狼魔族との交渉4
ミラージュの心配をよそに、途中で狼魔族の襲撃がある訳でもなく平穏無事といっても良い状態で狼魔族の村へと到着する。
道中、魔族ではなく魔物の襲撃が数度あったものの、その全てをルヴトーが撃退しており、他の二名の狼魔族は元より、ミラージュたちも出番がなかった。
問題があるとすればルヴトーが魔物を撃退するたびに大きな遠吠えをするのが、静けさを好むアスタルトの癇に幾度となく障っていた様で、終始不機嫌そうにしていたことくらいである。
「ここが俺たち、狼魔族の村だ。おうオメーら、何か変わりはなかったか」
「おかえりなさいませ、ルヴトー様。特に変わりはありません」
「同じく、変化なしです」
村の入り口には狼魔族が二名ほど見張りに立っており、ルヴトーの問いかけに対して敬礼をしてから簡潔に返答を行った。
そしてこの二名もやはり狼化した状態であり、今のところ魔法を解いた状態の狼魔族の姿はなく、ミラージュたちから見える範囲での村の中は閑散としている様である。
襲撃を行うなら森の中が一番であり、現段階では暗殺の可能性は低くなっているが、今度は村の様子がおかしい、とミラージュは考えていた。
「それじゃあ族長の家に案内するぜ。あんまりこういうのも良くないんだが、狼魔族の中にはアンタら魔王軍に隔意を持った奴も当然いる。下手に村の中を歩き回られちゃあ余計な問題が起きるかもしれないから、勝手な行動は慎んでくれよな」
一同は再び歩き始め、村の中を進んでいく。
ルヴトーの発言は尤もであり、いくら交渉する事が決まったとはいえ、全員の意思統一をすることなどは不可能なのだ。
これは現在魔王軍に所属する魔族たちでも同じような経験があり、ミラージュもアスタルトもラファールも身に染みて理解していた。
種族全体としての方針と、個人としての感情はどうしても別の問題になるのは当たり前の事なのだから。
「……それにしても随分と静かと言うか、他の方の姿が見えないようですが皆さんは狩りに出向いているのですか?」
「ああ、今夜はアンタたちを歓迎する宴を開く予定だからな。男衆だけじゃなく、女も子供も森の中にいるぜ」
「フーン、狼魔族って好戦的で野蛮な種族だと思っていたけど、意外と殊勝なのね」
ミラージュの問いかけに対してルヴトーは即答し、ラファールが感心したような声をあげる。
日頃の魔王軍との小競り合いや、森の入り口での対応を考えればそう思うのも無理はないだろう。
実際にミラージュ自身も、少々意外だなと思いつつも、本当にそうだろうか、と疑いの眼差しを向けていた。
ラファールなどが聞いたら細かい事を勘繰り過ぎだと一蹴するのだろうが、ミラージュの勘が先程から警鐘を鳴らし続けている。
森の中で襲われることもなく村に到着し、寧ろ案内役のルヴトーは好意的で、いい加減警戒を解いても良いはずなのだが、それでもこの村は危険だと、ミラージュにはそう思えてならないのだ。
森の入り口での対応、ルヴトーの言動、村の様子、同行している二名の狼魔族、不自然な狼化、その全てが一応は筋が立っていたものの、ミラージュの中では偽りの理由にしか見えていなかった。
「今まで敵対していたとは言え、大切な交渉相手には違いないからな。最低限の筋は通すのが狼魔族の礼儀ってモンよ。……っと、あそこが族長……まあ俺の親父が住む家だ」
おそらくは村の中央辺りに差し掛かったころ、周囲の家よりも二回りほど大きな木造の屋敷が建っていた。
結局、不審な点はあるものの、はっきりとした結論が出ずに族長の家に着いてしまったが、今更帰る訳にもいかないのでミラージュたちはルヴトーの案内で家の中に入り廊下を進んでいく。
案内役である他の二名は家の入口に待機しており、今ここに居るのはルヴトーを含めた四名となっているが、ギシギシと床のきしみが鳴り響くだけで、静けさが余計に不気味な雰囲気を醸し出していた。
いくら村人が出払っているとは言え、族長の家の中に家族はもとより使用人の一人もいないなど流石におかしい、とアスタルトやラファールも気が付いたのか、怪訝そうな表情を浮かべていた。
「随分と静かですね。族長の家だと言うのに誰もいないようですが」
「大事な話だからな。事前に人払いをしているから、今家の中にいるのは親父と俺たちだけだ」
ルヴトーの発言は尤もらしく聞こえるが、族長に護衛も付けずに交渉を行うなど、当然あり得ない事なのだ。
この家ごと何らかの方法でミラージュたちを亡き者にすると言われた方が、遥かに納得できるほどだ。
当然、ミラージュはいつでも脱出できるように転移魔法を唱える心構えはしているものの、そのような気配を感じる事は無い。
「ここが親父のいる部屋だ。親父、魔王軍のお客人を連れてきた。入るぞ!」
中からの返答を待たずにルヴトーが襖に手をかけて中へと入っていく。
狼魔族は遥か昔に東方から流れ着いた魔族と言われており、今でもその文化が受け継がれている。
森の中に住んでいて外部との接触をしない狼魔族のルヴトーが、「蓼食う虫も好き好き」などの東方で使われている言葉を知っていたのにも、そのような理由があるのだ。
「……失礼します」
「お邪魔するわよ」
「失礼致します」
ルヴトーの後に続いてミラージュたちも部屋の中に足を踏み入れるのだが、眼に入ってきた光景は、畳の上にひかれた一組の布団と、床に伏せている老人の姿だった。
