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王都での再会4

「ファルサ殿、寛いでいるところすまないのだが、ユリアがお腹を空かせているようで、何か食べたいと言っているんだ。台所を使わせてもらっても構わないだろうか」


 思考の渦に飲み込まれていたファルサの意識を呼び戻したのは、料理をする為に律儀にも台所の使用許可を求めるゼノビアの声だった。

 浴室と脱衣所を隔てる扉を開けて少し申し訳なさそうな顔をしているのは、ファルサが湯船に浸かって寛いでいる様に見えたからなのだろう。

 考え込み始めると時間を忘れてしまうのは悪い癖だな、とファルサは自身の行いを反省し、ゆっくりと立ち上がって脱衣所へ足を進めながらゼノビアへ返事をする。


「料理をするなら僕も手伝うし、保存の利く食べ物なら幾つか保存してあるから、保管庫に案内す……る……よ」


「ん? 足元がおぼつかない様子だが――ファルサ殿! だ、大丈夫か!」


 言葉を発しながら脱衣所へ向かうファルサだが、長時間の入浴でのぼせてしまったのか、フラフラとした足取りになってしまい、そのまま前に倒れそうになる。

 寸でのところをゼノビアが素早く抱き留めるのだが、相手は下に水着を穿いているとはいえ上半身は裸の男である。


「ひゃ! ふぁ、ふぁるしゃどにょ、しょ、しょにょ、し、しっかりしゅりゅんだ」


 最早何を言っているのかわからない程にゼノビアは動揺しているが、ファルサは息を荒くしながらゼノビアにもたれ掛ったまま動かない。

 ゼノビアも当然風呂上りで鎧などは付けていないし、ファルサの家にいるという事もあって今は薄着の状態なのだ。

 そんなゼノビアに濡れた状態のファルサが密着しており、色々と大変な事態が起きるのは想像に難くないだろう。

 また、ファルサもゼノビアも、どちらも顔が赤らんでいるのだが、その理由は全く違うのだ。


「ごめんゼノビア……ちょっとだけ……このままで……」


「ひゃ! 耳に息が! わ、わかった、わかったから!」


 苦しそうに息を漏らしながらも、何とか言葉を発したファルサは珍しく弱々しい様子である。

 その吐息が耳にかかってやはり動揺を隠しきれないゼノビアだったが、いつもと雰囲気が違う事に気が付いたのか、先程よりは少し冷静になっているようだ。

 それでもゼノビアが居心地悪そうにモジモジと体を動かしてしまうのは、ファルサの体温を感じるほど密着しているのだから仕方がない事だろう。


「……ファルサ殿、差し出がましい事を聞くようだが、パルミナと何かあったのか? 貴殿がそのような隙を見せるなど珍しいぞ」


 ゼノビアは未だに自身に抱きついているファルサに対して、先程までとは打って変わり実に騎士然とした態度で問いかける。

 白百合騎士団の団長でもありクテシフォン侯爵家の長女でもあるゼノビアは、当たり前だが決して頭の回転が悪い方ではない。

 ファルサ絡みで少々おかしくなる時もあり更には融通の利かない真面目な性格な為、何かと誤解されがちなのだが、これでもれっきとした才女なのだ。

 そして団長として人の上に立つゼノビアが、親しい間柄であるファルサの様子がおかしい事に気がつけない程、鈍感であるはずがない。

 原因があるとすれば、自分たちが風呂から上がった後にパルミナと何かあったのだろうと見当をつけるのも極々自然の帰結になるのだろう。

 それだけ、のぼせるまで風呂に入っていたファルサの行動は、日ごろの姿と違っていたのだ。


「……パルミナと何かあった訳じゃないよ。ただ……自分が……どうしようもなく愚かだと思ってね。いや、こんな話はやめにしよう。ゼノビアの気分まで陰鬱となってしまうよ」


