仮面の追憶
一面に燃え盛る炎と立ち込める煙。
美しかった黄金色の畑は黒く煤けて時間と共に灰に変わり、並び立つ家屋は次々と崩れ落ちていく。
その村が存在した痕跡は既になくなろうとしていた……いや、唯一残されているのが先程まで慟哭を上げていた一人の少女。
活発さを思わせる赤毛の持ち主だが、その瞳は絶望に染まり、今はただ目の前の光景を呆然と見つめる事しかできていなかった。
「クリューエル! 僕はこんな話を聞いていないぞ! 同胞を助け出すと聞いて手を貸したのに、これは一体どういう事だ!」
不意に現れた仮面の男が、クリューエルと呼ばれた男に怒声を投げかける。
仮面の表情は半分が泣き顔、もう半分は笑顔だが、その隠された表情は憤怒に染まっているのだろう。
「クククク……アーハッハッハ! 何をそんなぁに怒っているぅのかな、――――くぅん。ぼくは、このゴミクゥズ共に害される、将来の同胞たちを助けぇだしているぅじゃないか! 随分とおかぁしな事をいうものだねぇ」
クリューエルと呼ばれた一人の美男子――金色の髪と紅い瞳、すっきりとした目鼻立ちは、その額に輝く一本の角が無ければ、どこかの国の王子様とも思える――は、独特の間延びした声をあげ、仮面の男に返答する。
クリューエルの左手には、村人と思われる一人の男性――だったモノ――が掴まれている。
かろうじてその体つきから男性と分かるだけで、顔は血に染まり人物の判別は出来ない状態で、全身にも凄惨な拷問が行われたのか、破けた服の隙間から様々な傷跡が見受けられる。
また、彼の周囲には、同じ様に金色の角を持つ者たちが、少女を逃がさんとばかりに立ち並んでいた。
「ふざけるな! お前たちがしているのは虐殺行為じゃないか! こんな事、許されるとでも思っているのか! それに……その手に掴んでいるのは、その子の父親じゃないのか! なんて……なんて事を……」
仮面の男は、クリューエルに掴まれている男性と赤毛の少女を見比べて、ますます憤っているようだった。
その手に持つ身の丈よりも大きな鎌を掴む力が強まっているのか、腕全体が震え、手の中からは血が滴り始めている。
「――――くぅん、君はすこぉし真面目すぎるねぇ。みてごらぁんよ、この少女の絶望したぁ表情を。実に……実にぃすばらしい! エクセレェェェェント! あぁ、ぼくは削ぎたい! 削ぎたい、削ぎたい、削ぎたい! その顔を! その肉を! その体を! そしてぼくは聞きたい、聞きたい、聞きたい! 絶望の声を! 悲鳴を! 叫びを!」
クリューエルは先程まで掴んでいた男性を投げ捨てると、自身の両肩を掴み、光悦した表情で天を仰ぎみる。
その紅い瞳には狂気の色が滲み出ており、口元からはよだれが零れ落ちている。
「僕は……僕は……こんなことになるなら……初めから……」
仮面の男は自身の行動を呪った。
この村にクリューエルとその配下達を転移させたのは、他ならぬ自分自身である。
赤毛の少女は怪しげな仮面を着けた自分を怖がるわけでもなく、その小さな手で引っ張り、村の中を案内してくれた。
上手く話を誘導して、人目の付かない場所をいくつか教えてもらい、そこに魔力印を設置した。
全てはこの村に囚われていると言う同胞の為、人間というものを全く知らなかった仮面の男は、こんな長閑な村でどうして……などと疑う事もなく、行動を起こしていた。
「さぁて、そろそぉろメイーンディィィシュ! の時間といこうじゃなぁいか。今夜のぉ、献立はぁ、少女のォォォォオオオ、生き血! あぁああぁああ! ワインの様に鮮やかでぇ、芳醇な血の香り! たまらない、たまらない、たまらない! コングラアァァァアアチュレーイショォォォォォンンンン!」
これから行われる凄惨なショーを想像して興奮し始めたのか、その下半身を大きく膨らませて、一歩、また一歩とクリューエルは少女に近づいていく。
「や、やめろおおおおおおおお!」
ベッドから大声を上げながら飛び起きるファルサ、その額には大粒の汗が纏わりついている。
「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ! またあの時の夢か……昨日アイツとあったせいかな……」
息を整えて、昨日の事をファルサは思い返す。
魔王城でリリスとの謁見を終えたのち、自室に向かう途中で四天王の一人、残虐のクリューエルと出くわしてしまったのだ。
