内でも扱いに困る存在として周囲に認識されており、端的に言えば浮いていた。

 もっとも、常に仮面で顔を隠して黒いマントを羽織っている為、入隊面接の時から悪目立ちしていたのは言うまでもない事だろう。

 そしてミラージュは書類の文字を目で追い続けている途中で動きが止まり、気になる箇所を指しながらリリスへと問いかける。


「あの……魔王様、ここに書いてある日付が今日になっていますが、何かの間違いですよね?」


 辞令が下されるのは組織に属する者として仕方がない事だが、今日から別の勤務地で働けと言われるなど普通はありえない。

 これが魔王城内での異動であればまだ納得できるかもしれないが、今回は遠く離れた東の地である。

 ミラージュがリリスのミスだと思って指摘するのは当然と言えるのだが、それと同時に嫌な予感もしているのか、微かに声が震えていた。

 普段は軽い調子のリリスだが実際は魔王軍の頂点に位置する存在であり、この程度のくだらない間違いを犯す事はあり得ない。

 そして何かとミラージュを振り回して楽しむ悪癖があるのだ。


「ん、間違いあらへんでー。ミラージュたんなら転移魔法でちょちょいのちょいやから、別に問題ないやろ? 少し急な話かも知れへんけど、ウチの可愛さに免じて堪忍してやー」


 可愛らしく首を傾げながら舌を出して頭をコツンと叩いてポーズを決めるリリスを見て、これが魔族を総べる魔王であると誰が信じるのだろうか。

 リリスご自慢のもふもふとした狐の様な尻尾も、頭の後ろでご機嫌そうに左右へふわふわと揺れているのが伺える。


「はぁ。魔王様のおふざけには大概慣れましたけど、あんまり転移魔法を使用する前提で考えないで下さいよ。僕の魔力だって限界があるんですからね」


 限界と言ってもあくまでも公表している範囲での見せかけになるのだが、ミラージュは余計な仕事が増えない様に改めてリリスへと釘を刺す。

 自由自在に移動できる転移魔法は便利であると同時に脅威でもあるからこそ、自分は魔王様に重宝されている、とミラージュは思っていた。

 しかし出来る事なら実力を過小評価して貰い今よりも楽に過ごしたい、そんなミラージュの虚しい願いが言葉とため息の中に込められているのだろう。


「ウチがミラージュたんにだけ見せた渾身のポーズは無視かいな! 全く、幻魔族の男はどうしてこうなんや。もう少しウチの愛らしさに狼狽えてもええんとちゃうか?」


「自分一人を対象に幻魔族を語らないで下さいよ。僕だって家族以外の幻魔族については知らないんですから。それに魔王様は余計な事をするより、そのままの方が魅力的だと思いますよ」


 リリスは口を尖らせてまるで拗ねた子供のような態度を取るが、ミラージュは冷静な態度で正論を返す。

 幻魔族の特徴を語るにはそもそもの絶対数が少な過ぎて、信憑性を得るだけの統計を取る事は難しい

 個人的な性格によるものなのか、種族的な特性によるものなのかは、多くの実例が無ければ判断できないのだ。


「かー! そうやって女に気のない素振りをしながら、甘い言葉を囁くとかどこのタラシやねん! どうやって育ったらそないにけったいな子に育つか親の顔が見てみたいわ!」


 僕も一度でいいから母親の顔を見てみたいですね、とミラージュは心の中で同意する。

 幼い頃に魔族である父親が亡くなってからは山奥にある家の中で一人暮らしをしていて、時折、適当な村や町などに訪れて買い物をする程度にしか他者との接触は無かったのだ。

 どう育てられたと言われても、長年本を読んで引き籠っていたというのが正解で、親の顔も片方は知らない。

 しかし、そのような事情をミラージュは誰かに話したりはしなかった。

 特に母親が魔族でない事を知られてしまっては、どのような扱いを受けるか想像に難くない。

 素顔を隠し、過去を語らない、それが他者の認識しているミラージュという魔族の評価になる。


「子供に本を読ませると良いんじゃないでしょうか。知識とは何物にも代えがたい財産ですからね」


「子供に読書させただけでミラージュたんみたいなのが出来上がるんやったら、この世はおしまいや! ほら、さっさと転移せーや! 向こうでは朝から来るもんやと思うとるから大遅刻やで!」


