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一章 『刑事と少女』

以前投稿していたものと内容は殆ど変わりませんが出版社に送る際ページ数を切り詰めたので若干駆け足にかんじるかもしれません。

 曇天模様の寒空の下、二人の男が大通りを横に並んで歩いていた。


 一人は眼鏡を掛けた長身で、胸を反らし堂々とした足取りで歩いている。今風にさっぱりと分けられた七三の前髪から覗く双眸は切れ長で、薄い唇に細く整った鼻筋と眉から成る相貌は凡そハンサムと呼ばれる類であり、黒縁の四角い眼鏡が冷たく理知的な雰囲気を醸し出していた。

 もう一人は中肉中背で、背を丸め足取りもふらふらと覚束ない。厚い瞼と唇の付いた顔は随分と眠たげで、高い鼻先を寒さで紅くしている。整えられていない髪はぼさぼさで、前髪は隈の出来た目元にかかる程。その様は徹夜明けのそれである。

 そんな二人を不自然そうに後ろから眺める男が一人。

 灰色のコートを着込む中年男性だ。

 タイプの異なる二人の後を気付かれぬ様、鋭い瞳で観察しながら、付かず離れずといった距離を保ち足音も立たせずに歩いている。

 しかしながらこの男、残念ながらスト―キング行為に勤しむ不審者でもなければ変質者という訳でもない。寧ろ二人組の方が不審人物であり、紛う事無き変質者の類であった。

 二人組はお揃いの黒いコートに黒色の革靴、更には黒髪黒眼と全身黒一色で染め上げている。

 これに黒いスーツとネクタイ、白いシャツならば葬儀屋だと言って通るかもしれない。

 だが彼等は違った。

 彼等は黒いコートの下、学ランを着込んでいたのだ。

 老け顔の学生と言い張る少々キツく感じる二人組の容姿は、どんなに甘く見積もっても二十代半ばである。学生服姿は仮装かコスプレの類にしか見られず、下手をしなくても通りを闊歩する変質者であった。

 だが有難い事に、もしくは残念ながら、通りで擦れ違う人々は二人に目を向けるも『変わった制服だな』『軍服のコスプレかな』といった、見慣れない学ランという服装に対する注目で終わるのが殆どである。頭髪から革靴にコートと、頭頂から爪先まで真っ黒な二人組の格好を訝しんでも、外見年齢と服装に対する可笑しな違和感は覚えないのだった。

 それもその筈で、二人が歩く大通りは『ウンター・デン・リンデン』と呼ばれ、『菩提樹の下』と名付けられた、菩提樹の並木が美しいドイツ・ベルリンの歴史的建造物が建ち並ぶ沿道である。

 通りを行く人々は勿論ドイツ人であり、観光目的であろう人々もその殆どが西洋人である。ちらほらと見掛けるアジア系も日本人とは限らずドイツ人かもしれない。

 もし、この二人組を日本人観光者が見掛けたのなら、思わず立ち止り凝視してしまう事は必至であろう。顔と服装のちぐはぐ感は勿論、学生かは判らずとも海外で二人きり、しかも平日の昼間から大通りを闊歩しているのである。

 修学旅行という雰囲気でも無ければ、ただの海外旅行でも無さそうな二人組。そもそも旅行に学生服というのも考えられない。更に日本語も日本の常識も通じない外国にも関わらず、二人の表情からは不安や緊張、旅行者特有の興奮も見られなかった。

