王都での再会2
「アウレリア王女殿下、この際どうやってこの場所を見つけたかは知りませんが、お供も付けずに王宮を抜け出さないでください。万が一の事が起きてからでは遅いのですよ」
ファルサは一先ず正論を用いてアウレリア王女を諭してみるが、多分効果はないだろうな、と内心では思っていた。
アウレリア王女は聡明である反面、お転婆でもあり、度々王宮を抜け出しては警護の騎士たちを困らせているのだ。
宮殿の内部を知り尽くしている彼女からすれば王宮の警備などは穴だらけであり、本人曰く警備に緊張感を持たせるためなどと吹聴しているのだが、実際には気晴らしに出かけている事が殆どである。
また、気晴らしはそのまま王都内の視察も兼ねており、民の生活を実際にその眼で確かめる事で新たな改革などを行うのだから、周囲の人間も強く言えないという面もある。
そして女性の王族を警護するのは、ゼノビアが団長を務める白百合騎士団の任務である為、王宮に戻った際には王女の脱走について警備の騎士たちはお説教をくらう事になるのだろう。
「ファルサ様、そのアウレリアと言う呼び方はやめてくださいまし。こうして公の席ではない場所にいる時はアウラと呼んでください。あの日の夜にそう約束したではありませんか。それとも私に囁いてくださった誓いの言葉は嘘だとでも言うのですか?」
眼に涙を溜めながらファルサの胸に飛び込んだアウレリア王女は、まるで愛を誓い合った恋人の様な素振りを見せていた。
ファルサ上気した顔で上目づかいに見つめるその姿は、知らない者が見てしまうと二人がどのような関係に映るのかは想像に難くない。
「ちょっと王女様! ファル兄にくっつき過ぎだよ! 大体そんな思わせぶりな言い方をしているけど、どうせお得意の演技だってボクにはお見通しだよ! ほら、さっさと離れて!」
アウレリア王女を力づくにでも遠ざけようとするユリアは、自身もファルサに抱きつきながら相手を押しのけ始める。
王女と言う身分の人間を相手にこのような行動は、流石の勇者とは言え不敬にあたるのだが、ファルサも含めた周囲の人間は、また始まったかといった顔をしていた。
この二人は同じ十六歳であり、ファルサを巡って今までも何かと対立を繰り返してきたのだ。
身分が下である者に対して様付けをしている事からもわかる通り、アウレリア王女はファルサの事を大層気に入っており、宮廷魔導士に取り立てた以外に、自らの家庭教師にも指名している。
本来は王族の家庭教師と言えば身分が確かであり、また深い教養を持ち合わせた人物であるのが通例なのだが、アウレリアの場合は事情が少々異なる。
幼少の時分より神童と持て囃されていたアウレリアは、十歳を越える頃には教わる事は何もなくなったと言わんばかりに、家庭教師たちのプライドをへし折るような態度で何人も辞職に追い込んでいたのだ。
そんな碌でもない時期を過ごしていた彼女が出会ったのが、当時、王国内を旅していたファルサであり、その魔法の腕と知識の豊富さに目を付けて半ば無理やり宮廷魔導士に任命し、自身の家庭教師まで兼任させていた。
ファルサにもその時は王女の提案に乗るだけの理由があった為、渋々ながらも大人しく従っていたのだが、気が付くと宮廷魔導士筆頭となっており、現在ではアウレリア王女の懐刀とまで言われているのだ。
宮廷内では王位継承権第一位のアウレリア派として政争に巻き込まれたりもしているのだが、目の前で起きている争いはそんな事を微塵も感じさせていなかった。
「ユリアさんは旅の最中に甘えられたのだから良いではありませんか。私はファルサ様と再会できるのを心待ちにしていたんです。少しは遠慮と言うものを身に着けた方がよろしくてよ」