「はぁ。遅刻の原因は主に魔王様ですけどね……、それじゃあ、この場で失礼します。ゲート」


 理不尽な対応に大きなため息を吐いたミラージュは、そのままゲートを開いて姿を消す。

 そしてリリスは先程までミラージュが立っていた空間を哀しそうに見つめ、消え入りそうな小さな声で呟いた。


「ほんま……どこの誰に似たんや。やりにくくてしゃーないわ」


 どこの誰、やりにくい、それがどのような意味を持つのかはわからないが、魔王であるリリスはミラージュに対して部下としての範囲を越えた何らかの感情を持っている事を伺い知る事が出来る。

 目を細めて少し困った様な表情をするリリスの頬は、ほんの少しだけ赤みがさしているのだが、それに気が付く者はいない。

 そして当の本人であるミラージュは、そんなリリスの命令で刻んだ魔力印の一つがある場所へと転移をしていた。

 本来のミラージュは魔王直属の部下である親衛隊の一員としての立場なのだが、その能力故に緊急時の輸送係のような扱いも受けている。

 東西南北に別れている各領地の開けた場所へ転移出来る様になっており、東の地にある四天王の居城と隣接している訓練用の施設へとミラージュは姿を現した。


「遅い!」


 女性、いや少女のものと思われる幼さの残る高い声と共に、ミラージュの首元に向かって高速の刃が振るわれる。

 転移魔法の弱点とも言えるのだが、魔力印を刻んだ場所に移動するときは必ずそれが出現する位置の目印になってしまう。

 魔力印が転移魔法の為に刻まれていると知っている者ならば、ミラージュを害する目的で待ち伏せする事が可能になるのだ。

 しかし最近のミラージュは殆ど魔王の勅命で動いていると言っても過言ではなく、これまで直接的な方法で攻撃を仕掛けてくる者は皆無であった。

 だからこそ転移時に攻撃を受けるはずがないと油断をしていたミラージュは、寸でのところで攻撃を躱せたものの、そのまま体制を崩して尻餅をついてしまう。

 しまった、と思った時には既に遅く、湾曲した巨大な刃がミラージュの首元へと突きつけられていた。


「……これは随分と手荒な歓迎ですね。アスタルト様」


「手荒も何も、遅刻をしてきた貴方の腑抜けた根性を叩き直す為の儀式とでも思ってください。それからミラージュ、今日から私と同じ副官になるのですから敬称をつける必要はありませんし、砕けた話し方でも構いません。もっとも、そのような体たらくではいつまで務まるかわかりませんがね」


「了解だよ、アスタルト。それから遅刻については……いや、何でもないです」


 ミラージュの首に大鎌の刃を突き付けて冷ややかな目で見下しているのは、東の地を治める四天王の娘であり、副官でもあるアスタルト。

 魔王軍の制服に採用されている軍服に身を纏い、小さな体に似合わない巨大な鎌を操る彼女は、父親と同じく規律に対して厳しい事で有名だ。

 そして魔王から手渡された辞令書には、アスタルトと同様に副官として四天王の補佐に着く事が記載されていた。

 副官とは役職の高い者の補佐や代理としての役割を持ち、四天王の副官ともなれば相当な地位になる。

 最終的な決定権が四天王にあるとはいえ、実質的に代行して軍を動かす役割を担うのだから当然とも言えるだろう。

 ある意味では栄転とも言える今回の異動であり、先日までは上の立場であったアスタルトと肩を並べる事になる。

 アスタルトに指摘されてすぐに言葉遣いを直したのも、その言い分が正しいとミラージュが判断したからだ。

 軍に所属している以上、上下関係は絶対であり、年齢や性別、種族に関係なく順守する事が魔王軍の絶対的な法である。

 指揮命令系統があやふやな組織は脆く崩れやすいからこそ、こうした決まりが存在するのだろう。


「ここで言い訳を並べる様な態度を取っていたら、そのまま叩き返すところでしたよ。ベルゼビュート様は私みたいに甘くないので、十分に留意してください。それでは早速、向かいますよ」