 海外に慣れているから、といった言葉だけでは言い表せないほど、二人組の表情は不自然なほど自然だったのだ。

 だが二人の後を付ける中年男性に、そこまでに至る思慮はない。

 では何故、尾行するのか。

 それは理由足り得ないただの勘その物だった。

 現在、彼が追っている児童誘拐事件のせいで少し神経質になっていたことも挙げられるかもしれない。

 一人娘が来年、自分に内緒で日本へ一年にも亘る海外留学を計画していると、学ランとセーラー服の写真が載るパンフレットを偶然にも見て知ってしまったからかもしれない。

 兎に角、男は二人の後を付けた。

 恰好が不自然だったから。

 なんとなく行きがかりで。

 実際にはそれ以上の何かを感じ取っていたのかもしれない。

 男の名はルイス・ホフマン。

 れっきとした刑事だった。







 スマホのタッチパネルに触れつつ、便利な時代になったものだと刑事は心中呟く。

 尾行を開始して数分後。犯罪性ありと判断したホフマンは、支給品のスマホで本部に待機している後輩へとメールを送っていた。


『尾行中 目測十メートル先 歩道右側 黒髪黒コートの二人組』


 簡素な、というか間違いなく情報不足な一文である。送り先に何を求めているかさえ解らない。しかし受け取り手の、ホフマンの後輩は理解できたらしく、数十秒後、メールの着信と供にパネル内の画像が切り替わった。


『サスガ先輩っス。ドンピシャっス!』


 少々軽いノリの一文が添えられた写真が送られてきた。

 尾行するホフマンとその前を行く二人の顔写真だ。ご丁寧に前後左右からと映された鮮明なカラー写真は綺麗に区分けされ、横三列に並び『スっゴいハンサム!』や『まあまあっス!』に『ガンバって!』と感想が付いている。

 どうやら顔の好みがドンピシャだったらしい。誰がどれなのかは言わずもがな。


『ふざけてないで映像も出す』

『はーい』


 この手のワルふざけも慣れたと言わんばかりに流すホフマンであった。







 スマホ画面に映る少年少女達の映像をホフマンは一枚ずつ特徴を再確認しながら消していく。それは監視映像と供に送られた写真のコピーだった。

 ブロンド黒眼十二歳そばかす。

 ブラウン碧眼十一歳眼鏡。

 ブルネット茶褐色黒眼十四歳ピアス。

 ブロンド碧眼七歳パーマ。


『何で消すんスか』


 ホフマンの指が止まる。正確には指より先に画面内の操作が利かなくなり止まったのだ。

 割り込まれたメールの一文に、説明してくださいと憤る後輩の顔を思い浮かべ、ホフマンは返事を送る。


『今尾行してる連中は多分別件だ。あと子供達の顔と名前は全部覚えてある』

『マジっスか?』

『マジだ』

『今朝送られてきた特別案件も関係なし?』

『それも含めて』


 半信半疑だと言わんばかりの返答に溜め息を一つ。

 四ヶ月に及ぶ捜査の足掛かりと考えていたのであろう後輩に、ホフマンは視野が狭くなっていることを通話に切り替え指摘した。


「今朝の件も含め、相当でかい組織が相手だ。でか過ぎて一般人が不用意に関わらない様、部分的に報道規制まで敷かれる始末だ。解るな」

『……っス』

「俺らが四ヶ月這いずり回って集めた情報なんてたかが知れている。だが今朝の一件は間違いなく此方を意識したものだ」


 ホフマンは自宅を出る前に送られてきた情報を思い返す。それはホテルの一室から少女が姿を消したというもので、そのホテルは夏に全国規模で起きた誘拐の事件現場の一つでもあったのだ。

 世界的に見ても凶悪犯罪の発生率が少なくないドイツでは、カメラによる監視や警察官のパトロールが多く行われている。当たり前ではあるがそれらは各州が独自に行い、事件や犯罪の捜査や取り締まりに関しても同じといえた。

 だからこそ、各州で同日に起きていた一人から三人規模の失踪は、直ぐ様全国規模の集団拉致誘拐として見られる事がなかったのだ。

 今朝を含めベルリンでは四名。

 メディアが騒ぎ出す前に対策本部は設けられ規制が敷かれたが、初動の遅れは否めない。一つ一つが別件と報道されてはいるが、全国で少なくとも十六名。家出扱いも含めれば更に増えるかもしれない人数が一度に失踪していた。


「上も下も今日は検問だらけで簡単に外へは出られない。国外に出られちまえば打つ手なしだが、幸い現場は俺らの縄張りだ。浮足立つ妙な連中は片っ端からしょっ引く」

『でも、この人達は違うってさっき……』

「あからさま過ぎて逆にヤバいんだよ」


 ホフマンの目から見ても学生服を着た二人の年齢は三十代、若くて二十代の半ばだ。だが容姿にそぐわない服装だからと言っていきなり声を掛け、即逮捕に即拘留などできはしない。

