狼魔族との交渉1
太陽に照らされた明るい街道をひた走る一台の小型馬車。
決して広いとは言えない御者席には、三人の男女がぎゅうぎゅう詰めになって座っていた。
中央に位置するのは何とも形容しがたい不思議な仮面を着けている黒髪の男、魔王軍四天王の一人である幻影のミラージュだ。
両方から体を圧迫されている為、馬の手綱を掴むその腕は非常に窮屈そうにしており、仮面越しで表情はわからないものの、間違いなくうんざりとした顔をしているという事が、全身から発せられる雰囲気で伝わってくるほどだ。
「ねえタルト、アンタが書類を広げていると邪魔くさいから後ろの荷台に移動したらどうなの? こう狭苦しいと、いざって時に動きにくいんだけど」
「私は体が小さいので問題ありません。ラファの方こそ、その自己主張の激しい翼が邪魔だと思うので、大人しく荷台に下がってください。それともそんなにミラージュ様の隣に座っていたいのですか?」
ミラージュの左側に座る翼の生えた赤髪の少女――ラファール――が反対側に座る小柄で銀色の角と髪を持つ少女――アスタルト――に向かって、親指で馬車の荷台を指しながら移動するように要求する。
しかし当のアスタルト自身は、膝の上にある書類を眺めながら冷たくラファールに言い放つ。
ミラージュたち三名は、転移魔法を用いて前回移動時に到着した場所に現れ、そこから更に馬車で北東に向けて進んでいるのだが、一つ問題が発生したのだ。
ミラージュとアスタルトは元々二人旅を予定しており、また必要な物品の類などは転移魔法で取り寄せる事も可能な為、最低限の荷物しか馬車には載せていない。
したがって、馬車の大きさも幻影城にある中で一番小型のものを選んでいたのだ。
初日は馬車ごと狼魔族の住む場所に近い魔力印のあるポイントに転移していたのだが、馬車自体は魔力節約――というミラージュの演技――の為、そのまま現地に置いたままにして、アスタルトとミラージュは幻影城に戻っていた。
同行者が一名増えたからと言って、わざわざ変える必要もないため同じ馬車で移動をすることになるのだが、誰が御者席に座るかでアスタルトとラファールが揉め始めたのだ。
アスタルトは移動中も仕事をこなすという名目の下、効率を考えてミラージュの隣に座る事を主張し、ラファールは襲撃時に役に立つのは自分の方だと主張して、どちらも譲らなかった。
本来のアスタルトの性格を考えると、無駄な争いは避けてもおかしくはないのだが、如何せん相手が幼馴染のラファールであった為、子供の喧嘩がここで再発したのだ。
結局、どちらも引くことはなく、二人の終わる事のない争いに対して、いい加減面倒になったミラージュが両方座ればいいとは発言したことで今の事態に陥る事になっていた。
ちなみにミラージュ本人としては自分が荷台に引きこもるつもりで発言したのだが、アスタルトとラファールは全員で座るものと解釈したようである。
「べ、別にコイツの隣に座りたいとかそういうつもりじゃないわよ! そうやって下種の勘繰りで変な勘違いをしないでよ! 狼魔族は動きも早くてそれなりに力もあるから、この黒モヤシに危険が迫らない様に護衛してあげるだけなんだからね!」
「まあ、ラファがどう思っていようが私には関係ありませんが。そんな黒モヤシ様に挑んで負けたのはどこの四天王だったのやら……。確か、疾風だなんて大層な二つ名が付いている、竜魔族にしては珍しい脳筋娘だったような気が……。」
「アタシだってあれから鍛えているから今なら負けないわよ! でも魔王様が決闘禁止だなんていうから仕方なく我慢しているだけで、すぐにでも再戦したっていいのよ。ついでにタルト、減らず口を叩くアンタもまとめてボコボコにしてあげるわ」
