正しい休日の過ごし方2(ミラージュ編)
魔王城から転移したミラージュが姿を現した場所は、魔族領の西側にある四天王ベディヴィアの城であった。
基本的に城の名前は四天王の二つ名がそのまま付くもので、ミラージュの城が幻影城、ラファールの城が疾風城と呼ばれているのだが、ベディヴィアの城は違っていた。
城に二つ名をつける事自体も魔王軍法で定められたものではなく、ただ単に名前を考えるのが面倒な為そのような方法がとられているのだが、ベディヴィアは違っていた。
――鬼魔城――それが彼女の付けた自身の城の名前である。
自分たちの種族名である鬼魔族から取ったのは明白であり、ベディヴィアの性格を考えると意外にも思えるほどまともな名前になっていた。
そんな鬼魔城の一室、ベディヴィアによってミラージュ専用に用意された部屋に転移用の魔力印の一つが刻んである。
この部屋がある場所は、ベディヴィアやその副官が住んでいる部屋もある区画で、無断で立ち入ろうものなら命の保証は出来ないと言われているのだ。
同胞である鬼魔族からも畏怖される程、四天王ベディヴィアは圧倒的な実力を有しており、逆らって返り討ちにあった者も少なくない。
「んー? ミラージュなのー?」
もぞもぞとベッドの中から間延びした声を上げて這い出てきたのは、この城の主である、ベディヴィアだった。
ミラージュと違って純粋な魔族であるベディヴィアはあまり睡眠を必要としない。
しかし、ベディヴィアはその必要のない睡眠、つまりお昼寝を趣味としているのだ。
実際には既に夜なので昼寝と言うのも少し違うのだが、ベディヴィアは昼夜問わず気が向いた時にベッドでゴロゴロとする。
勿論、眠気などないので深い眠りにつくことなど滅多にないのだが、それでもこうしてベッドに潜り込んでいるのだ。
「こんばんはベディ、お昼寝のお邪魔をしちゃったかな?」
「そんな事ないしー。ミラージュも一緒に寝るのよー。寝る子は育つのー」
そう言ってベッドから降りたベディヴィアは、その小さな手でミラージュの腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく。
咄嗟にミラージュは強化魔法を使って何ともない風を装っているが、ベディヴィアの二つ名は――膂力――であり、その腕力は魔王軍一である。
この可愛らしい動作一つでも、常人ならば体ごと簡単に持って行かれてしまうほど、途轍もない力を秘めているのだ。
「ベディ、実は君と明日にでもお出かけをしようと思ってここに来たんだよ。でも、今お昼寝をしちゃうと、その打ち合わせが出来ないなぁ。困ったなぁ。明日はお出かけ出来ないなぁ」
ミラージュがどう考えてもワザとらしさのある口調でベディヴィアに対して言葉を投げかけると、先程まで掴まれていた腕がパッと離される。
ベディヴィアは基本的にマイペース、悪く言えば我儘であるのだが、その見かけと同じくまだまだ子供なのである。
鬼魔族の成長は非常にゆっくりとしたものであり、たとえ百歳だとしても人間で例えるならば十歳くらいの子供と何ら変わりがない。
その上ベディヴィアは鬼魔族の中でも圧倒的な強さを誇り、幼い身でありながらも自由に振る舞い続けていたのだ。
肉体的にも精神的にも成長するのはまだまだ先の話であり、寧ろ生まれ持った才能だけで四天王になったと言って過言ではない。
そんなベディヴィアの懐いている数少ない相手であるミラージュが困っていると言えば、そのまま信じてしまう程、純粋でもある。
「お昼寝も捨てがたいけどお出かけの方が大切なのー。早くフェオの所に行くのよー」
「はいはい、それじゃあ執務室に向かおうか。おんぶと抱っこ、どっちにする?」
「抱っこー。ベディはお姫様なのー」
フェオとはベディヴィアの副官でもある鬼魔族の女性だ。
先日行われた魔王と四天王たちの会議にも参加しており、ベディヴィアの代わりに実務の殆どを引き受けている。
