王都での再会5
「……あれから僕たちの忙しさは日に日に増していったよね。宮廷魔導士の綱紀粛清だとか騎士団との関係修復だとか、色々な仕事を押し付けられた気がするよ」
「うむ、あれ以来、ファルサ殿の活躍は目覚ましく、宮廷の膿が次々と洗い流されていったからな。様々な功績が認められてファルサ殿は宮廷魔導士筆頭、私も白百合騎士団の団長にまで成れたのだ。ファルサ殿は元々優れていたから当然の結果と言えるが、私はあの時の挫折が無ければそのまま成長できなかったかもしれないと今でも思っている。本当に、ファルサ殿と出会えて良かったと心の底から感謝している」
そう言って真剣な表情でファルサを見つめるゼノビアだったが、段々と恥ずかしくなっていったのか、その頬に朱色が差し始めていく。
面倒くさがりのファルサにとってはあまり喜ばしくない思い出なのだが、おそらくゼノビアにとっては二人で苦難を乗り越えた経験であり、特別な想いがあるのだろう。
実際に二人の苦労は並大抵の事ではなく、長い年月をかけて腐敗していたものを四年足らずで大きく変えているのだから、その道筋は険しく厳しいものだった。
刺客に命を狙われたようなことも幾度となくあり、特にアウレリア王女以外の後ろ盾もなく、魔導士たちに目の敵にされていたファルサに対する攻撃はかなりのものであった。
もっとも、こうして宮廷魔導士筆頭として日々を過ごしているという事は、その全てを跳ね除けた証左でもある。
そしてファルサの女性を口説く能力も、女性の刺客を対処しているうちに益々上達してったと言っても過言ではない。
男を暗殺するのであれば女を利用するのが手っ取り早く、それを効率的に解決するには逆に相手を裏切らせればよいのだ。
結果として刺客の裏切りによって失脚した貴族も大勢おり、今ではファルサに対して女性の暗殺者が送られることは無い。
「うん、僕もゼノビアと会えたことは、人生の転機と言えるかもしれないよ。あのまま無為な日々を過ごすくらいなら、宮廷魔導士は辞めていたと思うからね」
「じ、人生の転機だなんて……ファ、ファルサ殿は少し気が早いのではないか。まだ私たちはそういう関係では……ん? あああ!」
ファルサの言う人生の転機と、ゼノビアの言う意味では全く違う内容なのだろうが、本人たちは相変わらずかみ合わない会話を行っている。
しかし、自らの発言で何かを思い出したのか、ゼノビアが突然大声を上げた。
「ゼノビア、急にどうしたの?」
ファルサは少し心配そうに目の前にいるゼノビアに問いかけるが、すぐには返事がなく、少しの間をおいてようやく動き始めるのだった。
「……ファルサ殿、ランドタートルを討伐した後の約束を覚えているか?」
「ん? 約束って再戦の話だよね? 勿論、覚えているよ。もうすぐゼノビアの誕生日だからね、その時は全力でお相手させてもらうつもりだけど」
基本的に全力を出さないファルサなのだが、ゼノビアの剣技は既に至高と呼べる域にあり、手を抜いて戦えるようなレベルではない事を察していた。
何でもありのルールであれば遠距離から魔法を使う事のできるファルサが圧勝するのは間違いないのだが、以前と同じように武器を使った戦いならば勝敗はわからない。
初めての決闘ではゼノビアがまだ成長途中であり、更には冷静さを失っていた為、簡単にあしらう事が出来た。
しかし、あれから四年経ちゼノビアは心身ともに大きく成長しており、更には強化魔法の練度も大幅に上がっているのだ。
旅の最中はあくまでもユリアの修業がメインである為、ゼノビア自身はあまり積極的に魔物を倒していなかったが、その剣の腕前はヴァロワ王国一とも言われている。
ゼノビアが白百合騎士団長に任命された最大のきっかけとも言える御前試合。
それは王国の中でも精鋭と呼ばれる騎士だけが集められて行われるトーナメント形式の試合であり、国王陛下が直々に天覧される誉れ高いものである。
その試合の出場者に選出されるだけでも騎士の名誉であると言われているのだが、ゼノビアは他の騎士たちを次々と打ち破り優勝していた。
力や経験で勝る男性の騎士や騎士団長クラスの人間も参加していたのだが、その全てを倒しているのだ。
この時、ゼノビアの名声は王国中どころか国外にまで轟き、その後は白百合騎士団の団長に昇格、そして勇者の専属講師となり今に至る。
十代の女性としては破格の出世と功績であり、アウレリア派の一人としてファルサと肩を並べるほどに成長していたのだ。
アウレリア王女が王位継承権第一位の理由には、ファルサの功績だけではなく、ゼノビアの活躍も間違いなく加味されているのだろう。
ヴァロワ王国ではアウレリア王女を中心として若い世代が次々と頭角を現しており、勇者ユリアの存在も合わさって、魔族との長い戦いの歴史に終止符が打たれるのではないかと期待されているのだ。
「うむ、全力で戦ってもらえるのは私としても喜ばしい……いや、その事ではなく、私たちの……け、けけ、け、結婚についてだ」