ミラージュはラファールの黒モヤシ発言を聞いて、思わずクスリと笑ってしまう。
本来の実力は別として、体の線が細めで魔法偏重の戦い方を好んでいたミラージュは、肉弾戦には滅法弱いものだと魔王軍内部でも思われていた。
そんな折、初めてラファールと出会った時に言われたのが、黒モヤシと言うなんとも的を射た表現だったのだ。
髪も黒ければ、黒いマントに服装も黒、しかし中身は色白で細身のミラージュには、ある意味ピッタリのあだ名とも言える。
大したことがないと甘く見ていたミラージュにラファールが勝負を挑んで負けてしまったのは、どちらも四天王になる前の話だが、負けず嫌いのラファールにとって我慢のならない事のようで、それ以来何かと絡んでくるようになったのだ。
流石に四天王同士の戦いはあまりに危険すぎると魔王リリスが決闘禁止令を出しているのだが、それ以外の部分に関しては、ラファールは何かと張り合っている。
勿論、当のミラージュは面倒事が嫌いな為まともに相手をしないのだが、その態度が余裕の表れだと思われてしまい、余計にラファールを熱くさせていた。
「黒モヤシと言われて笑い出すだなんて、流石は変態仮面のミラージュ様ですね。罵られて喜ぶような上司をもった私は、魔王軍一不幸な副官だと思います。いえ、一番はどこかの竜魔族の副官ですね。仕事を投げ出して関係のない事に首を突っ込む四天王に仕えるなど、想像しただけで不快です」
今日もアスタルトの口撃――口から発せられる言葉の攻撃――は切れ味が鋭く、対象も二倍となってより一層冴え渡っているようだ。
しかし本当にそうだろうか、南の地にいる変態は最早論外だとしても、西の地を治めるあの子も相当マイペースで周りを振り回しており、副官がいつも後処理に追われていた印象が強いな、とミラージュはアスタルトの発言を聞いてもう一人の四天王とその副官について思い返す。
「タルトちゃん、自分で言うのも何だけど、他の四天王に比べたら僕は結構まともな部類な気がしてきたよ。そもそも交渉事が僕ら二人に集中している時点で、おかしいと思うんだ」
「ちょっとアンタたち、まるでアタシがまともじゃないみたいな物言いじゃない! 大体、アンタらは揃いも揃って細かい事を気にし過ぎなのよ。ガツンと一発殴って言う事聞かせた方がはるかに速いのに」
ラファールの言い分は横暴そのものだが、魔族の中には力こそ全てであると言う考えが根付いている事の方が多いため、意外と正鵠を得ているのだ。
魔王軍発足までの魔族は互いに交流を持とうとせずに、種族ごとに縄張り争いをしているような原始的な集まりであることが殆どだった。
これは人間に比べて非常に長命で肉体的にも優れており、また魔力も多く種族特有の固有魔法なども存在していた為、他種族と協力する必要性がなかったことに起因する。
しかし、このままでは魔族全体の存続が危ぶまれると考えた魔王リリスによって徐々に纏め上げられ、いつしか魔王軍と呼ばれる組織を作り上げるに至ったのだ。
他種族との交流を持ち始めた魔族も最近では増えてきているのだが、まだまだ一部の魔族に限られており、魔王リリスの理想には届いていない。
だが、こうして幻魔族――正確には人間とのハーフ――であるミラージュと、悪魔族であるアスタルト、そして竜魔族であるラファールが喧嘩をしながらも互いに共存している姿は、昔の魔族を知る者たちからは考えられない光景だろう。
そしてこれから交渉予定の狼魔族は、そんな昔の魔族の考えを元に魔王軍へ加わる事を拒み続けていたのだ。
彼らは非常に好戦的で且つ誇り高い一族で、ラファールの様に力づくでも言う事を聞く可能性もあるが、そこにたどり着くまでに多くの血が流れる事は間違いないだろう。
だからこそ魔王軍は狼魔族と小競り合いを繰り返していたものの、大軍を率いての武力制圧は控えてきたのだ。
