狼魔族の少女ルウ2
「ルウちゃんだね、さっきも名乗ったけど僕の名前はファルサ。改めて宜しく」
「私はゼノビアだ。ルウ殿には不自由な生活を送ってもらう事になると思うが、我慢して欲しい」
「……ボクはユリアだよ」
ルウの挨拶に対して、ファルサ、ゼノビア、ユリアの三人もそれぞれ自己紹介を行っていく。
魔族であるルウが王都の中を気軽に出歩けるはずもなく家の中で過ごす事を余儀なくされる為、ゼノビアは敢えてそれを口にしているのだ。
ルウの見た目は十歳かそこらの女の子にしか見えないが、狼魔族の特徴でもある獣の耳と尻尾、そして魔族の証である真紅の瞳がどうしても目立ってしまう。
数日の間に魔族が現れた情報は王都中に広まる事になり、おそらくはルウの容姿についてもある程度は伝わってしまうだろう。
ヴァロワ王国では魔族に対して好意的な人間どころか、ゼノビアの様に中立的な考えをもった者ですら少ない。
殆どが魔族に対して敵意を持っているか恐怖を抱いている者ばかりであり、ユリアや南門に居た民衆の様な態度は珍しくないのである。
幼い子供の躾で悪さをすると魔族がやってくると言われる程、忌み嫌われている存在とも言えるのだ。
もっとも、魔族領と接しているヴァロワ王国北部は王都の比ではない程に魔族への弾圧が凄まじく、ルウがファルサのいる王都に現れたのは不幸中の幸いかもしれない。
「ファルサお兄ちゃん、ゼノビアお姉ちゃん、ユリアお姉ちゃん……」
ルウは一人一人の顔をしっかりと見つめながら、ゆっくりとそれぞれの名前を呼んでいく。
その際にルウが鼻をヒクヒクと動かしており、まるで相手の容姿と同時に匂いも覚えようとしている様にも見える。
人間の住む場所で周囲に頼れる家族や仲間もいないルウにとって、今この場にいる存在が己の命を握っているのだ。
勿論、ルウは子供でありそこまで複雑に物事を考えている訳ではないと思われるが、それでも本能的に察しているのだろう。
自分が家族の下に戻れるかどうかは、ここにいる四人の人間が大きく関わってくるのだと。
それは決して的外れな考えではなく、王宮でも上位に位置する地位を持つファルサとゼノビア、そしてフォルトゥナ教の聖女であるパルミナ、更には地位こそないものの民衆への影響力が強い勇者であるユリアまでここには揃っているのだ。
現にファルサはどうすればルウを魔族領に戻すことが出来るのか思考を巡らせており、現状の立場や状況を分析し続けていた。
「ルウちゃん、きちんと挨拶ができて偉いわね。さて、自己紹介も済んだところで……そろそろご飯にしましょうか。ファルサ君もゼノビアちゃんもお夕飯はまだでしょう?」
「ごはん!」
「ごはん!」
パルミナが両手をパンと鳴らして提案をすると、ルウやユリアは余程お腹が空いていたのか明らかに目を輝かせながら同じ言葉を発する。
既に日が暮れてから二時間は経っており、ルウやユリアに限らず体が空腹を訴える時間になっていた。
ユリアは自分と同じ反応をしたのが気になるのか、眉間に皺を寄せながらルウの方へ視線を移し、ジッと睨みつける様な表情を向けていた。
一方のルウは昼間のユリアの姿を思い出したのか、ビクっと体を震わせて、尻尾を小さく丸めて怯えた様子を見せている。
「ユリアちゃん、小さい子を怖がらせちゃ駄目でしょ。もう一度お話が必要かしら?」
「や、やだな、パル姉、ボクはそんな事はしないよ。さ、早くご飯を食べたいから台所へ行こうよ。ボクも手伝うからさ!」
「それじゃあ僕も二人の手伝いに行こうかな。ゼノビア、ルウちゃんの事は任せたよ」
「わ、私が……いや、そうだな、この場は任せてくれ」
パルミナが笑顔で問いかけると、ユリアは慌てた様子で否定し料理の手伝いを申し出る。
ユリアはそのままパルミナの腕を引っ張りながら誤魔化す様に部屋を飛び出したので、ファルサもゼノビアへ声を掛けてから後に続いて部屋を出ていくのだった。
料理の手伝いとはファルサの方便であり、実際にはパルミナがルウから得た魔族の情報を確認する事が目的である。
部屋に入る前の様子から察するに短時間で相当打ち解けて、必要な情報は概ね聞き出せているのだろう、とファルサは考えていた。
