狼魔族との交渉7
「仮面の、いやミラージュのダンナ、俺たちを一生アンタに付いていかせてくれ。これは狼魔族の総意だ。だまし討ちの様な真似をした俺たちを救ってくれて、謝罪と感謝をいくらしても足りないくらいだからな。アンタら魔王軍の為に、いやミラージュのダンナの為なら好きなだけ俺たちの命を使ってくれても構わないぜ」
南の村にある集会場では、他の村に避難していた狼魔族たちも集まっており、ルヴトーを中心として全員が床に頭を擦りつけてミラージュたちの方を向いていた。
東方に伝わる土下座と言われるポーズで、最大級の誠意を見せる為に用いられているものになのだ。
まだまだ黒い痣の残っている者も多くいるが、既に動き回れるだけの体力が回復してきており、生命力の強さが伺える。
二百五十名近くの狼魔族たちが一斉に土下座をしている光景は得も言われぬ迫力があり、ミラージュの後ろにいるアスタルトやラファールはどうしたものかと困った表情を浮かべていた。
彼女たちもミラージュの指示で精力的に狼魔族の治療にあたっていたのだが、感謝の対象は治療法をもたらした人物に向けられるのは仕方のない事だろう。
「ルヴトーさん、皆さん、僕は偶然この病気について知っていただけですよ。だから頭を上げてください。こんな大勢に土下座をされちゃうと、どうしたらいいものか困っちゃいます。狼魔族の皆さんが幻影軍に加わって頂けるだけでも、十分感謝の気持ちとして受け取っていますよ。しばらくは感染拡大を防ぐ為に森の中からは出られませんが、黒皮病の根絶の為なので我慢してくださいね」
命を救われた狼魔族の面々は幻影軍に加わる事を希望しており、ここまで大事になった以上はおそらくその通りになるだろう、とミラージュは予測を立てる。
治療開始の初日からラファールの連絡玉を用いて、疾風城を経由した魔王リリスへの簡易的な状況報告は行っており、自由にやって良いとのお達しも受けていた。
当然、必要な材料の手配も同時に行い、全て転移魔法で取り寄せて大量の治療薬を迅速に作る事に成功していたのだ。
治療が一段落したところで、次は黒皮病が狼魔族の住む森の外に広がらない様にしなくてはならない為、ミラージュは感染原因の根絶を狼魔族に指示していた。
「それくらいは何の問題もねぇ。しっかし、俺たちが普段食っているネズミやウサギが感染の原因だなんて、思いもよらなかったぜ」
ルヴトーが言う様に、黒皮病の感染経路は彼ら狼魔族が日常的に狩っていたネズミやウサギだったのだ。
正確にはそれらに宿るノミが原因であり、刺されたウサギやネズミが初めに感染し、その血液などに触れた狼魔族が次々と感染していたのだ。
また、ノミから直接血を吸われた場合も感染原因となる為、これからしばらくはノミや宿主であるネズミやウサギの駆除を行う必要がある。
そうした理由から、暫くの間は各村の除菌や感染者の治療と並行して、感染経路の撲滅を続けていくのだ。
「こればかりは何もない状況から見つけるのは大変ですからね。とにかく、皆さんが無事に完治してから魔王軍で受け入れを行います。後ほど、こちらから別の人員を送りますので、事前にお伝えした項目の報告も頼みます」
既に狼魔族の各村に魔力印を刻んでいる為、魔王城で報告を行った後に、村人の経過観察や監視も含めて別の人材を転移魔法で派遣する予定になっていた。
今回の感染症は過去に例を見ないほど凶悪な物なので、当然、研究の為にも医療班が現地でサンプルの採取を行う必要もあり、また、狼魔族から反意を持った者が出ていないか注意する事も大切なのだ。
これはミラージュが彼らを信用しているかどうかは関係なく、魔王軍という組織として、今まで敵対していた魔族を受け入れるのだから当然の措置になる。
おそらくは魔王様のことだから既に準備は万全なのだろう、とミラージュは思っていた。
普段の態度からは想像も出来ないが、バラバラだった魔族を纏め上げて魔王軍を結成するだけの偉業を行えるほどなのだから、決断力や実行力には優れているのは言うまでもないことだ。
