四天王として1
気絶したゼノビアを寝室に連れて行った後、王都内の見回りに行く旨をルウの見張り役である魔導士や騎士に伝えて、ミラージュは自身の居城である幻影城に姿を現していた。
ファルサとしての休日は既に無くなってしまったが、ミラージュとしてはまだまだ休む事が出来るのだが、悠長に構えている暇はない。
狼魔族の村ではルウが行方不明となっており、王都ではミラージュの偽物まで現れたのだから、人間側以上に魔族側での対策が重要になってくるのだ。
そうは言っても偽物が現れた情報が魔族領まで流れてくるにはまだまだ時間があり、それを知っている方が不自然な為、ミラージュは慎重に行動しなくてはならない。
「こんばんは、タルトちゃん。ちょっと様子を見に来たんだけど変わりはないかな?」
「……」
いつもの様に執務室でアスタルトと顔を合せたミラージュは、軽く挨拶しながら声を掛ける。
アスタルトはカリカリと忙しそうに動かしていたペンを一瞬止めたが、ミラージュの方を見向きもせずにそのまま作業を再開する。
誰がどう見てもミラージュに気が付いていながらもわざと無視をしているのだが、これには理由があった。
先日、アスタルトとミラージュは同じベッドの上で、お互いに抱きつくような形で眠りについてしまったのだ。
ミラージュが先に目を覚ましてアスタルトの寝顔を眺めていたのだが、基本的に魔族は眠りが浅くあまり睡眠を必要としない。
あまり間を置かずに目覚めたアスタルトの反応は想像に難くないものであり、ありとあらゆる罵詈雑言をミラージュに浴びせて、何度も足蹴にした上、最終的には部屋を飛び出して自室に籠ってしまったのだ。
ミラージュはベディヴィアたちとの遺跡調査が控えていた為、落ち着いたら連絡玉で知らせてほしいと伝言を残して、そのまま幻影城を後にしていた。
それから今まで連絡玉は使用されておらず、アスタルトにとってミラージュが執務室に顔を出したのは予想外の出来事だろう。
ミラージュも少し時間をおいてあげた方が良いと思いながらも、今の状況ではやむを得ないと考えた上での判断になる。
「タルトちゃん、実はミラベルフルーツのタルトを買ってきたんだけど……」
「……!」
ミラージュの言葉に反応したアスタルトが勢いよく立ち上がったせいで、部屋の中にガタガタと椅子の脚が床を引っ掻く音が鳴り響いた。
ここまでアスタルトが反応するミラベルフルーツが何かと言うと、ヴァロワ王国北東部にあるロレーヌ地方で栽培されている上品な甘さが特徴のプラムの事である。
主に初秋に収穫される果物なのだがその旬は短く、ヴァロワ王国内の貴族がこぞって買い占める程の人気を誇っていた。
今はまだ初夏であり旬には早すぎるのだが、物好きな王族……ヴァロワ王国第一王女のアウレリアの一年を通して食したいと言う我儘によって、密かに宮廷魔導士たちがミラベルフルーツの保存方法を考えさせられていた。
幾つかの試作を重ねて出来上がったのが、ミラベルフルーツの冷凍コンポートと呼ばれる加工法になる。
昨年の秋に作成したものが今年の夏、つまり今の時期に解凍されて実食したところ問題なしとの判断がなされ、今後は季節を問わずに味わえるようになったと一部では話題になっている。
現在は王都の貴族街にある店で試験的に数量限定の販売がされており、ミラージュはアスタルトのお土産用に購入して、ミラベルフルーツのタルトを手作りしていた。
以前、偶然手に入れたミラベルフルーツをアスタルトが口にした際に随分と気に入ったのだが、気候条件などが合わず魔族領での生産に失敗し、更には人間の国が産地という事もあって諦めていたのだ。
アスタルトにとっては念願のミラベルフルーツなのだが、その効果は覿面のようである。
「今夜は月も出ているし、夜景を眺めながら優雅に味わうなんてどうかな? 僕が一人で食べるには多すぎる量だし、タルトちゃんに食べるのを手伝って貰えると嬉しいんだけどなぁ」
「……ミラージュ様がどうしてもと言うなら仕事も丁度区切りの良い所なので、少しだけお付き合い致します」
素直じゃないなぁ、とミラージュは仮面の下で苦笑しながらも、素早くゲートを開いて転移を開始する。
