陰謀の予兆1
「ユリア、武器は?」
「一応、護身用の短剣だけ。でも大丈夫、魔族は絶対にこの手で倒してみせるよ」
「……あんまり魔族を甘く見ない方が良いと思うけどね」
「ファル兄……ボクはこの日の為に今まで勇者として修業を積んできたんだ。ちょっと予定より早くなったかもしれないけど、絶対にボクが仕留めるからね」
ファルサは走りながらユリアへ確認を取りながら会話をすると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
そもそも王都周辺に魔族が現れた事など今までなかったことであり、当然ながら二人とも戦う準備など整えているはずがない。
しかし、今のユリアは明らかに興奮した状態であり、短剣だけでも飛びかかっていきそうにも思える。
それにしてもどこの魔族がどうやって、そして何のためにこの王都まで乗り込んできたのか、ファルサには皆目見当が付いていなかった。
魔族は赤い瞳に限らず角や尻尾、翼など、とにかく外見上の特徴が目立ちやすい為そう簡単に人間の国へこっそりと侵入する事は出来ないのである。
これが魔族領と接しているヴァロワ王国北部ならまだしも、ここは王都であり王国のほぼ中央に位置する場所だ。
街道などを通った場合には途中の関所などで正体が見つかる可能性が高く、だからと言って人が少ない場所、つまり魔物が多く生息するような森や山を抜けてくるのは至難の業である。
いくら強靭な肉体を持つ魔族と言っても魔力や体力には限りがあり、常に危険と隣り合わせの状態で誰にも見つからない様に神経をすり減らしながら王都に来る必要があるのだろうか。
仮に何らかの目的があったとしても南門と言う利用者が一番多い場所で目撃されるなど、密かに潜入した意味がなくなってしまう。
ファルサがそのような思考を巡らせているうちに、二人はいつしか人だかりが出来ている南門へとたどり着いていた。
もし危険が差し迫っているならば、もっと逃げ惑う様子があってもおかしくないのだが、随分と野次馬たちが多く残っているようだ。
「宮廷魔導士筆頭ファルサ・スペキエースと勇者ユリアだ。状況を報告しろ」
ファルサはその場にいた衛兵の一人を捕まえて状況を聞き始めた。
二人そろって懐から王国発行の身分証も取り出し公的な立場である事を示すと、衛兵はすぐに敬礼を行い状況の説明を開始する。
「ハッ! い、今から十五分ほど前に、門の外で顔を仮面で隠した人物が大声で魔族であると名乗りを上げてから、ローブを纏った魔族を一人置いて逃走致しました。その後、残った方の魔族がうなり声を上げると狼のように変化したため、警備隊が即座に包囲致しました。現在も警備隊十名が交戦中であり、既に王宮へ応援も要請しております。仮面を被った人物に関してはあまりに咄嗟の事でそのまま逃がしてしまいましたが、残った魔族に関しては捕獲して情報を引き出すつもりかと思われます」
狼に仮面、今回の騒動を引き起こした首謀者の目的はまだわからないがファルサには嫌な予感しかしなかった。
「ありがとう、とりあえずここは僕たちで何とかするから君たち警備隊は一般人の避難を優先してくれて構わない。これは宮廷魔導士筆頭としての命令だ。南門の警備責任者にもそのように伝えてくれ」
衛兵に向かって一方的に命令を下したファルサは、ユリアと共に途轍もない跳躍力で人垣を軽やかに飛び越えて、南門の外へと飛び出した。
騎士団や魔導士ならまだしも、魔族を相手に門の警備隊程度では役者不足にも程がある、そうファルサは考えていたのだ。
魔族は個体数が少ない分、普通の人間相手ならば十倍の戦力差があったとしてもひっくり返すだけの潜在能力を秘めている。
