狼魔族との交渉2
ミラージュは素早く後ろに下がり、アスタルトとラファールを庇う様に正面に立ち、大鎌を構える。
戦う機会を邪魔された二人が抗議の声を上げる間もなく、その身体能力を活かした速さで狼魔族達は一気にミラージュへと詰め寄っていく。
「狼魔族を舐めるなよ!」
「魔法使い如きに遅れをとるような我らではないわ!」
「もらったぁ!」
正面と右左の三方向から飛び掛かってくる狼魔族だが、ミラージュは目にもとまらぬ速さで大鎌を操り、まずは正面の狼魔族の鳩尾に柄を突きつける。
そこから大きく鎌を振り回して、刃の外側である峰の部分で右側にいる狼魔族の頭を殴打し、そして再度柄の部分で左側にいる狼魔族の手を付いて武器を落とさせる。
鳩尾を付かれた者は悶絶してその場にうずくまり、頭を殴られた者は意識を失い倒れ、手を突かれた者は骨折をしたのか、もう片方の手でその場所を押さえながら苦痛の表情を浮かべていた。
「……速い!」
アスタルトはミラージュの体裁きを見て、思わずと言った様子でその口から感嘆の声が漏れだしていた。
その出で立ちや体つきからは想像も出来ない程、ミラージュの鎌捌きは卓越しており、瞬きをする間に襲い掛かってきた狼魔族を無力化したのだ。
「相変わらずの強化魔法の練度ね。でも見た目で油断させて不意を打つなんて、アタシの時と同じじゃない。アンタはワンパターン過ぎるのよ」
ワンパターンではなく油断を誘った方が効率良く相手を倒せるから常用しているだけなのに、とミラージュは心の中で反論を行う。
口に出してしまっては長引くこと間違いなしなので、当然、直接ラファールに言う事はない。
ミラージュが使用した強化魔法は、東方では気やチャクラと呼ばれている技術であり、体の隅々まで魔力を循環させることで、術者の身体能力を大きく引き上げる魔法になる。
これは魔力をもつ者なら訓練次第で誰でも出来る技術であり、騎士団などの戦いを生業とする人間ならば必修とも言える基本的な魔法になる。
しかしその練度によって効果は大きく異なり、所謂達人と呼ばれる領域になると、ミラージュの様に目にも留まらぬ速さで武器を振るほどの身体強化が可能なのだ。
単純故に強力な魔法なのだが、練度の低い者が乱用してしまうと筋肉を傷めてしまい、長時間使用した場合は全身肉離れを起こしたような状態になる事も珍しくない。
また、体外に魔力を放出して効果を発揮する攻撃魔法などと違い、自身の体内で魔力を操る技術は別の難しさがあり、魔法使いで十全に使いこなせている者は思いの外少ないのだ。
そして練度を上げるにはとにかく日々使い続けるしかないと言われていたり、瞑想を行って体内の魔力を感じ取る必要があると言われていたり、やはりまだまだ定まっていない部分があるのだ。
なお、術者の筋力が低いとそれだけ効果が薄まるとも言われている為、体を鍛えること自体は近接戦闘を主とする者は強化魔法と同様に重要視している。
最初にミラージュがルヴトーと握手をした時には既に発動しており、狼魔族の強靭な肉体から繰り出される握力に耐える事ができたのもそのお蔭だったのだが、丸太の様に太い腕を持つルヴトーに対抗できるということは、それだけ強化魔法の練度が逸脱している証左でもある。
「おい、俺たちもいくぞ! いくらアイツが強くても全員でかかればどうってことはないはずだ。仮面の野郎さえ倒せば後は女子供、敵ではない!」
ルヴトーの後ろに控えていた狼魔族が、他の仲間に声を掛けて今度は数の力で押し切ろうと考えているようだ。
その声に賛同するように、皆が武器を構えて飛び出す機会を伺い始める。
女子供と侮られた為か、アスタルトとラファールも望むところと言わんばかりに再度構えを取ろうとするが、その時、全身が震えるような大きな声が周囲に響き渡った。
「おうおうテメーら、大人しくしねーか! 強いのは仮面の野郎だけじゃねぇ! そっちの嬢ちゃんたちに手を出したら次は殺されるぞ! 命が惜しければ武器を降ろして黙って見ていろ、この馬鹿野郎どもが!」
