四天王として5
「ちょっと無理をし過ぎたみたいだね。少し休めばすぐに動ける様になるから心配しなくても大丈夫だよ、タルトちゃん」
「……やはり、無理をなされていたのですか」
元々、死ぬ寸前の大怪我を負ったミラージュは回復魔法で傷が塞がれているとはいえ、本来は絶対安静にするべき状態なのだ。
そうは言っても魔族と人間のハーフであるからこそ体はそれなりに丈夫であり、日常生活を送るだけならばここまで疲弊する事はない。
しかし先程はルヴトーとの決闘で激しく動き回った上、強化魔法や魔力装によって体に大きな負荷がかけられていた。
そしてミラージュが最初から魔力装を使わずにいたのには大きな理由があった。
「……魔力装は可視化できる程の魔力を練り上げる必要があるけど、僕の魔力放出量だとまだまだ足りないみたいだ。どうしても魔力孔を限界以上に酷使するせいで、短い時間でもこの有り様だよ。まぁ、ルヴトーさんを安心させる為ならこれくらいの無茶はしないと、申し訳が立たないから仕方ないと言えば仕方ないけど……。さっきはまだ余裕がある振りをしたけど、ルヴトーさんがすんなり降参してくれて本当に助かったよ」
魔力装はまだまだ開発中とも言える奥義であり、言わば諸刃の剣の様な物であった。
そもそも魔力の可視化等と言う馬鹿げた状態を作り出すだけでもおかしな事なのだが、それに耐えうる魔力量と魔力制御力は流石の一言に尽きる。
唯一、魔力放出量だけが課題となっていた為、ミラージュはこれまで実戦での使用を控えていた。
どれほど強力な魔法でも、僅かな時間使用しただけで動けなくなるなど欠点が大き過ぎて、実用には程遠いのは誰の目にも明らかだろう。
「その事を言っているのではありません! ミラージュ様はその魔力装とやらを使う前から明らかに様子が変でした! ……ちょっと失礼します」
アスタルトは声を荒げながら怒った様子で、手早くミラージュのマントや上着を脱がせていく。
肌が露わになったミラージュの胸辺りには大きな傷痕がしっかりと残っていた。
これはユリアの短剣が刺さった時に出来たもので、回復魔法で塞いだと言っても大きな怪我だとこのように痕が残ってしまう。
そしてつい先日にアスタルトはミラージュを半裸にして幻覚魔法の修行に付き合わせていた為、その時におかしな傷痕がない事を確認しているのだ。
西の地を治める四天王ベディヴィアと遺跡調査を行った時の報告書にも、ミラージュが怪我を負ったと言う内容は記載されていない。
そもそもそれ程の大事が起きていたらアスタルトの耳に入らないはずがないだろう。
それらの事実からミラージュの体に残っている傷跡は、人間の国に赴いた時に作られたのだと推測するのは容易な事であった。
「……これでも精一杯隠していたつもりだったけど、そんなにわかりやすかったかな?」
「私が……私が幻覚魔法で再現する為に、どれだけミラージュ様を日頃から観察していると思っているのですか。僅かな癖すら見逃しませんよ。あんまり……心配をかけさせないで下さい」
タルトちゃんには敵わないなぁ、とミラージュは感心しつつも、アスタルトの目尻に涙が溜まり始めているのを見逃さなかった。
まだまだ腕の自由がきかない為、プルプルと震える右手でその涙を拭ったミラージュは、そのまま優しい手つきでアスタルトの頭を撫でる。
アスタルトは少し驚いてしまったのか、びくりと肩を震わせる。
そして生々しい傷跡が残るミラージュの胸元にゆっくりと頭を預けるのだった。
「自分の副官を泣かせてばかりで、僕は四天王失格だね」
「本当です。ミラージュ様はいつも私を振り回してばかりでダメダメな四天王です。ちょっと目を離したらこんな大怪我をして帰ってきて、これじゃあ気軽に休暇を取ってもらう事も出来ないです。私が傍で見ていないと、これからもどんな問題を起こすか心配で仕方がありません」
「それはつまりこれから先もずっと、タルトちゃんが僕の副官で居てくれるって事でいいのかな?」
「なっ! わ、私はそういう意味で言った訳ではなく、あくまでもミラージュ様を四天王の座から引きずり下ろすまでの間という意味です!」
ミラージュがからかう様な言い方で問いかけると、アスタルトは顔を赤く染めあげながら強い語調で否定する。
