宴の後に2
「あ、あの、ファルサ君? その、少し落ち着いて、ね? 別にファルサ君が嫌だとかそういう訳じゃ無いけど、もう少しお互いの事を知ってからでないと駄目だと思うのよ。確かに私たちはそれなりの付き合いがあるけど、こんな急じゃなくてまずはお手紙のやりとりとか、もう少しゆっくりと関係を築いていく方が望ましいと……」
パルミナは珍しく少し、いやかなり慌てて抗議の声を上げているが、抵抗をする様子はない。
ユリアの置物は大きく目を見開いており、ゼノビアの銅像は眉間の皺が深くなっているが、どちらもそれ以上の動きはない。
このまま何かしらの間違いが起きてしまいそうな状況になっているのだが、ファルサはパルミナの後ろ首に回していた手を肩へと移動させ、ゆっくりと押し出しながら優しくその体を引き離した。
「え? え? ファルサ君? ……あっ! そういうことだったのね」
パルミナは自身の胸元にある、銀色に光る物体を見つけて納得の声をあげる。
「パルミナだけ遅くなったのは申し訳ないけど、決して意地悪をしていた訳じゃないんだ。こういうのは二人きりにならないと渡せないからね。本当ならもう少し違うタイミングが良かったけど……どうかな?」
ゼノビアへのプレゼントとなるバレッタを購入したのは昨日の事だ。
それからユリアの尋問が始まり、イヤリングをプレゼントしてからは、四天王ミラージュとしてアスタルトと共に狼魔族の住む場所へ移動していた。
しかし、遅刻によって予定の行程を終わらせて転移魔法で戻ってくるのが遅くなり、そのまま本日の予定が詰まり気味になってしまったのだ。
急いで領都フーシェに向かったものの、運悪く魔物や盗賊とも出くわし、予定からかなり遅れての到着となる。
領主の館に着いてからの女性陣はお風呂に入ったり着替えたりと大忙しで、そのまま晩餐会が始まり、ファルサとパルミナが二人になるような時間は存在していなかった。
プレゼントをするからにはシチュエーションも重要である、とファルサは考えており、そのタイミングを図るつもりだったのだが、彼の誤算はユリアとゼノビアだった。
「私もこのネックレスを着けて晩餐会に出席したかったのに……その辺りはどうお考えですか、ファルサ君?」
パルミナを除く二人はファルサのプレゼントを身に着けて晩餐会に臨み、今も着けたままでいる為、こうしてパルミナが拗ねてしまったようなのだ。
「流石にそれは僕でも嘘だってわかるよ。パルミナは場にそぐわない装飾品はしないって断言出来るからね」
「それでも、私は少し傷つきました。ファルサ君は女の子を傷つけて放置するような、悪い子だったんですね」
つーん、と横を向いて如何にも不機嫌です、と言った様子のパルミナ。
珍しい態度だな、と思いながらもファルサはポリポリと頭を掻いて、改めて提案をする。
「確かに、疎外感を与えちゃったのは事実だし……うーん、王都に戻ったらパルミナの好きな劇を観に行くのはどうだい? 不肖、私ファルサ・スペキエースがお嬢様をエスコートさせて頂きます」
ファルサはソファから立ち上がり、パルミナの目の前まで移動してその場で跪く。
そしてパルミナの右手を取り、ゆっくりとその甲に口を近づけて、キスをする。
この仕草は本来、上流階級の人間が行うもので男性から女性へ向けた最上級の敬愛表現なのだが、今では劇の中か式典でしか見られないような古い風習になる。
しかし、ファルサは敢えて演劇好きのパルミナ相手に実践し、さながら王女に忠誠を尽くす騎士の如き振る舞いをしてみせたのだ。
「うーん、七十五点です。仕方がないので今回はギリギリ合格にしてあげます」
「ふぅ、及第点なのは助かったけど、二十五点分の減点理由を聞いてもいいかい?」
パルミナがそう宣言したことで、今回の騒動は決着がついたようだ。
そしてファルサとしては自らの対応は渾身の出来だったと自負しているようで、パルミナの採点に少々納得がいっていないのか、詳細を聞き出そうとしていた。
「減点箇所は二つあります。一つ、強引に私を抱き寄せたのでマイナス三十点。二つ、同じく手の甲にキスをしたのでマイナス二十点。お付き合いしていない女性の体に触れる行為は、本来はしてはいけない事ですよ」
「減点理由は分かったけど、そうなると余計に計算が合わなくないかな。二十五点分はどこにいったのかな?」