その怒声の主はルヴドーであり、狼魔族達は一斉に制止し困惑半分、緊張半分の表情を浮かべていた。
しかし命令には逆らえないのか渋々と言った様子で武器を降ろしていき、何故そこまで警戒するのかと言った様子で、ルヴトーの動向を見守っている。
「フーン、後ろの奴らとは違って、アンタはなかなか悪くないみたいね」
「ラファ、せっかく相手が矛を収めたのですから、それ以上の挑発はやめてください」
そう言ってラファールは構えを解きアスタルトも武器を降ろして、しっかりと警戒はしながらも戦意を見せない様に振る舞い始める。
「そっちの仮面野郎はまだしも、嬢ちゃんたちは何者だ。同じように森に隠れていたこいつらに気が付いていたようだし、何より隙が無さすぎる。てっきり仮面野郎の情婦だとばかり思っていたんだがな」
「だ! れ! が! 情婦よ! アタシはその仮面と同じ魔王軍四天王、疾風のラファールよ!」
「魔王軍四天王、幻影のミラージュ様が副官、狂騒のアスタルトです。……次に情婦などとふざけた事を抜かしたら、その首を切り落としますよ」
ルヴトーの情婦発言に、怒り心頭と言った様子でラファールとアスタルトが名乗りを上げる。
ミラージュとは別の四天王と右腕とも言える副官まで来ている事実が、狼魔族達に動揺を与えたようで、徐々に喧騒が大きくなっていく。
「テメーら静かにしやがれってんだ! すまねぇ、ここにいるのは若い衆ばかりで、どうにも堪え性ってもんがなくてな。……それにしても四天王が二人に副官一人とは、魔王軍は俺たちと戦争をするつもりって訳じゃないだろうな?」
再度叱責の声を上げて周囲を黙らせると、ルヴトーは頭をポリポリと掻きながら謝罪をして、さらに疑問を投げかける。
若い衆と言っても、魔族を見た目で歳を判断するのは難しく、同じ様な歳に見えても数百歳離れていることは珍しくない。
魔族の成長は大まかに二つに分かれており、一つがゆっくりと何百年もかけて成長していく種族と、次に二十年ほどで大人の身体になってから数百年間以上見た目の変わらない種族になる。
その為、見た目が人間でいう十歳ほどに見えても百歳を優に超えていたり、ミラージュの様に二十代に見えても三百歳近かったりする場合もあるのだ。
人間の十倍は生きると言われている魔族は、長命故にあまり年齢を気にしないのだが、それでも若さからくる未熟さは人間同様に現れやすい。
また、種族ごとに差はあるものの、概ね二百歳を越えたあたりから一人前と認識されることが多い。
「四天王が二人いるのは……まぁ、両方の領地と接しているので交渉をするには適していると思っただけですよ。戦力過多なのは認めますが先程の様に襲われる懸念があったものですから、多目に見て頂けるとこちらとしては助かります。四天王が二人いるのも、それだけ魔王軍が今回の交渉に力を入れていると思ってください」
ここぞとばかりに付け入るすきを見つけたミラージュは、自分たちの行いを正当化しつつ、話を有利に進めようと会話を展開する。
実のところ、ラファールは無理やり着いてきただけであるし、挑発行為をしたのもミラージュ側――正確にはアスタルトとラファールの二人――なのだが、前者には都合の良い理由を付け、後者の非がある部分は完全に無かったことにした上で襲われた事実を強調し、相手に罪悪感を芽生えさせようとしているのだ。
状況的には襲い掛かってきたのは狼魔族側であるのは間違いなく、どちらに非があるかは明らかなので有効となる方法である。
交渉事に於いて本題に入る前に心理的に優位に立っておく事は基本中の基本であるため、ミラージュのやり方は実に理にかなっていた。
「うちの若い衆が襲い掛かったのは事実だし、それを言われるとこちらとしては反論のしようがねーな。しかし魔王軍もなかなか粋な事をするじゃねーか。こっちとしてもお偉いさんが多い方が都合いいし、早速村まで案内するぜ。おう、お前ら! 俺はお客人を案内するから、しっかりと見張りを続けておくんだぞ!」
そう言ってルヴトーは狼魔族の若者たちに声を掛けると、彼らは素直に従ってあちらこちらへと散っていく。