鬼魔族は悪い言い方をしてしまうとあまり賢くない為、事務仕事ができるフェオのような存在は大変貴重であった。
しかし、途轍もない力を秘めたベディヴィアとは対極とも言えるほど、フェオの戦闘能力はあまり高くない。
それでも副官の地位に付いているのは、何よりベディヴィアとの相性が他のものよりも良かった事が一番大きいのだろう。
実際、荒事は全てベディヴィアがこなし、雑務はフェオが纏めて行う事で魔族領の西部は上手く治められており、どちらが欠けても今の状況は成り立たない。
「それじゃあ、フェオさんに会いに行こうか」
「いくのよー!」
慣れた手つきでベディヴィアを抱きかかえたミラージュは、部屋を出て執務室へと歩みを進めていく。
ミラージュの三分の二ほどしか身長のないベディヴィアは、その体重も三十キロに満たないほど軽い。
この体のどこにあんな力があるのか本当に不思議だな、とミラージュはいつもの事ながら思っていた。
ミラージュも頻繁に使用する強化魔法は術者に筋力があるほどその効果も上がり、そのまた逆もしかりなのだ。
ベディヴィアの小さな体は、どこからどうみても筋肉があるようには思えない為、魔王軍七不思議の一つとして密かに語られていた。
ちなみの七不思議の一つに、ミラージュの仮面の中身についてもあるのだが、当の本人は気が付いていなかった。
「ところでベディはあの部屋で何をしていたんだい? お昼寝なら自分の部屋でも出来るだろう?」
「あのベッドはミラージュの匂いがするのー。快適だしー」
そんなに僕の体臭って残るのかな、もしかして加齢臭じゃ……、とミラージュは自身の年齢を気にし始める。
幻魔族は唯でさえ希少な存在で、ミラージュの父親自体も病気で亡くなっている為、実ははっきりとした寿命や成長過程がわからないのだ。
その上、人間と魔族のハーフでもあるミラージュの様な例は過去に報告されていない。
もしかしたら報告が無いだけで存在するのかもしれないが、ミラージュと同じように隠している場合はどちらにしてもわからない事である。
約三百歳のミラージュの外見は二十代にも見えるのだが、魔族の見た目と年齢は一致しない。
既に中年期に差し掛かっているのかもしれないし、逆にまだまだ青年期である可能性もある。
こればっかりはミラージュ自身が歳月を経て知る以外に方法は無い為、密かに自身の加齢について気にしているのであった。
「まあ、ベディが気に入っているなら僕としては構わないけどね」
「ミラージュはベディのお気になのー」
そう言って体に抱きついてくるベディヴィアを落とさぬように、ミラージュは両腕を使ってバランスを取る。
先程までお姫様のように運ばれていたベディヴィアだったが、今度は抱きかかえられる赤ん坊のような状態になっていた。
そのまま城の廊下を練り歩くミラージュたちが城で働いている魔族たちがすれ違うたびに、微笑ましいものを見る様な眼を向けられるのはいつもの事である。
しかし鬼魔族のベディヴィアが四天王として君臨している城であるにも関わらず、先程からすれ違う魔族たちの姿は多種多様であり、種族の偏りがあまりない。
ミラージュの様な例外は別として、本来であれば鬼魔族を中心とした構成になるはずなのだが、今のところ一割ほどに留まっていた。
また、他の種族と違い、鬼魔族たちはミラージュとベディヴィアに対してはどことなく気まずそうな顔をして会釈をすると、足早に去って行ってしまう。
どうやらまだまだ時間はかかりそうだな、とミラージュが思いながら歩き、程なくして執務室へと到着する。
ミラージュが片手でベディヴィアを支えながらノックしようとするが、内側から誰かが出てきたのか、ゆっくりと執務室のドアが開かれた。
「姫様、ミラージュ様! 今しがた魔王様からご連絡があったのでお迎えに上がろうと思っていたのですが……」
「フェオさん、こんばんは。急な訪問でごめんね。とりあえず中でお話させてもらってもいいかな?」
