狼魔族との交渉3
狼魔族は好戦的で一見すると頭の悪い力押しの種族と思われがちだが、実際には知略にも長けた種族である事をミラージュは知っていた。
最初の挨拶から意思の疎通が取れていない狼魔族の若者たち、しかし目の前にいるルヴトーは族長代理で言わばナンバー2である。
一連の流れには間違いなく何かしらの意味があるものだと、ミラージュは確信していた。
「おう、仮面の兄ちゃん、俺に答えられることならなんだって聞いてくれ。俺はアンタみたいに強いやつは好きだからな。ウチのカミさんとのなれ初めでも何でも教えてやるぜ。俺にはもったいないくらいの出来た女だぞ」
仮面野郎から仮面の兄ちゃんに昇格したミラージュは、その発言を聞いて仮面の下でおそらく笑みを浮かべているのだろう。
それは呼び名が変わった事に対してではなく、狼魔族は誇り高い種族であるが、それ以上に家族や仲間を大切にすることを再確認した為だ。
ミラージュやラファールの軍は幾度となく狼魔族と小競り合いを起こしているため、ある程度の種族的特徴は知っているが、やはりこうして実際に会話をしているのと、争い合うのとでは得る情報量が違うのである。
「そうですね……奥さんとのなれ初めも気になりますが……ルヴトーさん、確か狼魔族の方は狩猟が得意と聞きますが、普段の食事も野生の動物が主になりますか? こう見えて僕は健啖家でして、他の種族の食事と言うのが気になるんですよ」
「ん、ああ、大体はそうだな。俺たち男衆が大きな獲物を狩って、女子供は森に自生している果物や山菜、それからウサギやネズミの小型の獲物を捕まえたりしているな。アンタらと違って上品な食い物はないから、気にいるかどうかはわからねぇけどな」
魔王リリスによって魔族たちが纏め上げられてから、魔王軍の支配下における文化や生活は飛躍的に向上していたのだ。
人間の様に街を作り、砦を建て、畑を耕し、貨幣を使用して商取引を行う。
一昔前の魔族は、狼魔族のように狩猟中心だったのだが、ここ数百年で飛躍的に進化したと言っても過言ではない。
それ故に、昔ながらの生活を続ける魔族にとって、魔王軍の生活は随分と上品なものだと思われているのだ。
「なるほど、僕も幼い頃は狩りをして暮らしていましたから、懐かしく思いますよ。狩りの仕方は父に教わって野山を駆けずり回っていましたし、今でも時間があるときは自分で獲った獲物を捌いたりしていますよ。種族ごとに結構味付けに特徴があったりするので、楽しみです」
「ほう、本当に見かけによらず面白いやつだな。交渉が落ち着いたら一緒に狩りにでも出かけようや。ま、狩りの腕前は俺たち狼魔族の方が上だろうけどな、ガーッハッハッハ。」
ミラージュが交渉事や面倒事でする発言は、大抵が表面的な事実だけで相手の思考を誘導するようにしているのだ。
今の言葉も決して嘘という訳ではないのだが、面倒くさがりの性格のミラージュは狩りなども罠や魔法でとにかく楽をして獲物を得ていたし、父親が亡くなってからは時折、転移魔法で食料を買いに行ったりするだけになっていた。
そしてユリアたちとの旅の最中に野宿をする際など、状況的に仕方がなく狩りをしたりすることもあるが、決して自主的に行っている訳ではない。
しかし狼魔族は狩猟が生活の一部である為、わざと狩りの話を用いて自身の印象を良くし、口を軽くさせる目的でこのような話をしているのだ。
野性的な料理自体は嫌いではないが、どちらかというと上品な食事を好む部類であるのだが、当然、そんなことは口が裂けても言わないだろう。
「そうですね、落ち着いたら是非ともご一緒したいです。そうそう、狩りと言えば狼魔族の皆さんは獣化魔法を使われているみたいですが、やはり普段から狼化するように心がけているのですか?」
「ん、おお、そりゃあ魔法は日頃から使わねーと上達しないからな。特に若い衆には魔力が尽きるまで毎日獣化させているし、俺も見ての通り普段から使っているぜ。今じゃこの姿の方が落ち着くぐらいだがな、ハッハッハ。鼻が利いて耳も良くなって狩りもしやすくなるから、ありがたい事この上ない魔法だな」
