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三章 『雨と涙』

 何時の間にかぱらぱらと降り出した雨に打たれ、鈴木は一人通りの遊歩道に設置されたベンチに腰掛け項垂れていた。

 急な雨の所為で通りを往く人も疎らに、傘を差す者もいない。


(なーにやっとんがやろ、私)


 『化粧落ちるかな』とか、『服、型崩れせんかな』だとか。

 気分を変えようと、あえて些細な事に意識を向けようとするも上手くいかず、うだうだと懊悩の渦に囚われる鈴木は今後の行動を決めあぐねていた。


(せっかく、やる気も出てきたっていうがに)


 久し振りに顔を合わせた海外の友人達に温かく迎え入れられ、暫く沈んでいた気分が上向いた。思わぬ痴漢騒ぎは堪えたが得られた情報と協力の申し入れを考えればとんとん。

 むしろ『ツキが向いて来た』とアンジェラの手を引いて小躍りしてしまう程浮かれていた。


(なんに……)

『いつまで現実逃避しとんがや!!』


(それなんに……)

『牡丹から逃げても珊瑚は帰ってこんがやぞ!!』


 両掌で顔を隠すように指を組み、両親指で米神を押さえ肘を突く鈴木は深く息を吐き出す。

 鼻の奥がツンとした。


(落ち着いて)


 面と向かって言われずとも鈴木は理解していた。

 それでも直視できず、逸らし続けていた現実をいきなり叩き付けられてしまったのだ。


(……大丈夫)

『当てもなく海外回ったところで解決策なんて見つかる筈もねえ!!』


 今までは鈴木を気遣ってか強引に日本へ連れ戻そうともせず、黙って行く先々に付いてきた佐々木。だからこそ、今の状況は自分を理解しようと努めていた気の短い幼馴染の後を気紛れで追わなかったが為の自業自得なのだと言い聞かせ納得させる。


(だい、じょう…)


 頭を冷やせば普通に接する事が出来る筈だと。

 自分も佐々木を煽るような言動をしていたではないかと。


(…ぶ、……から)


『……そんな女みてぇな恰好したところでなんも変わんねぇんだよ。クリスマスも中止だ。さっさと帰んぞ』


 ずぐりと、無防備な個所へ遠慮なく突き立てられてしまった。

 身内だからこそ。長い付き合いだからこそ。

 容赦なく。

 際限なく。

 深く、深い所に届いてしまった。


「      ぁ」







 細かな雨音に隠れてしまいそうな程小さな、落ち葉を踏む音を聞いた。


「え?」


 頭に何か置かれた気がして、ぐずぐずな鼻元もそのままに驚く鈴木は顔を上げる。

 見知らぬ少女が目の前に立っていた。

 アンジェラよりも幼く、されど眉間にキリッと力の入った、確りと落ち着いた印象を抱かされる少女だった。くるくると綺麗にウェーブの掛った短いパーマブロンドに濃い碧色の眼は見る者に天使像を連想させるかもしれない。透き通るような白い肌と細くすらりと伸びた手足。モノトーン調のヴィンテージスカートを穿きミルク色のスモッグコートを羽織っている。

 合わせたブランドのブーツと帽子を見ても全体的にお金が掛っており、服装にまでちゃんと気をつかえる良家の洒落なお嬢さんといった出で立ちだった。

 しかし鈴木はそれ以上の事を第一印象から受け取った。


(……どこかで)


 『見覚えがある』と直感するも思い出せない。

 自身の頭を優しく撫でる小さな手もそのままに少女を見詰め続ける。

 少女は小女で、ぱたりと泣く寸前の所で止め此方を覗く鈴木を不安げに見詰め返す。


「ぁな、った……」


 無理に口を噤んで声を押し殺していたからか、喉が引きつり続かなかった。それでも何となく少女には鈴木の言いたい事が伝わったようで、一歩二歩と距離を開けスカートの端を摘まむと片足を後ろに。


「Goedemiddag. Ik ben de tweede prinses. Mijn naam is Lily Oranje」


 目も奪われる優雅なカーテシーをしてみせた。


「Ik heet Lily」


「だっ…、Dank u wel. Ik naam Kikujiro Suzuki. Heet Bel ……」


 オランダ語(・・・・・)でなされた挨拶に何とか対応してみるも、少女の口から出て来た単語に驚き、咄嗟の文法は怪しげなものだった。どもる鈴木に自ら第二王女(・・・・)と名乗った少女は特に気にした様子も見せず、寧ろそれ以外で先程から気になっている事を尋ねる。