残ったのは最初からルヴトーの傍に控えていた二名だけで、どうやら彼らとルヴトーが案内役になるようだ。
しかし、今の状況にはいくつか妙な点もある、とミラージュは疑いの眼差しをルヴトーに向けていた。
――不審有、要警戒――
ミラージュは正面にいるルヴトー達の視界に入らない様に背中に手を回して、背後に控えているアスタルトとラファールへ手の動きや指の本数で警戒を促していた。
これは魔王軍で採用されているハンドサインで、簡単な意思疎通は言葉を介さずに可能としており、当然、四天王と副官であれば習得していて当たり前である。
「おっし、それじゃあ俺たちが案内するから着いてきてくれ。森の中は入り組んでいて迷ったら抜け出せなくなるからな。……まあアンタらは大丈夫だと思うが、念のため注意してくれ」
「ええ、肝に銘じておきます。それでは案内を宜しくお願いします。ラファ、タルト、二人もしっかりと付いてきてね」
相手を疑っている事を微塵も感じさせることなく、ミラージュは平素通りの口調で返事をして、アスタルトとラファールを伴い、ルヴトー達の後を追って森の中へと足を進めていく。
ここから先は狼魔族の住む森、いわば彼らの庭の様なものになる。
狼魔族は森の中に集落を築き狩りを中心に生活をしている為、獲物に悟られない様に気配を消す術に長けているのだ。
遮蔽物の多い森の中での戦闘にかけては魔族の中でも随一であり、背後から忍び寄って一撃で相手を仕留める戦法を得意としている種族でもある。
不用意に彼らの縄張りである森に入ってしまう事は死を意味すると、魔族の間でも有名な逸話が残るほどだ。
しかし、先程隠れていた狼魔族はその気配を察する事が容易であり、実際には若くて未熟な者ばかりであった。
勿論、ミラージュたちの察知能力が非常に高いという訳でもあるのだが、目の前にいるルヴトーの様な実力者であれば、襲い掛かってくる直前でもなければ気が付くのは難しいはずだ、とミラージュは考えていた。
そしてなにより、魔王軍の四天王が二名もいる事に対してあまりに無警戒過ぎる事も、ミラージュの懸念を大きくしていた。
相手の立場から考えると、交渉相手として格の高い人物が訪れるのは予想しているはずだが、四天王クラスを何名も簡単に招き入れる事は、本来もっと警戒しておかしくない状況なのだ。
交渉前でまだ敵対している相手を自身の懐に入れる事と同義なはずだが、ルヴトーは都合がいいと言っていた。
これは格の高い人物を招き入れる事が、相手にとってデメリット以上に大きなメリットがあるという意味であり、最初に考えられるのは四天王の暗殺になる。
そもそも、若い狼魔族たちは敵対心をむき出しにしており、種族内での意思疎通が不十分な事も疑念を深める要因となっていた。
更には主戦力である熟練したと思われる狼魔族は、目の前にいるルヴトーとそれに付き従う二名だけであり、他の姿は一切ない。
――襲撃、要警戒、分散、注意――
狼魔族は鼻が利き耳も良い為、森の中で襲われて万が一分散させられてしまった場合、互いを見つけるよりも早く、相手に見つかる可能性の方が高くなる。
ミラージュとアスタルトは互いに連絡玉を持っているが、ラファールは対となる連絡玉を自身の副官に持たせているので、逸れてしまうと非常に面倒な事になるのだ。
ミラージュの合図にアスタルトとラファールもより一層警戒を強め、会話のない状態で一行は森の中を進んでいく。
先を行くルヴトーの背を見つめるミラージュは、その歩みを止める事無く、想定しうる事態をいくつも考え続けるのだった。
「ルヴトーさん、村に到着するまでただ黙っているのも暇ですし、いくつか聞いても良いですか」
そして、ある程度の予測を元にしたミラージュが打つ最初の一手は、会話による情報収集だった。
想像の中だけでは事実に辿り着くことは難しい、しかし余計な事を聞いてしまうと相手に余計な警戒を与えてしまう。
先程の大立ち回りを行った一回戦とは違い、静かな水面下での二回戦がそっと幕を開けたのであった。