特に体を大きく変化させる獣化魔法を使用する魔族の殆どが身体能力に長けており、肉弾戦ならば無類の強さを誇るのだ。
しかし、ファルサの目に飛び込んできたのは魔族を相手に善戦する警備隊の姿であった。
獣化している割にはその背丈はユリアと変わらない、いや、それ以下にも見えるほど小柄な狼魔族と思われる者は、唸り声を上げながら警備隊に向かってその腕や足を振り回している。
そのスピード自体は流石の魔族と言えるものなのだが、明らかに攻撃が単調であり、警備隊の面々は一定の距離を保ちながら難なく交わし続けていた。
三名、三名、四名の三隊で狼魔族を逃がさないように取り囲み、相手の動きに合わせて巧みな連係で陣形を崩さずに動いている。
おそらくはファルサやユリアたちの様な強者が来るまでの時間稼ぎに徹しているのだろう。
「あれは……狼魔族の子供?」
警備隊が囲んでいる狼魔族の体躯や戦闘中の動きから、ファルサは相手がまだ子供である事に気が付いた。
狼魔族たちは狩りを生業としている戦闘種族であり、大人であればそれなりの戦闘経験があるのだ。
しかし、目の前で暴れている狼魔族は力任せに攻撃をするばかりであり、戦いの仕方と言うものを全く理解している様には思えない。
そこに体の小ささが加わり、ファルサはあれがまだ狼魔族の子供であると推測していた。
「魔族……村の皆の仇……ああああああ!」
予想外の光景にファルサが驚いていると、ユリアが雄たけびと共に狼魔族へ飛びかかっていく。
普段の元気で明るいユリアとは全く違い、眼を見開き眉間に大きな皺を作っているその表情は明らかに憎悪に満ちていた。
警備隊の面々は突然の闖入者に一瞬驚いたものの、キャップが外れて白い髪がむき出しになったユリアを見て勇者だと気が付いたのか、包囲を崩さないまま狼魔族との距離を大きく取り始める。
「勇者様だ、勇者ユリア様だ!」
「白髪の勇者様だ! 魔族を打ち滅ぼす救世主!」
警備隊が善戦している為か避難もせずに南門の周辺で野次馬をしている人々が口々に歓声を上げ始める。
白髪の勇者ユリア、それは王都に住む者ならば子供でも知っている呼び方であり、魔族に対抗するべく立ち上がった悲劇の少女として広く認識されていた。
魔族に心を壊された者は老人でもないのにその髪は燃え尽きた灰の様に真っ白になり、残りの一生を廃人として過ごす事になる。
ヴァロワ王国民であれば一度は聞いたことがある、魔族の恐ろしさを語った一説である。
だが、ユリアは例外的に正気を保ったままの状態で発見され、王都の孤児院で過ごした後に勇者候補生となって今に至る。
それでも王都以外では白い髪は廃人の証と思われることが多く、王都でもすぐに正体がばれてしまう為、ユリアは髪を短くして帽子を被っている事が多いのだ。
今では趣味となっている帽子集めも、元々は自身をあまり目立たせないようにするために始めた事であった。
「ユリア……」
短剣を片手に何度も攻撃を仕掛ける勇者ユリアと、持ち前の身体能力で寸での所で躱し続ける小柄な狼魔族。
ファルサは複雑な気持ちでその戦いを眺めていた。
かつて魔族に村を滅ぼされ全てを失ったユリアは、復讐する力を得る為に勇者となったのだ。
勇者としての修業は騎士以上の剣と魔導士以上の攻撃魔法、そして教会の神官以上の神聖魔法を同時に手に入れる事を目的としている為、並大抵の辛さではない。
今でこそ旅をしながらそれなりにのんびりと過ごせていたが、勇者候補生の間はそれこそ寝る時間以外は朝から晩まで血反吐を吐くような訓練を行っていた。
ユリアと同じように勇者を志していたものの、途中であきらめた者も大勢いる。
白髪のユリアに対して心無い言葉を浴びせる様な輩も存在した。
しかし、それでもユリアは心折れる事無く勇者としての道を歩き続けてきたのだ。