今回の交渉は罠の可能性も考えられるが、狼魔族が魔王軍へ加わるとなれば他の魔族に与える影響も少なくない為、四天王が派遣される程の重要な任務となる。
「……どうやらくだらない話はここまでのようですね」
「彼らが案内役なのかな、どうやらここからは徒歩での移動になりそうだね」
「まだ話は終わっていないのに……もう」
馬車の向かう先は大きな森が広がっており、その入り口らしき場所には数名の狼魔族が待ち構えていた。
外から見る限り、森の中に伸びている道は狭く、馬車で移動する事は難しいように見受けられる。
ミラージュは手綱を引っ張り、馬車を脇へと移動させてその場に停める。
アスタルト、ラファールの両名が先に降り、続いてミラージュが地に足を着けるが、その意識は目の前の狼魔族に向けながらも周囲の警戒を怠っていなかった。
ミラージュたちと人数を合せるように、狼魔族側からも三名が前に出てくるが、彼らも同じように目の前のミラージュたちと、停めてある馬車、そして周囲を警戒しているようだ。
「あんたらが魔王からの使いか。思ったより早く来たんだな。俺は狼魔族のルヴトーってモンだ。一応、族長の代理って事で使わされたんだが、まあ宜しく頼むぜ」
「魔王軍四天王幻影のミラージュです。こちらこそ宜しくお願いします」
ルヴトーと名乗る狼魔族とミラージュがお互いに一歩前に出て、挨拶を交わす。
背丈はそれなりの高身長であるミラージュを優に超え、おそらくは二メートル近くあり、その腕や足は茶色と黒が混じった様な体毛で覆われており、顔立ちも動物の狼に酷似している。
ニヤリと犬歯をむき出しにしながら右手を差し出してきたので、ミラージュもそれに答えて右手を差し出し握手を行うと、周囲にギギギと鈍い音が響き渡った。
「ほう、流石は魔王軍の最高戦力だなんて呼ばれる四天王様だな。ふざけた仮面をしているからその手を握りつぶしてやろうと思ったのに、見かけと違って中々やるじゃないか」
「こういう対応には慣れていますから。……ところで、森の中から様子を伺っている方々も僕たちを試すためにご用意されたのですか? 正直、あまり時間を浪費するのは好ましくないので、余計な行動は控えて頂けるとありがたいです」
ますます笑みを強くするルヴトーに対して、ミラージュがそっけなく返答をすると、その表情は驚きに変わり、そしてもう一度笑みに戻っていく。
「っくっくっく、あーはっはっは! 日頃から野生の魔物や動物たちを相手に狩りをしている狼魔族の気配に気が付くとは、どうやら本物みてーだな。おいテメーら、見つかっちまったんだからさっさと出てきやがれ!」
ルヴトーが森に向かって大声を上げると、ゾロゾロと狼魔族達がその姿を現し、ルヴトーの後ろに並び立つ。
その数はおおよそ三十ほどで、皆一様に武器を構え、今もなお臨戦態勢のままといった様子である。
自分たちの存在を容易に気付かれた事が癪に障ったのか、ミラージュたちを睨み付ける様に鋭い視線を飛ばしており、何かのきっかけですぐにでも飛び出してきそうな物々しい雰囲気を醸し出していた。
「フン、何をそんなに気に食わないか知らないけど、そこら辺の雑兵相手ならまだしもアタシたちを舐めすぎよ。頭数だけ揃えても無駄だってことを教えてあげてもいいわよ」
「私たちは交渉に来たのですが……まあ、そちらがその気ならお相手するのも吝かではりません。その首を刈り取られる覚悟のある方はご自由にどうぞ」
一方のミラージュ側も、ラファールが両の拳を一度ぶつけてから構えを取り、アスタルトも大きな鎌をゆっくりと振り、相手を挑発している。
二人の挑発に我慢の限界が来たのか、数名の狼魔族が前に飛び出してミラージュたちに襲い掛かり始めた。




