貴族の宴1
ファルサ達が旅をする王国領土の南東に位置するフーシェ地方。
オーク討伐を行った小麦が名産の農村も、このフーシェ地方の更に南東部に位置し、ファルサ達は領都のある中心部、つまり農村から北西に向かって旅を続けてきたのだ。
そんなフーシェ地方の領都、同じくフーシェの街にある領主の館では、周辺の貴族などが招待された晩餐会が開かれていた。
館の一階にある大広間では、数多くの貴族や領主と縁のある商人、更にはお抱えの魔法使い等、とにかく数多くの人間が集まり、領主の挨拶に耳を傾けていた。
テーブルの上には豪華な料理が所狭しに並んでおり、領主が今夜の晩餐会にどれだけ力を入れているのかは一目瞭然である。
どうやら立食形式の様で、会場の到る所に小型の円卓が用意され、イスは全て壁際に寄せられている。
形式を見る限り、参加者同士の交流が主となる会になるのは間違いないだろう。
「それでは我らが希望の勇者様方との出会いとフォルトゥナ様のお導きに感謝して……乾杯!」
見るからに高そうな宝石類を身に着けた、四十代前後であろうこの街の領主がグラスを高らかに掲げて乾杯を行う。
立派な髭を蓄えているものの、その体はだらしなく緩んでおり、まだオークの方が引き締まっているように思えるほどだ。
参加者たちはそんな領主の言葉に続いてグラスを掲げ、同じ様に乾杯の声を上げて宴がスタートする。
「いやはや、私のような田舎の領主がスペキエース卿の眼前で挨拶など、緊張で何を話せばよいのかわからなくなりましたよ」
「ははは、フーシェ子爵ともあろうお方がご冗談を。私など所詮は魔法だけの成り上がり者ですよ。歴史あるフーシェ家の当主である貴方と比べられると、とてもとても恥ずかしくて、大きな顔をして歩くことが出来ませんよ」
先程まで壇上で乾杯を行ったこの街の領主――ロべス・ド・フーシェ子爵――が、開宴早々にファルサへと声を掛け、こうして二人の会話が始まった。
ファルサもいつもの様に黒色中心の服装という訳ではなく、正装に身を包み髪も整えている為、周囲から見れば立派な貴族の様に見えるだろう。
「はっはっは、流石は歴代最年少で宮廷魔導士筆頭になるだけのお方ですな。しかし一代で子爵位に成られたとは思えぬほど、随分と堂に入っておられるが……ご両親は東方の貴族か何かではないのですか?」
「いえいえ、両親はごく普通の家庭に生まれ育った平民ですよ。どうやら母に東方の血が流れていたようですが、父はこの国の出身です。貴族の作法については宮廷魔導士に任命されてから必死に学んだ賜物です。まだまだ至らぬ点も多いので、どうかご無礼があった際には寛容なご対応をお願いします」
そう言って胸に手を当ててフーシェ子爵に一礼をするファルサの姿は、とても付け焼刃には思えない程洗練されていた。
フーシェ子爵がファルサを東方の出身と判断したのは、その黒髪と黒目が原因だろう。
黒髪自体はそう珍しくはないが、そこに黒い瞳も合わさると東方に住む人々の特徴であり、東方についての書物「イル・ミリオーネ」にも記載されている為、流行に敏い貴族の間では常識となっている。
「ふむ、スペキエース卿は中々謙虚な方の様ですな。それだけ完璧な作法であれば、宮廷内でも見劣りはしないでしょうに。ところで……そろそろ後ろの麗しいご婦人の方々をご紹介いただけますかな。」
フーシェ子爵はファルサの背後に控えている三人、ユリア、ゼノビア、パルミナに目を向けて発言をする。
事前に行っていた手紙のやり取りで本日の夕方から晩餐会が行われることは既に決められていたのだが、実際にフーシェ子爵とユリア達三人が顔を合せるのは今が初めてになる。
領都フーシェに到着した時点で既に夕方近くであり、ユリア達は大慌てで準備を行う事になってしまい、開宴前の顔合わせはファルサ一人で行っていた。
「これは気が付かなくて申し訳ございません。さっそくご紹介させて頂きます。ユリア殿、こちらへ」
ファルサの声に従い、ゆっくりとユリアが二人の方に近づいてくる。
少女らしさを残しつつも上品さも兼ね備えた青のドレス、ただでさえ細いユリアの腰がコルセットによって更に引き絞られて細くなっている。
そして胸も補正下着の影響か少し膨らみが出来ており、更にドレス自体のデザインなのか胸元にレースがふんだんに使われており、一見しただけでは本来の大きさに気づかれない様に上手く誤魔化せているようだ。
首元や髪にも流行のアクセサリーが着けられ、嫌味にならない程度にその存在を主張しており、極めつけはファルサのプレゼントしたサファイアの耳飾りである。
