四天王のお仕事2
魔王軍に入隊して以来、ミラージュは余人の前で仮面を外したことは一度もない。
魔族の王たる魔王の前ですら貫き通しており、逆にそのような事を許させるだけの能力がミラージュにはあるという証左にもなっている。
「あいかわらず、ミラージュたんはいけずやなぁ。その綺麗な瞳を持つ素顔、ウチ凄く気になるわぁ。……ベッドの上でなら全部さらけ出してくれるんかな?」
魔王は妖艶な声色でミラージュを見上げながら、そのルビーの様に紅い瞳をチラリとベッドの方へ向ける。
普通の男ならば十人が十人とも堕ちてしまうような誘いの言葉ではあるが、ミラージュはため息を吐きながら魔王の肩を押して自身の胸元から引きはがす。
「はぁ。別にベッドの上でもさらけ出しません。そんなくだらない事を言ってないで、さっさと本題に入ってください。火急の件と聞いていますよ」
実際には遅れる言い訳探しをしていたりもしたのだが、それを棚に上げているのはいつもの事だ。
「幻魔族の男は皆、そない淡泊なんか。まぁ仕事の話をしよか。実は西部に住む魔族が一部反乱を起こして、砦に立て籠もっているんや。結構堅牢な砦なんやけど、壊すには惜しいねん。せやから後は……わかるやろ?」
幻魔族――それは魔族の種族の一つでミラージュの父もこの幻魔族であった。
元々、繁殖能力の低い魔族の中でも特に数が少ない珍しい種族で、魔族の坩堝である魔王軍にもミラージュ以外に幻魔族の血を引くものはいない。
そして幻魔族には固有魔法と呼ばれる、種族限定の魔法が存在する。
「僕の転移魔法で砦の内部に兵を送るんですね。いつも通りの仕事だから別に構いませんが、それなら他の四天王でも対応できるのではないですか。別に正面から突破しても構わないのでしょう?」
転移魔法――それがミラージュの持つ固有魔法の名前だ。
その名の通り、自身や他者を自在に別の空間に移動させることが出来る魔法で、数多の希少な魔法の中でも幻の存在とまで言われている。
使い手の幻魔族自体がそもそも少数な事と、過去の魔王軍にも幻魔族は在籍した記録はあるが有効距離が短かったり、自身しか移動できなかったりと、転移魔法自体の扱いが非常に難しい為、半ば伝説のように扱われてしまっている。
「他の四天王言うても、残虐のアホは相変わらず人間の領土を攻めるのにご執心やし、他の二人は……アカン、論外や。砦もろとも吹き飛ばすに決まっているやろ。こういう繊細な作戦は幻影のミラージュたんにしか頼めんのや」
四天王はその能力や性格に応じて、二つ名で呼ばれる事が多い。
幻影はミラージュ自身の転移魔法を用いた戦い方から付いており、残虐はその名の持ち主の性格から付いている。
ミラージュは残り二人の四天王の顔を思い浮かべ、確かにあの二人は細かい事が苦手で力押しのタイプだな、と納得する。
そして残虐に関しては考えたくもない相手なので、頭の中から存在を綺麗に消去していた。
「それならばウチのタルトちゃんに任せても良かったのでは? 僕が言うのも何ですが、彼女なら四天王と同等の力があると思いますし、魔法の使い勝手もいいですよ。実際に僕の幻影という名の半分以上は彼女の功績です」
ミラージュはここぞとばかりに自身の部下を推薦し、とにかく仕事をするのを避けようとしている。
希少な固有魔法持ちは給与が上がると言われ、転移魔法の存在を面接時に話した時からこうして便利な運び屋として扱われている。
結果としてミラージュの功績で戦果が上がり、また転移できる人数や距離も過去に在籍していた幻魔族とは比べ物にならない程強力なため、こうして四天王まで上り詰めてしまったのだ。
既に手遅れではあるが、これ以上戦果を挙げるとミラージュの夢である隠居生活が余計に遠のいてしまう、そう考えての発言である。
「最初はタルトたんでも構わないと思うて連絡したんやけど、本人がミラージュたんを推薦しとったで。幻影城から砦に移動する時間を考えたら、ミラージュたんが転移魔法を使った方が結果として早く作戦を完遂出来るってな。捕虜となっている兵士もおるし、確かに出来る限り早い方がウチとしても助かるからな。それでこうしてミラージュたんを呼び出したんや」
