【過去編】ファルサとゼノビアの出会い1
春の木漏れ日が差し込むヴァロワ王宮の庭園にあるベンチの上では、一人の男が寝そべりながら読書に勤しんでいた。
白と赤を基調としたローブを身に纏っている事から、ヴァロワ王国の誇る宮廷魔導士の一人である事が伺える。
ローブの肩にあたる部分には魔文字――魔法の行使を助ける為に使用する文字――で七の数字が刻まれており、彼が宮廷魔導士第七席である事を示していた。
「先輩! ファルサ先輩! こんな所にいたッスか。探しましたよー」
ベンチの上に寝そべる男――ファルサ――に、同じく白と赤を基調としたローブを身に纏う少女が、ようやく見つけたと言った様子で小走りに近づいて話しかけている。
彼女のローブには何の数字も刻まれておらず、おそらくは宮廷魔導士見習いであるのだろう。
しかし見習いと言っても王宮に取り立てられているだけでも、十分な魔法の才能があると認められている証拠であり、その中でも特に優秀な人物に席次が与えられている。
俗に宮廷魔導士筆頭と呼ばれる第一席をトップに、その数字が小さいほど実力が高いと言われており、ここにいる読書中の男は宮廷魔導士の中でも七番目に位置している事を示している。
一般的には席次持ちと見習いを一緒くたにして宮廷魔導士、もしくは省略して魔導士と呼ばれる事が多い。
また、魔法を扱う者の事は総称して魔法使いと呼ぶ。
言わば、宮廷魔導士というのは魔法使いの中でも選ばれし人物だけが任命される、エリート中のエリートという事になるのだ。
「ん? あぁ、君か。そんなに慌ててどうしたんだい。ティータイムにはまだ少し早いみたいだけど」
ファルサは何ら慌てる事もなく、のんびりとした調子で後輩の魔導士に言葉を返す。
時刻はまだ昼を少し過ぎた頃であり、確かにティータイムまでは些か早いようにも思える時間帯である。
ここ王宮の庭園でも、お茶の時間には高貴な身分の者たちが訪れるのだが、今はまだ人気も少なく、ファルサにとっても静かに読書が楽しめる場所なのだ。
「先輩酷いッス。自分はそんなに食いしん坊じゃないッス! そんな事よりも王女様がご立腹ッス! 先輩がサボると自分が文句を言われるッス」
それにしても暑苦しい女の子だ、とファルサは心の中で思いながらも、実はそこまで悪い気はしていなかった。
宮廷魔導士見習いたちは、席次持ちの宮廷魔導士に半ば弟子入りするような形で付き従うのが慣例なのだが、ファルサの場合は事情が違っていた。
我儘王女と悪評のある人物の推薦で無理やり任命された上、出自も定かではないという理由から、他の魔導士たちに疎まれ軽んじられていたのだ。
しかし、その実力は確かだからこそ第七席の地位には付いているのだが、多くの宮廷魔導士見習いにとっては、どれだけ力があろうとコネも家柄も何もないファルサに弟子入りする理由がないのである。
宮廷魔導士見習いの出世には大まかに二つの道があり、一つはファルサの様に席次持ちとなる事だが、当然ながら非常に難しい狭き門である。
ファルサも含めて席次持ちの宮廷魔導士は七人しかおらず、何百人といる見習いたちがその地位に着くまでには、空きが出るのを待ちながら日々鍛錬や研究に励む事になるのだが、当然、そこまで忍耐力のある人間と言うのは少ない。
殆どの場合は二つ目の道、貴族や大商人のお抱え魔法使いとしての道を選ぶのが一般的で、師事している席次持ち宮廷魔導士のコネや家柄の繋がりで紹介を受けて、上位貴族たちに高給で雇われることを目的としている。
だからこそ、いくら実力があろうとぽっと出の成り上がり者であるファルサに人が集まるはずもないのだが、ここにいる暑苦しい少女だけはどうやら違っているようだ。
「何だあの騒々しい連中は? この神聖なる王宮で何をしているのだ」
庭園の中にいるファルサたちを遠くから発見した騎士風の少女が、隣にいる同僚と思わしき少女に質問を投げかける。
金色に輝く髪を肩口辺りで切りそろえており、その碧眼は相手を射抜くように鋭く、近づきがたい雰囲気を纏っている。
「噂の成り上がり魔導士よ。ゼノビアが相手にする必要もない小物だわ。さあ、いきましょう」
「ふん、己の出世にしか興味のない豚共が。あのような事をしている暇があれば訓練の一つでもすれば良いものを。貴様らがまともに戦えないから騎士である私たちが被害を受けるというのに」
鼻を鳴らしてファルサたちを小馬鹿にするような表情で見下し、同僚の言葉に従って騎士風の少女――ゼノビア――はその場から立ち去っていく。
彼女たちの鎧は土に塗れ、その額や首筋には汗が滲んでおり、美しい顔や手には痣が残っている。