これはユリアの強い希望で装着しており、他の高価な装飾品と比べるとやや見劣りしてしまうのだが、ドレスの色と合わせた事で全体のバランスを崩すまでには至っていないようだ。
「フーシェ子爵様、この度は身に余る過分なお持て成しを頂き、感謝の至りです。私が当代の勇者、ユリアでございます。」
ドレスの両端をつまみ、左足を斜め後ろに引き、右足の膝を軽く曲げながらも、背筋を伸ばした状態でお辞儀をするユリア。
この国のみならず周辺国家でも一般的な女性の挨拶、カテーシーだ。
ユリアの所作を見る限り、どこかの貴族の娘と言われてもおかしくない程だが、当たり前の様に他の三人が指導した成果である。
勇者の講師でもあるファルサ、ゼノビア、パルミナの三人だが、魔法や剣だけではなくこうした礼儀作法も含めて歴史や経済学、数学から宗教学までありとあらゆる事を教える役目もある。
その中でも礼儀作法に関してはかなり難航していたのだが、こうして挨拶をする分には問題ないレベルにはなっていた。
「これは、これは……、勇者様と聞いていたのでもっと豪傑な方を想像しておりましたが……その……何とも可愛らしい御嬢さんで面をくらってしまいました。失礼、私はロべス・ド・フーシェ、以後お見知りおきを」
フーシェ子爵はユリアの容姿を見て驚いたのか、言葉を詰まらせながらも流石は領主、すぐに気を取り直し貴族然とした態度で挨拶を返す。
しかしその瞳はユリアの髪を何度も見ており、興味や困惑の感情が如実に表れている。
「では次はフーシェ子爵もご存じかと思われますが、ゼノビア嬢、こちらに」
あまり長い時間接してしまうとボロが出てしまう、とファルサは判断し、すぐさまゼノビアの紹介に移っていく。
本来であればユリアよりも貴族令嬢であり騎士でもあるゼノビアを紹介してもおかしくはないのだが、勇者としての立場がある為、基本的にはユリア、ゼノビア、パルミナの順になる。
しかし、もし今回の催しが教会関係者の集まりだった場合には、ユリア、パルミナ、ゼノビアの順が正解となる。
そしてファルサは男性であり爵位持ち、どのような催しでも基本的にはエスコート役なので、最初に挨拶をすることが殆どになる。
勿論、日ごろから美女・美少女を三人もつれている為、今も浴びているような周囲のやっかみ染みた視線には慣れているようだ。
実は先程から周囲の貴族や招待客たちは、主宰であるフーシェ子爵が主賓である勇者一行に挨拶をし終わるのを待っていた。
当然、その動向をジッと伺っているのだが、視線は自然と美しさを放つ三人へと向けられている。
そんな三人を引き連れている若き宮廷魔導士筆頭、多くの羨望や嫉妬が集まるのも仕方のない事だろう。
「只今ご紹介に預かりました、クテシフォン家長女、ゼノビア・ド・クテシフォンでございます。フーシェ子爵におかれましては、ご壮健でなによりです。」
「おお! 以前お会いしたのは宮廷での舞踏会以来ですが覚えておいででしたか。あの小さくて可愛らしかったお嬢さんが、今では白百合騎士団の団長で勇者様の専属講師、いやはや、月日が経つのは早いものですなぁ。お父上のクテシフォン侯爵は息災ですかな?」
胸元と背中が大きく開いた黒のドレスを身に纏い、自慢の長い金色の髪をおろしたその姿は、正に大物貴族の令嬢そのものだ。
肌の露出が多いものの、全く下品ではなく上品さが強調されており、女性としては背の高いゼノビアの凛々しさと美しさを十分に引き出していた。
所々あしらわれている装飾品の数々も、ゼノビア自身が選び抜いた自慢の一品ばかりで、どれも品のある輝きを放っていた。
当然の事ながら、ユリアと同様にファルサからプレゼントされたバレッタも身につけている。
また、ゼノビアとフーシェ子爵は、ゼノビアの父であるクテシフォン侯爵を通じて過去に面識がある。
当時のゼノビアはまだ子供で、そのことは殆ど覚えていないのだが、貴族の礼儀として一度相対した人間を忘れるなど失礼に当たってしまう。
実際は互いに顔も覚えてないのだが、貴族と言うものはとにかく面倒な決まりごとが多い為、暗黙の了解で接しているのだ。
先程のファルサとフーシェ子爵のやりとりもひたすら相手を持ち上げて言葉を修飾し続けていたが、あれも暗黙の了解の一つで貴族における挨拶みたいなものになる。
大物貴族であるクテシフォン侯爵の娘でもあり、王国が誇る騎士団の一つ、白百合騎士団の団長でもあるゼノビアの存在は、フーシェ子爵の興味を引かないはずがなく、これは話が長くなりそうだと、ファルサは心の中で大きなため息を吐いた。