幻影城――四天王ミラージュの居城――と件の砦は確かに距離があるため、タルトちゃんの意見はもっともだ、とミラージュは一人納得する。
しかし自分で依頼を受けていれば功績として評価されるのに、きちんと結果を重視して考えている辺りが生真面目なタルトちゃんらしいと思いながらも、逃げ場がなくなってしまった事でミラージュは憂鬱そうにため息を吐いた。
「あー、わかりましたよ。それじゃあ、いつもの様に兵の集合場所は練兵場でよろしいですか?」
自分がやらなくてもいい事は全力で回避して、どうしてもやらなくてはいけない事は迅速に済ませるのがミラージュの信条だ。
別段に真面目だからという訳ではなく、元々は趣味である読書の時間を最大限確保する為だったが、結果として仕事が早いという評価に繋がってしまっている事に、本人は未だ気が付いていない。
勿論、二度手間になるのを嫌っている為、巧速――巧遅と拙速から用いた造語――と例えるべき働きぶりなのが、余計にその能力を買われている原因なのは言うまでもない。
「もう送り込む兵には待機させとるからよろしく頼むわー。マナポーションも多目に用意してあるでー。数は百ちょいやし、ちょっと大変かもしれんけどな」
ミラージュは自身の転移魔法の効果について、かなり過小に伝えている。
元々は無理をさせられない様に、いや、楽をしてサボれるように最低限これくらいの能力なら問題ないだろうと思って報告したのだが、他者から見ればそれでも脅威に映ってしまったらしい。
ミラージュの全魔力で同時に転移できるのは百名程度、有効範囲は一名ならば魔族領内全域、転移させる質量に反比例して範囲は短くなる、それが他者の認識している能力だ。
しかし実際にはその百倍の数でも問題なく、魔力印――魔力で刻み込む目印の様なもの――さえ設置していれば距離も魔族領のみならず世界中に移動する事ができる。
それだけ規格外の魔力を有しているミラージュだが、楽をして稼ぎたい一心で過小報告した為、パフォーマンスとしてマナポーション――魔力を回復させる薬液で、非常に苦い――を飲みながら転移魔法を行う事になってしまっていた。
楽をするための嘘が、結果として転移魔法を使う度に苦い液体を大量に飲まされるという結果になったのは自業自得と言えるだろう。
「あー、もう準備できていたんですね。……それじゃあ、僕はこれで失礼しますね」
飲用には適さない苦さのマナポ―ションの味を思い出し、自身の判断を若干後悔しながらも、ミラージュは魔王に一礼して踵を返す。
「よろしくたのむでー。やっぱりミラージュたんを見出して良かったわー。ご褒美も期待しとってなー」
何を隠そう、ミラージュの能力を知って四天王まで推し上げたのは他ならぬ魔王本人だ。
いくら強力な固有魔法があるとはいえ、魔王軍の種族派閥とも言われる四天王にはそう簡単になる事は出来ない。
現にミラージュを除く他三名の四天王は、魔族の中でも絶対数が多い種族に属しており、前任者も皆一様に同じ種族であった。
そんな中、次期四天王と目された相手を差し置いてミラージュが四天王に抜擢されたのは、魔王の推薦が原因であるとも言える。
ミラージュにとって不幸なのは、魔王本人には全く邪気がなく、純粋にミラージュの能力を埋もれさせるには惜しいと思っての行動であるという事だ。
「別にもう、これ以上お金はいらないんだけどなぁ。ご褒美なら四天王解任か、長期休暇にして欲しいよ」
魔王の部屋を離れ、練兵場に向かうミラージュは本日何度目になるのか、大きなため息を吐きながら一人ごちる。
次期四天王と目されていた人物が聞こうものなら、間違いなく激昂するような発言であるが、ミラージュにとっては偽らざる本心であった。
「魔王様も素直にタルトちゃんを四天王にしてくれればなー。僕なんかよりよっぽど真面目で四天王に向いていると思うのに。そうすればタルトちゃんも少しは態度が柔らかくなるのかな」
次期四天王と期待されていたアスタルトを、その座を奪ったミラージュの部下として着かせる采配、例えるならばまさに魔王の如き所業といえるだろう。