全ては自らの村を滅ぼした、家族や友人達を殺した魔族に復讐をする為に。
そして今でこそ明るく振る舞っているユリアではあるが、ファルサが勇者候補生に魔法の訓練を行っていた頃は常に冷たい眼をしており、同一人物とは思えない程の変化を遂げている。
「お前たちのせいで! お父さんもお母さんも! 村の皆も! 許さない! 絶対に許さない! ボクは……私は魔族を、そして魔王を必ず倒すんだ!」
今のユリアは魔族への復讐心から昔のユリアに戻っていた。
ファルサが危惧していた事の一つでもある、ユリアは魔族の姿を見た時に冷静さを保っていられるのかという疑問の答えが目の前にある。
魔族を捕えて潜入目的などを探るのが優先事項であるのに対して、ユリアが攻撃で狙っているのは首や胸など急所ばかりであった。
拙い戦闘技術の狼魔族と、冷静さを失っている勇者ユリア、両者の戦いは長引くかと思われたがあっけなく幕切れを迎える事になる。
「あ、あう、魔力が……」
獣化魔法を使用する魔族は身体能力を上げる強化魔法も併用している為、魔力の消費量が多い。
だからこそ余程の訓練を積んで効率的な魔力運用を覚えない限り長時間の戦闘には耐えられないのだ。
ファルサたちが駆け付けるまでの十五分、そしてユリアとの戦闘で早くも魔力切れを引き起こしたのか狼魔族の体が元の姿に戻っていく。
全身が一回り程小さくなりその場にへたり込んだ狼魔族は、ファルサの良く知る少女のものであった。
「ル――」
――ルウ――
思わず口から名前を出しそうになるのを寸での所で堪えたファルサだったが、その内心の動揺は計り知れないものであった。
つい先日、黒皮病に苦しんでいたがファルサの治療によって元気な姿を取り戻していた狼魔族の少女。
そう、狼魔族族長であるルヴトーの一人娘であるルウがその場にいたのだ。
ヴァロワ王国の北にある魔族領、その中でも北東部にある森の中に狼魔族は住んでいる。
普通の方法では王都まで移動する事は出来ない為、それこそファルサの持つ転移魔法でもない限り不可能は話である。
そしてファルサは一つの結論に辿り着く、これは自分を陥れる為の策謀である事に。
仮面を付けた魔族が狼魔族の少女と共に突然王都に現れたという話が魔族領に伝わった場合、真っ先に疑いの眼差しが向けられるのは転移魔法の使い手である。
間違いなく狼魔族の村ではルウがいない事が騒ぎになり、後々に行方不明になった時間と王都に現れた時間の差を計算する事になるはずだ。
その時、幻影のミラージュはファルサとして王都に居る為、当然ながらアリバイと呼べるものはなく、またどこで何をしていたか話す事も出来ない。
更に魔族領からと王都まで転移できる幻魔族など、魔王軍四天王であるミラージュ以外に過去にも例はなかったのだ。
「とどめだああああああ!」
ファルサが対策を考える暇も無く、勝機と見たユリアが咆哮を上げながら狼魔族の少女――ルウ――に短剣を向けて飛びかかる。
ルウは既に魔力を失い、その紅い瞳には怯えの色しか映っていないのだが、ユリアは魔族への復讐で頭がいっぱいなのか気が付いていないようである。
おそらくユリアの瞳に映っているのは幼気な少女ではなく、紅い瞳を持った憎き悪魔の姿だろう。
一方のルウは強化魔法の反動のせいなのか、それとも恐怖によって体がすくんでいるのか、身動き一つ取れないでいた。
ユリアの短剣はルウの急所目掛けて襲い掛かり、瞬きをする間もなく周囲には鮮血が飛び散った。
「な、なんで…」
しかし、ユリアは目の前の光景が信じられないのか、肉体に突き刺さり血の滴る短剣の柄から手を離して、一歩、二歩、と後退りをする。
そこにはルウを庇ってユリアの凶刃を背中で受けたファルサの姿があった。