ファルサの中では強引に抱き寄せたのは理由があり、相手が予測していない行動で冷静な判断を下せない状態に持ち込み、そのまま畳み掛ける心算だったのだ。
実はあの状況下では正解の行動でもあり、そこからプレゼントを首にかける事でそちらに注目させ、パルミナの感情を怒りから驚きに染め上げて、更には喜びへと変化させていたのだ。
二度に渡る感情の大きな変化――正確には驚きは二度あったので回数自体は三度――は、パルミナの中に当初存在した怒りを薄れさせるには十分で、結果は今の状況になるという訳だ。
しかし、こうして冷静になってから振りかえられてしまうと、パルミナの性格上、減点されるのは仕方がないな、とファルサは思っていた。
「二十五点分はそうですね……悪い子のファルサ君には秘密です。王都での演劇、楽しみにしていますね」
そう言って悪戯な笑みを浮かべるパルミナは、普段の聖女らしさからはかけ離れ、十九歳のどこにでもいる一人の少女そのものだった。
どうにも敵わないな、とファルサは心の中で思っていると、置物が突然動きだし始めた。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとまったー! ボク達を無視して良い雰囲気を作るだなんてどういうつもりだい? 何がどうなってファル兄とパル姉がお出かけする事に決まったのさ!」
「そ、そうだぞ! パルミナ殿もファルサ殿も自然に、で、で、でぇとの約束などしているが、一体何が起こっているんだ? 先程までパルミナ殿が怒っていたように見受けられたのに、今のこの雰囲気は何だ! 私にはまったく理解ができないぞ!」
二人が抗議の声を上げるのも無理はないだろう。
端から見ている分には、怒っているパルミナにファルサが抱きつきプレゼント、そしてデートの約束をしているだけなのだ。
更にそれが済むと突然採点が始まったのだから、何をどうしたらそのような事態に陥るのか、皆目見当もつかないといったところだろう。
「あー、二人とも、パルミナに担がれていたのさ。本当はそこまで怒っている訳じゃ無くて、僕たちの反応を面白がっていただけだよね、パルミナ?」
「うふふ、ファルサ君ったら簡単に教えちゃだめですよ。でも、いつから気が付いていたのですか? 私には本気で焦っているように見えたのですが」
「いつからって……疑問に思っていたのは初めから、確信したのはネックレスを着けて晩餐会に参加したいって言った辺りかな。パルミナの性格を考えたら、わざわざ皮肉めいて話題に出すのはおかしな話だし、晩餐会の件なんてあり得ない事だからね。まあ仲間外れにされて少し拗ねていたのは事実だと思うし、きっかけはユリアとゼノビアの行動だろうけど、それだけで怒るほどパルミナは狭量じゃないはずだよ……ただ、僕も最初は焦ったけどね。」
ファルサの説明にユリアとゼノビアは口を開けて、間の抜けた表情になってしまう。
自分たちが本気で冷や汗を掻いていたというのに、ファルサとパルミナは茶番に近いやり取りをしていたのだから、驚くのも無理はないだろう。
しかし、勘の良いユリアは改めておかしな点に気が付いたのか、重ねて追及の声をあげる。
「二人が途中から茶番をしていたのはわかったけど、それならファル兄が演劇に誘う必要はないよね? 気が付いた時点でそこで終わりにしてもいいじゃないか。わざわざパル姉が何かを要求する必要が……まさか!?」
「……パ、パルミナ殿! まさか最初からそれが目的だったのか!? 王都に戻る直前のタイミング、私とユリアの行動、それを利用したというのか!」
ユリアの言葉にゼノビアもパルミナの行動に対する違和感に気が付き、再度驚愕の声を上げた。
ユリアとゼノビアに顔を向けられている中、既にパルミナはいつもの聖女の微笑みに戻っており、一切動じる様子がない。
十九年と言う歳月の中、培われてきた聖女の笑顔という名の防壁は厚く、ユリアやゼノビア程度では揺らぐことはないだろう。
「あらあら、二人とも少し落ち着いてちょうだい。一つ誤解があると思うのだけれど、もし私が今回みたいな行動を取らなかったら、ユリアちゃんもゼノビアちゃんも、ずっと浮ついたままだったと思うけど、違うかしら? 特にゼノビアちゃんなんて、侯爵令嬢にしては似つかわしくない髪飾りをしていたのだから、目敏い人は違和感に気が付いていたと思うわよ。実際に、私の所にもゼノビアちゃんの異性関係について聞きに来る方もいらしたし、少し軽率だったんじゃないかしら?」
