【過去編】ファルサとゼノビアの出会い3
「……」
「……」
アウレリア王女の勅命が下されてから三日後、ファルサとゼノビアの二人は、王都から北西方向へ進んだ場所にある森の中を歩いていた。
この森は定期的に魔物の駆除がなされており、今二人が居る浅い部分では滅多に魔物が出る様な事はない。
その為、普通であればもう少し気楽に行動できるものなのだが、ファルサもゼノビアも無言で足を進めていた。
それは決して周囲を警戒しているからという訳ではなく、移動中も含めた三日の間、殆ど会話らしい会話が両者の間には発生していないのだ。
「ちょっと待ってくれないかな」
ファルサが何かを発見して様子で、前を歩くゼノビアに声を掛ける。
「……何だ、貴様の無駄話に付き合う時間はないのだが」
眉間に皺を寄せながら、嫌々と言った風にゼノビアは振り返るが、それでも反応はするようだ。
この三日の間、ファルサはゼノビアとの会話を必要最低限にする事に徹しており、精々が道中での宿泊時に翌日の出発時間を確認していた程度である。
事前にアウレリア王女から進行予定表も渡されており、お互いにそれを見ながら行動をしてきたのだ。
おそらくはこの様な事態になると予想したアウレリア王女が機転を利かせた結果なのだが、ファルサにとっても都合が良かったのだろう。
ゼノビアと行動を共にすることが確定事項となった以上は、どのようにすれば円滑に任務をこなせるかファルサが考えた結果、用事があるとき以外は話かけない人間と言う印象を持たせることにしていたのだ。
会話をしたくない程に嫌われている事については様々な理由は考えられるが、とにかく必要な時に無視をされてしまうのは一番困る、とファルサは思っており、案の定ゼノビアも仕方なしに反応を返しているので、作戦は成功と言えるだろう。
「この樹の幹についている新しい爪痕は、高さや大きさから言ってアウルベアの縄張りを示すマーキングだよ。本来はこんな森の浅い場所にはいない魔物だ」
「……随分と詳しいのだな」
ゼノビアは意外そうな顔をしているが、基本的にこのような知識は狩人などの森に詳しい者でないと知りえないのだ。
だからこそ、ファルサの発言に驚いているのだろう。
「まあ、魔物の生態については一通り頭には入っているよ。可能性としては、より強い魔物に縄張りを奪われて、仕方がなく移動したと考えるのが妥当だけど……どうやら、餌にも困っているみたいだね」
そうファルサが言葉を発しながら辺りを見渡すと、周囲に高さ三、四メートルほどの魔物がぞろぞろと現れ始める。
顔は一見するとフクロウの様でもあるが体格は熊そのものであり、涎を垂らしながらファルサとゼノビアに近づいてくる。
前方からは四体、後方には六体が、久しぶりに見つけた上質な獲物を逃すまいと言わんばかりに、二人を囲っていく。
「とりあえず僕は後ろを相手にする、君は前を頼んだよ」
「お、おい、貴様は魔法使いだろう。武器を構えて何をするつもりだ?」
ファルサは手に持っていた杖を構えると、後方のアウルベアたちと向かい合い、一方のゼノビアも困惑した様子で剣を構える。
ゼノビアの、と言うよりも一般的な常識から考えると、魔法使いであるファルサの行動は常軌を逸しているのだろう。
これは多くの魔法使いに言えることなのだが、基本的に魔法を唱える際には魔力を練り上げて発動する為、ある程度の時間が必要になるのだ。
その間は隙が多くなる為、魔法を専門に扱う魔法使いが魔力を練り上げる際には、前衛として敵を引き付ける仲間の存在が重要となる。
ヴァロワ王国でも強力な魔族や魔物と相対するときには、騎士たちが前線に立ち、魔導士たちが後方から魔法を唱えるのを戦法の基本としているのだ。
「どうやら無駄話をしている時間は無いみたいだよ」
「っく、意趣返しのつもりか!」
先程のゼノビアが発した言葉をそのまま返すと、ファルサはオウルベアの群れに飛び込み、ゼノビアも反対側へと駆け出した。
どちらにしても囲まれている以上取れる作戦は、一度に前後両方を相手にするか片方を瞬時に殲滅する以外にない。
ゼノビアは困惑しながらも、既にファルサが動いてしまった以上は反対側の相手をするしかないと思ったのだろう。
「てや! は! ……これで終わりだ!」
ゼノビアは流れる様な剣筋で次々とオウルベアたちを切り裂いていき、僅か十秒にも満たない間に四体のアウルベアを全て仕留めていた。
若干十三歳にして白百合騎士団に任命された騎士ゼノビアは、ファルサと同じくその名を轟かせている。
侯爵令嬢という身分でありながらも幼い頃より剣を持ち、その才を一途に伸ばし続けていたのだ。
特にここ数年の剣にかける情熱は鬼気迫るものがあり、本来であれば十五歳から入団可能となる騎士団に、特例で認められるほどの実力を有していた。
「おい、貴様! さっさと下がって……!」
後方のアウルベアと対峙する為に、瞬時に振り向いてファルサへと声を掛けるゼノビアだったが、目の前で繰り広げられている光景に言葉を失った。
四匹目のアウルベアを倒したゼノビアが振り返った時、魔法使いであるファルサがアウルベアの首を切り飛ばしていたのだ。
アウルベアの大きな体がドスンと音を立てて崩れ落ちると、森の中には静寂が訪れる。
「そ、そ、そんな馬鹿な! 貴様は一体何をしたのだ!」