そんな期待を掛けられている人物の一人であるゼノビアは、騎士としては大変優秀なのだが、ファルサの事になると途端にその面影がなくなってしまう。
今この場には、ヴァロワ王国の歴史を変えるとまで言われている強さと凛々しさを持ち合わせた騎士はどこにもいない。
モゴモゴとどもりながら、顔を真っ赤にして上目づかいでファルサの方を見つめている、恋する乙女が一人いるだけである。
彼女が団長を務める白百合騎士団の団員たちは、男性騎士以上に勇ましく戦うゼノビアの事を敬愛しているが、彼女たちがこの姿を見たらどのように思うだろうか。
「ん? 結婚?」
はて、いつの間にそんな話が出ていたのだろうか、とファルサは思い返すものの、自身の記憶の中に思いあたるものはなかった。
血統主義の貴族には嫌われているものの、公には二十四歳で通しているファルサへの婚姻話はそれなりに多い。
それもそのはずで、成り上がりという事は裏を返せば、余計なしがらみがない存在であり、下位貴族たちからすれば結婚相手としては十分すぎるほどの好条件である。
子爵位を持ち、天才的な魔法の腕前で宮廷魔導士筆頭になり、更には王位継承権第一位であるアウレリア王女の右腕的存在なのだ。
ファルサと縁を結ぶという事は、将来的にはヴァロワ王国の中枢を担う可能性が高まる為、地力のない貴族にとっては出世の近道にもなる。
しかし、ファルサ自身はどのような条件でも結婚の話は断っており、本人も今のところそのつもりはなく、身に覚えがないのは仕方がない事だろう。
「ちょっと待ったー! ゼノビアが中々戻ってこないから二人で何をしているのかと思ったら、ファル兄もゼノビアも何をしているんだい!」
大声と共に脱衣所の扉を開け放ち、ぷんぷんと怒りを露わにするユリアが飛び込んでくる。
その後ろにはアウレリア王女と、パルミナも続いており、入室のタイミングから考えても明らかに先程まで聞き耳を立てていた事が伺える。
「ユリアさんがお腹を空かせてうるさいものですから様子を伺いに来ましたが、とんでもない事件が発生しましたわ」
「ユリアちゃんったら、何度もお腹を鳴らしちゃうくらいだったのよ。それにしても面白い話をしているのね、私も詳しく聞かせてほしいわ」
あ、間違いなく面倒な事が起きる、とファルサは予感して大きなため息を吐く。
先程までのファルサは大きな悩みを抱えて落ち込んでいたはずなのだが、一転してまるで喜劇の様相を呈していた。
二人の思い出話でそれだけ長い時間経っていたのが原因ではあるのだが、ゼノビアの爆弾発言以外にも問題があった。
風呂上りでのぼせていたファルサはまだ上半身が裸の状態であり、一方のゼノビアはそんなファルサを抱きかかえた為に服が濡れて体に張り付いているのである。
そして二人の距離は異様に近く、何かいかがわしい事をしていた様にも見える上、先程の結婚発言である。
誤解を招くには十分すぎる程、状況が整っているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! まだ、この話には続きがあるんだ! きちんと説明するから落ち着いてくれ!」
「……何となく予想が着いてきたけど、とりあえず僕は着替えてもいいかな? 流石にこのまま会話を続けるのもどうかと思うし、ユリアもお腹が空いているなら先にご飯にしようよ。話はその後でも構わないだろう?」
誤解を招いた発言をしたゼノビアは必死な様子で言葉を返し、一方のファルサは極めて冷静に提案をする。
五人が集まっている場所はファルサの家の脱衣所であり、とてもゆっくり話をするような場所ではない。
そもそも、ゼノビアがこうしてファルサの所に来たのは、ユリアがお腹を空かせている事が原因なのだ。
「うー、確かにお腹は空いているからご飯は食べたいけど……絶対に後から詳しく聞かせて貰うからね!」
ファルサの発言は尤もであり、ユリアは渋々と言った様子で引き下がり、アウレリアやパルミナも素直に従うのだった。
それからファルサとパルミナが食事の支度を行い、ゼノビアは一人で話を整理する為か考え込み、アウレリアは王宮へ使いを出して、ユリアはソファの上でうーうーと唸っていた。
料理については勇者パーティとして旅をしている最中に交代で行っているので全員が最低限は出来るのだが、それでもパルミナやファルサが担当する頻度が高い。
ファルサは過去に百年単位で引きこもった経験があり、当然その間はちょくちょく自炊をしていたので手慣れている。
パルミナに関しては教会の炊き出しや、孤児院への慰問などで料理をする機会が多かったのだ。
ゼノビアは元々侯爵家で育っている為、料理をする機会は少なく、ユリアに関してもあまり経験が無いので、お世辞にもその腕前はあまり良いとは言えない。
旅をする中で食事と言うものは日々の活力を与えてくれるため、やはり美味しいものを食べたいと思うのは当然の事である。
アウレリアについてはそもそも王女で料理などはするわけもなく、王宮への使いについては予定よりも戻るのが遅くなる事を考えての判断なのだろう。