そして恥ずかしさのあまり離れようとしたのか、ミラージュの体を押し出す様にして両手で突き飛ばしてしまうのだった。
自由の利かないミラージュの体はそのまま地面へと投げ出されていく。
あぁ、余計な事を言うんじゃなかった、とミラージュが後悔した時には後頭部に鈍い痛みが走っていた。
「っつ! 確かにからかった僕が悪いけど、もう少し優しくしてほしいかな」
「ミラージュ様が変な発言をするのがそもそもの原因ですからもっと反省してください! 全くもう……今回だけ特別ですよ」
アスタルトは見るからに不機嫌そうな表情を浮かべながらも、再度ミラージュに近寄ってその場に座り込む。
そしてミラージュの頭を掴んで自らの膝に乗せて、ぷい、と遠くを向いたまま黙り込むのだった。
俗にいう膝枕と呼ばれる状態になるのだが、流石のミラージュもこれは予想外の出来事であるのか言葉を失ってしまう。
こうして暫しの間、お互いに黙り込んだままの状態が続いていく。
時刻は既に日の出を迎えようとしており、東の空からは少しずつ太陽の光が漏れだしていた。
銀色の髪が太陽光でキラキラと輝いているアスタルトの姿は、神話に出てくる女神をも凌駕する美しさと言っても過言ではないだろう。
「こうしてタルトちゃんと、落ち着いた状態で朝日を眺められるとは思わなかったよ」
「……ミラージュ様はいつも日の出と共にどこかに行かれてしまいますから。まさかとは思っていましたが、本当に人間の国へ赴いていたのですね。やはり……十年前の出来事が原因ですか?」
ミラージュが今の様に魔族と人間の二重生活を始めてから既に十年も経っている。
宮廷魔導士となってヴァロワ王国の王都に定住するようになってからは、人間としての生活もあった為、魔族領に姿を現すのは殆どが夜になってしまっていたのだ。
アスタルトも最初はミラージュがどこに行っているのか問い詰めようとしていたのだが、のらりくらりと躱されてしまい、自然と尋ねる事がなくなっていた。
その代わりと言わんばかりに、アスタルトが何かとミラージュに対して毒を吐く機会が増えたのは仕方がない事だろう。
そもそも魔族の証である真紅の瞳を隠して人間の国に紛れ込むなど、常識的に考えてあり得ない。
しかしアスタルトは、頭の片隅でミラージュが人間の国に行っているのだと考えていたようだ。
「僕は……どうしてもあの日の光景が忘れられなくてね。いくら敵対している人間が相手とはいえ、命を弄ぶようなやり方には納得できないよ。僕が転移魔法を使える様になっていなければって、今でも時々考えてしまうんだ」
「あれはクリューエルがミラージュ様を利用したのが原因です! だからミラージュ様が責任を感じる必要は……いえ、申し訳ありません、差し出がましい発言でした」
「いや、別に構わないよ。タルトちゃんがそうやって怒ってくれるのは、僕としてはとても嬉しい事だからね。でも、僕は絶対にあの日の過ちを忘れちゃいけないと思っているんだ。憎しみが新たな憎しみを呼ぶ負の連鎖だけは、僕の手で断ち切るつもりだ」
たとえそれでユリアに討たれる事になったとしても、そう続けそうになった言葉を飲み込んだミラージュは、改めて自身の大切な副官である顔を見つめる。
ミラージュが四天王になった頃のアスタルトは、表面上では礼儀正しい言葉遣いをしていても、どこか余所余所しさが残っていた。
アスタルトの父親は前任の四天王であり、銀角持ちの悪魔族を束ねる族長としても獅子奮迅の働きをしていた魔族である。
その娘であるアスタルトは幼い頃から偉大な父親の手ほどきを受けて、将来を嘱望される程の片鱗を見せていた。
さらに幼馴染でもあり歳が近く同じ四天王の娘として育つラファールと言う存在も、より一層アスタルトを奮起させる要因となったのは間違いない。
自然と次期族長や四天王になる事を周囲に期待され、アスタルト自身もその気であっただろう。
しかし、実際に四天王に就任したのは、突然魔王軍に現れて瞬く間に頭角を現していたミラージュであった。
そして友人でもあり良きライバルのラファールも、アスタルトを置き去りにするかのように四天王の座に就いてしまう。
偉大な父の背中と栄光ある未来を追いかけていた少女は、それまで築き上げてきた何かが壊れるのを感じてしまうのも無理はない。
その何かを壊した原因とも言うべきミラージュの存在は、アスタルトにとって目障りに映っていたはずなのだが、今では全く違う関係になっている。