 というのも尾行を始め数分、この二人組は一般人、ましてやただの変質者では無いと確信していたからだ。

 何故学ランなのかという疑問はもう必要はなかった。むしろその学ランこそが視線を服装に集中させる為のギミックではないのかと深読みしてしまうぐらいだった。

 現に道行く人々は振り返り、立ち止まり学ランのみを見詰め通り過ぎて行く。ホフマン自身、目の端に映り、隣を過ぎようとするまで学ランの方に気が向いており、その為二人の顔を見た時は随分と驚かされてしまった。


(どっちにしろ、いい大人がする恰好じゃねぇな。学ランて)


 外見年齢と服装の、ちぐはぐさは取り敢えず置いておき、ホフマンは二つの事に気付く。

 まず一つ、手ぶらである事。

 バックパックはおろか、スーツケースやトランクといった旅行や出張で使うような鞄の類を所持していないのだ。勿論、荷物をホテル等に置いての行動かもしれないし、今やカードと携帯端末があれば何所にでも行ける時代である。だからこそ、携帯端末を片手にあちこちへ繰り出すのであろう。しかし、二人組は両手に何も所持していないのだ。

 目的地を決め、頭に道順を叩き込み、脇目も振らず直行。確かにビジネスマンになら有り得そうではある。


(もっとも、真っ当なビジネスじゃねぇだろうがな。学ランだし)


 二つ目に、ボタンを留めず前を開けたコート。

 寒風吹き荒ぶ冬空の下、コートの裾を時折たなびかせているのだ。前述の通り、コートの中の服装を見せ顔の印象を薄れさせる為という理由もありそうだが、それ以外、というより刑事として至極当たり前な理由があることをホフマンは知っていた。

 それは素早くコートの下、或いはジャケットの下からある物を取り出す為、ボタンを留めず前を開けているのだ。

 そしてホフマンの懐にも、重く冷たい感触を抱かせるものが確かに存在していた。


『持っている』


 と、ベテランの刑事はそう確信する。

 もはや勘などという軽いのもでは無い。それを常に持ち歩き、簡単に人の命を奪える立場の者が背負うべき業。その業がホフマンに告げているのだ、『気を付けろよ』と。

 一瞬、万が一の場合も考慮し日本人の拳銃所持率の低さがどれだけのものか後輩に調べさせようかと思うも、ホフマンはすぐにその考えを改める。二人が日本の学生服を着ているからといって、日本人であるとも限らないのだ。


「堅気じゃないのは確実だが、仕事終わりに態々目立つ格好で街中ぶらつく理由もない。囮にしたってやり過ぎだ」

『で、でもッ…』


 迂闊な接触は危険だとして慎重になるホフマンに対し後輩は直ぐさま確保すべきとせっつく。


『じゃあ、あの変な格好はナンスか!? 悪の秘密結社の戦闘服じゃないんスか!!』


 意固地になって訳の判らない事を捲し立てる後輩に頭を痛めつつ、学ランの説明はしっかりするホフマン。


『何でそんなこと知ってんスか?』


 尤もな質問に対し、やはり律儀にホフマンは答えようとする。だがその瞬間、刑事は息を呑む事となる。


「来年、娘が ――― 「きゃあっ?!」


 女性の悲鳴だった。







 通りとしては短いウンター・デン・リンデン。

 ほんの数ブロックしかない並木道を西へ進み、通りの終わりにあるブランデンブルク門へ辿り着くのに後二十分とかからない距離に差し掛かった時だった。

 黒縁眼鏡をかけた長身の男が足を止める。彼は並木が途切れ現れた、大通りならではの横長なショウウィンドウを見詰めていた。

 歴史的建造物が並び、長い時代を経たこの通りは今やホテルやショップにカフェも建ち並ぶ、小さな繁華街や観光地として賑わっている。そんな中の、恐らくは若者向けの少々お高そうなブティック。そのショウウィンドウの一角、ダッフルコートにタイトなスカートと派手なタイツを穿いた白いのっぺり顔のマネキンを険しい表情で見詰めていた。


