三章 『バッチと拳銃と誇りと』 その1
久々の更新!
台詞の鉤括弧は一つに統一し直しました。
前の方が良かったという方が多ければ戻します。
悪しからず。
「何かお気に召さない事でもあったのかい、お嬢さん」
テーブルに突っ伏す左藤に話しかけて来たのは、日本の物とは比べようもない巨大なジョッキを持つ禿頭の好々爺だった。
軽く二人に断りを入れ同じ席に着くと、泡立つビールを真っ白な髭にあて、肥膨らんだ腹へと軽快に流し込む。
「ぶはっ!」
染みの出来た頭皮を真っ赤に、腹を摩る老人は『どうだ!!』と言わんばかりの満面の笑みで空のジョッキを二人に掲げて見せた。
「これだけでも、この国に来たかいがあったと思わんかね。ええ? 異国のお嬢さん方」
年齢の割に白く整った歯も見せ付ける老人だったが、
「すいません。こちらの御爺様と同じ物、頂けるかしら」
「すみません。これ以上酔っ払いの相手したくないので、新しい席用意して下さい」
「………ノリが悪いのう、お嬢さん方」
二人は特に何も思わなかった様で、心なしか髭と共にしょぼくれる酔っ払い。
しわしわの目元を擦り、それでも酒飲みは一人が寂しいのか二人に絡んでくる。
「ほれ、あそこの…うちの婆さんと一緒に展示場を回っているお嬢さんも、アンタらお友達だろう?」
言われて視線を向ければ確かに、はしゃぐ右藤の手を肩に乗せゆっくりと広いバーの隅を、展示物を一つ一つ一緒に眺めて行く老婦人の姿が。
「君達は一緒に回らんのかい?」
盲人を介助もなしに狭い展示場で一人でうろつかせていた事に対し、若干の非難も入った言葉だったが。
「あの子、見えない所為か余計なものを受信しやすいのよね」
「ん?」
「こういう、曰く付きの建物の中だと、特にそれが顕著になるのですよ」
「んんっ??」
極々、真剣な顔で語る二人に、そんな馬鹿なと老人は苦笑する。
だが『年寄りをからかうものではないよ』と言葉を続けようとした瞬間、風が吹いた。
地下である筈の店内で、空調とは思えない程の、ゾッとする様な冷たさの風だった。
「えっ?!」
店内全ての照明が一斉に消え、数度チカチカと瞬いた後、元に戻る。
天井を眺める老人の弛んだ顎に汗が伝った。
「空調設備の故障かしら?」
「ブレーカーが落ちかけただけですね」
首を傾げる岩本に左藤が返す。
「いやいやいやっ?!! 今の流れでそれは無いじゃろうてっ!!??」
「でも、防空壕というよりは地下鉄を改装した感じだし、言う程のことも……」
そわそわと辺りを見渡す老人は酔いも醒めたのか、青ざめた顔で岩本の言葉を訂正する。
「たっ、確かに元々は地下鉄だが、戦前に廃線され、その後はちゃんと防空壕として使われとる」
「それでも、別に大勢がこの中で亡くなった訳でもないのだろう?」
「戦時中や戦後はそうじゃが……」
言いよどむ老人に二人は顔を見合わせる。
「あー……わしが産まれる前の、戦前の噂程度の話しじゃが、何でも廃線の理由が少なくない死者を出した爆発事故で ―――」
老人が言い終わる前に再び照明が、ズドンと腹に響く大きな衝撃音と共に瞬いた。
甲高い悲鳴。
食器が割れ、椅子やテーブルの倒れる音が続き、最後に方々から発せられる『逃げろ!!』という叫び声で、鈴木は漸く佐々木にリリー共々抱えられた瞬間に聞いた音が拳銃の発砲音だと理解した。
大勢の客が悲鳴を上げ出入り口に殺到し、何人かはガラス壁を破壊し外へ飛び出して行く。
「動くなあ!!」
懐から拳銃を引き抜いた佐々木が振り返り咆えた。
その構える先が自分達の背後、カウンター席を後ろから眺められる位置だと知った鈴木は咄嗟にカウンターの奥へと意識を向ける。
「アセナァッ?!」
安否を確認しようと頭を上げ覗き込もうとした瞬間、再度、押さえ付けられる様に身体を引っ張られ、リリー共々床へ転げ落ちる。直後、カウンターテーブルが弾け木片が頭に降りかかった。
「バカ野郎っ!?」
佐々木の怒声と重さが鈴木とリリーの全身を包み込む。