「いーや、それとこれとは話が別だよ。大体、王女様はそうやって外堀を埋めようとするから油断ならないんだ。ボクの目の黒い内は断じて許さないからね!」
「ちょっと、乱暴にしないでくださいまし! ファルサ様のように聡明なお方の横に並び立つには、私のような淑女が最適ですのよ。おサルさんは山へ帰ったらどうかしら」
「むきー! 腹黒王女のくせになにが淑女だよ! ファル兄みたいに力のある人の傍には、共に戦う事の出来る勇者が一番なんだからね! ボクの方がふさわしいよ!」
最近、目の前で起きている子供の喧嘩みたいな光景をどこかで見たよなぁ、とファルサは思いつつ、ユリアとアウレリアに挟まれながら現実逃避を行っていた。
二人がこうなってしまっては放っておく意外に方法はなく、余計な口出しをすると更に炎上する事間違いなしなのだ。
経験上それを知っているファルサは、農村で生まれ育った勇者ユリアと王宮で育った王女アウレリアの二人が、育ちの違いを感じさせない程に同じレベルで繰り広げられている喧嘩を、ただ黙って見守っていた。
ゼノビアは自らが忠誠を誓う王女殿下が相手となっては何もできず、パルミナはいつものように微笑ましいものを見る様な笑顔を浮かべていた、
「あー、パルミナもゼノビアも先にお風呂入ってきなよ。浴室は向こうにあるから自由に使ってくれて構わないよ。タオルとかも用意してあるし、他に必要そうな物も揃えてあるから」
そう言いながらファルサは浴室のある方を指し示すと、ゼノビアとパルミナはそっとその場を後にする。
ユリアとアウレリアはお互いにその事に気が付いていたものの、どうやらいつの間にか先に離れた方が負けになると決まったらしく、ファルサの体に抱きついたままになっていた。
まだまだ長引きそうだな、とファルサが呆れていると、ユリアが解決策を思いついたと言わんばかりの得意げな顔を浮かべて、とんでもない発言をし始める。
「そうだ! せっかくだからファル兄も一緒にお風呂に入ればいいよね! 流石に育ちの良い王女様には無理だろうけど、ボクはファル兄なら平気だよ」
仮にユリアが良くてもゼノビアやパルミナがいるのにどうするつもりだよ、いや、そもそもユリアだって既に十六歳だから色々と問題があるよ、とファルサは心の中でツッコミを入れる。
ユリアはフフンと鼻を鳴らしながら王女の方を見ており、どうやら無理難題で王女を諦めさせるつもりのようだ。
どうすれば相手がファルサから離れるかを考えた結果なのだろうが、今のユリアには他の問題点が見えていない様子である。
しかし、アウレリアはその言葉を待っていたと言わんばかりに、悪辣な笑みを浮かべてユリアへと言葉を返す。
「あら、私も構いませんことよ。そんな事で私が負けを認めるとでも思ったら大間違いですわ。さあファルサ様、浴室に案内してくださいまし」
そう言ってファルサの右腕を引っ張るアウレリアだが、一方のユリアは、まさか本当に了承するとは思っていなかったらしく、驚愕の表情を浮かべていた。
しかし、自分から言い出しておいて無かったことにするなど負けを認めるに等しい行為であり、うんうんと葛藤を繰り返しながらもユリアには断る事が出来ないでいるようだ。
いくら仲が良いとはいえ、年頃の少女にとって異性であるファルサに全てをさらけ出すなど恥ずかしい事この上ないのだが、アウレリアは全く動揺する素振りを見せていない。
ファルサはアウラの事だから何を言っても無駄だろうな、と思いながら既に諦めの境地となり、言われるがまま浴室へと二人を案内する。
「ここが脱衣所ですわね。さ、ユリアさん服を脱ぎましょう」
「ちょ、ちょっと本気で混浴するつもりかい? いくらなんでも王女様がそんなことをするのはマズイと思うんだ」
