魔王軍の四天王たち1
狼魔族の村から戻った翌日、ミラージュはアスタルトを伴って魔王城へと訪れていた。
アスタルトの腕の中には書類が束になって抱えられており、ミラージュに付き従う姿はまるで秘書にようにも見える。
ミラージュは転移魔法で後から呼び出せばよいと言ったのだが、アスタルトは重要な書類の為、手元に置いておきたいと頑として譲らなかったのだ。
そんな二人が向かっているのは、魔王城の中にある通称、玉座の間と呼ばれる部屋になる。
ミラージュが日頃から魔王の自室で謁見しているのは、お互いの信頼関係で成り立っているからであり、本来は玉座の間において衆人環視の中で行われるのが一般的なのだ。
「四天王、幻影のミラージュ様と副官のアスタルト様ですね。どうぞお通りください」
ミラージュの身の丈の何倍もの扉の前には、屈強な兵士が二名立っており、彼らが玉座の間を守る警備兵なのだろう。
先日の新米兵士とは違い、兵士たちは手慣れた様子でミラージュたちの姿を確認するやいなや、見事な装飾が施された扉の取手を引き、重厚な音を立てながら徐々に部屋の入り口を開いていく。
ミラージュとアスタルトが開かれた巨大な扉をくぐり中へ入ると、正面奥には玉座と思わしき豪著な椅子が見え、その手前までは紅く染められたシルクの絨毯が広い道を作るように敷かれている。
更にシルクの道の両脇には魔王軍親衛隊の面々が幾重にも並び立ち、魔王を害する不届き者が出ようものなら、間違いなくその前に排除するのだろうと思わせるほどの迫力が出ていた。
おおよそ百名の兵士と、その後ろに控える文官や音楽隊と思われる魔族たちが見守る中、ミラージュとアスタルトは気負う様子もなく、平然とその道を進んでいく。
道の終点、玉座の少し手前には既に六名程の男女が立っており、彼らは言葉を交わすことなくジッと前を向いて制止していた。
その中にはラファールの姿もあり、おそらくは四天王とその副官たちが集っているのだと思われる。
ミラージュはラファールと小柄な女の子の間にある空間に立ち、アスタルトはその後ろに控えている。
しばしの間、部屋の中には静寂が訪れていたのだが、やがて入り口の方から魔王の到着を知らせる声が鳴り響いた。
「魔王リリス様がお越しになりました!」
その声に続くように部屋の中には音楽隊によるファンファーレが鳴り響き、魔王リリスがゆっくりと絨毯の上を進み始める。
東方に伝わる着物と呼ばれる衣類を着用し、手には扇子を持ち、お付きの者たちを引き連れながら優雅に歩いているその姿は、魔王と言うよりもどこかの姫であると言っても過言ではない。
頭には東方製のかんざしと呼ばれる髪飾りをあしらい、狐の尻尾をはためかせているのだが、まるで東方の伝説になっている九尾の狐が変身した妲己だな、とミラージュは思っていた。
類稀なる美貌と妖艶さを放ち、奔放さも持ち合わせたリリスの姿は、確かに数多の男を虜にした九尾の狐に例えられてもおかしくないだろう。
ミラージュも含めて謁見の間にいる者は、皆その場に跪いているのだが、この仮面の男は密かに小さなゲートを自身の仮面と右目の間に作り、堂々と覗き見をしていたのだ。
本来は異なる空間を繋ぐのが転移魔法なのだが、ゲートを繋いだ先が見えるのは当然とも言える。
しかし、今までこのような使い方をした者はいない、と言うよりも、周囲に気が付かれない程小さく、更には仮面と眼の僅かな空間に作り出すなど、神技と呼ばれる程の魔力制御能力が無ければ到底無しえない。
それをこの仮面の男は、魔王リリスがゆっくりと歩いてくるのをただ待っているのは暇であるという理由だけで使い始め、指先も同時に転移させることで以前から読書の時間に代えていたのだ。
今、玉座の間で行われているような一連の流れは形式的なものなので、何度も行っていると飽きが来るのは仕方のない事なのだが、他の魔王軍の者たちが聞いたら激怒する事間違いなしだろう。