獣化魔法もしくは狼化魔法は、狼魔族の固有魔法になる。
これは獣の特徴を持つ魔族の固有魔法が、その特徴を強化するような傾向にある為、大きなくくりでは獣化魔法と呼ばれており、総じて肉体の変化と強化をもたらす魔法である。
四天王のラファールも竜魔族であり、竜化魔法を使って変身する事で自身の翼を用いて途轍もない速さで飛び回る事が出来るのだ。
魔族領の北にある疾風城から、東にある幻影城まで一日足らずで飛んできて、ミラージュが訪れるのを待っていたのだが、それだけ長い時間魔力を消費し続けても平気なのは、流石は四天王と言うべきなのだろう。
「確かに理にかなった訓練方法ですね。僕も魔法を鍛える為に朝から晩まで使い続けた事を思い出しますよ。しかし獣化系統の魔法は強化魔法以上に魔力の消費が厳しいと聞きますが、見張りの皆さん全員で使用するのは、中々大変そうですけどね。若い方だと数時間も持たないのではないでしょうか」
「……まあ、魔力が切れても俺たちはそれなりに戦えるからな。それに見張りといってもアンタら魔王軍がこの辺りの魔族を治めているから、襲撃なんて滅多に起きないがな。昔は近隣の魔族と殺し合いなんて日常茶飯事だったっていうのによ。最近の若いやつらはどんどん腑抜けちまっているし、ま、これもアンタらの言う時代の流れってやつなのかね」
ルヴトーの答えに、やはり狼化していたのには何か理由がある、とミラージュは確信した。
狼化の特徴は目の前のルヴトーの様に、全身が毛に覆われて人と狼が合わさった様な形態になるはずだが、常に狼化しているなどの情報は今まで上がっていない、とミラージュは過去の報告を思い返す。
――ろ、う、か、報告、常用、有無――
念のため後ろにいる二人にも確認を取るが、狼化という言葉は魔王軍の手話に存在しない為、一文字ずつ表現をしているようだ。
「時代の流れと言うか、人族との戦いが激化している以上、迫害対象になる魔族を纏めると言うのは仕方のない事だと思います」
「そうね、力も魔法もアタシたちの方が強いけど、人間たちは無駄に数も多いし知恵もあ……持っているみたいだから無理もないわね」
アスタルトとラファールが、それぞれ会話に入ってきて、ミラージュに報告の有無について紛れ込ませた返答を行う。
会話の中で「あり」や「ある」を入れると肯定、「なし」や「ない」を入れると否定の意味になるのだが、ラファールは即座に対応するのが苦手なのか、一瞬間違えそうになっていた。
アスタルトはそんなラファールをジト目で見つめて、鎌の柄でツンツンと突き始め、ラファールはうっとうしそうにしながらも、自身のミスに反省しているのか無言で受け入れていた。
「フン、人間たちがどれほどのモンかしらねーが、そんなに恐ろしいもんかね。噂じゃ数が多いだけの貧弱な種族だって聞いているが、南の奴らは何をもたもたしているんだか。悪魔族の野郎共はちんたらちんたら数百年も戦っているそうだが、さっさとケリを着けちまえばいいのによ。ま、人間も悪魔族もどっちが勝とうが俺たちはどうでもいいけどな」
人と魔族の争いが激化し始めたのは、今から三百年ほど前になる。
魔族が人に害をもたらしたとか人が魔族を迫害したとか様々な説があるが、長きにわたって争いを続けている事には変わりはない。
そしてルヴトーの様に他の魔族や人間に興味がない種族は、なにも狼魔族だけではないのだ。
基本的に魔族は他の種族への関心は薄く、互いの縄張りを害する可能性のある近隣種族以外はどうでもいいと考える事が多かった。
それは人間であろうと変わりはなく、良くも悪くも他種族にはあまり興味がない傾向にあるのだ。
人間にとっては紅い瞳を持ち、人とは違う異形の生き物である――魔族――と一括りにされているが、実態はこの様なものであった。
「こっちとしては四天王の一人が人間にかかりっきりでいい迷惑よ。結局、魔王軍でまともに働いているのなんて、アタシとこのナヨナヨ仮面くらいよ。暴虐のバカと同じように見られるなんて沽券にかかわるわ!」
