貴族の宴3
宮廷魔導士筆頭、ファルサ・スペキエース子爵。
若くして王国内における魔法使いの頂点に立つ男だが、決して全ての貴族から好意的に受け止められているという訳ではない。
同じ魔法を極めんとする宮廷魔導士や、一部の王族、騎士団の人間など、友好的な人物も当然いるのだが、所謂成り上がり者のファルサは、血筋を重視する歴史ある家の貴族達からは嫌われている。
彼らは純血派もしくは血統主義等と呼ばれる貴族で、自らに高貴な「青い血」が流れており、平民や歴史の浅い貴族家、そしてファルサの様な成り上がりに対して「汚れた血」が流れていると考えているのだ。
元々の純血派の始まりは、ファルサの様な成り上がりの貴族が、礼儀作法に疎く無礼な態度をとる事が多いという、実は至極真っ当な事実から来ているのだ。
幼少の頃から貴族としての高度な教育を受け、見せかけの身分ではなく、中身も伴ってこそ初めて真の貴族と呼べる……本来はそのような考えが主流であった。
しかし、いつしかその理念は形骸化し、今では家の歴史や血筋を重視する歪んだ価値観へと変わってしまっていた。
「こんな所でお一人とは、寂しくはありませんか、お嬢様」
先程まで女性に囲まれていたファルサだったが、得意の口先で上手く躱し、会場を抜け出して中庭へと足を運んでいた。
そこには青いドレスに身を包んだ一人の少女が、ベンチの上で足を抱えて座り込んでおり、ファルサは優しい声色ながらも少し気障ったらしく声をかけたのだ。
「別に……いつもの事だしボクは寂しくなんかないよ。それよりもファル兄こそ抜け出してきていいのかい? 沢山の綺麗な女の子に囲まれて鼻の下を伸ばしていたから、てっきりボクの事なんて気にしてないのかと思ったよ」
少しむくれた様子でユリアが返事をする。
ファルサは血統を重視する貴族からの受けは良くないものの、若くて背が高く、身分も力もあり、その上顔も整っていて、黒髪黒目でミステリアスな雰囲気があると、貴族の令嬢たちには大人気の存在なのだ。
パルミナには男性が多く集まり、ゼノビアは男女両方、ファルサが女性中心と、見事に三者三様の需要を満たしていたりもする。
「僕はユリアと出会ってから、君の事を片時も忘れた事なんてないよ。それに弁解しておくけど、鼻の下を伸ばした覚えはないからね。あんまり変な言いがかりはつけないで欲しいな」
ユリアの隣に腰を下ろし、いつもの様にその柔らかな白い髪を撫でながら、ファルサはそう言葉を返す。
まるで恋人に対する台詞のようだが、ファルサにはそのようなつもりもないし、当のユリアもそれは理解しているようだ。
「そうやってファル兄は勘違いさせる様な言い方をするから、被害者が増えていくんだよ。全く、いつか女の子に後ろから刺されても知らないからね」
憎まれ口を叩きながらも、その表情は嬉しそうで、ユリアは膝を抱えながら頭だけはファルサの肩に乗せている。
万が一にも後ろから刺されるとしたら間違いなくユリアからだな、とファルサは一人物騒な事を考えていた。
「……そうだね、刺される覚悟はしておかないといけないかもね。僕も中々、恨みを買う事が多いみたいだ」
「自覚があるなら別にいいけどさ、本当にファル兄は気を付けないといけないよ。ボクの中ではあの腹黒王女が一番危険だと思うけどね」
ユリアの発言と、ファルサの発言は言葉だけを取れば同じだが、その意味合いは全く違う。
しかしファルサはそれを悟らせない様に、ユリアの話に乗って会話の方向性を変えていく。
「腹黒王女だなんて、本人の耳に入ったら大変だよ。まあ確かにユリアの言う通り、お腹の中まで真っ黒だけどさ」
二人の間に笑いが生まれ、先程までのしんみりとした雰囲気はどこかへ吹き飛んでいく。
腹黒王女とはこの国の第一王女で、ファルサが宮廷魔導士になるきっかけを作った恩人……いや元凶でもあり、そしてある意味ではユリアとファルサを引き合わせた人物とも言える。
決して二人は王女の事を嫌っているのではなく、その手腕を認めているからこそ、腹黒王女などと呼んでいるのだ。
勿論、本人が聞いたら雷が落ちる事には変わりないのだが、ここは王都からも遠く離れた地であるため、その心配もないのだろう。
「そういえば、この後は一度王都に戻るんだよね? 色々な場所を見てきたけど、やっぱり住み慣れた場所が一番だよね」