四天王を含めた主だった魔王軍の功労者たちを集めるこの謁見は、年に一度行われているものであり、この場に呼ばれることは名誉であると言われているほどなのだ。
警備についている親衛隊の面々は勿論の事、四天王や副官、それに文官や研究員、音楽隊に至るまで、魔族の中でも一際優秀な者たちが一堂に会している。
そのような名誉ある場で読書を行い、今の様に普段とは違った珍しい魔王の姿を見ておこうと覗き見をするのは、この男くらいだろう。
「皆の者、良くぞ集まってくれた。楽にして構わんぞ」
公の場での魔王モードになっているリリスは、威厳のある物言いで部屋の中いる者たちへ声をかける。
一同は誰も遅れる事無く立ち上がり、全ての視線が玉座にいる魔王の下へと注がれる。
「四天王の面々も、遠いところからご苦労だったな。こうして一同に会する姿を見る事はなかなかないからのう」
魔王リリスは四天王に労いの言葉を投げかけると、一番左端にいる魔族の男が、感謝の言葉を述べ始める。
「我らが魔王リリス様の為ならば、この残虐のクリューエル、いついかなる時でも御身の前に馳せ参じましょう」
芝居がかった大袈裟な態度であるものの、金色の髪を靡かせて優雅に跪くその姿は、どこかの国の王子のようにも見える。
彼こそが魔族領の南側を管轄し、金角持ちの悪魔族を束ねている四天王なのだ。
四天王の中では一番の古株なのだが、魔王軍の本分である魔族の統一よりも、執拗に人間たちの国へ攻めこむことを優先しており、魔王リリスからの評価はあまり良くはない。
しかし、南の地にいる魔族たちを纏め上げている事は事実であり、かつて魔族領の中でも一際荒れていた土地を治めているのだから、その実力は本物である。
また、クリューエルが攻め滅ぼした村々や捕えた人間に対する仕打ちからついた二つ名――残虐――がその本性を示しているともいえる恐ろしい男なのだ。
「疾風のラファール、既に我が身は魔王様に捧げております」
続いてラファールが握り拳を胸に当てて、直立した状態で魔王リリスへ謝辞を述べる。
先程のクリューエルと全く違う挨拶なのだが、これは竜魔族が行う礼儀作法の一つで、いわば狼魔族における土下座と同じようなものになる。
魔王リリスは、魔王軍内に様々な文化や法律を取り入れているのだが、当然、種族ごとに大きく異なる常識もある為、ある程度の融通を利かせているのだ。
こうした公式の場であっても種族のしきたりを優先する事を許可しており、求心力を高めているのは流石と言えるだろう。
服装などもアスタルトが着ているような軍服が魔王軍の制服としてあるのだが、多くの魔族は種族特有の格好をしていた。
これらの事を人間の国で行ってしまうと不敬罪で処罰されかねないし、そうでなくとも常識がないと非難されるのだが、公式の場におけるマナーは魔族の方が緩くて楽だよな、と半分人間でもあるミラージュは感慨深く思っていた。
「幻影のミラージュ、魔王様の為ならば身命を持って尽くす所存です」
そのような事は毛の先ほども思っていないミラージュは、恭しく胸に手を当てて礼をする。
滑稽な仮面を着けているにもかかわらず、やはり堂に入った動きをしているのは、流石の一言に尽きるだろう。
そして、最後の四天王へと順番が回るのだが、後ろに控えている副官は勿論の事、部屋の中にいる面々も皆、どこか心配そうな表情を浮かべていた。
事情を知らない親衛隊の新米兵士や、初めてこの場に参加している者たちは、そんな他の者たちの様子に疑問を持ったようだが、すぐにその理由を理解する事になる。
「膂力のベディヴィア、呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! 魔王様の為にやってきたしー」