「私はラファがまともに働いている姿を見た記憶がありませんが……。ですが確かに同じ悪魔族でも、金角持ちとは同列に扱われるのは少々腹立たしいのも事実です。魔王軍の優先事項は魔族の統一であるという事を忘れているのは、あの変態の職務怠慢ですね」
「あのー、二人とも、身内の恥をさらすような真似はしないでおこうね。……確かに気持ちはわかるけどさ」
ミラージュは本音を漏らすラファールとアスタルトに対して苦言を呈しながらも、あの変態の話題が出た以上は仕方がないな、と思っていた。
南の地は人間の国と一番多く接しており、基本的に人間と争っているのは金角持ちの悪魔族が中心になっている。
悪魔族の数は魔族の中でも一番多く、角の色によって更に幾つかに別れているのだが、アスタルトの様に銀角を持つ悪魔族は東に、金角を持つ悪魔族は主に南に固まっていた。
そして金と銀の角持ちは悪魔族の中でも特に関係が悪く、魔王軍内でも金角持ちと銀角持ちを同じ配属先にしない様に気を使っていた。
当然、争いが起きた場合は魔王軍法で裁かれるのだが、過去に長年争い続けてきた相手の種族に対して思うところが出てしまうのは仕方がない事である。
人間であれば百年もすれば世代が完全に入れ替わり思想が目まぐるしく変化するのに対して、魔族は何百年たっても生き続け、古い価値観で考えがちになってしまうのだ。
過去に争い合った当事者たちが生きているからこそ、種族間の垣根と言うのは簡単には無くならない。
しかし、その偉業を成そうとしているのが、魔王リリスなのであった。
「クックック、仮面の兄ちゃんもなんだか大変そうだな。まあ俺たち狼魔族がアンタら魔王軍に加わるかどうかは交渉次第って訳だが……期待を裏切らないでくれよな」
ルヴトーの発言を聞いて、ミラージュは余計に怪訝そうな表情を仮面の下で浮かべていた。
期待という事は魔王軍に関わる何かを相手は求めているのであって、本来の目的は暗殺ではなかった、いや、そう思わせる為の演技の可能性もあるが、何かを求めているからこその不自然な動きだと考えると……と、ミラージュは周囲の警戒を行いながらも思考を巡らせていた。
勿論、アスタルトやラファールも多少会話をした程度では微塵も警戒を緩めていないのは、流石と言うべきだろう。
「何を要求するつもりか知らないけど、あんまり調子に乗っているとアタシが村ごと焼き払うわよ! 竜魔族を甘く見ると大怪我じゃすまないわよ!」
「……最低でも大怪我をするのは確定なのですね」
ルヴトーの発言にラファールが噛みつき、アスタルトは呆れの声をあげる。
ラファ、ナイスだ、とミラージュはラファールが同行したことに初めて感謝した。
直情的な性格のラファールだからこそ、ミラージュが尋ねるのに躊躇う事を何の裏もなく相手に聞くことが出来る。
これが自身の発言になると相手に与える印象が変わってしまい、後々の交渉に響いてしまう可能性もあるのだが、おそらく目の前のルヴトーたちにとってのラファは子供のようなものだ、とミラージュは判断していた。
「本当に元気の良い嬢ちゃんだな。まあ……大それたことじゃあないんだが、魔王軍は多くの魔族や人間たちの知識を取り入れているって聞いたからな。ちょっとその知恵を貸して欲しくて呼んだってわけだ。勿論、俺たちの求めるような答えが無ければ交渉は決裂だがな」
「それは……随分と分かりやすい線引きですね。しかしあくまでも族長代理である貴方が、そこまで決めつけてもよろしいのですか? 交渉とはお互いの希望を元に、歩み寄って妥協点を見つける事が一般的だと思いますよ」
「……そんなのは俺も百も承知だが、説明するのは難しくてよ。まあ実際に俺たちの住む村まで来てくれれば自然と理解してもらえると思うぜ。だから、そんなに警戒して背後を歩かないでくれ。俺はともかくとして、隣の二人は緊張して死にそうな顔してやがるからな」