「おい」


 ショウウィンドウに、マネキンに向かって声を掛ける男。


「……おい」


 さらに声を掛ける男。

 傍から見れば険しい表情の変な服を着た男がマネキンに声を掛けるという、中々にアレな状況。通り過ぎる人々は危ない奴だと目を背ける者、注視する者と様々である。

 ついには返事の無い沈黙に耐え切れなかったのか、それとも好奇の視線に耐え切れなかったのか。細い指先で眼鏡のつるを押し上げ、苛立たしげに叫ぶ。


「おいつってんだろが!? 聞こえとらんがかっ!!」


 そして長い脚を高く振り上げたかと思うと、その爪先を勢いよく突き刺した。

 もちろん、自分を無視するマネキンに、ではない。

 自分を置いて先に進むもう一人の男へだ。


「きゃあっ?!」


 身長百八十を超える男が放つ爪先蹴りが、中肉中背の男の背中へと吸い込まれた。瞬間、可愛いらしいハスキーな悲鳴が響く。

 恐らく通りにいた女性の誰かが発したのだろう。その悲鳴もあってさらに男達は注目を集めることになる。

 蹴られた男は綺麗に舗装された石畳の上を二転三転とし、そのまま転がった状態でうつ伏せになり停止する。

 動く気配が無く、これはヤバいと周囲がざわめき始めるも、蹴飛ばした男は特に慌てもせず倒れ伏す男に近づきしゃがみ込む。

 そしておもむろに倒れる男の襟首を掴むとそのまま片手で自分の目線と同じ高さまで持ち上げ、そして叫んだ。


「なにしとんがや!」

「……こっちの台詞なんやけど」


 余りにも理不尽な仕打ちに、猫の様に持ち上げられた男は、叫び返す気力も無く呟やいた。







 可愛いらしいハスキーな悲鳴が響いた。

 端末から目を離し、素早く懐に右手を入れるホフマン。悲鳴が上がった方向に視線を向けると、そこには大通りを勢い良く転がる二人組の一人。


(何があった?!)


 思わずもう一人を探す様に視線を彷徨わせてしまう。

 そして眼鏡の男と目が合った、気がした。


(マズいっ!)


 目が合った可能性だけではなく、先程の悲鳴により人が集まり始めたことにホフマンは焦りだす。


(…何を始める気だ)


 小さな人だかりができ始める。尾行がばれた可能性も考えられるが、最早それどころではない。有事の際できるだけ素早く動ける様にホフマンは敢えて人だかりへと紛れる。


(テロの線は無いと踏んだが早計だったか。人を集めてどうするつもりだ…)


 右手は懐の中のまま、最悪の事態には自分が人だかりの前へ飛び出し肉壁になる覚悟を固めつつ二人に注視する。倒れ伏す一人の襟首を掴むともう一人はそのまま、片手で自分の目線と同じ高さまで持ち上げ何やら叫んでいるようだ。

 石畳の上を何故か勢い良く転がっていた方も抑揚の無い早口で喋っている。

 声は聞こえるが何を言っているかは解らない。

 外国語だった。







「つけられとる」

「知っとるし」


 腕を組み神妙そうに語る眼鏡の男と、コートの裾を叩きつつ起き上がる寝不足気味の男。

 盛大に蹴飛ばされた男は自分を蹴飛ばした男の手を払いのけ、危なげ無く立ち上がってみせた。

 特に擦り傷や打ち身といった外傷も無い。上手く受け身を取ったのだろう。

 だが確実に喰らった背中の蹴りはどうにもならない。コートにくっきりと足跡も付いている。


「痛っ!」


 その個所を無遠慮に、数度も指を押し込まれ、ついでとばかりにパンパンと叩かれてしまう。


「……今度はなんけ」


 ここまで痛め付けられる謂れは無いと、非難を通り越して怨めしそうに睨み上げる。そんな視線から目を逸らす男は『すまん』とこぼし。


「触診。あと、なんだ……その、やりすぎた」


 ばつが悪そうにそっぽを向きつつ『ごめん』と呟くその姿は、中年男性には似つかわしくないもので。


「うっわ。誰もアンタのツンデレとか望んどらんがやけど」


 率直な感想を漏らした男に今度は舌打ちが飛んできた。







 結局、ホフマンが騒ぎ立てるような動きはなかった。

 向き合う二人の表情は鋭く何かを覚悟した様にも見えたが、それも杞憂に終わったようで、互いの身なりを確認しつつ軽く小突き合いじゃれつくといった姿を周囲に見せつけている。