頭上で撃鉄が持ち上がる音を二人は聞き、反射的に鈴木はリリーを体の下へ。
全身は硬直し、寒さも震えもないもに身体が急激に冷えていくのを鈴木は実感する。
リリーの小さな頭を掻き抱き、歯を食いしばって両目を閉じた。
頭の天辺から爪先まで、起こりうる激痛に対し防御姿勢を取った鈴木は唯一開け放たれたままの両耳で状況を確認する。
頭上から一発。
店の奥から一発。
そして、外からの一発。
銃声が一斉に三方向から響いた後、漸く店内は静けさを取り戻した。
異様な光景だった。
割れたガラス壁の外、壁枠から伸びた拳銃と兎が店内を窺っていた。
店内には倒したテーブルを盾に身を隠す男と、折り重なり合いカウンターの下でうつ伏せになる三人が。
幸いにも、荒れ果てた店内にはもう四人以外人影も無く、赤黒い液体も散乱してはいなかった。
「「「とっ! 投降しろおぉ!! 警察だあぁ!!!」」」
焦りで上滑り気味の声が三か所から同時に発せられ、それぞれ形の違う三種類のバッチが掲げられる。
一つは倒したテーブルの陰から。
一つはカウンター席の下から。
最後に店内を覗き込むオレンジ色の大きな兎の後ろからと、場所も形もバラバラだった。
三人以外の、壁枠に身体を隠し拳銃を構える男と、覆い被さる二人の隙間から外を覗くリリーも、その有り得ない光景に目を丸くする。
「……サリフ?」
唯一、一人だけが、ぼんやりと現状を理解し始めていた。
「ねえ、その声……貴方、ティムール・サリフ…よね?」
「………」
誰も応えない。
正確には、この場にいる残りの五人には答え様がなかったと言うべきか。
「…ごめんなさい。ここに居るだなんて、気が付けなくて」
悲痛に顔を歪め、今にも泣き出してしまいそうな声だった。
それでも紡がれる言葉は、言語はこの場では二人にしか通じ合えないもので。
「署に顔を出してないって聞いたけれど、如何してたの?」
「如何してた……だと?」
テーブルの陰から響く声が怒りを含んだものだと理解出来る。
出来てしまう程、その男は憤りに溢れていた。
「俺がこの四ヶ月ッ!! 一体どんな想いで「そういうの、いいから」」
会話に割り込んだのは与り知らぬ第三者だった。
それが如何したと、アンタの怒りなんて知ったこっちゃないと、如何でもいいと、意味が通じない会話の内容を自分とは全く関係がないと切り捨て、遮る形で店内へ何かが放り込まれた。
「ボクの正しい行いを、邪魔するなよ」
それは正六面体の、子供が両手で抱えると丁度良い位の大きさの、クリスマスカラーにラッピングされたプレゼント箱だった。
「「「「「「……は?」」」」」」
店内の中心で床の上を一度跳ね、角を潰し鎮座したそれに全員が反応出来たのは奇跡としか言い様がなかった。
職業柄、様々なメディアに登場する同僚、同業他者達の活躍と失敗を目にして来たからこその反応だったに違いない。
もっとも、この不気味なプレゼントの正体を直感的に悟ろうとも直ぐさま動けないのが人間であり、『まさか』と期待してしまうのも人間である。
その結果。
「アンタら何してんだいっ?!! ありゃきっと爆弾だよ!!?? さっさと逃げなああああああぁぁぁぁぁぁ……」
キッチンから伸びた夫の手に引かれ遠ざかる、日々迫害と無関係なテロの報復に怯える、いちイスラム教徒の一般人が真っ先に声を上げるという事態に陥った。
「何所へ行くつもりかのう?」
地下から地上へ登る階段の道すがら、スマホ画面を見詰め喧々諤々と言葉を交わし進む岩本と左藤の後ろ、明後日の方向を見ながら後に続こうとする右藤に老人が尋ねた。
だが右藤はその質問には答えず、コートの裏から黒い手帳を取り出し、自慢げに老人へ掲げ。
「じゃじゃ~~ん!!」
「………」
逆さまの警察手帳を見せ付けた。
「私達は警察官ですので、市民の安全を守るべく、職務を全うしに行って参ります!!」
警察手帳を右手に持っているからか左手で敬礼をし、満面の笑顔で応えた右藤は老人に近付きそっと囁く。
「お爺ちゃんは皆の避難誘導と、後は…何か、そうやね。安全祈願? でもしとってよ」