幻影城の最上階にあるテラスへと移動したミラージュとアスタルトは、既に用意されていたイスに腰を下ろし、テーブルを挟んで向かい合う。
ミラージュは転移魔法で素早くミラベルタルトや取り皿、ナイフにフォークからティーセットまで必要なものを一式取り出した。
そして言葉を交わすことなくアスタルトは紅茶の用意を始め、ミラージュはタルトを切り分けてお互いの席に置いていく。
お湯は保温の魔道具に入れられて常に最適な温度を保っており、カップも事前に暖められている辺りに、ミラージュの準備の良さが伺える。
僅か数分で深夜のティーパーティが開始されるのだった。
「この紅茶、薔薇の香りがしますね。今まで飲んだ事がない味ですが凄く美味しいです」
「東方の花茶を参考にしてみたんだけど、お気に召して貰えてよかったよ。」
紅茶に口をつけたアスタルトは満足げな様子であり、ミラージュも思わず嬉しそうな反応をする。
実は紅茶の組み合わせもミラージュが独自に考えたものであり、女性であるアスタルトの好みに合わせていた。
アスタルトはミラージュの言葉に少し驚きつつも、表情を変える事無く紅茶をじっくりと味わい、次にミラベルフルーツのタルトへと手を始める。
一方のミラージュもカップを仮面の口元に近づけて、転移魔法を使用しながらゆっくりと飲んでいた。
テラスから見える照明で装飾された城下町は幻想的な雰囲気を纏っており、他の場所では見られない景色である。
魔王軍の支配地域の中でもミラージュが治める幻影城の城下町の文化は非常に発達しており、魔道具の照明があちらこちらに取り付けられていた。
基本的に魔族は夜目が効き人間に比べて暗闇に強いのだが、それでも明るい方がより正確に周囲が見える事に変わりはない。
魔王リリスが魔王軍を立ち上げる前の魔族たちは、小さな集落を築くような生活をしており、人間に比べて遥かに文明が遅れていたのだ。
元々の身体能力や魔力の高さで大抵の事は解決してしまう上、種族間での交流も少ないのだから文明が発達しないのも無理はないだろう。
しかし、今では魔王の下に複数の種族が集まり人間も含めた他の種族の技術や知識を次々吸収している為、加速度的に成長を遂げている。
特に類稀なる魔法の使い手であり、古代文明の技術をいち早く取り入れたがるミラージュが治めるこの土地は、安価な魔道具の照明が普及している為、こうした光景を目にする事が出来るのだ。
「気が付けば町も次々と発展して、大きくそして豊かになっていきますね。もし……あの時に私が四天王として選ばれていた場合、このような光景を目にする事ができたのでしょうか」
アスタルトはどこか哀愁を漂わせながら、ポツリ、と小さな声で呟きを漏らす。
前任の四天王である父の後を継ぐために幼い頃から努力を続け、いずれは四天王に抜擢されるだろうと本人だけではなく周囲にも期待されていた。
しかし、彗星の如く現れた仮面の魔族ミラージュの登場によってその夢は打ち砕かれてしまい、未だに副官としての地位に甘んじている。
常にミラージュを四天王の座から引きずり下ろすと宣言し、それに見合った努力も続け、副官としての仕事も完璧にこなしているアスタルトなのだが、今はどこか思うところがあるのだろう。
アスタルトは真面目な性格が長所であり、真面目過ぎるのが短所である、とミラージュは思っていた。
真面目であるが故に些細な事でも正面から受けとめてしまい、必要以上に責任を感じる傾向があるのだ。
ミラージュにはアスタルトが弱気な理由について心当たりがあり、一つ目が先日の狼魔族の村で黒皮病について無知と無力さと軽率さを痛感してしまった事で、二つ目がルウの事である。
一つ目については今更語るまでも無い事なのだが、もしミラージュいなかった場合には黒皮病の治療が満足に出来ないで下手をすると魔族領中、いや世界中に広がっていた可能性が高く、アスタルトには解決できない問題だった。
そして二つ目のルウが行方不明になったのがミラージュの休暇中、つまりアスタルトが四天王代行をしている最中に起きてしまったという事なのだ。