アウレリアが自身のドレスに手をかけて脱ぎだそうとするのを、ユリアは慌てて制止をする。
「あら? まさかユリアさんはファルサ様に自分の体を見られたくないとおっしゃるのですか? 私は寧ろしっかりとファルサ様にご覧になって頂きたいですし、自信がないというのであれば、この場から逃げ出しても構いませんわよ」
アウレリアが小馬鹿にするような言い方で挑発をすると、ユリアは悔しそうな表情を浮かべながらも、一度、二度とファルサの方をチラチラと見やる。
ユリアの頬はその度に赤く染まっていくが、やがて意を決した様子で自身のズボンに手をかけてアウレリアに宣言する。
「ボ、ボクだってファル兄なら構わないもん! ファル兄! ちゃんと責任をとってよね!」
そう言ってユリアは両目を瞑りながら勢いよくズボンを下げようとするが、見かねたファルサはその腕を取って制止させた。
「ユリア、女の子がそんな挑発に乗って簡単に肌を見せちゃ駄目だよ。アウラもからかうのはそこまでにしようね」
「あらあら、気が付かれていましたか。てっきり私たちのあられもない姿を見たいが為に、そのまま黙っているのかと思っておりましたわ」
「え? え? どういうことだい?」
窘める様な口調でユリアとアウレリアに苦言を呈するファルサだが、片方は全く反省の色が見えずに、もう片方はどう言う事か理解できていない様子である。
ユリアは不思議そうにファルサとアウレリアの顔を見比べていると、アウレリアはニヤリと笑みと浮かべて唐突にドレスを脱ぎ始める。
突然のアウレリアの行動にユリアは驚きの表情を浮かべるが、すぐにその理由を理解して、一転、悔しそうな表情に変化する。
「うー! まさか中に水着を着ているなんて卑怯だよ! ボクは一擲千金の気持ちで覚悟を決めていたっていうのに! うー!」
アウレリアのドレスの下から現れたのはユリアの指摘の通り、王侯貴族御用達である洋裁店特製の水着であった。
ヴァロワ王国で流行中の水着は、上がチュニックの様に膝近くまで丈があり、下は七分丈のズボンの様な形状をしている為、肌の露出は非常に少ないのである。
どちらかというとパジャマの様にも見えるのだが、高貴な身分の者たちが海で遊ぶ際には、当然ながら肌の露出は控えめにさせられているのだ。
パーティでのドレスなどは、若い貴族の令嬢にも露出が多めのものが流行りつつあり、ゼノビアなどもそれを取り入れているのだが、それでもヘソ周りや太ももをさらけ出す様な行為は下品とされている。
「どうせこんなことになるだろうと思いまして、ゼノビアやパルミナ用の水着も事前に用意してメモを添えておきましたのよ。さ、ユリアさんもこちらに着替えて、ファルサ様との混浴を楽しみましょう。ファルサ様、申し訳ありませんが私たちが体を洗い終わるまで少しお待ちください。」
そう言って脱衣所の壁際にある袋の中から別の水着を取り出すと、アウレリアはユリアとファルサにそれを手渡して、見事なカーテシー――上流階級の女性が行うお辞儀――を披露する。
素直に水着を受け取ったファルサは、そのまま脱衣所を出て扉の前で待機する事になり、暫しの間、廊下の天井を眺めてぼうっとしていた。
僕はもうお風呂に入ったんだけどなぁ、これじゃあ二度手間だよ、とファルサは淡泊な事を思いながらため息を吐く。
もし、この心の声が王都の、いや王国内に住む男性たちの耳に入ろうものなら、八つ裂きにされても文句は言えないだろう。
水着を着用しているとは言え、王女や聖女、更には侯爵令嬢に勇者と混浴が出来る人間など、王族の中にも存在しないのだから。
三十分ほど待ちぼうけをくらった後に、ようやくアウレリアとユリアの呼ぶ声が聞こえ、面倒くさそうにファルサは浴室へと入っていくのだった。