片眉を上げ見詰め返す老人に気にする事無く左藤を先頭に、岩本がちらりと後ろを振り返るもそれだけで、右藤は後ろを向いたまま階段を昇って行く。
老人はそんな三人をじっと見詰め、そして何を思ったのか『お嬢さん方』と再び呼び止めた。
コンラットは粘性のある熱湯に全身を包まれる様な感覚を味わう。
息も出来ず、身体の自由も利かず、濁流に呑まれ押し流され、二度ほど空が真下に来るのを為す術もなく眺めるだけだった。
「こっちだリリィッ!!」
気が付けば服と髪と肌が焦げ、アスファルトの上、身体から煙を上げて転がっていた。
「逃げてぇっ!! 早くっ!!」
全身を打ち濡らす雨水が心地よかった。
寝そべったまま仰向けになると、背中と脚から熱したフライパンを急激に冷やした時の様な音と臭いが。
あまりにも不味そうな肉とナイロンの焦げる臭いにコンラットは思わずえずいてしまう。
「リリィ?! ダメだ!!」
先程から男の叫び声に混じる、今朝ホテルから連れ出し怪しい男に拐われカフェの前で見つけた少女の名前を聞き取り、そういえばここ数ヶ月行動を共にする相方のヘンドリックは大丈夫かと、ぐわんぐわん揺れる頭を押さえコンラットは上半身を起こす。
辺りを見渡そうとするも焦点の定まらない視界が勝手に動き回り酷く気分が悪かった。
「止めてっ!!」
女性の叫び声と重なる銃声に思わず頭を庇い、身を屈める。
「止せえっ!!」
二度目の銃声の後、少女の甲高い悲鳴が聞こえた。
その悲鳴がリリーのものだと気が付いたコンラットは未だふらつく頭を何とか回し聞こえた方へと向ける。
そこにはリリーを抱き締めたままゆっくりと後ろへ仰け反る女性の姿が。
(……ああ)
その姿に、コンラットは酷く既視感を覚えた。
女の周囲には血が飛び散り、今にも倒れてしまいそうな程ふらつくもリリーを抱えたまま、まだ確りと両足で耐え立つ姿に。
(あああああぁ)
仰け反っていた状態から何とか前屈みになり抱えるリリーを全身で守ろうと更に強く抱きしめ、駆け寄る男性に向かって一歩、踏み出した瞬間だった。
三度目の銃声と共に。
抱き締めたリリーと共に。
二人を抱き留め後ろに倒れた男と共に。
子供を抱えたその女性の姿は。
子を守り切ったその姿は、母親と形容しても何ら問題無く。
コンラットが見た姉の最期の姿に違いなかった。
「アァああアあぁぁアぁああアああアああぁアア!!!!」
再び目に焼き付いた過去の光景を、耳にこびり付くリリーの悲鳴を掻き消そうと、コンラットは有らん限りの力で額をアスファルトに打ち付けた。
「ぷれす」
胸の上、震えるリリーへ咄嗟に掛けた言葉が片言の英語だと気が付いたものの、オランダ語を解さない佐々木はそのまま続けるしかなかった。
「うわんど ぺいん ぷれす」
もしかしたらドイツ語でも良かったのだろうが、今の佐々木にそこまで考える余裕もなかった。
鈴木の身体の軽さに感謝しつつ、それでも二人合わせて九十キロ近い重さに苦しむ佐々木は何とか平常心を保とうとする。
鈴木を抱き締め背に両腕を回したままのリリーの右手を掴み、周囲に気取られぬ様、そっと動かす。不思議そうに佐々木を見上げ、それでも声を上げないリリーに感謝しつつ、鈴木の背の上を移動していく。
「?!」
息を呑む感触がリリーの背中を通し胸に伝わった。
リリーの手の平にヌルリとした、雨とは違った、生温かい液体が触れたのだと理解した。
もう一度、唇を殆ど動かさずに、リリーにだけ佐々木は囁く。
「うわんど ぺいん ぷれす ぷりーず」
リリーの身体は震え、強張り、それでも鈴木の固い胸に顔をぐっと押し付け頷き、声を上げなかった。小さな掌がしがみつく様に鈴木の背中の傷口を押さえるのを感じ佐々木は自身の右手を退かす。リリーは左手を佐々木に頼る事無く、恐る恐ると鈴木の背中を一人で動かし、腕が回らず指先だけではあったが自身の右手の甲に重ねることが出来た。
「せんきゅ」
鈴木を一際強く抱きしめ、もう一度、頷くのが伝わった。