 まだ少し朦朧としているのか、ついつい口を滑らしてしまうファルサだったのだが、すぐに自身の失言に気が付いて、話を終わらせようとする。

 そしてファルサはゼノビアの両肩に手を当てて体を離そうとするが、逆に力強く抱きしめられてしまう。


「ファルサ殿。私は以前、貴殿に助けられたことがある。いわば貴殿は私にとっての恩人だ。その恩人がこうして悩んでいるのに、何とか力になりたいと思う事は我儘だろうか? それとも迷惑だろうか? 貴殿にとって私は、愚痴を零すにも足らない存在なのか? 私は、ゼノビア・ド・クテシフォンは、ファルサ・スペキエースにとってその程度にしか思われていないのだろうか?」


 その声色はひどく真面目で、力強く、優しく、そして怯えが垣間見えていた。

 ファルサは秘密主義と言っても過言ではないほど、周囲に自分の事を語らず、弱い部分を見せる事も無い。

 それはとても心が強く頼りがいのある人間にも見えるだろうが、違う見方をすると他人を信用していない様にも思えるのだ。

 圧倒的な魔法の才によって宮廷魔導士筆頭に上り詰めた男、ファルサ・スペキエースの真の姿を知る者は誰もいない。

 先程のファルサの弱音は、ゼノビアにとっては距離を近づける為の大きな機会にもなり得るが、一歩間違えると警戒されてしまい余計に遠ざかってしまう危険もある。

 しかしゼノビアは、それでもファルサの心の中に踏み込む決断をしたのだろう。

 この機会を逃して、もう一度同じような事が起きる保証はどこにもない、そして何より自身の尊敬する人物の思い悩んでいる姿など見過ごせない、それが騎士ゼノビアなのだから。


「…………ごめん」


「そう……か、そうだよな。私ごときがファルサ殿の力になれるはずが――」


「――違う!」


 ファルサによる謝罪の言葉を聞いたゼノビアは、それを拒絶の意思だと判断し、酷く落胆した表情で返事をする。

 しかし、ファルサはその発言を遮り、否定の言葉を口にする。


「違うんだゼノビア、そうじゃない、そうじゃないんだ。でも……今はまだ……」


 続きの言葉を言いよどむファルサに対して、ゼノビアは何かを察したように優しく微笑みの表情を浮かべる。

 それから自身の両腕をファルサの頭の後ろまで持っていき抱くようにすると、そのままゆっくりと胸の中へと誘導する。

 胸に収まったファルサの頭を撫で、背中をとんとんと優しく叩くその姿は、まるで子供をあやす母親の様にも思えてくる。


「私が幼い頃、父上に叱られて泣いていると母上が良くこうしてくれたんだ。今のファルサ殿はまるで子供みたいだな。」


「……子供だなんて随分な言われ様だね」


「ふふ、それだけ様子がおかしく見えただけだ。……ファルサ殿が何を悩んでいるのかは皆目見当もつかないが、私に、いや私たちに話せないと言う事は理解した。先程は無理に聞き出そうとしてすまなかった。ただ、私が考えていたような理由ではなくて安心できたのも事実だ」


 ファルサは母親の温もりを知らずに育ち、父親とも幼い時に死別している。


――人間と魔族の間に産まれた事は絶対に知られてはいけない、相手が人間でも魔族でも、必ず不幸になる。お前にはそんな辛い思いをして欲しくない――


 生前の父に幾度となく言われ続けていたその言葉は確かに正しく、人間と魔族が争いを繰り広げる世の中では、自分はどちらにも受け入れられない存在なのだろう、とファルサは思っていた。

 だからこそ他者との距離は常に保ち続け、どれだけ親しく見えても最後の壁だけは絶対に越えさせることはない。

 魔族のミラージュと人間のファルサ、その二つの仮面を被り続けていた。

 しかし、徐々に、本当に徐々にだが、先程のゼノビアの言葉を否定したように、本人にもわからない程、その仮面には小さなヒビが入り始めている。


「ありがとうゼノビア。君にも、ユリアにも、パルミナにも、アウラにも、いつかきっと話すからその時までは待っていてくれないかな?」


「ふ、愚問だな。私は待つのが得意なんだ。ファルサ殿の気持ちが落ち着くまで、いつまでも待っていてやろう。ただし、私がおばあちゃんになるまで待たせるのは勘弁してほしいがな」


