四天王のお仕事1
先程、空間の裂け目と共に消えたファルサは、農村から遠く離れた地にその姿を現した。
そこは魔王城の一室で、ファルサ――いや魔王軍四天王ミラージュ――に与えられた居室であった。
「ふう、到着……っと。魔王様はどこにいるのかな。適当にその辺の奴に聞くとするか」
ファルサ改めミラージュは自室を出ると、城内をうろつきながら、すれ違う者たちに魔王の居場所を聞いて回っていく。
声をかけられた者は、皆一様に緊張した面持ちで対応し、別れ際には深々と礼をしてミラージュを見送っている。
何名かに話を聞いたところによると、魔王は自室にいるとの事だが、ミラージュは特に急ぐ様子もなくのんびりした様子で歩いている。
「うーん、もう少し居場所がわからないままの方が、遅れる言い訳になったんだけどなぁ。普段はどこにいるかわからない事も多いのに、何でこういうときだけしっかりと部下に周知しているのさ」
仮面越しで表情は見えないが、間違いなく面倒くさそうな顔をしているのだろう。
とても自分の上司への対応とは思えない態度だ。
その足取りはミラージュの魔王に会いたくない、仕事をしたくないと言う心を表しているのか、非常に重くなっている。
そんな些細な抵抗も虚しく魔王の自室の前に着いてしまった為、扉を守る警備の兵へと声をかける。
「あー、そこの……君、そう君だよ。魔王様に呼ばれたんだけど、部屋に通してくれるかな」
見覚えのない顔だったため、ミラージュは相手の名前がわからなかった。
一方、声をかけられた兵士は怪訝そうな目でミラージュを見つめている。
「失礼ですが、その仮面を取っていただけますか。お顔のわからない方をお通しする事は出来かねます」
仮面に黒マントに大鎌を持った不審人物――ミラージュへの要求はもっともである。
しかしミラージュにとって仮面は自身の正体を隠すための物、おいそれと外すわけにはいかない。
「んーと、君は僕の事を知らないのかな? この仮面は外すわけにはいかないんだよね。魔王様には許可も頂いているから、まずは取り次いでくれないかな?」
ミラージュは極めて冷静に兵士へと言葉を返す。
仮面に黒マントに大鎌と言えば自身を表す代名詞の様な物だが、おそらくこの見覚えのない兵士は新米であろうと当たりをつけ、要求を取り次ぎに変更した。
「私はこの場を離れる訳には行かないので、それは出来かねます」
完全に不審者を見る目つきをミラージュに向けて、新米兵士は取り次ぎを断る。
そもそも何故兵士は一人なのだろうか、本来は二人で警備にあたっていたはずだ、そうミラージュが思い出した時、廊下の奥から別の兵が飛ぶように駆けてきた。
「あ、先輩、ようやくトイレから戻ってきたんですね! この不審者が顔を隠したまま魔王様の部屋に通せと無茶を言うんですよ。追い払ってもいいですか?」
新米兵士が先輩兵士へと声をかけると、先輩兵士は口をぱくぱくと開閉しながら、ミラージュと新米兵士を見比べる。
「ば、ばばば、ばかもーん! このお方は四天王の一人、幻影のミラージュ様だぞ! 何が不審者だ、この馬鹿たれが! ミラージュ様、自分がこの場を離れている間にこやつが失礼な対応をしたようで、申し訳ございません! ほら、お前も謝らんか!」
先輩兵士は新米兵士の頭を力ずくで下げさせて、ミラージュに向かって謝罪をする。
少しの間があり、新米兵士も事の重大さを漸く理解したのか、地に頭を擦りつけ始めた。
「も、ももも、もうし、申し訳ございません……どうか、どうか、お許しください。申し訳ございません。申し訳ございません」
体は震え、眼や鼻からは様々な液体を流しながら、新米兵士はミラージュへ何度も謝罪を繰り返す。
確かに少々融通が利かなかったが、ミラージュの見た目が見た目なので何も知らない新米兵士にそこまでの非はなく、寧ろ不審者相手ならば当然の対応だとミラージュは思う。
四天王の中でも特に奇抜な格好をしているが、ミラージュは前線よりも後方支援としての能力を買われてその座に就いたと言っても過言ではない。
長年魔王に仕えている上官クラスならまだしも、一般兵卒などは四天王ミラージュの名前しか知らない者も多いのだ。
「いや、こちらも名乗っていなかったし、仕方がない。お互い不幸な事故だと思って水に流そうじゃないか」
少々不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、四天王と言えば軍の中では魔王に次ぐ幹部であり、言ってしまえば大物中の大物だ。
そんな魔王軍の幹部が部下に向かって謙る様な対応をすると、逆に相手が恐縮してしまう事をミラージュは身を持って知っていた。
「寛容なお心遣い感謝いたします。……魔王様からはミラージュ様がお越しになった際はそのまま通しても良いと仰せつかっております。どうぞ、お通りください」
新米兵士はどうやら緊張と恐怖のあまり気を失ってしまったらしく、先輩兵士がその体を脇へ避けるとミラージュを部屋の中へと促した。
可哀想な事をしたなと罪悪感に包まれながら、ミラージュは魔王の自室へと足を踏み入れる。
「四天王幻影のミラージュ、魔王様の召喚に応じ馳せ参じました。この度は私に如何なる御用でしょうか。魔王様の命とあらば、身命を持って尽くす所存でございます」
ミラージュはこれっぽっちも心にない口上を述べながら、天蓋付きのベッドに向かって声を上げる。
二人きりならばもう少し砕けた対応をするのだが、魔王の自室には侍女が数名控えている為、外聞を気にしているのだろう。
胸に手を当て深く頭を下げるその様は、中々どうして堂に入っている。
「ミラージュよ、よく来たな。私はこの者と内密な話がある、他の者は下がっていろ」
天蓋から垂れる薄布の内側から凛とした女性の声が響き渡り、その命に従って侍女達は退室し始めた。
侍女たちはミラージュに頭を下げて部屋を出ていき、ドアの閉まる音がすると同時に再び先程の女性の声が発せられる。
「……他の者は出て行ったか?」
「もう大丈夫ですよ、魔王様」
ミラージュが柔らかい口調でそう答えると、薄布が揺れ動きひらひらと舞い踊り始める。
「あー、もうミラージュたん来るのが遅いねん! ウチがどんだけ待ったと思うてんのや」
先程までとはうってかわった口調で、薄布の中からは妙齢の美女――魔王が飛び出してくる。
そのままミラージュの胸に飛び込みひとしきり頭を擦りつけると、素早く左腕をミラージュの仮面へと伸ばす。
「その手は食らいませんよ。何度目だと思っているんですか。いい加減学習してください」
ミラージュは呆れた口調で魔王に言い放ちながら、死角から忍び寄ってきたその左腕をがっしりと掴んでいる。