ファルサとゼノビア
「それじゃあボクとパル姉は教会に行ってくるからね。二人っきりだからって変な事したらダメだよ!」
そう言って可愛らしい猫耳が付いているような形をしたフードを被るユリアは、ファルサとゼノビアに注意を促す。
時刻は既に昼と夕方の間に差し掛かり、勇者一行は新たな街へと到着していた。
今朝の騒動が収まり、宿を出てから再び馬車で移動を開始したのだが、盗賊や魔物が出る事もなく、順調にその旅路は進んでいた。
明日には領主の住む街までたどり着けるという距離になり、宿も問題なく見つかったので、本日はこれから自由行動という事に決まったのだ。
「ば、ばかな事を言うな! わ、わわ、私がファルサ殿とそんな、そんな……」
ゼノビアは顔を、更には耳まで真っ赤にしてユリアへと反論する。
ファルサの方は慣れた様子で、特に気にしている素振りはない。
「はいはい、僕たちは変な事なんてしないから、早く教会に行ってきなよ。パルミナ、ユリアの事は頼んだよ。ゼノビアも一々真に受けていちゃ、ユリアが面白がるだけだから」
「はい、任せてくださいファルサ君。さ、ユリアちゃん、いきましょう」
「うー、本当はボクもファル兄と遊びたいのにー。女神様も、もう少し融通してくれてもいいじゃないか」
そう口では文句を言いながらも、大人しくパルミナに手を引かれていくユリア。
彼女達はフォルトゥナ教で崇められている、女神フォルトゥナの加護を受けて神聖魔法を使えるようになったのだ。
魔法の技術は未だに不明な点が多く、正しい修行の方法などは各宗派によって大きく異なっている。
フォルトゥナ教における神聖魔法については、女神への祈り、つまり信仰心でその効果が高まると教えられており、その使い手たちは毎日のように教会や神殿へ通う事が当たり前なのだ。
この国ではフォルトゥナ教が国教でもある為、敬虔かどうかは別としても殆どの民がフォルトゥナ教に属している。
また、神聖魔法の使い手でなくとも、所属している信者は教会に通って祈りを捧げており、そこまで敬虔ではないファルサやゼノビアでさえも週に一度は教会に足を運ぶ。
「それじゃあゼノビア、少し街でも見て回ろうか。そこまで大きな街じゃないけど、行商人が多くて、面白いものが見つかるかもしれないよ」
今二人が居る街はこの地方を治める領主が住む領都まで、馬車で一日ほどの距離の宿場町だ。
領都へ向かう商人や、ファルサ達のような旅人が宿泊する為の街と言っても過言ではないが、その為、領都を中心に移動する行商人たちが多く滞在している。
そんな商人や旅人が行き来する場所では、自然と市が開かれており、当然の事ながら中々の賑わいを見せているのだ。
行商人たちの露店には、各地方の名産や特産は当たり前として、何に使うかわからないような怪しげな品物まで並べられている。
中には掘り出し物もあり、古代文明時代に存在した魔道具や古書の類をファルサは狙っていた。
もちろん連絡玉のような希少で高価な魔道具や、国宝指定されるような魔導書が出てくることなどあり得ないのだが、ちょっとした宝探し気分を味わうだけなら十分な品が出てくることは多い。
「う、うむ。私も露店は見て周りたいと思っていたからな。さ、さっそく行こうではないか」
まだほんのりと頬を染めながらも、幾分か冷静になったゼノビアは少し楽しそうな表情で歩き始めた。
「うーん、どの辺りから見ようかな、とりあえず東回りで全部見てみようか?」
ユリアやパルミナと別れてから十数分、二人は円形状の大きな広場に到着していた。
広場には露店が多く開かれており、中には食べ物を扱っている店もあるため、周囲に空腹を誘う匂いをまき散らしている。
旅人やこの街に住む住人が興味深げに様々な露店を眺め、商人たちも大きな声を張り上げて客を呼び込んでいる。
悪く言えば騒々しいとも言えるほど、この広場は活気に満ち溢れていた。
「そ、そうだな。私はファルサ殿が見たい場所ならなんでもいいりょ」
ファルサと二人になった事で緊張しているのか、ゼノビアは呂律が回っていないようだ。