「おう、治療だなんだとアンタ等を歓迎する事が出来なかったから、今度こそ丁重にもてなすぜ。それとよ……ウチの娘がアンタに言いたいことがあるってうるさくてな。少しだけ時間をくれないか?」
「娘さんですか? 別に構いませんけど……」
申し訳なさそうに提案をするルヴトーに対してミラージュが快諾すると、二メートルを越える巨体の影から、小さな女の子が飛び出してきた。
人間で例えるならば十歳かそこらの小柄な女の子であり、狼魔族特有である獣の耳と尻尾をピンと立てて、緊張した面持ちでミラージュに近づいていく。
ルヴトーの横には奥さんらしき綺麗な女性が、愛娘を温かく見守っており、その容姿から少女は母親似である事が伺える。
「あ、あの……仮面のお兄ちゃん、ちょっと屈んでもらっても良いですか?」
もじもじと恥ずかしそうに言葉発する少女に、ミラージュが目線を合わせる様にその場に屈む。
すると少女は、狼魔族の身体能力を活かして素早くミラージュの死角となる右側へ回り込み、その顔へ手を伸ばしながら一気に距離を詰めていく。
「あれ?」
「なっ!」
「あー!」
仮面を剥がすつもりかと思ったミラージュは、自らの手で顔を押さえるのだが、少女の行動は予想に反していた為、疑問の声を発してしまう。
更にはミラージュに続いて、後ろで見ていたアスタルトとラファールも思わず驚きの声をあげてしまっていた。
少女はミラージュの仮面に覆われずに露出している頬へと唇を付けてから、恥ずかしそうにルヴトー夫妻の後ろに走り去っていったのだ。
「はっはっは、こりゃあミラージュのダンナには責任をとってウチの娘を貰ってもらわないとな。娘はカミさん似で、きっと美人に育つから楽しみにしていてくれ」
「ミラージュさんにお礼が出来て良かったわね。うふふ、お母さんがお父さんと初めてキスした日を思い出すわ」
最初から最後まで、狼魔族にはしてやられたな、とミラージュは思いながらも、小さな少女が精一杯勇気を出したお礼に、仮面の下では笑みを浮かべていた。
目の前にいる家族の幸せな笑顔が見ることができたのだから、治療が上手く行って本当に良かったと、改めて思っているのだろう。
「ルヴトーさんも奥さんも茶化さないでください。それじゃあ僕たちはそろそろ行きますね」
そう言ってゲートを開いたミラージュは、アスタルトとラファールを伴ってその姿を瞬く間に消し去った。
「何度もこの目で見たけど、本当にとんでもない魔法だな。全く、恐ろしいやつの下に付いちまったもんだぜ」
ミラージュたちが先程までいた場所を見つめながら、ルヴトーは笑みを浮かべながらも畏怖するような言葉を、思わずと言った様子で発していた。
他の狼魔族はミラージュの実力を知らない者が多く、あくまでも命の恩人であると無邪気に感謝をしているが、唯一、ルヴトーだけはその強大な力の片鱗を感じていたのだ。
「あの、ここはどこでしょうか?」
「ん? アタシの城でも魔王城でもアンタの城でもないわね」
アスタルトとラファールは、見覚えのない場所に転移したことで、周囲をキョロキョロと見渡しながらもミラージュへ疑問の声を投げかけていた。
よくある木造の家にある部屋の一室の様であり、部屋の隅にはベッドが一つ置かれており、他にはテーブルやイス、本棚など、これと言って変わった物は置かれていない。
窓にはカーテンが掛かっている為、外の様子は伺えず、どこにいるのか見当もつかない様で、アスタルトもラファールも困惑した表情を浮かべている。
「ここは僕が持つ……まあ隠れ家的な場所の一つだよ。魔王城へ報告に行く前にやらないといけない事があるからね。タルトちゃん、ラファ、二人とも今着ている服をここで全部脱ぐんだよ」
「な、なに、何をふざけた事言っているのよ、この変態仮面! ま、まさかそのベッドはその為に置いてあるっていうの! アタシたち二人まとめてだなんてどういう神経をしているのよ! そういう事はきちんと一対一で行うものでしょうが! この変態! すけべ! エロエロ仮面!」
とんでもない発言に驚愕したラファールは、顔を真っ赤にしてミラージュに罵声を浴びせはじめる。
一方のアスタルトは一瞬だけ目を見開いたものの、少しの間何かを考えており、やがて上着に手をかけてその場で脱ぎ始める。