一見しただけでも激しい訓練をしていたことは容易に想像がつき、庭園でいかにもサボっている様に見えるファルサたちに対して辛辣な言葉を投げかけるのは無理もないのだろう。
もっとも、ゼノビアが宮廷魔導士たちに辛くあたる理由は他にもあるのだが、庭園で後輩の魔導士と会話をしているファルサには、まだ知る由もなかった。
「別に僕はサボっている訳じゃなくて、今日の仕事は終わったから寛いでいるだけだよ。大体、ちょっとマナポ―ションや魔道具を作ったりするだけに一日かけるほうがおかしいんだよ。魔道具のレベルだってお粗末なものだし、訓練自体も子供のお遊戯会みたいなものじゃないか。あんな訓練は時間の無駄としか思えないけどね」
マナポ―ションは魔力を定着させながら材料を調合する事で作れる秘薬であり、魔道具も魔文字を駆使した魔術回路を組み上げてそこに魔力を注ぐことで完成する。
どちらも高度な知識や経験を必要とする非常に難しい工程があり、時間をかけてゆっくりと作り上げるものなのだ。
席次持ちの宮廷魔導士や見習いたちは各々にノルマを課せられており、今頃の時間は研究室などに籠って作成に勤しんでいるはずである。
この時間帯に暇そうにしているのは、既に作業を終えているファルサや、自身に付き従う見習いに仕事を押し付けている席次持ちの宮廷魔導士くらいなのだろう。
また、魔法を扱う為の訓練もあると言えばあるのだが、ファルサからしてみると実戦とは程遠く、有体に言えば児戯にも等しく思えていたのだ。
基本的に訓練方法は席次持ちが決めて候補生たちに行わせるか、宮廷魔導士筆頭が合同訓練と称して魔導士全員を集めて行ったりする。
しかし無駄な時間を嫌うファルサは、初回の合同訓練で自らの実力を周囲に知らしめた上で、それ以降の参加を拒否していた。
その分、ファルサに課せられたノルマは他の席次持ちの倍以上になっているのだが、当たり前の様に午前中で終わらせて、午後からは悠々と読書をしていたのだ。
嫌がらせの様に厳しい任務なども割り当てられたりしているのだが、その全てを難なくこなしている為、表向きは文句を言われていないのだ。
当然、裏ではその限りではないのだが、ファルサ自身は全く気にしていなかった。
「そ、それはファルサ先輩が天才だからッス。魔力量も魔力制御も桁違いでありえないッス。そもそも先輩が席次七位だなんて事態がおかしいッス」
宮廷魔導士の席次は実力で決められていると公には言われているが、ファルサは例外的な存在であった。
そもそも宮廷魔導士は、幼い頃より魔法の訓練を行っているような人物ばかりであり、教師役の魔法使いを雇えるような財力がある貴族の子女である事が殆どなのだ。
魔法の技術は唯でさえ体系が未だにはっきりとしない未知の部分が多い力であり、仮にどれほどの魔法の才能があったとしても、その使い方を指導できる人間がいなければ宝の持ち腐れである。
しかし解明されていない部分が多い技術とは、時として魔法使いの間でも師事した人物によっては正反対の事を言うのも珍しくない程であり、宮廷魔導士においても派閥ごとに考えが違う事も多く、魔法理論については日々論争が繰り広げられていた。
そんな宮廷魔導士たちなのであるが、王国にとってもマナポ―ションや魔道具というものは欠かせない存在であり、戦いに使用するだけでなく、国内の貴族への販売や、他国への輸出品としても扱えるのだ。
作成に高度な技術――ただしファルサにとっては簡単ではある――が必要と言う事は、それだけ希少であり、自然と値段も跳ね上がる。
強大な魔法を操る戦力に、財をもたらす技術力、そして殆どが貴族出身であるという家柄、そんな集団の席次一位にファルサを据え置くのは反発が必至な為、やむを得ず七位という順位に甘んじているのだ。
むしろ、そのような状況下でも席次を獲得できるだけの圧倒的な実力がファルサにはあるのだが、実はそれもかなり手を抜いた状態を周囲に認識させている。
いつの間にか四天王まで抜擢されてしまった魔王軍での反省を生かして、人間の前では更に実力を出さない様に心がけていたのだが、それでもファルサの力は他の追随を許していないのだ。
「まあ、組織っていうのは綺麗事だけでやっていけないのは確かだからね。何でも実力主義にし過ぎると余計な軋轢が生まれてしまうものさ。それに求心力と言うのも上に立つには必要な力ではあるからね」
それが真っ当な方法であればだけどね、とファルサは心の中で付け加える。
