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狼魔族の少女ルウ1

「二人ともお帰り、随分と遅かったね」


 ファルサとゼノビアがルウを匿う家に到着して早々、ふて腐れた様子のユリアが目いっぱい頬を膨らませて出迎えていた。

 ユリアは二階にあるルウが居る部屋の前で椅子に座って足を組んで、更には頬杖をついており、あまり行儀の良い恰好とは言えない。

 何故、魔族を毛嫌いしているユリアがここにいるかと言うと、ファルサへの罪滅ぼしである。

 ファルサやゼノビアの部下が数名、交代でルウの監視と警護に当たっているのだが、極秘の任務であるが故にあまり人員を裂く事は出来ないのだ。

 そこでユリアは本心では魔族を守るなどしたくないのだがファルサの役に立つと割り切って、自ら名乗りを上げたのだった。

 実際、勇者であるユリアが付いているならば実力的には問題が無く、また自分を刺したのをユリアが気にしている事を察して、ファルサはその申し出を承諾していた。


「遅くなってすまない。今までご苦労だったな」


「ただいまユリア、見張りを引き受けてくれてありがとう。会議が随分と長引いちゃってこんな時間になったけど。問題は起きていないかな?」


 いつもなら行儀が悪いと叱るゼノビアも、流石にユリアの複雑な心境を察しているのか、労いの言葉を口にするだけに留まっていた。

 いくら自ら志願したとはいえ、ユリアの魔族に対する蟠りが解消している訳ではなく、内心では何とも言えない気持ちであるのだろう。

 魔導士を憎んでいたゼノビアと魔族を憎むユリア、お互いに大事な家族を失う苦しみを知っているのだ。

 一方のファルサは、ユリアの頭をこれでもかと言わんばかりに撫で回しながら返事をする。

 ユリアは仏頂面をしながらもファルサの手の感触を堪能している様で、徐々に相好を崩し始めていた。


「むー、ファル兄はボクを撫でれば機嫌が良くなると勘違いしてやいないかい?」


「そんな事はないよ。これは僕がユリアの髪を触りたいからこうしているだけだからね。触り心地がとても良くて、いつまでも撫でていたいくらいだよ」


 普通ならば変態的な発言にも聞こえるファルサの言葉だが、ユリアにとっては全く違う意味に聞こえているのだろう。

 既に綻び始めた表情が一気にだらしのない笑顔になり、ファルサの後ろにいるゼノビアも呆れた表情をしている。

 散々見慣れた光景ではあるものの、ファルサはユリアの様子がいつも通りで安心していた。

 ファルサにとってはルウへ刺客が放たれる危険性よりも、ユリアの感情の方が心配であったのだ。

 しかし、パルミナも無理をしてルウに付き添ってくれている上、会議に向かう前のユリアの様子は落ち着いていた……と言うよりも自身を刺したことで大泣きして謝っていたくらいだったので、おそらくは大丈夫であろう、とファルサは判断していた。

 今後もファルサやゼノビアは忙しく動き回る必要があり、パルミナも明日には教会に戻らなくてはいけない。

 ルウは魔族であり、良からぬことを考える輩はいくらでも存在するのだ。

 身の安全を考えた場合、勇者として鍛えられているユリアがルウの警護を担当するのが実力的に一番安心できる。

 そしてファルサには、この機会を利用してユリア自身に魔族と言う存在を知ってほしいと言う思いもあった。

 復讐を遂げる事に反対をするつもりは一切ない、それでも全ての魔族がユリアの憎むべき相手ではないという事を。

 幸いにしてルウは人間の事をあまり知らない狼魔族の子供であり、交流を図りやすい相手とも言えるのだ。


「もう! 相変わらずファル兄はファル兄だね! もう! ……少し名残惜しいけど、いつまでもこうしていても仕方がないし部屋の中に入ったら? あの魔族は目を覚ましてからずっとパル姉と話しているみたいだからさ。何か情報を聞き出せたかもしれないよ」


 ルウを匿う一番の目的は情報を手に入れる為と言うのはユリアも理解しているのだろう。

 いつもならばじっくりとファルサを独り占めしているところを、今回は仕事を優先させようと自主的に促しているのだ。


「それじゃあ早速、魔族の少女とご対面してみるかな」


 ファルサにとってルウの名前は既に知っているのだが、それを本人の口から言わせたわけではないので、ボロが出ない様に注意をする必要がある。

 特に今はただでさえややこしい状況で、転移魔法や魔族についてなどファルサ自身が詳しく知っている事を敢えて知らない振りをしつつ、それでも情報を分析している振りをして予測を立てなければならないのだ。