 集まっていた人だかりも呆れ顔で散り散りに。

 ホフマンも体の強張りを解しつつスマホを取り出し、そばの菩提樹に寄りかかり一息付く。

 一人は何故転がっていたのか、口の動きで会話の内容は拾えないか、カメラで全て監視していた後輩に聞く事は多い。

 しかしスマホの画面は黒いままで、中年男性の疲れた表情が写るばかり。ホフマンが充電切れに舌打ちをする。

 その瞬間、視界の隅で黒いコートが翻った。

 勢い良く目線を上げたその先にはコートの裾をはためかせ小さくなる男の背中が。


(やられたっ!)


 まんまと出し抜かれた。呆然と、頭がそう結論を出した頃には男の後ろ姿はもう見えず、そして忘れかけていた事を慌てて思い出し辺りを見渡す。


(もう一人は……)


 二人組の片割れ。中肉中背の男は軽やかな足取りでブティックの入り口を潜る最中だった。

 クリスマスシーズン真っ盛りの、キラキラフリフリの、KAWAII が満載の、今時の十代女子の為の少々お高そうなブティックの出入り口である。

 潜って行く黒い背中を見詰め、もう一度走り去った男の背中を探してみるも見当たる筈もなく、中年の刑事(デカ)は覚悟を決める。

 後輩が走り去ったもう一人をカメラで追跡していると信じ、ホフマンは門をくぐったのだ。







 ブティック・フィガロ。

 二十年ほど前、潰れたカフェを改装し経営が始まったオートクチュールの専門店である。

 当時、二十代前半だった若いデザイナーが母国で高い評価を得て、異国の地ドイツで単身勝負を仕掛けたのが初まりのこの店。

 多くのショップが入れ替わり立ち替わり、果ては王宮の再建など、日々姿を変えるこのウンター・デン・リンデン。

 ここで長く店を続けることは難しく、それでも二十年間同じ看板を掲げられているのは偏にデザイナーでありながらオーナーとしても経営の才能が有ったその若者の実力を現しているのだろう。

 本来、高級専門店であるが故に客を選んでしまうのがこの手のブティックなのだが、高級な既製服や比較的安価な輸入品等も仕入れることで中流階級の若者でも気軽に入店でき、手が出しやすい様になっている。

 今はオーナーの趣味なのか、それとも昨今のブームに便乗してか、日本からの可愛らしい輸入品が幅を利かせている店内。そんな店内に一人の中年が迷い込んだ。


(……あ、無理だなこりゃ)


 勇み足で入店はできたものの、出入り口から一歩も動けずにいる刑事、ルイス・ホフマン。

 刑事、中年、地味なスーツに地味なコート。さらに履き潰す一歩手前の革靴と、様々な付属品を引っ提げた男は立ち竦む。

 その目線の先にはばっちりメイクを極めた妙齢のご婦人にベビー服にまで気合いの入った美人主婦、友達連れの如何にもクラスの人気者といった派手なティーンエイジャーと様々な女性達。

 そこは女性達が女で有ることに(プライド)をかけ鎬を削り合う戦場であった。

 地味な中年男性など眼中にない彼女達のギラついた視線の先には『年末セール』『クリスマス特売』『20 % OFF』等のあまり高級店では見られそうに無い掛札が。

 思い思いの商品を手に取り体に合わせ、掲げ、見比べている。それはジャケットであったり、パンツであったり。コートやスカーフ、香水に下着に小物。更には来年の新色と銘打った春物のシャツまで。

 勿論、全て女物。

 お前()の居場所など無いと言われているかの様な内装。

 お洒落な伊達男さえ躊躇う様な空間.