あまり記憶に留めておきたくない相手なので、手短にあいさつを済ませて、アスタルト共に幻影城へ転移したのだが、どうやら意味をなさなかったようだ、とファルサは痛感する。
未だにこうして魔族と人の間で揺れ、この生活を続ける原因となった出来事。
何度も、何度も逃げ出そうと思っていたが、あの時の光景が瞼に焼き付き、楔となってファルサの心を蝕んでいた。
魔王軍四天王と宮廷魔導士筆頭、魔族と人、魔王と勇者、ファルサの答えは未だに見つかっていない。
「ファル兄ー! 凄い声が聞こえたけど大丈夫かい? 隣の部屋まで叫び声が聞こえてきたよー」
ユリアがドアをノックすると共に、声を掛けてきた。
自覚は無かったが、隣の部屋にいる三人にも届くような声量だったらしい。
ファルサはベッドから降りて、ゆっくりとドアの方へ向かう。
「ん、ああ、すまない。どうやら変な夢を見ていたよ。ユリアが牛を一匹丸ごと食べる夢でね、止めるのが大変だったなぁ」
ドアを開けると、ユリア、パルミナ、ゼノビアの三者が心配そうな表情で首を揃えていたので、ファルサは笑顔を浮かべて冗談めかして説明する。
「んもー! こっちは心配してきたっていうのに、とんでもない夢を見ないでおくれよ! それにボクはそこまで食い意地を張って無いからね! もー!」
「なんだ、そんな夢だったのか、真に迫る声だったから何事かと思ったぞ」
「ファルサ君が心配で、二人とも飛び起きたのよ。私が止める間もなく部屋から出ちゃうから……あんまりこっちを見ないでね」
口々に言葉を返すが、よくよく見ると三人とも寝起きである事が伺える。
ユリアは可愛らしい青いパジャマとナイトキャップをしており、何故か枕を抱えている。
ゼノビアは少し肌の露出が多い黒のレースが付いたネグリジェに身を包み、女性らしさを醸し出しつつも、育ちの良さと言うか、どこか上品さも感じさせる姿だ。
そしてファルサの目に映る一番の問題はパルミナだ。
ピッチリと体に張り付いたシャツは、その豊満な双丘をこれでもかと強調し、開いた胸元から垣間見える谷間は、全ての男の視線を吸い込む、深淵の如き存在感だ。
申し訳程度にショールを掴んで胸元を隠そうとしているが、薄く透けて見える肌のせいで、その仕草が余計に艶めかしく感じてしまう。
豊かな大地の恵みを与えられ、十九年間大切に育てられたのか、たわわに実るその二つの白桃は、神話の時代に登場した禁断の果実を思わせるほど、神聖で、また、この世の夢と希望が詰まっていた。
「ちょっと! ちょっと、ちょっと! パルミナのおっぱいばかり見過ぎじゃないのかい! ボクだってこんなに可愛いパジャマに身を包んでいるのに、ファル兄はそっちばかり見ちゃってさ! なんだい、なんだい、結局、男はみんなおっぱい好きなんだ! ファル兄のおっぱい魔人! パル姉のおっぱいお化け!」
憤慨したユリアは、自身のナイトキャップと枕をファルサに投げつけ、地団太を踏んで抗議を開始する。
その白無垢の様な髪を揺らしながら、まるで子供の様に振る舞っている。
「くっ、これだから、男はいやらしくて嫌いなんだ! ファルサ殿までそうして胸に興味を持つとは……全く、そんなに見たいなら私に言ってくれれば少しくらいは考慮を……」
「あらあら、大変ねファルサ君。エッチなのはだめよ?」
とんでもない誤解だ、とファルサはため息を吐きながら心の中で弁明した。
パルミナの胸元に目がいったのは事実だが、それはショールを動かすパルミナの手を反射的に眼で追ってしまっただけで、決して邪な気持ちがあった訳ではない。
たまたま視線の向かった先が、大いなる丘陵を築き上げていただけで、決してやましい心はない、そう決してだ、と、ファルサは誰に向けているのかわからないが、心の中で反論を続けている。
声に出さないのは、どう言い繕っても既に手遅れであり、ほとぼりが冷めるまではこうしてジッと耐えるほかないと、ファルサは今までの経験からそう判断していた。
先程までの陰鬱な気持ちが一転、ユリア達のおかげでいつもの調子を取り戻す事が出来たファルサは、そっと心の中で仲間達に感謝する。
当の三人はそんなファルサの内心に気が付くはずもなく、宿の主人に怒られるまで――主にユリアが――騒ぎ続けていたのだった。
あの日、こぼれ落ちる寸前に掬い上げることが出来た一滴の希望、その希望を見つめるファルサの瞳は、とても優しく、そして哀しく瞬いていた。