肌着姿となったアスタルトの白くて細い腕が露わとなり、ラファールはアスタルトの方を向いて、驚きの声をあげる。
「ちょ、ちょっとタルト、アンタまでおかしくなったの? なんでそんな素直に言う事を聞いているのよ。 ま、まさか、本当に? で、でもアタシ初めてだし、こんな急に言われたって心の準備が……」
一人で盛り上げるラファールに対して、アスタルトはジトッとした視線を送り、呆れたような様子で言葉を発した。
「ラファ、あなたは何を勘違いしているのですか。魔王城に病原菌を持ち帰らない為にも、消毒や衣服の処分は当たり前じゃないです。ほら、ミラージュ様も必要な物を置いて部屋から出ていきましたよ」
ラファールがアスタルトの指さす方向に顔をむけると既にミラージュの姿はなく、そこには桶や水の入った瓶に清潔そうな布が数枚、それから衣類に蒸留酒や薬などが置かれていた。
体を清めて着替えを行い、連絡玉などの必要な持ち物も含めて消毒をする事で、少しでも病原菌を持ち込む可能性を減らそうと言う考えなのだろう。
いくら治療薬が作れるとは言え、一時的にでも魔王軍内で感染症が蔓延してしまっては、大問題になってしまうので、これは必要な措置になるのだ。
「あ、う、か、勘違いしないでよね! さっきまでの行動はジョーダンよ、ジョーダン。全く、タルトはクソ真面目で融通が利かないんだから」
ぶつぶつと八つ当たりの様な文句を言いながらも、同じ様にラファールも着替えはじめた。
背中にある翼の生え際付近には竜の鱗が並んでおり、肩や腰辺りまで竜の特徴が目立っているが、その手足は滑らかな美しさを放っていた。
アスタルトはそんなラファールの様子を横目に、部屋の中に爆弾を投下するのだった。
「ラファ、ふと思ったのですが、身長の割には胸の発育がよろしくないみたいですね」
どうやら先程のラファールの発言が癇に障ったのか、ラファールが気にしていると思われる体の部分について口撃をしかけるつもりのようだ。
ラファールは着替えをしている手を止め、首をアスタルトの方向へ動かすのだが、その表情は口を半開きにしたまま固まっていた。
「ア、アタシの場合はスレンダーって言うのよ。そもそも竜化して飛ぶときに無駄な肉があると邪魔だから、翼のある竜魔族は大抵細身なのよ。大体、あんたなんていつまでたってもお子様体系じゃない。胸も身長も子供のままって悪魔族は随分と可哀想な種族なのね。」
ふん、と鼻息を鳴らして、アスタルトの全身に視線を這わせたラファールは、小馬鹿にしたような言い方で挑発を行う。
「私はまだ成長期です。悪魔族は成長の遅い種族だから問題ありません。大体、ラファは言動も幼ければ、下着の趣味も幼いですね。なんですかその熊さんパンツは。最近は子供でも穿きませんよ」
アスタルトの視線の先には、白地に熊の模様が刺繍された下着を穿いたラファールの姿があった。
確かに、ルヴトーの娘のような子供であればまだしも、人間にしたら十五、六歳に見えるラファールが穿くには少々厳しいものがある。
ラファールは無言でその場から部屋の隅まで歩き、細腕のどこにそんな力があるのか、おもむろにベッドを持ちあげながらアスタルトを睨み付けた。
「別に熊さんだって可愛いからいいじゃない……アンタだって……アンタだってその大人っぽい黒の下着が似合ってないのよ!」
そう言いながらラファールはベッドを投げつけるが、当然、そのような攻撃がアスタルトにあたる訳もなく、簡単に避けられてしまう。
しかし竜魔族の力で投げられた木製のベッドは勢いよく壁にあたり、そのまま大きな音を立てながら穴を空け、隣の部屋で半裸になっているミラージュの姿が視認できるようになる。
そして壁が破けるほどの轟音が鳴り響いて驚いたミラージュが、アスタルトやラファールの方向を向いている事について、本来ならば非は全くないはずだが、そんな正論が通じるはずも無かった。
この後、下着姿を見られて激怒した二人を宥める為に、それぞれ一回だけ相手の言う事を何でも聞くと約束させられたのだが、いくらなんでもあまりに理不尽だ、とミラージュは嘆き悲しんでいた。