 男物(メンズ)商品などこの世に無いとまで言い切りそうな店内である。

 普通、余剰スペース等を使ってネクタイやハンカチといった夫や彼氏の為のプレゼントコーナー的なものがありそうだが、そういったスペースは軒並み赤ん坊から小児向けの商品で埋め尽くされている。

 きっとここには夫の為にプレゼント買って行く優しい奥さんは居ないのだろうなと、結婚十六年目の男は少し寂しく感じつつ、店員を探す。

 こんなお洒落空間で、不審な男性を見かけませんでしたか、と聞けば、はい目の前に居ます、という答えが間違い無く返ってくる。それが容易に想像できるホフマンは敢えて、騒ぎが広まる可能性も理解しつつ店員に身分を明かす事にした。このまま下手に店内をうろつけば自分が不審者として通報されかねない。

しかし、ここまで来て又も躓くホフマン。


(店員が……居ない?)


 辺りを見まわすも制服を着た店員が居ないのだ。

 勿論、店員が居ないわけも無い。高級店や大型店舗でも稀に行われる事だが、店員が私服で万引きや窃盗が起きないかを店内で視回り監視することがあるのだ。だが、ブティック・フィガロでもそれを導入しているのかと問われれば決してそんな事も無く、ただ単に店員達がお洒落して仕事をしたいという要望をオーナーが応えただけである。ついでに、監視カメラも設置されてはいるが飾りの状態だった。

 オーナーからすれば既製品や輸入品が盗まれてもどうという事もなく、メインは自らデザインした商品であると自負しているのだ。その商品も一階には展示されず、二階のアトリエ兼職員の休憩スペースのカフェ型のラウンジに恭しく鎮座している。店員達もそれを理解しているので一階の方は割とおざなりになりがちで、更に昼時とあって殆どの店員が休憩で二階に上がっているのだ。

 しかし、そんなブティックの内情など知る由もないホフマンはある事に驚愕していた。


(レジに人が居ない!!)


 ゆる過ぎである。

 一人レジの前で項垂れるホフマン。女性物の高級店は皆こんな感じなのだろうかと変な勘違いを起こしそうになる刑事は警備上の安全性も注意喚起せねばと、取り敢えずレジに置かれたベルを鳴らしつつ真面目に考える。

 暫くして一人の女性がレジに駆け寄ってきた。金髪のボブカットにふわふわの白いニット生地のセーターを着込んだ碧い瞳の中々の美少女である。

 あの少女が店員なのだろうかと、少々若過ぎる様な美少女に店員かを確認するために近づき声を掛けるホフマン。


「すみません、ちょっと伺いたいのですが ―――」


 もちろん、このまますんなりと話が進む訳も無く。


「Buon giorno !」

「……ぼ、ぼんじょ~るのぉ~」


 少女特有の高い元気な声での挨拶に、ホフマンの心は見事に折れかかる。







(最後にイタリアに行ったの、何時だったかなぁ……)


 現実逃避ぎみに過去の思い出を漁るホフマン。

 年間、多くのドイツ人がイタリア旅行に出かけるが、一体どれ程の旅行者がイタリア語に堪能かといえばそれ程多くは無いだろう。

 ホフマン自身、話せるのは母国語と英語、そして中国語を少しといった具合である。英語と中国語は仕事上仕方なく覚えた感じだ。

 勿論、簡単な挨拶程度はイタリア語でも出来るのだが、早口に捲し立てられては手も足も出せないホフマンである。

 ただただ一方的にニコニコと笑顔で話し続けるボブカットの少女。恐らくは店員なのだろうが、まだその確認すら出来ていない状況だった。

 髪型といい服装といい、どこかフワフワとした緩い印象を受けさせる少女はホフマンがイタリア語を話せないという事を理解しているのかいないのか。もし理解していないのであれば、見た目と同じく頭も緩い子になってしまう。


(もしくはワザとか)