 顔を上げて眼を合わせながら問いかけるファルサに対して、どこか凛々しさも残した微笑みを浮かべながら、ゼノビアが冗談めかしてそう答える。

 

「何だか、あの時とは逆になっちゃったなぁ。君たちは少し前まで子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になっているから驚きだよ」


「ファルサ殿は随分と歳よりくさい事を言うのだな。まぁ、確かに初めて出会った時の私は子供と言われても仕方がないが……その、あまり思い出させないでくれ」


 しみじみとした様子で話すファルサは、先程よりも顔色が良くなり、随分と調子が戻っているようにも見える。

 逆に凛々しかったゼノビアは、過去を思い出させる様なファルサの発言に、羞恥の表情を浮かべはじめていた。

 長命である魔族の感覚からすると、早熟な人間の成長と言うのはあっという間の出来事にも思えるので、ファルサが歳よりくさい言い方になるのも無理はないだろう。

 ゼノビアの歳は十七であり、ファルサと出会った時はまだ十三か十四の、今よりも精神的に未熟な時期だったのだから。

 一方のファルサは既に三百歳ほどであり、人間としての表向きの年齢は二十四歳という事にしているが、当然ながら老成していると言っても差し支えない程の人生経験がある。

 実際には魔王軍に入隊するまでは殆ど引きこもりのような生活だったのだが、それでも人間の感覚からすれば十分な経験を積んでいるのだ。


「確か初めて顔を合せて話をしたのは共同作戦の時だったかな? いやぁあの時は驚いたよ。まさかの第一声が、貴様のような軟弱者と組むくらいなら魔物如き一人で片づけてやる! だからね」


「だ、だから思い出させないでくれと言っているだろう! ファルサ殿は今も昔も意地悪だぞ! 先程までは心配をかけておいて、調子が戻るや否やこれだからな。そ、それにあの時はいい加減な態度を取っていたファルサ殿にも非があると思うぞ」


 確かにあの頃は、今よりも輪をかけて不真面目だった覚えがある、とファルサは自身の過去を思い返す。

 宮廷魔導士として任命されてから一年程経った頃であり、人間たちが扱う魔法技術の低さに心底落胆していた時期であった。

 今でこそ、ヴァロワ王国の宮廷魔導士たちは近隣諸国の中でも最強の魔導士集団と呼ばれているが、それはファルサが宮廷魔導士筆頭になってからの話である。

 それまでの宮廷魔導士たちは、ファルサの目から見れば魔法の扱いが拙いと言っても過言ではない者たちの集まりであり、騎士団との折り合いも悪かったのだ。

 また、当時のファルサは宮廷魔導士になった目的を既に達成しており、半ば流された状態で仕事をしていたので、端から見た人間にはいい加減に映っていたのだろう。

 一方のゼノビアは、白百合騎士団に入隊して間もない頃であり、己の責務を果たすべく日々努力を重ねていた。

 そんな二人が出会ったのだから、すんなりと事が運ぶ訳がないのは明白である。


「まあ、今にして思えばアウラにしてやられたとは思うけどね。本当にあの子は人を良く見ているよ」


「確かにアウレリア王女殿下の先見の明には驚かされてばかりだな。しかし、あの出会いがあったからこそ、私は白百合騎士団の団長になれて、ファルサ殿やユリア、パルミナ殿と旅が出来たのだからな。感謝すべきことなのだろう」


 元々、他の魔族と同じように人間にさほど興味はなく、日々の生活を送っていたファルサ。

 初めは自身の過ちによる唯の罪悪感から人間の国々を旅して周っていたのだが、特にファルサの興味を惹くような出来事はなかったのだ。

 本当の意味で魔族としてではなく人間としての人生が始まったのは、間違いなくアウレリアに出会ってからになるのだろう。

 魔族である父と人間である母の間に産まれながら、その殆どを魔族として生きてきたファルサの、数少ない人間としての物語。

 その一端を担うのが、ここにいるゼノビア・ド・クテシフォンになる。

 二人は互いに微笑み合いながら、当時の事を思い返すのだった。



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