表面上は今も変わらず辛辣な物言いをするアスタルトだが、そこにはミラージュに対する信頼が確かに垣間見えていた。
ミラージュ自身もそれは強く感じており、万が一自分自身が勇者であるユリアに討たれた場合、残されたアスタルトはどうなってしまうのかという心配も抱えているのだ。
「そ、そんなにジッと見つめないでください、不愉快です」
「ごめん、ごめん。こうしてタルトちゃんの膝枕を堪能できるなんて、少し前じゃ考えられなかったなぁ、と思ってね」
「へ、変な事を言うともう一度地面に放り投げますよ! これはミラージュ様がお疲れのご様子だから仕方が無くやっているだけです。立場上は上司にあたるミラージュ様を地面に転がしておくわけにもいきませんし、この辺りには草木も生えておらず休憩できそうな場所も無いですからね。大体、ミラージュ様は私を含めた女性に対しての言動が、些か軽率だと思います。私に何の断りも無くラファと一緒に竜魔族の里に赴いて騒動を起こした事もありましたし、鬼魔族の村に行ってベディヴィア様と親密になってお戻りになられた事もありました。先日の会議の時も他所の副官と人目を憚ることなくベタベタとくっ付いていましたし、もう少し四天王としての自覚を持ってください。不用意な行動がそれだけ周囲に影響を与えるか知らないのですか。それにいくら転移魔法で簡単に移動できるからと言っても、魔王様のお城に行く頻度も多すぎます。部下の中にはミラージュ様が魔王様のお気に入りだから四天王になった等と、根も葉もない噂をする者も居たのですよ。勿論、くだらない噂をするような輩がこれ以上増えない様に、日頃から私が綱紀粛正に努めておりますが、元々はミラージュ様の誤解を生む様な行動が原因ですからね。狼魔族の村でも幼いルウさんと親しげなご様子でしたし、もしかしてミラージュ様は小さい子がお好きな特殊な性的嗜好をお持ちの方なのですか?」
「い、いえ、僕は至って普通の嗜好を持っていると思います」
ミラージュは自分の内心を隠す為に冗談を言ったつもりなのだが、思わぬアスタルトの反撃にあってしまう。
どうやら調子が戻るまでまだまだ時間がかかりそうだ、とミラージュは嘆息する。
アスタルトに対して膝枕を意識させるような発言をするなど、藪をつついて蛇を出す様な行為に等しく、それだけミラージュの体だけでなく頭も正常に働いていない証左であった。
案の定、捲し立てる様にミラージュへの不満を口にするアスタルトが誕生してしまったのだ。
そのあまりの剣幕にミラージュは思わず敬語を使ってしまい、半分以上は何を言っているのか理解できないまま返答をする。
アスタルトも興奮しているせいなのか、話している内容が若干支離滅裂であるのだが、それに気が付いて指摘する者はここにはいない。
見渡す限りの枯れた大地が広がるこの場所に居るのは、ミラージュとアスタルトだけなのだから。
「それなら構いませんが、今後はあまり誤解を招くような行動はとらないで……と言っても意味がないのでしょうね」
「いやぁ……ははは、面目次第もございません」
「全く、少しは反省して頂かないと困ります。それにしても一つ疑問があるのですが、ミラージュ様を傷つけた相手は一体誰ですか? 確かにミラージュ様は四天王としての品格に欠けるそこら辺の毛虫以下の取るに足らない存在ですが、実力だけは……まぁ、お父様からも訓練の手ほどきを受けたのですから認めなくもないです。そのミラージュ様に対してここまでの傷を負わせるような人間がいるとは考え難いです」
「あー、これはルウちゃんを助ける時にちょっと……ね。僕も予想外と言うか無意識だったと言うか……」
いつもの調子に戻ったのか流れる様に毒を吐くアスタルトの疑問はもっともであり、ミラージュ程の実力者に対して傷をつけるのは容易な事では無い。
アスタルトの父親でもある前任の四天王に魔法一辺倒の戦い方を問題視されて以来、半ば強制的に近接戦闘の訓練を積まされたのがミラージュなのだ。
常在戦場の精神を説くアスタルトの父親は、日常生活における不意打ちすら訓練として取り入れる程である。
それを知っているアスタルトだからこそ、並大抵の攻撃ではミラージュに傷を負わせるが不可能だと知っているのだろう。