 警備員が来るまでの間、足止めの為にやって来たのであれば中々の喰わせ者である。もし、そうであれば素直に彼女を賞賛し、やはり警備上の問題点を改めるよう説得しなければとホフマンは考える。

 取敢えず、このまま時間が経てば学ラン姿のアジア人が裏口等から逃げ出す可能性もある為、ホフマンは打って出た。

 そこで取りだすは地方刑事の証明たる己のバッジ。

 ユルフワ少女はバッジを見て漸く口を止めた。

 驚きのあまり口元を両手で覆った少女は目線をホフマンの顔とバッジを何度も往復させる。不審者が不審者を取り締まる側だったのは中々に衝撃的な事だったらしい。とにかく、ここで怖がらせては後々面倒な事になりそうなのでホフマンは笑顔で対応する。


「すみません、もし店員の方なら話を伺いたいのですが……」


 これで彼女がドイツ語を話せるのであれば聞き込みが始まり、そうで無いのならば他の店員をもう一度レジのベルで呼ぶまで。そう考えていたホフマンは少女の次の行動に驚かされる。

 ホフマンのバッジを持つ手に少女の小さい手が重ねられると勢い良く上下に振りだしたのだ。

 握手である。

 心なしか立ち位置も縮まり、話し方も大きな身振り手振りが加わる。表情も溢れんばかりの笑顔だ。

 今までの接客の態度では無く、親しい友人に対する様な行動を取り出す少女に困惑するホフマン。

 更にはホフマンの腕を取り、グイグイと引っ張り体に寄せようとする少女。顔も何故か興奮して赤く上気している。


「あ、あのっ! 落ち着いてっ?!」


 いくら既婚者で娘がいようが、いきなり女性が体を密着させてくれば慌てるのが中年親父。

 想像以上に薄いニット生地から伝わる柔らかな感触に、見た目が娘と同年代の少女にどぎまぎしてしまう中年刑事。明らかに落ち着けていない人間が興奮した人間を落ち着かせるなどできる筈もなく、なすがままに引っ張られてしまう。すると少女は店内の奥の方を指差し始める。


「あっち? あっちに行くのか! 行けばいいんだな!?」


 イタリア娘に振り回されっぱなしの中年刑事は自棄に成りつつ、素直に引っ張られて行く事にした。周囲の女性客が放つ汚らしいモノを見る様な視線に耐え切れなかったというのもあるが。







 ホフマンが連れられて着た場所は二階の従業員の休憩スペース。オーナーのアトリエも兼ねるカフェ型のラウンジであった。しかし、それを知らないホフマンは一人、驚き感心する。


(二階で喫茶店を経営しているとは、流石は高級店だ)


 間違った高級ブティック店の知識を世間一般の常識であるかのように勘違いして記憶していくホフマンはラウンジ内を観察する。

 木目の美しい飴色のローテーブルが点々と並び、様々なデザインの椅子やソファが思い思いの場所に設置されている。幾何学模様のカーペットが敷き詰められた床に、照明と一体になった大きなシーリングファンがゆっくりと回る高い天井。驚くべきことに天井の半面は床のカーペットの模様と合わせた幾何学模様の天窓で、はめ殺しの窓ガラスからは自然光を採り入れられる様になっていた。

 今日が曇り空であることを素直に残念がるホフマンはカウンター席に何時の間にか座らされていた。繋ぎ目のない、黒々とした重厚感溢れるカウンターテーブルの向こうでは先程のユルフワ少女が、整然と並ぶカップやグラス、調理器具を背に、サイフォンでコーヒーを淹れる準備をしている。

 ゆったりとした落ち着いた空間。

 照明の付いていない、仄暗いぼんやりとした明るさのラウンジ。

 サイフォンの中、小さく泡立ち湧き上がるお湯の音に耳を傾け、立ち昇るコーヒーの香りが胸を満たし、徐々に吸い上げられていくお湯は揺らめくアルコールランプに煌々と照らされ、白熱灯の様に光り輝いている。

 覆い被さる様に危なっかしく覗き込み、慣れた手付きでゆっくりとコーヒーを淹れるのは暖かな黄金色に身を包む少女。五分と掛からない僅かな時間の出来事。幼い少女が見せた幻想的な瞬間だった。

 そしてホフマンは気付く。


(……あれ? ここって服屋より気合い入ってんじゃね??)