「喜べ親父、四天王が二人と副官一人だ。ここまでは何とかうまくいったぜ」
布団の中にいる老人に向かってルヴトーは声をかけるが、返事はない。
そしてミラージュは全てを察して、してやられた、と感嘆交じりに己の迂闊さを後悔した。
「そういうことですか、ルヴトーさん。既に族長さんは亡くなっているという事ですね。いやはや、最後の最後まで騙されてしまいましたよ」
「え? どう言う事よ、ミラージュ。アタシにもわかる様に説明しなさいよ」
「私も状況が呑み込めません。説明をお願いします」
ミラージュの発言に対して、ラファールもアスタルトも理解が及ばないといった様子で、説明を求めている。
いち早く事情を察したミラージュに対して、ルヴトーはニヤリと犬歯をむき出しにした後、狼化を解いて賞賛の声をあげる。
「アンタは最初から最後まで警戒していやがったから、いつ気が付かれるかヒヤヒヤしたが……何とかなって良かったぜ。正直、狼化を維持するのも限界だったんだがな」
そう言って笑うルヴトーの顔や腕には黒いあざの様なものが多数あり、所々腫れ上がっていた。
その顔色は青白く、尋常ではない程発汗しており、おそらくは高熱を伴っている事が伺える。
素人から見ても一見しただけで何らかの病気に罹っている事がわかる為、それを狼化することで全身を毛で覆いつくし、これまで隠し通してきたのだろう。
同行していた狼魔族二名の様子がおかしかったのも、緊張していたからなどではなく同じ病に侵されていたのが原因だったのだ。
「今までの行動から察するに、相当感染力の高い病気の様ですね。最初に襲ってきた狼魔族の方々は、こちらに体液を浴びせる事を目的とした決死隊と言う訳ですか。しかし、途中で止めたのは少々解せませんね。あのまま放置して返り討ちに合わせた方が、確実性が高まると思いますが……」
「ッケ、わかりきった事を聞きやがって。あの馬鹿ガキ共は狼魔族の未来を担うって役割があるんだ。死ぬのは年長者の役目って決まっているんだよ」
病気の感染経路は複数あるが、初めの狼魔族たちが狙っていたのは血液や唾液を媒介とした感染であった。
死を覚悟して襲い掛かる事で自身の返り血を浴びせる為だけの存在だったのだが、最後の最後まで反対していたルヴトーが止めに入った為、困惑の表情を浮かべながらも族長代理の指示に従っていたのだ。
「ちょ、ちょっとどういうことよ! もっとわかる様に説明しなさいよ!」
二人のやり取りに我慢の限界がきたのか、ラファールが大声をあげてミラージュに詰め寄っていく。
一方のアスタルトは今の会話を元に考え込んでいるのか、ジッと黙って身動き一つしていない。
「落ち着いてよ、ラファ。現在、狼魔族には何らかの感染症が蔓延していて、それを治す見込みがない状況にある。そこで魔王軍に交渉を持ちかけて、僕たち四天王などの上層部を呼びつける事で同じように感染させる。当然、魔王軍としては重要な戦力だから治療方法を見つけるのに躍起になる。つまり、自分たちではどうする事も出来ないから、僕たちを巻き込んだって訳だよ。そうですよね、ルヴトーさん?」
「……正解も正解、大正解だ。本当にアンタは恐ろしいな。逆に来てくれたのがアンタで助かったぜ。それだけ頭の切れる奴なら、魔王軍としても失う訳にはいかないだろうからな。精々必死になって治療法を見つけてくれ。それが俺たち狼魔族が魔王軍に加わる交渉条件だ。その為なら、親父の死体は自由に使って調べてくれても構わない。これは族長である親父の遺言だから気にする必要もない」
「な、な、な、ふざけんじゃないわよ! 勝手にアタシたちを巻き込んでおいて治療しろっていうの? そんなことをする義理もないし、アンタたちが苦しまない様に一思いにこの村を焼き払ってあげるわよ!」
狼魔族に騙されていた事を知ったラファールは烈火のごとく激怒し、その体を変化させていく。
全身が緑の鱗に覆われ、その肉体は盛り上がり何倍にも膨れ上がっていき、美しかった顔は爬虫類の様に変質していた。
その姿は伝説の魔物とまで言われて恐れられている竜そのものであり、部屋の天井まで届くほどに巨大化していた。
「やめるんだ、ラファ。まだ話は終わっていない」
「何言っているのよ、ミラージュ。アタシたちを騙したこいつらを庇うって――」
「――やめろ、ラファ。交渉役はお前じゃなくて僕だから余計な口出しをするな。何度も同じことを言わせるな」
「わ、わかったわよ。そ、そんなに怒らなくたっていいじゃない」
全身を刺して貫くような冷たい声を発したミラージュに、ラファールは戸惑いながらも大人しく従う事に決めたようだ。
アスタルトも普段とは違う様子に驚き、思わず息を殺して自らの気配を消そうとしてしまう程に、ミラージュからは恐ろしい殺気めいたものが立ち込めていたのだ。
「おいおい、魔王軍はとんでもない化け物を飼っているじゃねーか。アンタらの大将はこんな奴をどうやって手懐けているんだよ……」
ルヴトーが今流している汗は決して体調のせいだけではなく、目の前にいる仮面の男への底知れない恐怖からきているのだろう。
彼自身も狼魔族の族長代理――実際には父親が亡くなっている為、現族長とも呼べる――であり、当然その強さは破格のものである。
しかし、そんなルヴトーや同じ四天王であるラファールですら、仮面に隠された男の実力に対して、鳥肌が立つほどに肌寒いものを感じていた。