ゼノビアもファルサの行動の目的を理解し、一瞬戸惑いを見せながらも了承したのだろう。
ユリアはルウに少なからず敵意を持っており、パルミナとファルサが情報を共有するのならば、この場はゼノビアが担当する以外に選択肢がない。
しかし、ゼノビアにとって一つだけ問題があった為、ファルサの言葉に対して少し間を作っていたと思われる。
「ル、ルウ殿……ルウ殿は……例えば好きな人などいるのか?」
ルウへの呼び方から察する事が出来る通り、ゼノビアは子供と接する事が不得意であった。
ファルサは意外と子供の扱いに長けており、普段から孤児院に顔を出すパルミナは言うまでも無く、ユリアも相手が魔族でなければ遊び相手として親しくなりやすい。
しかし、ゼノビアが人生に於いて学んできたことは貴族令嬢としての嗜みと剣や戦いの作法が殆どを占めている。
侯爵家の娘ともなれば礼儀作法も厳しく躾けられており、一般的な子供らしい経験はしたことが無い上、子育ても使用人が中心となって行われるのだ。
故にゼノビアの知識の中には子供と接する方法などは存在せず、旅の最中は常にファルサたち三人に任せていた。
決して子供が嫌いという訳ではないのだが、どのように会話をしたらいいのかわからないのだろう。
そして実際にルウと二人きりになったゼノビアが発した言葉が、まるで不器用な父親が娘にする質問だった。
大抵の家庭ではお父さんに関係ないでしょと言われて父親が傷つくまでがお約束である。
「えーと……好きな人は……ミラージュお兄ちゃん。私が勝手に呼んでいるだけで、本当のお兄ちゃんじゃないけど」
「ほう、その歳ですでに恋慕している相手がいるのだな。そのミラージュと言う御仁はどのような方なのだ?」
随分といきなりな質問を投げかえられたルウであったが、先程パルミナと同じような会話をしていたおかげか、ゼノビアの言葉に少し戸惑いながらも正直に返事をする。
頬を少し赤く染めていかにも恋する少女といった様子であり、ゼノビアの方も感心した様子で掘り下げていく。
ヴァロワ王国では南の地を治めるクリューエル以外の魔王軍四天王についての情報は殆ど知られておらず、ゼノビアにとってミラージュと言う名前は聞き覚えがないのだろう。
「ミラージュお兄ちゃんは何でも知っていてとても頭がいいの。それにお父さんが言うには凄く魔法が上手で強いんだって。それに優しくて、病気で苦しんでいる私たちの村を救ってくれたの。お父さんもお母さんもミラージュ様となら結婚しても良いって応援してくれたよ」
「うむ、やはり知的で強くて包容力のある殿方は良いものだな。それに両親に認められていると言うのが素晴らしい。結婚した後の関係が良好な方が望ましいからな。異性が寄りすぎてしまうのは玉に瑕だが、それだけ魅力があるという証拠でもある訳だからな。その辺りは妻として上手く折り合いをつけていくしかあるまい」
ルウにとってミラージュは自身の命と村を救ってくれた英雄的な存在であり、恋い焦がれるのも仕方がない事である。
そしてゼノビアはルウの発言を聞いて、同一人物である事も知らずにファルサを思い浮かべて暴走している様子であった。
ルウは狼魔族の族長であるルヴトーの一人娘であり、優秀な後継者を産む事を期待されていると言っても過言ではない。
特に狼魔族は先の黒皮病の大流行で大勢亡くなっており、これから子孫を増やす必要があるのだ。
そして一方のゼノビアも跡取りである兄を失っており、クテシフォン侯爵家という大貴族家を存続させなければならない。
貴族については分家などから養子を迎え入れる選択肢もあるのだが、軍閥貴族であるクテシフォン侯爵家では文武両道の優秀な人物が求められる為、その基準も相当高い。
また、騎士団長であるゼノビアと釣り合いが取れる独身貴族の男など早々いる訳もなく、ゼノビア以外の騎士団長は例外なく既婚者で、年齢も倍以上離れていた。
奇しくも、ルウにとってのミラージュとゼノビアにとってのファルサは結婚相手としては最良と言っても過言ではなく、まさかお互いに同じ人物の事を話しているとは思わないだろう。