「貴女も誘拐されたのかしら?」


 小首を傾げ、何の気なしに気遣かわれた言葉は少女の正気を疑うものだった。







 ホフマンはアンジェラに背中を叩かれ傘を持って出て行く学ラン姿の男を見送った。

 思い返されるのは先程までの遣り取り。


『追い掛けなくていいのか?』


 椅子に縛り付けられた状態でも精一杯威厳を出そうと、頬を叩かれた(・・・・・・)まま呆然と立ち尽くす男にホフマンは声を掛けたのだ。


『……俺らの問題だ。変態は黙ってろ』


 ほぼ初対面の男に変態認定されてしまったホフマンだが、『女性を泣かせる様な野郎よりはましだろ』と反論。するも、覗きの現行犯という罪状は消えず『どっちもどっちか』と二人揃って黙り込んでしまう。

 先に痺れを切らしたのはアンジェラと女性従業員達だった。

 声を荒げ男を取り囲み口々に非難していく。彼女等は基本ドイツ語を話さないのか詳しい内容までは解らなかったが、ホフマンにもその言わんとする想いは確りと届いていた。囲まれた方は相当だったろう。

 喧嘩の理由は解らずとも発端を作ったのは呼び鈴を感情に任せ投げ付けた方で間違いなく、鈴木が最後に見せたあの痛ましい表情と、驚き口を止めた男に力無く放たれた平手打ちは怒り以上の悲しみがあった。


(…まるで別人だったな)


 仕事仲間やただの友人の言い合いではなく、もっと感情が優先される、近しい間柄の喧嘩に二人の距離感が垣間見れた気がした。


(恋人とか、か?)


 二人が聞けば全力否定間違いなしだが、ホフマンに自身の妻との喧嘩を思い出させたのは事実だった。


(ああいうビンタは想像以上にキツいんだよな)


 当事者でなくとも、去り往く背中と痛くなかった平手打ちに言い様のない罪悪感を覚える。『拘束されていなければ自分が追い掛けていただろうな』と考える位には。


『アンタさあ、別に傷付けるつもりじゃ無かったんだろう?』


 二人の口論が始まってから、カウンター席で静観を決め込んでいたフィガロが女性達を片手で宥めさせる。


『喧嘩の内容なんざ知ったこっちゃないけどね』


 流暢なドイツ語で話す彼女は男に目を向けない。


『このままじゃあの子、風邪引くわよ』


 天窓を叩き波打つ影が銀髪を濡らしていた。







「でも、このままじゃ風邪引いちゃうでしょ? 近くに美味しいお茶を出すトルコ料理の専門店があるのよ。雨が止むまで、そこで少し休憩にしないかしら?」

「…………」

「大丈夫よ。貴女が一人でずぅっと待ってたのはお兄さんも知ってる筈だし。今度は逆にお兄さんの方が暫く貴女を待つだけよ」


 妙齢の美女が意固地になる少女を丸め込もうと言葉を尽くす様はこの上なく妖しかった。

 『あたしゃ性質の悪いナンパか』と自身を客観的に評価する鈴木も早くこの場から移動しようと躍起になっている。


(オランダ王室第二王女って、さっき話してた今朝誘拐された子じゃない?! 何でこんな街中に一人ほっぽり出されてんのよ!!)


 プリンセスという現実味の無い存在を目の当たりにし、『流石ヨーロッパ。御伽噺に出てきそうな位可愛いわね』と、精神的な安定を得ようと先程までの事を頭の隅に追いやり、若干論理的な思考も彼方此方に飛ばしつつ、このまま見逃す事も出来ないと関わる覚悟を決める。