ルヴトーたちは常に前を歩いている為、ミラージュたちにその背を晒しており、常に無防備な状態ともいえるのだ。
案内役であり、また交渉を持ちかけている以上、彼らはそうする他に信頼を勝ち取る方法は無いと理解しており、ミラージュたちもそれをわかっていた。
そしてミラージュたちが警戒しているのも当然の行動であると相手も理解しているのだが、ルヴトー以外の二人は演技とは思えない程にぐったりとした様子で、その背には汗が滲み出ている。
彼らからすれば、いつ命を奪われてもおかしくない状態であるので仕方がないか、とミラージュは思い至り、後ろの二人に声をかける。
「タルトちゃんもラファもそんなに緊張しないで少しは気を緩めるといいよ。僕なんて森の中での散歩と会話を楽しんでいるくらいだからね」
――警戒、隠蔽――
「ま、仕方がないわね。あんまり怖がらせちゃ可哀想だし、大人しくしてあげるわ」
「あまり油断し過ぎるのもどうかと思いますが、ご命令とあらば従います」
口ではルヴトーに同意しながらも、裏では警戒を悟られない様に続けることを指示するミラージュ。
先程までの警戒は、警戒しない方が不自然な状況の為、敢えて悟らせるようにしていたが、ここからは完全にその気配を無くす様にするようだ。
おそらくルヴトーだけは気が付くだろうが、他の二名ならば問題ないだろう、とミラージュは判断していた。
そしてアスタルトもラファールも、再度ミラージュの指示におとなしく従っていく。
口ではあれこれ言うものの、ミラージュの洞察力や判断力が随一である事は理解しているが故の行動である。
「仮面の兄ちゃんは恐ろしいねぇ。その道化みたいな格好も相手を油断させるためって訳かい。俺は色んな奴と戦ってきたけどよ、力を誇示するような奴は大抵が見かけ倒しのザコだったが、アンタみたいに強さを隠すのが上手いやつほど恐ろしく強いからな。」
ルヴトーの隣を歩く二名は相変わらず少し苦しそうな顔をしながらも、何のことかわからないといった様子であるが、ルヴトー本人はミラージュたちの行動に気が付いていると言った意味なのだろう。
やはりこのルヴトーだけは油断ならない相手、強者である、とミラージュはより一層警戒心を高めていた。
同じく強者に位置するアスタルトとラファールも、ルヴトーの発言の真意に気が付いたのか、言葉を発する。
「何を勘違いしているのか知らないけど、ソイツの仮面はただの趣味よ、趣味。本当に理解しがたいけど、普段からその服装で過ごしているわよ」
「ミラージュ様のセンスは良いのか悪いのか、判断に困ります。しかし、その仮面とマントは正直申し上げますと、筆舌に尽くしがたいほど残念な格好だと思います。配下の中でも不評であるとご報告差し上げても変わらないので、何かこだわりがあるのでしょうが……申し訳ありません。流石にこれ以上は私の口からはとても」
「お、おう……兄ちゃん、なんだかすまなかったな。その……蓼食う虫も好き好きって言うし……ほら、元気だせや」
……強者であるアスタルトとラファールは、その真意に気が付いたと思われるが、敢えてミラージュの格好について言及をしたようだ。
そしてルヴトーが後ろに顔を向けて、非常に申し訳なさそうにミラージュの方を見て、謝罪の言葉を口にする。
「別に……気にしていませんから。それとルヴトーさん、あまりフォローになっていませんから」
これはちょっと抜けている一面を見せる事で、親近感をわかせて相手との距離を縮め、交渉をやりやすくするための高度な技術だ、とミラージュは心の中で言い訳を開始する。
ミラージュの格好を見た相手は大体三つの反応に別れ、不審者を見るような眼になる者、ふざけていると激昂する者、そして残念な感性の持ち主だなと同情する者だ。
ルヴトーは初めこそふざけていると思っていた様で、これまでのやり取りで変化し例外的な反応を見せていたが、ラファールとアスタルトによってあっさりと再び覆ってしまう。
一同はどこか気まずい雰囲気のまま、狼魔族の村に向かって歩みを進めていくのであった。