「うん、ここで一仕事を終えたら、すぐに王都へ移動するよ。今もパルミナとゼノビアが情報を集めているから、それ次第では今夜にでもね」
周囲に人気は無いのだが、それでもファルサは声を潜めてユリアに伝える。
密かに防諜用の魔法も発動しており、万が一にも魔法などで盗聴されない様に徹底しているのだ。
「なんだか申し訳ない気分になるよね。ボク達はこうして中庭でサボっているだけで、二人に任せきりだからさ」
「……ユリア、非常に言いにくい事だけど、僕の方は既に情報収集が終わっているんだよね」
ファルサが気まずい表情で返事をすると、ユリアの顔は驚愕に包まれていた。
「え? 嘘? いつ? どこで? どうやって? ファル兄の仕事が早いのは知っているけど、それにしても早すぎだよ! ボクの知らない間に、ファル兄の女たらしスキルが更に上がったとでも言うつもりかい?」
ユリア達は夕方近くにこの街に到着し、それからすぐに晩餐会に参加していた。
その為、ゆっくりと情報を集めるような時間は殆どないはずだと、ユリアは考えているのだろう。
おそらくはファルサが館のメイドでも誑し込んだのではないか、と疑っているのかもしれない。
そんなとんでもないスキルは持ち合わせていない、と思いながらファルサはため息を吐く。
ユリアは急かす様にファルサの肩を揺らし、真相を問いただそうとしており、その表情は信じられないものを見るような目に変わっている。
「はぁ、少しは落ち着きなよ、ユリア。僕だってこの短時間で情報を集めたわけじゃなくて、たまたま面白い噂を手に入れて、その線から当たってみたんだよ。後はゼノビアやパルミナとすり合わせてからになるし、詳しくは部屋で話すから今は勘弁してくれないかな」
ファルサは困った妹を見るような目をしながら、ユリアの頭を優しくなでて落ち着かせる。
防諜対策をしているとはいえ、周囲が開けた中庭で話すような話題ではないとファルサは判断しており、ユリアもそれに気が付き、勢いが収まっていく。
「うーん、それじゃあもう少し後の話になるね。このままずっと中庭にいるのも良くないだろうし、そろそろボク達も会場に戻らないかい? ファル兄が一緒ならボクは平気だしさ」
晩餐会の時間はまだ半分が過ぎたというところで、まだまだ先は長く、いつまでも抜け出している訳にはいかない。
当然、ユリアもファルサもそれは理解していたのだが、ユリア自身から言い出すとは意外だな、とファルサは思っていた。
人の多いところではユリアの存在は好奇の視線を集めてしまう為、今までも極力は目立たない様に行動していたのだ。
ユリア自身も人前に出る事に抵抗があるので、ファルサもかなり気を使っており、だからこそ、こうしてユリアを探して中庭まで訪れていた。
宴会を長い時間抜け出してしまうのは、主催者に対して無礼であり、当然ファルサの評判も下がってしまう。
しかしファルサはユリアの為なら、そのような評判などは捨て置いても構わないと思っていた。
やらなくてもいい事はやらず、やるべきことは迅速に、が信条のファルサだが、人間社会における信用や評判は魔族以上に重要であることを理解している。
物事を迅速に進めたくても、信用がなければ話が進まない事は五万とある、しかしファルサは自身の信条以上にユリアを優先しているのだ。
それは愛だとか恋だとか浮ついたものではなく、もっと後ろ暗い感情なのだが、ユリアに悟られる事がないように、ファルサは今までも、そしてこれからも、同様に接していくのだろう。
「ユリアが平気なら僕は構わないけど、本当にいいのかい? 今回は無理をする必要はないんだよ」
「うん、心配居てくれてありがとう。でもボクは平気だよ。……こうしてファル兄が隣に居てくれたらどんな事だって、へっちゃらさ!」
心配そうな顔をしているファルサとは裏腹に、ユリアは笑顔を浮かべてファルサの腕に纏わりつく。
どうやらこのままの状態で会場へ戻り、残りの時間はファルサに引っ付いて過ごす心積もりの様だ。
その姿は会場の人々にどのように映るのだろうか、小さな勇者と護衛の魔法使いなのか、愛を誓い合った男女なのか、それとも仲のいい兄妹なのか。
しかしファルサはそんな事を気にする様子もなく、腕に抱きつくユリアと共に宴会が行われている大広間へと足を進めていく。
この二人の姿が後世に語り継がれることになり、演劇「仮面の魔法使いと白き勇者」の有名なワンシーンとなるとは、今は誰一人として知る由はなかった。