ファルサの家からほど近いところを巡回していた警備兵にとっては、いきなり自国の王女に王宮へ手紙を届ける様に言われたのだから、災難であったに違いない。
いくら王宮を抜け出すのが日常茶飯事とは言え、王女がその間に誘拐などされてしまっては大問題となる。
アウレリアの手紙を読んだ護衛たちは、急いでファルサの家に向かう事になるのだろうが、そこは公になっている貴族としての屋敷であり、今五人がいる場所ではない。
護衛たちはいつもの様に、アウレリア王女の悪戯心に振り回される事になるだろう。
「そ、れ、で、改めてボクたちにも解かるように説明してくれるんだよね?」
ファルサとパルミナの手料理に舌鼓を打ったユリアは、少し前までは満足そうな顔を浮かべていたものの、すぐに表情を引き締めてゼノビアをファルサに問いかける。
これから尋問の対象となるファルサとゼノビアは隣同士で座っており、対するユリアはテーブルを挟んでその反対側の中央に座っていた。
パルミナはユリアの右隣りでいつものように微笑み、アウレリアは食後の紅茶を片手に黙っている。
「まず初めに言っておくが、これから話す内容はファルサ殿も関知していない事なのだ。だから何かがあったとしても私に責任がある事を理解して欲しい」
そう言ってゼノビアは対面にすわる三人に真面目な顔で目配せをすると、各々が頷いて理解を示す。
改めてフウ、と大きな息を吐いたゼノビアは、先程の結婚発言について話をし始める。
「じ、実はだな、以前私はファルサ殿に決闘を挑んで負けた事があるのだ。アウレリア王女殿下はご存じかもしれませんが、四年ほど前の事です」
「勿論覚えておりますわよ。私が二人に森の調査を命じて、ランドタートルの討伐をして帰ってきた時の事でしょう。あの時は王国中が大騒ぎになりましたわ」
ファルサとゼノビアが行ったランドタートルの討伐――正確にはファルサだけで倒したのだが、表向きは二人でという事になっている――は、当然の事ながら反響が大きかったのだ。
過去に何度も人々を苦しめた災害の様な魔物を、当時の年齢で自称二十歳のファルサと十三歳のゼノビアの二人だけで討伐し、更にはそれを予見したのが我儘王女と言われていた十二歳のアウレリアなのである。
この功績を皮切りにアウレリア派の宮廷内での大躍進が始まったとも言われており、ファルサもゼノビアも後日、国王陛下から直々に褒賞を与えられていた。
森の調査が数日遅れていただけで、とてつもない被害が生まれるところであり、知らせを聞いた国王陛下含めて国の上層部には冷や汗が流れていた事だろう。
「何となく、あの時の決闘が原因だと思うけど、もしかして責任って言っていたのはそう言う意味だったのかな?」
ファルサは既に大よその事情を察しているのか、理解している様子でゼノビアに問いかける。
「う、うむ。後になってから結婚については私の早とちりである事は理解したのだが、実は……その……父上に……話してしまったのだ。私を決闘で負かした者がいるとな。ユリアたちにも解かりやすく言うと、当時の私と決闘をするという事は……つまり……け、結婚を申し込むのと同じ意味なのだ。当然、これは父上も知っているのだが……その……私が十八になってからファルサ殿と再戦し、その後に、け、けけ、結婚すると言ってしまったのだ」
言いにくそうに何度も言葉を詰まらせ、視線を左右に泳がせながらもゼノビアは説明をする。
ユリアたちにとってファルサとゼノビアが行った当時のやり取りなどはわからないままだが、この発言だけで大よその事情は掴めたのだろう。
特にユリアなどは目を見開いて、驚きのあまり固まってしまっている。
ゼノビアの父であるクテシフォン侯爵にとって、ファルサは愛娘が唯一認めた相手であるのだ。
幾度となく舞い込んだ縁談を全て断り、騎士学校でも自らの力で叩き伏せてきたゼノビアが、ようやく結婚を意識したのである。
現在、血の繋がった子供がゼノビアしかいないクテシフォン侯爵にとって、大事な跡取りが出来ることは喜ばしい事であるのは間違いない。
「でもゼノビアはさっき、早とちりに気が付いたって言っていたけど……まさか……」
「うむ、実は父上とはそれ以来、忙しくてなかなかゆっくりと話す機会が無く、私自身も忙しくてすっかり忘れてしまい……その……誤解を解いていないのだ」
ファルサの問いかけに、ゼノビアは気まずそうに答えを返す。
誤解したままのクテシフォン侯爵にとって、ファルサはゼノビアの婚約者として見做している可能性が高いのだ。
四年前のあれがここに来て新たな面倒事の火種になるとは、とファルサは頭を抱えるのであった。
ユリアたちが集められたのと同じく、引退した身とはいえ軍略に長けているクテシフォン侯爵も今回行われる対魔族の会議に召集を受けているはずであり、間違いなく近日中に顔を合せることになる。
魔族と人間の争いとは別の戦いが、王都で繰り広げられる日は近い。