ミラージュの右側に立っていた小柄の女の子は、その場でピョンピョンと跳ねながら、魔王リリスに向かって手を振り始める。
小柄なアスタルトよりも更に頭一つ分低く、一見すると小さな子供がはしゃいでいるように見えるのだが、彼女の紫がかった髪の中からは、黒々とした大きな角が飛び出していた。
悪魔族の角が山羊の様に捻じれているのに対して、天を貫くように真っ直ぐ伸びた角は、鬼魔族の特徴である。
童女――ベディヴィア――の後ろからはおそらく副官の者と思われるため息が聞こえ、ミラージュの後ろにいるアスタルトは眉間に皺を寄せている。
彼女の挨拶は鬼魔族に伝わる伝統的なもの……ということは当然なく、いついかなる時もこのような態度を取っているのだ。
「相変わらず、ベディヴィアは元気やな……元気よのう。それではこれより、今年度の功労勲章の授与を執り行う」
ベディヴィアの態度に中てられたのか、魔王リリスは素の言葉遣いが出そうになったものの、気を取り直して発された言葉に、一同の顔が引き締まる。
こうして四天王を含めた魔王軍の功労者たちが一堂に会しているのは、これから行われる年に一度の功労勲章を受ける為なのだ。
軍の中でもたらした功績により、九段階の勲章を授与される大変名誉あるものなのだが、当然、ミラージュは仮面の下で興味が無さそうな表情を浮かべていた。
本来であればこの勲章を授かる事で、それが族長ならば自らの種族が一目おかれている証拠となり魔王軍内で優遇されるようになる事も多々あり、一般の魔族でも己の給与や昇進にも関わってくるのだが、ミラージュにとってそのような事は些事にも等しいのだ。
そもそも魔王軍に在籍している幻魔族は自分だけであるし、これ以上の出世となると後は魔王になるくらいなのだが当然興味もないし、財産も増える一方で給与よりも休暇が欲しい、とミラージュは思っていた。
そんなミラージュにとっては非常につまらない授与式である上、他の魔族からすると普段は接する事の出来ない魔王から直接勲章を付けてもらえる貴重な機会である為、その進行はゆっくりとしており、とにかく長い時間拘束されるのだ。
その上、ミラージュたち四天王は魔王も交えて今後の魔王軍の方針などを話し合う会議を行う予定もある。
狼魔族の交渉に赴いてから毎日、徹夜での作業になっていたミラージュにとって、眠気と戦いながら自身の勲章授与まで待つのは苦痛に他ならない。
先程の覗き見も、珍しい魔王リリスの姿を見る事で眠気を覚まそうという考えもあったのだが、効果が出たのは一瞬の事であり、目の前で同じようなやり取りが繰り返されているせいか、余計に睡魔が襲ってきているようだ。
ミラージュの功績自体は魔王軍の中でも一、二を争うものなので、殆どの場合は最後に呼ばれることになる。
しかもリリスのいる玉座の眼の前という事で注目を浴びる場所でもある為、居眠りをするにはかなり無理のある状況になっていた。
「続いて、功労十字小綬章の発表にうつる」
ようやく、一番下の功労メダルの発表と授与が終わり、次の発表に移ったようだが、それでもまだ二番目である。
一番上の特等大十字章も含めて九段階もあるので、まだまだ先は長い。
同じように徹夜で作業をして、昨日も会議の為の資料や報告書を作成していたアスタルトやラファールは平気そうな表情を浮かべていた。
彼女たちの様に純粋な魔族であれば、この程度の日数は睡眠を摂らずに過ごす事はなんてことないのだが、人間と魔族のハーフであるミラージュはそういう訳にもいかないのだ。
人間と比べれば半分以下の睡眠でも十分なのだが、既に六日ほど徹夜で過ごしている為、我慢の限界もかなり近い。
仮面で表情がわからないので周囲は気が付かないが、ミラージュと睡魔の戦いは徐々に劣勢となり、気が付いた時には夢の世界へと旅立ち始めていた。




