貴族の宴2
「正直に申し上げますと、少々元気過ぎて困っております。今でも領内で魔物や盗賊騒ぎがあると、自ら前線に立って兵を率いているくらいですから。騎士団を引退したと言うのに、あれでは何の為なのかわからないくらいです」
「ほほう、確かクテシフォン侯爵は既に齢五十を越えていたかと。まだまだ現役とは、流石は鬼神と呼ばれていただけの事はありますな。私など領内の事は息子にやらせておりますので、半分隠居のようなものですよ。ところで――」
ゼノビアの父、クテシフォン侯爵はその強さから鬼神の異名を持ち、大将格として王国軍を幾度となく率いており、数々の戦で勝利を齎した人物である。
元々、クテシフォン家自体が軍閥貴族の家系であり、ゼノビアを含めてその血筋を引く多くの者が、王国騎士団に所属している。
現在は年齢を考慮して自ら引退を表明し、自身の治める侯爵領で隠居生活を送っているはずなのだが、ゼノビアが苦笑しながら話していた通り、まだまだ本人としては戦いに身を置き続けるつもりなのだろう。
「――フーシェ子爵、既婚者が美人を独占されますと独身の方々からやっかみの声が上がってきそうですよ。一旦、次の紹介に移ってもよろしいですか?」
ファルサは冗談めかした物言いで、長引きそうなフーシェ子爵の話を切り上げさせて、パルミナの紹介へ移ろうとする。
侯爵令嬢であり白百合騎士団の団長でもあるゼノビアと縁を結びたくなるのは、貴族であれば当然の行為だが、今はまだ挨拶の時である。
主催のフーシェ子爵が終えるまでは、他の招待客が話を掛ける事が出来ない為、あまり長引くと顰蹙を買ってしまうのだ。
それをファルサはオブラートに包み、あくまでも美人の独占と笑い話にすることで、フーシェ子爵の面子を守りつつ、また、こんなつまらない事はさっさと終わらせたい、という本音も密かにまじり、このような対応をとっているのだろう。
「おっと、これは私とした事が、ゼノビア嬢のあまりの美しさに、つい口が滑らかになっていたようだ。……スペキエース卿、続きを宜しくお願い致します」
フーシェ卿もファルサの意図が分かったのか、その提案に乗っかる事にしたようだ。
「では早速、パルミナ嬢こちらへどうぞ」
ユリアとゼノビアの分、待たされ続けていたパルミナは、その顔に柔らかな笑みを浮かべながら一歩、また一歩と、静かにその足を進めていた。
清楚な印象を受ける白を基調としたドレスを身に纏っており、ゼノビアとは対照的に肌の露出は非常に少なくなっている。
装飾品の類も、恥ずかしくない程度に最低限、それも一見すると地味な品にも見えかねない物を中心に身に着けていた。
これは決してパルミナが金銭的に困っているという訳ではなく、フォルトゥナ教の司祭として、つまり一人の信者として教義を守っている証でもあるのだ。
――汝、無駄な贅沢はせずに、迷える者に女神の導きを――
この教えはフォルトゥナ教に古くから伝わるものでもあり、ここでの無駄な贅沢とは決してお金を使ってはいけないという事ではない。
財貨は無駄に散財するのではなく、その状況や場に合わせて使い、身近に困っている人が居たならば自身に余裕のある範囲で助けなさいという、意外と現実的な教義である。
その為、パルミナもドレスや装飾品の品質自体は場に相応しい品を用意しているが、他者から見た場合に無駄遣いだと思われない範囲に留めているのだ。
「本日はお招き頂きありがとうございます。フォルトゥナ教司祭、パルミナでございます。此度の出会いは女神さまのお導きによるもの、その運命に感謝致します」
右手を胸元にある首飾りに当て、ドレスの左端を摘まんで一礼をするパルミナ。
その姿は女神本人がこの世に顕現したかの如き美しさで、一瞬にして周囲の視線を集めていた。
「おお、教会の聖女様のお噂は聞いておりましたが……何とお美しい方なのでしょう。おっと、これは失敬。私はこの街を治めるロべス・ド・フーシェでございます。聖女パルミナ様にお会いできたのも、我らが女神フォルトゥナ様による運命なのでしょう」
フーシェ子爵は決して敬虔な信者ではないのだろうが、場の雰囲気を読みとり、パルミナに倣って挨拶を交わしている。
自然とそうするのが当たり前の様に思わせるパルミナの魅力。
今この会場にいる人々は、パルミナが持つ聖女の名が決して一人歩きではない事を実感している事だろう。
「それでは少々名残惜しいのですが……、皆様方にご挨拶をするのを待ち望んでいる方々は沢山おります故、私は一旦失礼させて頂きます」
パルミナと挨拶を交わしたフーシェ子爵は、ゼノビアとのやりとりの二の舞にならぬように自ら切り上げてその場を後にする。