ミラージュはどう説明すればいいのかと頭を悩ませるが、中途半端な嘘も通じなさそうなので、曖昧な表現になってしまうのだった。
「ルウさんを助けた時ですか……人間に保護されていると言う状況を考えると、身を挺して庇ったと言ったところでしょう。それでもミラージュ様に対して簡単に傷をつけられるとは考えにくいので、相手は人間の中でも相当な手練れかと。特にヴァロワ王国で有名な人物と言えば、先日の会議でも名前が挙がっていた宮廷魔導士のファルサや、魔王様を討つための勇者が考えられますね。場所が王都で且つ魔族が相手という事を踏まえると、この両名が出てくる可能性は非常に高いと思われます。実力についてはそこまで詳しく存じませんが、四天王であるクリューエル……様が注視しているという事はそれなりの腕なのでしょう。そうなるとミラージュ様を傷つけたのはファルサもしくは勇者ではないかと推測しますが……私の予想、間違っていますか?」
人間の国についてそこまで詳しくないはずのタルトちゃんがどうしてここまで的確に当てられるのだろうか、とミラージュは驚愕する。
流石にミラージュがファルサである事までは気づいていない様子だが、アスタルトの考えは殆ど当たっていた。
ちなみにクリューエルに様付けするのを躊躇ったのは、アスタルトの個人的な感情によるものだろう。
真面目なアスタルトは魔王軍の中での役職が上の者に対しては、律儀に敬称を付けて呼んでいる。
しかし毛嫌いしているクリューエルや幼馴染のラファール相手ではその限りではない。
「大体そんな感じ……だね。人間も中々侮れない相手だと僕は思うよ。実際に向こうで暮らしているからこそ余計にそう思うのかもしれないけど」
「ファルサと勇者……この二人との間にどのようなやり取りがあったのかは知りませんが、ミラージュ様を傷つけるだけの力を持っているとすれば確かに侮れませんね。機会があれば私が直接引導を渡してあげますよ」
片方は僕だけど、とミラージュは心の中で突っ込みながら、絶対にユリアとタルトちゃんを会わせない様にしようと固く誓うのであった。
アスタルトは銀角とはいえ悪魔族であり、人間からすると憎悪の対象として一般的に知られている魔族の姿そのものなのだ。
そしてアスタルトの様子を見る限り、勇者であるユリアに対して敵意を持ってしまったのは間違いなく、この両名が顔を合せて時にどうなるかは容易に想像が出来るだろう。
副官とは言っても四天王と肩を並べるほどの実力を秘めているアスタルトと、勇者としての力を今も伸ばし続けているユリアが激突した場合、周囲にもたらす被害は途轍もない事になる。
しかしこれからの計画次第ではそれが現実となる可能性もある為、ミラージュは再び頭を悩ませるのだった。
「とりあえず……タルトちゃんの手を煩わせることが無いようにするつもりだよ」
「ミラージュ様がそうおっしゃるならば私は構いません。ですが私は副官として、何があってもミラージュ様の味方であり続けるつもりです。それだけは覚えておいてください」
そう言ってミラージュを見つめるアスタルトの表情はいつもの仏頂面ではなく、自然と口角が柔らかく上がり慈愛に満ち溢れた表情となっていた。
何があっても味方、その言葉はミラージュの心を強く打つ。
今までのミラージュの行動を鑑みた時に、アスタルトの口から簡単に出せる言葉ではないだろう。
ミラージュは日頃から秘密主義を貫いている上、ルウの一件や人間の国に赴いている事をルヴトーに指摘されるまで一言も話さずにいた。
素顔に関してもミラージュの後ろに座っていたアスタルトには確認する事が出来ない為、何も知らない状態である。
ミラージュが副官であるアスタルトにすら晒さなかった素顔を、言ってしまえば新参者であるルヴトーにだけ晒している。
受け止め方次第ではミラージュへの不信感が募ってもおかしくはないはずであり、アスタルト自身が聞きたい事も沢山あるだろう。
それでもアスタルトは質問を最低限に留め、それ以上深く追求することなく味方になると言っているのだ。
僕が四天王になった時のタルトちゃんじゃ考えられない事だよなぁ、とミラージュは時の流れを感じるのだった。
同時に、アスタルトと言う存在が自身の中でより大きくなるのだが、それについて気が付くのはもう少し先の話になる事だろう。