「もしかして……ゼノビアお姉ちゃんの好きな人も、やっぱりファルサお兄ちゃんなの?」
「な、ななな、何を突然言い出すのだ! 私とファルサ殿は、そ、そそ、そのような不埒な関係ではなくて……その……」
「じゃあ嫌いなの?」
「いや……そういうわけではないのだが……」
「あのね、お母さんが言っていたけど好きな人が出来たら周りに広めて外堀から埋めた方が良いんだって。牽制にもなるからちゃんと好きだって事をはっきりさせないと駄目って何度も言われたよ。それとね、もたもたしていると良い男はすぐに奪われちゃうからキセージジツを作るのが一番手っ取り早いんだって。キセージジツって良くわからないけど、きっと必要な事なんだね。私もお母さんに言われてミラージュお兄ちゃんのほっぺに……チュウしちゃったの」
「チュ、チュウだと! ル、ルウ殿の御母堂は凄い事を娘に教えているのだな。しかし……確かに一理あるかもしれん。既成事実か……うむ」
本来はルウの母親が幼い娘に何を教えているのかもっと突っ込むべきところなのだが、ゼノビアは随分と真に受けてしまったのか、何やら良からぬことを考えているようだ。
貴族や王族の結婚と言うのは本人の意思よりも家同士の繋がりや、政治的な思惑が前提となるのだが、中にはそれに抗う若者も当然ながら存在する。
身分差による悲恋などは演劇の中でも女性の人気が高く、ゼノビアも幼い頃から幾度となく鑑賞した事はあるのだろう。
少し過激な描写だと婚約者のいる貴族の女性が本当に愛している恋人と不貞を働き、わざと婚約破棄させるような内容もあるのだ。
それだけ貴族の結婚に於いて貞淑性とは大切な物であり、これを破る事は禁忌とされている。
しかし貞淑性の重要さを逆手にとって、下位貴族の娘が高位貴族の跡取り息子を誑かすような真似をする事もあり、貴族の社交界では常にそうした男女関係の噂が飛び交っていた。
もっとも余程の大物貴族であれば多少の問題などは権力と金で握りつぶす事も可能である。
そしてゼノビアの場合にはそういった身分の問題よりも、ファルサの女性関係の方が重要になるはずなのだ。
現在、ヴァロワ王国内で王位継承権一位であるアウレリア王女の懐刀であり、宮廷魔導士筆頭のファルサ・スペキエース子爵。
アウレリア王女と結婚して次期国王になるのではないか、聖女パルミナを手中に収めて宗教面から各国へ侵略をするのではないか、勇者ユリアと結託して魔族も含めた全種族を支配する皇帝になるのではないか等々、物騒な想像と共に女性関係についても何かと噂をされているのがファルサという男である。
本人が聞いたらそんな面倒はごめんだと否定する事は間違いないのだが、噂と言うものは得てして無責任な内容であるのはいつの世も変わらない。
しかしゼノビアにとってはどれも半分は真実味がある内容であり、少なくとも噂に上がる女性とファルサの関係がそれなりに親密なのがわかる程度には、近い距離にいた。
「ところでルウ殿、他に御母堂……いや、お母さんから聞いている助言はあるのか?」
「えーとね、お母さんがお父さんと結婚した時のお話だけど……」
ゼノビアはルウの母親について詳しく聞き始め、ルウもそれに応じて母親から聞いた様々な話を語っていく。
狼魔族の男は強くある事が第一に求められ、その伴侶は強い夫に付き従う……と思われがちだが決してそうではない。
狼魔族の女性たちは非常に強かであり、狙った男はあらゆる策を弄して逃がさないのだ。
勿論、根底にあるのは自らの魅力で男を落とす事なのだが、周囲への根回しも怠らない狡猾な一面もある。
ミラージュ自身が子供の戯れにしか思っていないルウの行動は、既に周囲への牽制になっており、族長の娘が相手では敵わないと諦めた狼魔族の女性が大勢いるのだ。
そんな狼魔族の女性が行う男女の駆け引きについて、相手が子供であろうと学ぼうとする向上心はゼノビアの美点でもあるのだが、明らかに間違えた方向へ進んでいるのは誰の目にも明らかだろう。
しかし、この場にはそうした指摘を出来る人物は居らず、ルウによる母親直伝の男を落とす技術講座はファルサたちが料理を終えて二人を呼びに来るまで続くのだった。