フーシェ子爵が離れた事を皮切りに、次から次へと周囲で様子を伺っていた貴族や商人たちが群がっていった。
「私には十八になる息子がおりましてな、敬虔なフォルトゥナ教の信者でして……」
「私の息子はかの王国騎士団に所属しておりまして、騎士道精神溢れる実直さが……」
「おお、貴方の美しさの前では、かの女神フォルトゥナも嫉妬をしてしまうことでしょう……」
「私の商会では、毎年教会に多額の寄付をしておりまして、フォルトゥナ教の財政面を支えていると自負して……」
一番人気は、やはりと言うか何というか、パルミナになるのはいつもの事である。
本来、貴族の催す宴会では主催者や身分の高い者から順に挨拶をするのが基本なのだが、今回の様に立食形式で且つ、子爵以下の下位貴族しかいない場合はあまり適用されない。
殆どが子爵未満の男爵や準男爵、騎士などになり、同じ参加者の中でも商人達の方が財も力も持ち合わせていることが多い。
その為、優劣をつけるとややこしくなってしまうので、今回の晩餐会でも主催の挨拶が終われば後は自由となるのだ。
そうした事情を鑑みた結果、正に理想の女性を体現しているパルミナに対して次々と婚姻話を持ちかけられていくのは自明の理である。
息子との婚姻話を持ちかけておきながら、視線はパルミナの胸に向いている人物も数多くいるが、悲しい男の性なのだろう。
普段のゆったりとした修道着ですら隠せていないその大きな胸は、ドレスの布をこれでもかと押し上げており、途轍もない破壊力を秘めていた。
しかしパルミナはそんないやらしい視線にも嫌な顔をせずに、慣れた様子で聖女スマイルを浮かべながら次々と対応していく。
「うふふ、大変ありがたいお話ですが、私はまだまだ修行の身です。今は女神フォルトゥナ様にこの身を捧げておりますので、男性と結ばれるのはまだ先の話になりましょう」
そう言って断りの言葉を述べるパルミナだが、周囲の人たちはあまりがっかりする様子もなく、逆にパルミナ人気が高まっていく。
曰く、奥ゆかしさが素晴らしい、曰く、今時珍しいほど貞操観念がしっかりしている、曰く、控えめな性格と全く控える気のない胸のコントラストが芸術的だ。
変態的な人物も交じっているようだが、それでもパルミナの笑顔は崩れない。
パルミナが笑みを浮かべる時には決まって、唇を軽く閉じ、半分閉じた目で、柔らかい印象をもたれるように眉尻を少し下げている。
これは教会の中で修道女達に教えられる作法の一つで、幼い頃から教会内で暮らしていたパルミナにとって、いつしか自然と浮かべる様になった表情である。
どのような粗暴な相手でも、無茶な要求をする相手でも、決してパルミナは怒らず、怯えず、怖がらず、そして一歩も引かずに微笑みかける。
いつしかそんなパルミナの態度と、類稀なる神聖魔法の力を目にした人々は、彼女を聖女と呼ぶようになった。
「ゼノビア殿、是非、貴殿と一度剣を交えさせていただきたい。私が勝った暁には是非とも交際して欲しい」
「そのような男よりも自分こそが武の象徴とも言えるクルシフォン家に相応しいでしょう。ゼノビア殿、私と共にこの先の人生を歩みましょう」
「ゼノビアお姉さま、そのような乱暴な人たちとではなく、私たちとあちらでお話をしましょう」
二番人気はゼノビアだ。
どうしても自ら剣を握っている事で、パルミナの様な奥ゆかしさはないのだが、それでもその美貌と強さと家柄故、男女ともに多くが縁を結びたいと考えているようだ。
男は自身も剣を握り、ゼノビアの隣に自分が如何に相応しいかを語り、女は凛々しいゼノビアに憧れの眼を向けている。
「貴殿たちの申し入れは大変うれしく思います。しかし私もまだ修行中の身、今は剣を振るう事しか考えられません。そしてそちらの麗しいご婦人方、女性同士で密事を交わすのも良いですが、ここは社交の場。同性だけではなく異性に目を向けるのも淑女の嗜みですよ」
侯爵家令嬢として、そして騎士として対応するゼノビアだが、その様子は普段とかけ離れている。
ファルサの時とは違い、男性にも臆することなく対応し、女性に対しては騎士然とした凛々しい態度で接している。
男たちは少々残念そうな表情を浮かべているが、女たちはまるで女性向けの物語に出てくる王子や騎士の様な態度にほだされてしまったのか、余計に熱を帯びた表情でゼノビアを見つめている。
こうしてパルミナとゼノビアの周囲には最後まで人が絶える事が無いのだが、同じく勇者パーティの一員であるファルサとユリアの姿は、いつしか会場内から消え失せていた。