 正鵠を射る刑事はラウンジ内に居る女性達が、一階の女性客達と明らかに纏っている雰囲気が違うことを感じ取っていた。

 一階の込み具合からは信じられないほど閑散としたラウンジ内に珍しい物を見る様な数人の視線。もしや知る人のみぞ知る会員制のヤバイ所ではと焦るホフマン。

 警察バッチをチラつかせ少女に連れて来させた会員制クラブ。そんな、己の現状を客観的に見詰め愕然とする妻子持ちの中年刑事。

 最早のんびりとコーヒーを飲みながら事情聴取する暇も無いと慌てて席を立つ。

 学ランの二人組の内一人を追い詰めようとするも、逆に追い詰められる結果になってしまったと、妙な勘違いをし続ける刑事は不思議そうに首を傾げ此方を見詰める少女に改めて声をかける。


「すまないが学ランの二人組を追っていてね。変わった格好だ。もし見掛けても不用意に近付くんじゃないぞ。コーヒーをありがとう。代金は ―――」


 ドイツ語が伝わるかも怪しい少女に早口で謝罪と忠告、感謝と言い訳を捲し立て、さっさとここから退出しようとする。一介の刑事として少女の身も案じつつ、店内に入った方を諦め後輩が監視カメラで追っているであろう一人に集中しようと頭を切り替えていく。

 そう。

 切り替えようとしたその時である。


「Gakuran ?」

「――― え?」


 少女が反応を示したのだ。


「学ラン、知ってんの?」

「Sì ! Gakuran !!」


 恐る恐る尋ねるホフマンに少女は何度もガクランガクランと頷く。

 この期に及んでまさかの手掛かりだった。


「どっ、何所に!」

「Laggiù !」


 ホフマンの雰囲気から学ランの人物に今すぐ(・・・)会いたいのだと察した少女はカウンターの出入り口近くにあるドアを指差す。


(目の前かよ!)


 刑事は一気に脱力し肩を落とす。

 何度も意図せぬ足止めを食らったホフマンはあまりの急展開に一杯一杯になっていた。

 ラウンジのゆったりとした空気に当てられたのか、それとも少女の緩さが移ったのか。だからこそホフマンはベテラン刑事として有るまじき失態を晒してしまう。

 失念していたのだ。

 学ラン姿のアジア男性が拳銃を所持している可能性を。そして、ここがブティックの二階であるということを。

 ホフマンは綺麗に磨かれた真鍮製のドアノブを握る。

 先程少女に掛けた言葉を忘れ、不用意に。

 少女が何かを思い出したように慌てて声を掛ける。掛けるもホフマンはドアを開けてしまう。

 開けてしまったのだった。







 ホフマンがドアを開けた瞬間、ラウンジ内の全ての人間の時間が止まった。

 カウンターの少女。

 思い思いにラウンジで寛ぎながらホフマンの動向を窺っていた女性達。

 ドアを開けた先を見詰めるホフマン。

 そして、見詰められる上半身裸の下着姿の女性と、彼女を取り囲む様々な下着と服を手にした女性達。

 ホフマンは唖然としながら上半身裸の女性を見詰める。

 目元に髪がかかるかどうかといった長さの、黒々とした艶やかなショートヘアーを。

 形の良い柳眉に細く高い鼻筋を。

 グロスで潤んだ魅惑的な厚い唇と驚きで見開かれた瞼の下の黒い真珠を。

 形の良い小さな顔に恐ろしく綺麗に詰め込まれたそれらはホフマンを魅了させてやまなかった。

 図らずも初めて目の当たりにするオリエンタルな美女の実物ヌードに、全身(・・)を硬直させ目も逸らさず顔を真っ赤にして凝視してしまったホフマンは我に返ると、諦念の表情で一言零すのだった。


「ごっ、ごめんなさぃ……」


 どこかで聞いた事のある、可愛いらしいハスキーな悲鳴がラウンジに響いた。


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