そんな様子を見て、ファルサはクスリと笑い、優しく声を掛ける。
「僕といるとそんなに緊張するかい? 初めて会ったときはもっと……こう、この軟弱者! みたいな感じだったじゃないか。あんまり気負わないでいてくれた方が、僕としても嬉しいけどね。折角の自由な時間は楽しまないと、もったいないよ」
「あ、あの時のことは……その、忘れてくれ。若気の至りというやつだ。だがファルサ殿の言い分ももっともだな。そ、それじゃあファルサ殿……え、え、エスコートを頼む」
ファルサと出会った頃を思い出したのか、少し動揺をしながらも、そっと右手を差し出すゼノビア。
しかし真っ直ぐ顔を見るのは気恥ずかしいのか、横を向いたままなのは、男女の経験に疎い証拠だと言えるだろう。
「かしこまりました、お嬢様。不肖ながらこのファルサ、お相手をさせていただきます」
そういって優雅な礼を取りながら、ゼノビアの右手を取り広場の中へと足を進めていく。
一人は黒いローブを身に纏い、もう一人は鎧姿と言う、そんな優雅さとは縁のない恰好をしているが、その所作は間違いなく貴族のものだろう。
しかし、雑踏の中そんな優雅な動きを続けることが出来ずに、普通に手を繋いで歩くだけに留まるまで、そう時間はかからなかった。
「おじさん、この串焼き二本いや四本、それとそっちの腸詰を二つと、後、そっちのスープも一つ、それから……」
「ご主人、私は羊肉の香草焼きと、東方麺、それからエビの素揚げと、お、そのニクマーンとやらも二つ貰おうか」
広場を歩き始めて三十分、ファルサとゼノビアはひたすら食べ歩きをすることに決めていた。
どうにもこれといった品が見つからず、時間ばかりを浪費してしまうので、それならば……と、食に走る事にしたのだが、これが大当たり。
一般的な家庭料理のようなものから、東方に伝わる珍しい料理まで、数多くの露店が存在したのだ。
騎士であるゼノビアは、当然その訓練の厳しさから自然と食事の量も多くなり、ファルサも見かけによらず健啖家だ。
テーブル上ではマナーにうるさいゼノビアも、露店では一般市民の様にその場で食べ物を口に入れている。
実はこうして二人で食べ歩きをするのは初めてではなく、王都で暮らしていた頃に何度か行われていた事でもある。
初めて露店巡りをした時のゼノビアは串焼き一つ食べるのにも戸惑っていたな、とファルサは当時の事を思い出していた。
「ファルサ殿、これもなかなか美味いぞ。なにやら東方に伝わるニクマーンというのだが、ふかふかした皮に、ジューシーでアツアツの具が見事にマッチしていて、素晴らしいハーモニーを生み出しているぞ。やはり東方の料理は侮れんな。ファルサ殿にも一つ分けてやろう」
両手に料理を抱え、ニクマーンを頬張るこの少女を見て、大物貴族の娘だと誰が思うだろうか。
その表情からは既に緊張の色は消え、心の底から楽しんでいるのは誰の眼から見ても明らかだ。
「どれどれ……、うん、これは中々いけるね。こっちの串焼きも美味しいから食べてごらんよ、はい、あーん」
ニクマーンに舌鼓を打ったファルサは、お返しと言わんばかりにゼノビアの口元へ先程購入した串焼きを差し出す。
両手がふさがっているゼノビアに配慮しての事だが、当の本人はそれどころではない。
一度、二度と、ゼノビアの視線が串焼きとファルサの顔を交互に巡り、やがて意を決したようにその串焼きにかぶりつく。
「う、うむ、美味いな。この串焼きも……悪くはない」
顔を俯かせながらもぐもぐと咀嚼をする姿は、貴族でも騎士でもなくたった一人の女の子だ。
当然ファルサに他意などはなかったのだが、受け手側にはそんな事は関係ないのだろう。
二人は暫しの間、互いに買った料理を分け合いながら消化していく事にし、広場の端で何度も同じようなやり取りを繰り返すのだった。
時折、少女の方が男の口元に料理を差し出そうとして、何度も手を引っ込める光景が目撃されていたのだが、それを知らぬは相手の男のみだった。