ファルサがゼノビアに贈ったバレッタは高価な品にはなるが、侯爵令嬢としての身分を考えた場合には不釣り合いになってしまう。
これは決して東方製の髪飾りの質がどうこうという訳ではなく、高位貴族としてはもっと宝石等を多く誂えた高価な品を着けるのが一般的なのだ。
技術的には高度な作りであっても、素材はあくまでも銀、どうしても総合的な価値としては見劣りしてしまう。
ゼノビアのコーディネートのセンスによって、違和感は殆どなかったと言っても過言ではないが、それでも目端の利く商人や貴族も当然存在する。
彼らはおそらくこう思ったのだろう、質の落ちる品を態々つけているという事は、身分差のある異性からのプレゼントではないのだろうか、と。
ここでファルサが候補に挙がらないのには二つ理由があり、一つが宮廷魔導士筆頭で子爵でもある人物が贈るならばもっと高価な品だと言う貴族や商人の常識、そして二つ目が会場でユリアと腕を組んで仲睦まじげな様子を見せていた事だ。
勿論、ゼノビアの髪飾りに気が付く人物というのは、ほんの一握りなのだが、貴族の社交界と言うのはそこから噂が発信されて広まっていくものだ。
そして噂と言うものは大袈裟になっていくもので、王都まで届くころには、身分が低い生まれの男と、侯爵令嬢でもあり騎士団団長のゼノビアによる悲劇のラブロマンスといった風に脚色をされていることだろう。
「ぐ……、た、確かに軽率だった。パルミナ殿、ご忠告痛み入る」
あっさりとゼノビアは撃沈し、残すところはユリアだけとなる。
先程とは逆に、ファルサは置物となって三人のやり取りを静観していた。
女性同士の話し合いに男が混じって得をすることはないと、ファルサは心の底から理解しているのだ。
「そしてユリアちゃん、貴女も軽率だったわよ。確かにユリアちゃんの気持ちもわからなくもないけれど、晩餐会の様な公の場でファルサ君にくっついていた事が良くないのはわかっているわよね? ファルサ君は……ユリアちゃんに優しいから、ついつい甘えたくなると思うけど、ファルサ君の立場を少しは考えてあげてね。何でも受け入れてくれるからって、一方的に甘え続けるのは、相手の事を思いやれない証拠です。大切に想う相手だからこそ自ら我慢をするのも必要だって、ユリアちゃんならきちんと理解してくれると私は思っているけど……どうかしら?」
「う、あ、あれは……その……ごめんなさい。ボクが甘え過ぎていました。ファル兄もごめんなさい」
聖女パルミナは優しい、とても優しいのだ。
優しさと言うものは相手を甘やかせばいい訳ではなく、大切に思うからこそ時には厳しく接する必要がある。
今回のゼノビアやユリアの行動は、決して褒められたものではなく、またファルサからは指摘が出来ないのを、パルミナは理解した上で発言しているのだ。
そしてそれは、ゼノビアやユリアなら自身の行動を顧みて反省するだろうと信頼しているからこそ、パルミナも歯に衣着せぬ苦言を呈する事が出来る。
元々は勇者ユリアを育成するための集まりではあるが、今まで共に過ごしてきた時間の中で、しっかりとパーティとして機能しているのは、人選を行った第一王女の慧眼が冴え渡っていた証左なのだろうか。
「僕は……うん、ここは謝罪を受けておくよ。」
随分とそっけない態度で返事をしているが、この時ファルサは全く別の事を考えていた。
パルミナが自分の話題を出した時、一瞬こちらに視線を向けて間を空けていたのは偶然じゃないはずだ、まるでユリアへの態度について何かを見透かしているような、意味ありげな態度に見える、とファルサは思考を巡らせている。
しかしパルミナの心の中を覗けるわけでもなく、また考え過ぎと言う可能性もある為、ファルサは余計な事を考えるのを止めた。
「少し話はそれたけど、改めてフーシェ子爵について情報を纏めようか」
ファルサが気を取り直してパンパンと手を叩き、皆の注目を集めて再度本題に突入する。
ユリアもゼノビアも、意識を切り替えたのか顔つきがグッと引き締まった。
ファルサとパルミナのデートについて上手くうやむやになったのは、偶然なのかそれとも必然だったのか、それを知るのは聖女の微笑みを浮かべるパルミナただ一人だけである。