 『知らない人に着いて行ってはいけない』と、知らない人を慰める割には妙な所で一般常識を持ちだしてくるお姫様相手に鈴木は譲らなかった。


「嬉しかったの。声を掛けてもらえて、一人じゃないって思えた。だからその御礼をさせてちょうだい。それに…」


 鈴木は懐からある物を取り出す。


「オランダ王室は親日家だって聴いたわよ?」


 本日二度目となる警察バッチと日本国パスポートが顔を出した。







 本降りになり始めた雨の中、ずぶ濡れのまま傘をさす佐々木は険しい顔で通りを歩いていた。嬲る様な横殴りの雨に晒され震える身体を摩り、踏ん切りのつかない心で悪態吐く。


「俺が風邪引く分は構わんがかっ!!」


 口ではそう言いつつ、脳内ではラウンジに居た女性達が一斉に『そうだよっ!!!』と怒鳴付けているので、頭の方ではちゃんと非を認め諦めてもいた。

 それでも普段は暴走する側を諌め制止する側に居る事の方が多い佐々木は中々納得出来ない。


「そもそもアイツが確り俺の後追っとらんがが原因やろっ!!」


 鈴木にも非があったとはいえ、客観的に見ても反省の色がまるで見えない態度。


「それを変態一人捕まえてチャラってか? はんっ!!」


 一人歩きつつ大声で議論を重ねる姿は不気味で。


「どうせ俺りゃ国旗野郎一人撒いて川に飛び込んで逃げ返っただけだよ!!!」


 言い訳と謝罪の答えを必死に探す様は情けなくとも年相応だった。


(クソッ。先に三人と落ち合うか? ……なーん、理由話した時点でぼこぼこやわ。寧ろ放任主義の小梅と左藤は探すのを早々に諦めてほっとかれとか言いだすに決まっとる)


 門で待つ三人に合流しようと進めていた歩は止まり他の可能性を模索し始める。

 どれだけ苛々に任せ八つ当たりの独り言を吐こうと、佐々木の頭は冷静に回転し続けていた。日本を飛び出した鈴木をドイツで追い詰めた実力は腐れ縁故だったとしても伊達では無かった。


(アイツは絶対泣き顔を身内に見せん。見せても俺か小梅か蘭か……結構おるな)


 このままドイツを離れる可能性も視野に入れつつ、鈴木の置かれた状況を思い変えす。


日本の件(・・・・)もだが、夏の研修先の件(・・・・・・・)も未解決。国旗野郎についても ―――)


 佐々木は頭を振る。冷静になれと。


(これはアイツの、俺達の今後の予定。解決すべき問題だが今すぐじゃない)


 今、鈴木が陥っているであろう問題。それはコートを羽織らず寒さに震え、傘を差さずに雨に濡れている事。


(あの服は恐らく新品。色落ちは気にするやろうから外での雨宿りはない。となるとたてもんの中……どっかの店か? 変な拘りが強いから安い市販品の傘は買わんやろうし、雨宿りするだけで店入って何も買わずに出るとかはせん。かといって新しい服買って直ぐやから浪費はあんましたがらんはず…)


 推理ともいえない、長い付き合い故の行動分析。

 

(土産物……アイツは海外に来てまで量販品は買わん)


 一件一件確実に。


(本屋……雨の日に紙濡らす可能性を考えんバカじゃない)


 されど素早く。


(美術館……は、もう何回も行っとる。後は…)


 佐々木に逡巡はない。鈴木が立ち寄る可能性が高いと踏んだ近場の飲食店を虱潰しに、出入り口に頭を突っ込み、外からでも覗けるガラス窓の奥にまで目を光らせる。

 そして早々とその時は訪れた。







 通りのブロックを幾つも進んだ後、広いガラス壁にでかでかとカラフルに書かれた『アリのトルコ料理専門店』という、何の捻りもないシンプルな店名が目に飛び込んできた。表通りに面している事からも人気店のようで、ガラスの向こうでは老若男女人種問わずの客達で賑わっている。

 急な雨も合わさり大繁盛の様で、店内の喧騒が外にまで漏れだしていた。

 自身も雨宿りに、すぐさま暖房の効いた店内に入りたいという欲求を鈴木への罪悪感で押さえ込み先を行こうとするも、鐘の音に思わず視線を向ければ見知った後ろ姿が。


(おったっ!?)


 佐々木は手を伸ばし、閉じかけた扉を勢い良く開く。


「おいっ!!」

「「きゃぁっ?!」」


 後ろ手に扉を閉めようとしていた鈴木は掴んでいたドアノブに引っ張られバランスを崩し、鈴木の手を握り先に店内へ入っていた少女もつられ二人揃って佐々木の方に雪崩込む、そして。


「アンタ達! 入り口でダンスなんかしてないで、さっさと入んな!!」


 頭を鮮やかなエメラルドノのヒジャブで覆った恰幅の良い女性が、折り重なって倒れそうな三人を片手で支えたままニヤリと笑った。

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