コネや家柄というものは裏を返せば信用であり、席次持ちの宮廷魔導士が推薦する人物だから安心できる、何々家は名門であり出自がしっかりしているから裏切りの心配は少ないなど、そのメリットも大きいのだ。
特に宮廷魔導士の筆頭ともなると、国家間での会談など機密性の問われる仕事も多く、当たり前の話だが信用のない人物になど任せられない。
更には王宮内の警備にも魔法が用いられており、侵入者を感知する魔道具や魔法回路の刻まれた壁など、とにかく多岐に渡っている。
当然、別の派閥の魔導士が交互に確認し合っている為、滅多な事では問題は起きないのだが、万が一その中から裏切る者が出てしまっては、王宮内に住む王族が危機さらされてしまう。
だからこそ成り上がりと揶揄されているファルサは、いくら実力があっても宮廷魔導士になってから一年足らずであり、流石に信用を勝ち取っているかと言われると難しいのだ。
しかしそのような真っ当な理由だけではなく、ファルサの圧倒的な実力が自身の地位を脅かすのではないかと恐れている人物も多く存在しており、妨害工作をしているのだ。
他国のスパイであるとか、実は正体を隠した魔族であるとか、アウレリア王女を利用して王家の簒奪を狙っているだとか、実は一部本当の事でもあるのだが、根も葉もない噂を発している人物も多く存在する。
また、機密を多く握る機会があるという事は、政敵の失脚を狙う貴族が賄賂を贈り、魔導士から情報を集る事も珍しくない。
宮廷魔導士は既に魔法の実力だけでなく、権謀術数に長けた者たちが集まる場とも化しており、今や混沌の極みとも呼べる状態である。
国王陛下を含むヴァロワ王国の政治の中枢を司る権力者たちも、宮廷魔導士の在り方には頭を悩ませつつも、国の要とも言える存在だからこそ中々手を加える事ができないでいるのだ。
だからといって新進気鋭のファルサは、実力があっても出自などの面から信用には足らないという意見が大多数を占めており、アウレリア王女以外には付かず離れずの対応を取られている。
様々な思惑が働いた結果が、現在ファルサが置かれている宮廷魔導士第七席という中途半端な状態になるのだ。
「自分には難しい話はよくわからないッス。ただ、ファルサ先輩は頭が良くて魔法も凄くて何でも出来て羨ましいッス!」
何でこの子は魔法使いになったんだろう、どう考えても不向きじゃないのか、とファルサは疑問に思う。
基本的に魔法使いと名乗る者たちは様々な書物を読み漁り、古代の失われた魔法技術を断片的に取り出して魔法の研究を行う存在なのだ。
それが徐々に形になり始め、いつしか軍事利用や魔道具などの製造に使われるようになったのだが、一般的には頭が良いと認識されている。
騎士のように強化魔法など特定の魔法のみを扱うならまだしも、様々な魔法を扱うには魔力をどのように扱う事でどのような効果が現れるのかを学び、そして実践して一つ一つ感じて覚えていく必要があるのだ。
だからこそ教養も金もある貴族出身が多いのだが、目の前の少女は一体何を考えているのかファルサには理解できなかった。
「まあ、何でも出来るならここにはいないんだけどね。それよりもアウラ王女が呼んでいるなら向かうとするよ。君も自分の仕事に戻って良いよ。手間を掛けさせてしまって悪かったね」
「了解ッス! それじゃあ自分は失礼するッス」
そういって元気よく敬礼をして走り去る後輩魔導士を見送り、ファルサもゆっくりと立ち上がってやる気の無さそうな足取りで歩きだす。
何でも出来ないからこそ過ちを犯してしまい、あの時の少女を探してヴァロワ王国内を一人で旅して周っていたのだ。
しかし、アウレリア王女と出会い、あの少女の無事も確認できた今では、この国にいる理由もそこまでない。
魔王軍四天王としての仕事も忙しくなってきたし、そろそろアウラ王女にお別れを告げようかな、とファルサは思いながら王宮内の廊下を進んでいく。
暇を見つけては人間の国を巡ること五年、それからアウレリア王女と出会い王宮で働き始めて既に一年以上になる。
魔族は魔族で種族主義的なところもあるが、それ以上に実力主義でもある魔王軍は宮廷魔導士に比べて遥かに居心地が良かった。
人間の世界と言うものはファルサが想像していた以上に欲に塗れ、本人の能力が低いにも関わらず家柄を重視して高い地位に付いている事も珍しくない。
特に地方の貴族たちは王宮の目が届かない事を悪用し、権力の乱用で民を苦しめている者もかなり多いのだ。
この時のファルサは、人間と言う種族に対してあまり良い感情を持ち合わせてはおらず、自身の父親は、なぜ人間である母と結婚などしたのだろうか、と疑問に感じているのであった。