ゼノビアが声を荒げてファルサに問いかけるのも無理はないだろう。
ファルサの周囲には同じように首を切り落とされたアウルベアの死体が、六体並んでおり、ゼノビアとほぼ同じ時間で二体も多く倒しているのだから。
「何って……この杖は仕込み刀って言ってね、東方由来の品で手入れは大変だけど、中々便利だよ。まあ魔物相手じゃ油断したところを狙えないけどね」
「っ!」
見当違いの事を答えるファルサにゼノビアは声を失い、二の句を継げられないでいた。
ファルサの口ぶりには一切の気負いがなく、出来て当たり前のことをしただけであり、てっきり珍しい仕込み刀に興味を持ったのかと勘違いするほど、アウルベアの事など歯牙にもかけない様子なのだ。
相手は魔法使いで、ゼノビア自身は騎士であり剣こそが専門である。
武器を使った戦闘において今現在の結果だけを見れば、魔法使いであるファルサに騎士であるゼノビアが負けているのだ。
幼少より剣の天才と持て囃され続けてきたゼノビアが、ただの魔法使いであるファルサに劣っている。
当然、それはゼノビアにとって耐えがたい屈辱を感じる事になるのだろう。
「おい、貴様! 確か名をファルサと言ったな?」
「え? ああ、うん、そうだけど」
いきなり名前を聞かれたことに驚いたファルサは、間の抜けた声で返事をしてしまう。
この三日間、ゼノビアに何かを問われるような事は一切なく、最低限の会話においても貴様と呼ばれていたのだ。
「騎士ゼノビア・ド・クテシフォンは、魔導士ファルサへと決闘を申し込む!」
「は? はあ?」
ゼノビアは左手に着けている白い手袋を外して右手に持つと、そのままファルサの足元へと投げつけた。
この子は一体何を考えているのだろう、とファルサはゼノビアの内心が理解できないでいた。
今二人が居る場所は魔物の住む森の中であり、しかもアウレリア王女の勅命で調査に来ているのだ。
まかり間違っても決闘などをしている場合ではなく、明らかにゼノビアは冷静さを失っている様に見える。
とにかくアウルベアの血で汚れてはいけない、とファルサは思いながら手袋を拾うのだが、これまで人間の慣習についてさほど興味を持っていなかったことが災いしてしまう。
貴族の決闘は左手の手袋を投げて申し込み、相手がそれを拾うと了承の意味になるのだ。
「ふん、迷いなく拾うとはどうやら自信があるようだな。さあ武器を構えろ!」
「え、ええ!?」
もしかしてこれは対応に失敗してしまったのでは、とファルサが思った時には既に遅く、ゼノビアは険しい表情で剣を構えていた。
ファルサが感知している限り今のところ周囲に他の気配はない。
誤解を解くことよりも、ここでさっさと決闘を終わらせた方が効率的だな、とファルサは考え、同じ様に仕込み刀を構えはじめる。
やらなくても良い事はやらずに、やらなくてはいけない事は迅速に。
魔族相手に何度も決闘を行ったことがある経験から、どうせこの手のタイプは言っても聞かないだろうと判断したファルサは、己の信条に従っただけなのであるが、相手は魔族ではなく人間の、それも十三歳の少女で精神的に未熟な相手である。
「行くぞ!」
ファルサが武器を構えたのを確認したゼノビアは、正々堂々と合図の声を出してから、距離を詰めていく。
非常に騎士道精神溢れる行動ではあるのだが、ファルサにとっては必要のない事であった。
魔王軍で近接戦闘について叩きこまれた際に常在戦場、つまり常に戦場にいる心構えでいろと言われ、毎日の様に少しでも隙があれば攻撃を仕掛けられていたのだ。
その為、読書中であろうと、食事中であろうと、基本的に襲われても対処できるようにファルサは日頃から警戒を怠らない。
だからこそ、律儀に切りかかってくるゼノビアの攻撃など、容易に受け流すことができるのだ。
ファルサは刀の腹で勢いを殺す様に剣をいなし、ゼノビアの足を払ってその場に仰向けで転ばせると、間髪入れずに相手の喉元寸前に刀を突きたて、勝利を宣言する。
「はい、これで僕の勝ちだね。さ、早く調査の続きをしようよ」
そう言ってゼノビアに手を差し出すファルサだったが、その右手はバチンと音を立てて弾かれてしまう。
「……に……な。…かに…るな。ばかにするな、馬鹿にするな、馬鹿にするな! なんで、なんで、なんで、なんで! うう、うわああああああ!」
ゼノビアは勢いよく立ち上がるとぶつぶつと呟き、最後には涙を流して大声で叫びながらその場から走り去っていく。
騎士の命である剣を置き去りにして、武器を持たない状態で森の奥へと向かっていくゼノビアを、ファルサは驚きのあまり黙って見ている事しか出来なかった。
「はぁ……これって何かあったらやっぱり僕の責任になるんだろうなぁ」
深いため息を吐きながらも、ファルサはゼノビアの剣を手に取って小走りで追いかけ始める。
今まで強気に振る舞っていたゼノビアの涙を見てしまったファルサは、自身にも説明できない焦燥感にかられてしまったのか、走る速度が知らず知らずのうちに徐々に上がっていた。
確か年齢はあの子と同じくらいだったよな、とファルサはゼノビアについて知っている事を思い出しながら、森の中を駆けていく。
それは人間に興味のないファルサにとって、珍しい思考なのだが、本人にその自覚はなかった。