 主観を排除し客観で物事を考える事は非常に難易度が高く、知っているからこそ出てしまう違和感をどれだけ拭い去る事が出来るのかが、ファルサの課題であった。

 しかもルウには狼魔族特有の鋭い嗅覚が存在する為、接触には細心の注意が必要である。

 特に狼化している状態の嗅覚は凄まじく、視界の悪い森の中でも獲物を見つけて狩りを行ったり、仲間の匂いを嗅ぎ分けたり出来るのだ。

 その為なのか、柄にもなく少し緊張した様子のファルサはノックをしようとドアに近づくと、中から明るい声が聞こえてきた。


「ルウちゃんはそのミラージュお兄ちゃんが大好きなのね」


「うん、ミラージュお兄ちゃんは凄く物知りで私や村の皆の病気を治してくれたの。お父さんもミラージュお兄ちゃんなら嫁に出しても構わないって言ってくれたから、お母さんみたいに大人の女性になったらお嫁に行くの」


 自分の事を知らないところで話されるのは少しくすぐったい感じがするな、とファルサは思いながらも、覚悟を決めてコンコンと軽く木製のドアをノックする。


「あら、ファルサ君たちが戻ってきたのかしら? 入っても大丈夫よ」


「失礼するよ。二人ともすっかり仲良くなったみたいだね。それとパルミナ、その子の相手をしてくれてありがとう」


「失礼する。パルミナ殿にはすっかり世話になってしまったな」


「……」


 パルミナの返事を聞き、ファルサとゼノビア、そして先程の笑顔からまた仏頂面に戻ったユリアの三人が、部屋の中へと足を踏み入れる。

 二人はベッドに腰を掛けて談笑していたようだが、急な来訪者に驚いていてしまったのか、ルウは少し怯えた様子でパルミナの後ろに隠れてしまう。

 部屋の中には二人以外の誰も居らず、パルミナが大人数だと目が覚めた時に怯えてしまうかもしれないと気を利かせていたのだ。

 ドアの前にいたユリア以外の見張りは、ファルサたちがいる部屋の真下にあたる場所や家の入口や裏口などで警戒にあたっている。

 ゼノビアやユリアは魔族と二人きりになるのは万が一の場合に危険であると意見したのだが、パルミナには問題ないと一蹴されていた。


「あらあら、この人たちは怖くないわよ。あっちのお兄ちゃんはファルサお兄ちゃん。ルウちゃんの事を守ってくれた人なのよ。覚えてないかしら?」


 パルミナは慣れた様子で安心させるような優しい声でルウに言葉をかけている。

 フォルトゥナ教が行っている活動の一つに孤児院の経営があり、昔のユリアも含めて親を亡くした子供たちの拠り所となっているのだ。

 司祭としての仕事の傍ら、パルミナは時間を作っては孤児院へ慰問を行っており、子供たちと遊んだり勉強を教えたりお出かけをしたりと、精力的に活動していた。

 ルウが騒ぎを起こしていた時も、商業区のある王都の南側で孤児院の子供たちと買い物中であった為、ゼノビアよりも早く南門に駆けつける事が出来たのだ。

 ファルサの命が繋ぎ止められたのは偶然の産物であり、助けられたファルサは勿論の事、冷静に回復魔法を使えなかったユリアも、その事を聞いて肝を冷やしていたのは言うまでもないだろう。

 ちなみにユリアはファルサたちが王宮へ向かった後に、パルミナからお説教を受けていた。

 本来のユリアの実力であればファルサの怪我を治すことは可能であり、冷静さを失ってはいけないという教えを改めて叩き込まれたのだろう。

 普段は温厚なパルミナのお説教は終始笑顔で淡々と諭されるものなのだが、その様子は言葉にできない迫力がある。

 孤児院にいるやんちゃな子供たちもパルミナが相手だと聞き分けが良くなるのは、教会関係者の間では有名な話なのだ。


「ファルサお兄ちゃん……私を守ってくれた人」


「はじめまして可愛い御嬢さん。僕の名前はファルサって言うけど、君の名前を教えてくれるかな?」


 ファルサはルウに目線を合わせる様に屈み、柔らかい微笑みを浮かべて丁寧に挨拶をする。

 一方のルウは返事をせずにジッとファルサの方を見つめ、そのまま少しの間固まってしまう。

 そして鼻から何度かスンスンと音を鳴らし、納得がいかないのか首を右へ傾け、次は左へ、そしてもう一度右に傾げて少し困った表情を浮かべていた。


「どうかしたのかな?」


 その動きにつられるようにファルサも顔を傾げながら再度声を掛けると、ルウはのそのそとベッドの上から降りて、そのままファルサへと近づいて腰の辺りに抱きついてしまう。


「ちょ、ちょっと何をしているんだい! ファル兄に抱きつくのはボクの特権なんだよ!」


 流石のユリアもこれには黙って居られないのかルウに対して文句を言い始めるが、ファルサは別にそんな特権を作った覚えはないと心の中でツッコミを入れていた。

 ファルサのお腹に顔を押し付けているルウは、先程と同じようにスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、ようやく言葉を発するのだった。