「フェオー! 明日はお出かけなのよー。準備するしー」
ドアから出てきたのはベディヴィアの副官であるフェオ本人であり、お互いに言葉を交わしながらそのまま執務室の中へと入っていく。
部屋の中はミラージュの幻影城とそこまで変わりはないようで、机や椅子がいくつも並んでおり、ところどころに書類が山のように置かれていた。
乱雑としたスペースから少し離れた、話し合いの時に使われるテーブルとソファがある場所へ移動し、ミラージュは腰を下ろす。
ベディヴィアはそのまま膝の上に乗っており、副官のフェオは地図と幾つかの書類を持って、ミラージュの横へと座り込んだ。
「ミラージュ様、今回発見された遺跡ですが、ここ鬼魔城から南西方向にあるこの辺りになります」
「どれどれ……ああ、この辺りなら近くに転移も出来るから問題ないですよ。早ければ明日からでも調査に行けますけど……」
「お出かけだしー、お出かけなのよー」
フェオがミラージュの体と触れ合う距離を保ちながら、今回見つかった遺跡の場所を指し示す。
眼鏡をかけて真面目な表情をしているものの、前のめりになった事で胸元が強調されており、途轍もない色香を放っていた。
フェオやベディヴィアの服装は東方の浴衣と呼ばれるものの亜種であり、その丈は膝が出るほどに短く作られている。
特にフェオの着ている浴衣は胸元の開きも大きく、唯でさえその真っ白でふわふわとしていそうな胸元が露出しているのだ。
そんな状態で前かがみになると、どのような事態が起きるかは一目瞭然なのだが、ミラージュは気にせずに言葉を返す。
距離感が近く、胸元に隙が多いのは本人も無自覚に行っている事であり、中途半端に指摘してしまうとその白い肌を真っ赤に染めて照れるほどである。
その事を誰よりも良く知っているミラージュが今更どうこう言う訳も無く、特にこうして周りに人が居ないのならばあまり気にしないでいた。
そして仕事嫌いとは思えない程に調査をする事に対して乗り気であるミラージュであったが、次に告げられたフェオの言葉に一瞬固まってしまう。
「姫様や私は特に問題はございませんが……その……アスタルト様は大丈夫でしょうか? 魔王様から、副官であるアスタルト様がお休みになるミラージュ様の代わりに調査を行う予定だったと伺っているのですが……。しかし、先程の連絡の際にミラージュ様がお越しになるので、詳しい事は改めてその時に決めてほしいと……」
ミラージュの休みを魔王に進言したのはアスタルトであり、その間の仕事を代行するのもアスタルトである。
つまり、普段のミラージュが行っていたことをそのままアスタルトが請け負うのは当たり前の事であり、まだ見ぬ古代文明の書物に浮かれていたこの仮面の男はそんな簡単な事にも気が付いていなかった。
まずい、絶対にタルトちゃんに怒られる、とミラージュは確信する。
そもそもアスタルトの厚意で貴重な休暇を手に入れたにも関わらず、こうしてホイホイと遺跡調査を行う気であり、その上アスタルトの仕事を奪う様な真似をしているのだ。
アスタルトはアスタルトで予定を考えているはずであり、勝手に話を進める事も出来ない為、一度確認を取る必要がある。
少なくともミラージュの事はリリスが伝えているだろうが、それでもミラージュが直接話さなければいけないだろう。
「あー、その、ちょっとタルトちゃんのところに行ってくるから、少し待っていてくれないかな。ベディも良い子にして待っていられるよね?」
「……ご武運を」
「ベディは良い子なのよー。ミラージュ、気をつけるのー」
「ありがとう。……はぁ、それじゃあ行ってきます」
若干、挙動不審気味なミラージュは、ベディヴィアをフェオの膝に移動させながら言葉を発する。
フェオもアスタルトの事は良く知っている為、気遣う様な言葉を投げかけ、ベディヴィアもお出かけをする事でご機嫌なのか素直に従っている。
そのままミラージュはその場に魔力印を残し、深いため息を吐きながら転移を開始した。