「はぁ、何でこんなことになったのかな」


 踵を返して足早に移動を開始するアスタルトの背を、ミラージュは深いため息を吐きながら追っていく。

 ベルゼビュート、とは東の地を治める四天王の名前であり、銀角持ちの悪魔族たちを束ねる存在になる。

 魔王リリスの軍門に降るまでは賢王、もしくは暴君と呼ばれて恐れられていた有名な魔族だった、とミラージュは噂で聞いた事があった。

 真逆の二つ名を冠する四天王、それだけでもあまり関わり合いになりたくない、とミラージュは思っているのだが、実の娘にまで気を付ける様に言われてしまうという事は、相当なのだろう。

 過去に仕事の関係で顔を合せたことは何度かあるのだが、魔王城所属の兵士と四天王直属の部下では扱いが変わるのが当たり前であるのだ。

 魔王リリスの方針として、基本的な領地の管理や部下の育成方法などは四天王に一任しており、特別な問題が発生しない限りは余計な干渉をされないのが魔王軍になる。

 多種多様な考え方を持つ多くの種族を統治する以上、細かなルールを設けるのは難しく、魔王軍法を守り各四天王に課せられた目標を達成さえしていれば、極端な話、何をやっていてもお咎めはない。

 魔王軍法を守った上でより厳しい独自の規律を敷く事も、最低限さえ守れば何をしても良いと緩く統治する事も自由であり、四天王ベルゼビュートが治める東の地は前者になるのだ。


「アスタルト様、ミラージュ様、お疲れ様です!」


「お疲れ様です。……襟元が少し乱れていますよ、軍服を身に纏うのであれば正しく着こなしなさい。服装の乱れは風紀の乱れ、肝に銘じておくように!」


「は、はい、ありがとうございます!」


 訓練場から城へと繋がる入り口で立っていた見張りの兵士が、背筋を伸ばして挨拶をしてきたのだが、既にミラージュの事を知っている様であった。

 アスタルトはそんな兵士に服装について注意をするのだが、何故か兵士は謝罪ではなく礼を口にする。

 自身の事を周知されている徹底ぶりと、奇妙な兵士とのやり取りに面をくらったミラージュは声を失い、通りすがりに会釈をするだけに留まってしまう。

 城の廊下を進んでいき、先程の兵士との距離が離れた所でミラージュは質問の声をあげる。


「ねぇアスタルト、さっきの兵士との会話、少し変じゃなかった?」


「私と同じように軍服を着ている悪魔族は、どうやら変わり者が多いみたいです。あれでも職務には忠実ですし、礼を述べるのもそれほど不自然ではないので特に問題はないでしょう」


「うーん、まぁ君が気にしていないなら構わないけどさ。何と言うか忠誠心とは別の何かを感じたよ」


「私はあまり気になりませんが、少なくとも今後はミラージュと同じ軍の一員として働くのですから、あまり偏見を持つのはどうかと思いますよ」


 そう言われればそうかもしれない、とミラージュは自らを無理やり納得させてそのまま歩みを進めていく。

 辞令書には期間について書かれていない為どれだけここで過ごすのかはわからないが、暫くはここで働かなくてはいけないのだ。

四天王の副官と言う役職はそう簡単に入れ替わる事が無い重職になる。

 だからこそ部下となる相手を色眼鏡で見るなど、上司として恥ずべき行為であるのだ。

 しかしミラージュは知らなかった、悪魔族中心で構成されているアスタルトに心酔する集まりの事を。

 そしてその対象であるアスタルトも、少し変わった部下という認識しか持っていないようであった。


「さて、ここがベルゼビュート様の執務室です。もう一度念を押しておきますが、くれぐれも粗相のないようにお願いします」


 小さな声で囁くアスタルトにミラージュは首肯で返事をする。

 それを確認したのか、同じ様に小さく頷いたアスタルトは執務室の扉をノックして用件を伝えるのだった。


「コホン……ベルゼビュート様、アスタルトです。本日より就任したミラージュをお連れ致しました!」


「入っても構わないよー」


 少し緊張気味に声を張り上げたアスタルトとは対照的に、扉の奥からは随分と軽い調子で言葉が返ってくる。

 アスタルトが扉を開いて入室するのに合わせて、ミラージュも足を前に動かし声を上げる。


「本日より四天王ベルゼビュート様の副官に任命されましたミラージュと申します。遅れてしまい申し訳――」


 挨拶と共に到着が遅れた事を謝罪するミラージュだったか、突然の事態に言葉が途切れてしまう。

 つい先程も経験した光景、アスタルトに攻撃を加えられた時と同様に、鋭い刃がミラージュの首元目掛けて放たれていた。


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