「違う……どうして……」


 納得のいかない様子のルウに、ゼノビアやユリアは何が何だかわからないと言った表情を浮かべ、パルミナはいつもの様に微笑みを浮かべている。

 当事者であるファルサは、表情こそ不思議そうな顔をしているのだが、内心ではホッと一息吐いていた。

 ルウは狼魔族であり、当然ながらミラージュの匂いを覚えている可能性がある。

 だが、ファルサがミラージュとして狼魔族の村に居た頃は治療に使う薬品の匂いが周囲に充満しており、ルウ自身も黒皮病を患っていた為、そこまで可能性は高くないだろう、とファルサは予想していたのだ。

 いくら鼻の利く種族と言っても、子供であるルウはそれを利用しての狩りをした経験は無く、普通ならば特定の人物の匂いを細かく覚えておく事は出来ない。

 しかし、ルウにとってミラージュは命の恩人でもあり、そしてその小さな胸に秘めている感情は間違いなく恋であった。

 ミラージュ自身は子供のした事だと気にも留めていなかったが、ルウにとっては勇気を振り絞って気持ちを伝える為の行動が、あの時の頬へのキスなのだ。


「うーん、僕の匂いがどうかしたのかな?」


「ご、ごめんなさい。お兄さんの匂いが私の知り合いと似ている感じがしたからつい……。でも、気のせいだったみたいです」


「匂い……僕ってそんなに匂うのかな……ははは」


「ファ、ファル兄の匂いは凄く落ち着くいい香りだよ! 間違いなくそうだよ!」


「そ、そうだぞ! 私もユリアに同感だ! 一日中着ていた下着の匂いでも私は大歓迎だぞ!」


 ルウは慌てて飛び跳ねる様にファルサから離れ、再びパルミナの後ろに隠れてしまう。

 そしてファルサはルウの言葉にわざと落ち込んだ様なフリをすると、ユリアとゼノビアは良くわからないフォローの言葉を投げかけた。

 最近はどうにも匂いの話題が多いような気がするな、とファルサは呑気な事を思いながらも、念には念を入れて保険を掛けたのが正解だったと胸を撫で下ろす。

 ファルサは南門で現れた相手が狼魔族であると判明した時点で、今と同じように幻覚魔法を発動させ、更には初夏から二か月は西風が吹くヴァロワ王国の気候を考慮し、なるべく風下に立つように注意を払っていたのだ。

 しかし、ルウを庇う為にユリアの剣を受けて意識を失った時に魔法の効果が切れてしまった上、お互いの距離が非常に近いものとなってしまう。

 ルウ自身は混乱しておりその場ではすぐに気が付かなかったようだが、それでもその鼻にはしっかりとファルサの匂いが届いてしまい、先程はもう一度確認する為に行動を起こしたのだろう。

 ファルサの幻覚魔法はアスタルトと比べると格段に効力が薄いのだが、それでも狼魔族の子供であるルウの鼻を誤魔化す程度には臭覚へ働きかける事は可能である。

 他人の匂いを忠実に再現することは出来なくても、自分自身の匂いを誤魔化す程度ならば問題はないのだ。

 ただ、ファルサにとって幻覚魔法はアスタルトに任せている部分もあった為、自ら使うのはかなり久しぶりの事であり、上手く扱える自信はあまり無かった

 もっとも、魔法の天才であるファルサの基準での自信である為、実際に失敗する可能性は殆どないと言っても過言ではない程度ではあり、他の魔法使いたちがそれを知ったら間違いなく大騒ぎするだろう。

 普通の魔法使いの認識における幻覚魔法は、それほど簡単に扱えるものではないのだから当然と言えば当然である。


「ルウちゃん、ほら、さっき教えた通りに挨拶してみて」


 パルミナがそう言って自身の後ろに隠れているルウに声を掛ける。

 どうやら今まで待っている間に挨拶まで教えていたようで、ルウは再度ゆっくりと前に出てきて、両手を胸の前に置きながら、チラリとファルサたちの顔を見上げて言葉を発するのだった。


「えーと、その、さっきは私の事を助けてくれてありがとうございます。私は狼魔族のルウって言います。宜しくお願いします。私に出来る事があれば言ってください」


 ペコリとお辞儀をしているルウの言葉はパルミナに教わった事をそのまま言っているのだろうが、それでも十分に立派な姿である。

 ルウにとって今いる場所は家族も知り合いもいない人間の領土であり、小さな子供にとっては不安で仕方がないはずなのだ。

 この場で泣き喚いたり、暴れたり、逃げ出したり、子供ならばそのどれをしてもおかしくないのだが、ルウは違っていた。

 パルミナと何を話していたのかはわからないが、ルウは彼女なりに前に進む為にこうした態度を取っているのだろう。

 そんな姿にユリアはやはり複雑そうな表情をし、ゼノビアは感心している様子であり、パルミナはいつも通りの聖女らしい微笑みを浮かべている。

 そしてファルサ自身は必ずルウを両親の元に届けようと、密かに決意するのだった。




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