ミラージュは狼魔族の村にいる魔王軍の医療チームから、魔王城を経由してルウの行方不明については情報が入っていると推測していた。
四天王であるミラージュにアスタルトから連絡玉で知らせが入らないのは、冷たい言い方をすれば所詮は子供が一人いなくなっただけであり、休暇を邪魔してまでの緊急性が無いからである。
今はまだルウが攫われて一日にも満たず、王都に現れた情報を知らない者からすればただの家出である可能性も考えられるのだ。
しかし狼魔族の村は感染症が蔓延していた場所であり、既に終息しているとはいえ念の為、暫くは隔離しておく必要があった。
ミラージュであれば転移魔法ですぐに狼魔族の村に赴き調査する事も出来るのだが、アスタルトにはそれが出来ない。
勿論、アスタルトに限らず同じ四天王であるラファールやベディヴィア、クリューエルにも、魔王であるリリスですら不可能な事なのだが、それを馬鹿正直に受け止めてしまう超が付くほど真面目な副官がここに存在する。
「タルトちゃんは一つ大きな勘違いをしているね。僕が四天王だから発展しているんじゃなくて、君が副官として隣に居るからだよ。君が傍にいる事は僕にとってそれだけ重要なんだ。僕のパートナーとして信頼出来るのはタルトちゃん、いやアスタルト以外に存在しないよ」
「ミラージュ様……」
「それとね、君の真面目な性格は確かに美点だと思うし僕がいい加減な性格をしている事は認めるけど、部下が仕事で悩みを抱えているならそれを解決するのが上司の務めだよ。僕が休暇中なのを気にして相談できない事があるんでしょ?」
「どうしてそれを……」
「そんな事はタルトちゃんの態度で一目瞭然だよ。やっぱりいつもみたいに僕を罵倒してくれないと落ち着かないからね」
狼魔族の村で起きたルウの失踪事件の事を何も知らないはずのミラージュがいきなり聞くには、どうしても不自然な会話になってしまう。
だからこそ相手に自発的に話して貰う必要があるのだが、アスタルトの性格を考えると休暇中のミラージュに話す事は絶対に有り得ないだろう。
四天王代行として仕事を全うすると決めてミラージュを休ませている以上、アスタルトが中途半端な真似をするはずがない。
そうなると後は会話を上手く誘導するしかないのだが、幸か不幸か落ち込んでいるアスタルトの弱みに付け込んだミラージュは、ここで真骨頂を発揮させた。
勘違いを正す様に諭しながらも最大限の評価を述べて、上司としての立場や部下を見ている事を主張しながらも最後には冗談を交えており、アスタルトがいつもの様に毒を吐きやすい雰囲気を作り上げているのだ。
こうなってしまうとアスタルトの取れる行動は一つしかない。
「わざわざ罵倒されたいと言葉にするなんて本当にミラージュ様は底なしの変態ですね。正直反吐が出るほど気持ち悪いですし、折角の甘味もこれでは台無しになって不愉快です。そもそも自己管理が出来ていないミラージュ様が休暇を取ること自体が不満です。日頃から碌に働きもせずに休みだけはしっかり取るとは、本当にいい御身分ですね」
ようやくいつものタルトちゃんに戻ったかな、とミラージュは安心しながら仮面の下で口角を上げていた。
魔族として初めにやるべきなのはルウが攫われた時の情報を集める事なのだが、これでようやく本題が進むのだ。
ちなみにミラージュの中では王都に現れた自分の偽物にアスタルトが関与している可能性はゼロである。
そもそも、ミラージュの幻覚を作って不在を誤魔化すアスタルトは、その気になれば濡れ衣を被せる事などいくらでも出来るのだ。
その危険性を踏まえた上でミラージュはアスタルトの幻覚魔法を向上させる為の修行に幾度となく協力をしているのだが、先程のミラージュの言葉通りアスタルトへの信頼がなければあり得ない事である。
「本当に耳が痛いね。じゃあ普段サボっている分を少し取り戻そうと思うから、何か出来る仕事があれば教えて欲しいかな」
「そうですね、ミラージュ様にしては殊勝な心がけだと思います。実は先日訪問した狼魔族の村なんですが……」
こうしてアスタルトからルウが行方不明になった情報を聞き出せたミラージュは、堂々と狼魔族の村へ調査に向かう事が出来るのだ。




