三章 『ブティックと地下と教会と』
「またお前は……こんな所で何をしている」
「せっ、先輩こそどうしちゃったんスかッ?!!」
ブティック・フィガロのラウンジにて喜色に満ちた叫びが響く。
屯する女性従業員達はルイスの後輩で直属の部下、フランツィスカ・カンパニョーラ( Franziska Campagnolo )の反応に満足げだった。
「お! おおおお奥さんと娘さんの前だってそんなオメカシしたことないくせにいぃッ!!?」
ラウンジの更衣室から出て来た現在のホフマンは数十分前とは全くの別人だった。
糊の効いた白い清潔なシャツにモスグリーンのツイードスーツとベストを着込み、ワインレッドのスカーフタイを巻き、機能性度外視なブラウンのⅤチップを履いた姿は男性ファッション誌の表紙を飾るモデルそのもの。
服装だけではなく髭も整えられ、ツーブロックに刈られた頭はきっちり七三に。
意味も無く室内で掛けられたサングラスも合わさり四十代に有るまじきその精悍さ具合は俳優かスポーツ選手と言っても通りそうな雰囲気だった。
姿身を覗き、本来なら絶対にしないであろう自身のお洒落具合に慄くホフマンは素直に喜べないのか顔を引き攣らせている。
というのもこの変身、半ば強引に、被服者の意思を無視した改造だった。
時間は少し遡る。
鈴木が勢いのままラウンジから飛び出し、その後を追い佐々木も外へ。そして残されるブティックの従業員達と完全に蚊帳の外にされ気まずげに視線を泳がすオッサン一人。
未だ覗き魔というレッテルが拭い切れていないホフマンだったが、従業員達からは鈴木の協力者と認定されたようで、流石にこのまま椅子に拘束し放置するべきではないだろうと、取敢えず解放すべきと動き出したのだが。
「アンタ達はこのラウンジに足を踏み入れさせた奴を、そんなみすぼらしい格好のまま表に出すつもりかい?」
フィガロのこの一言でアンジェラ含む従業員兼弟子達は慌ててホフマンを再び拘束。
試着室に引き込むと、変態に人権など無いと言わんばかりの暴挙に出る。
「元のダサい中年男性のイメージが強過ぎるわね」
「一旦リセットさせるのに全部脱がせる?」
「それでいきましょうよ。フラットな状態の方が変化も持たせやすいし」
「脱いだ服はどうするよ? リノベっちゃう?」
「着直されても堪んないし~、安い量販品なんだから~、捨てていいんじゃな~い?」
「古着屋にも売れないな。釦とチャック、後何かに使えそうなもの以外はバラすぞ」
下着一丁で待たされること十数分。
途中、ホフマンを探しブティックへ来店したフランが試着室に乱入し、冗談でスカートを穿かされた上司を目撃して騒然とする場面もあったが冴えない中年サラリーマンの変身は無事成功した。
「迷惑料と慰謝料。後コーヒー代にスーツと小物一式で……大体こんなもんかね」
「ぐぅおををををををををををををを……」
ラウンジへ来た当初の不安が的中し、まんまと怪しげな会員製のオリジナルブランドに身を包まされたホフマンは請求書の前で、新規のメンバーズポイントカードと次回二割引きの商品券を手に崩れ落ちた。
「俺のボーナスがあぁっ!!!」
「先輩のっていうよりは奥さんに渡す家族の生活費じゃないスか……」
背中を摩り慰めているつもりらしいフランに『だから問題なんだよぉっ?!!』と情けなく項垂れる刑事に大黒柱の威厳などなかった。
「刑事さん、本当はツイてるんだよ? お婆ちゃん、これでも大分まけてくれた方だし」
「そうなんすか?」
「うん。刑事さん、お姉ちゃんともこれから仲良くしてくれるみたいだから。これもオマケね」
「ちょっ、先輩っ?!! この一時間で何所のお姉さんとナニ仲良くしてたんスかっ!!!」
「何の話だ!!!」
蹴られ踏まれ縛られと、様々な事を年下のお姉さんとしてきたが仲良くなったつもりはないらしいホフマンは全力で否定する。
「ど、どんなコトしてたんすか?」
「えっとね、子供は知っちゃけないコトなんだって」
「先輩……」
「何を話してるのか解らんが誤解だからな……」
同じイタリア系で気が合ったのか、短い時間ですっかり仲良くなってしまったアンジェラとフラン。オマケで手渡される紙袋には家族の分の小物が。
併せてフランにも、値札や品質表示の付いてないアラン模様のお洒落なマフラーを首に巻いてやり満足気だ。
プラチナブロンドに合わせてかクリーム色のマフラーは目立つ事無くフランに馴染んでいる。化粧っ気がなく、色白で室内に引き籠っている事の多い彼女が身に付けても変に浮かない、可愛らしさが引き立つ物を選べる辺りは流石ブティックの一員というべきか。
「ほら! 似合ってるよね、刑事さん?」
「先輩。ど、どうスか? 似合ってますか?」
「ああ。それより署の方はどうだ? 被害は?」
「……」
「……」
「ど、どうした?」
しょっぱい顔の二人にたじろぐホフマンを眺め呆れるフィガロは呟く。
「眼鏡の坊やとどっこいだね、こりゃ」
煙草に火を点けつつ、中々戻ってこない二人を心配しながら。
「ぼぉ~くぅ~ごぉ~?」
「…って、聞いたけど?」
岩本のマジかと言わんばかりの表情に肩をすくめる左藤。
右藤含む三人は現在、雨宿りも兼ねて通りの角に面した中規模のショッピングモールに来ていた。
流石に雨の中、テロ速報に浮足立つ広場で二人を待ち続ける訳も無く、この後如何しようかと辺りを見渡しつつ巡回中だった警察官に誘導され広場を出ることに。
大勢の人々が地下鉄やタクシーで家やホテルへと急ぐ中、幾つかの歩きで離れて行くグループに混じり流される三人。
前を歩く皆が入るから何となくの左藤に、雨宿り出来るなら何所でもいい岩本が続き、二人の後を盲目的にくっ付いて行く右藤がぶらぶらと中を見て回り、落ち着いた場所はショッピングモール地下に造られたバーだった。
大戦中に掘られた防空壕を改装した内装が売りらしく、飲食よりも見学メインで旅行客を集めるお店で、至る所に当時の資料と思しき古い物品が解説文の書かれたパネルと共に展示されていた。
「その手の美術館も近くにあんのは知っとっけどさあ~」
めの字に崩れた軟らかいプレッツェルを頬張り、当たり前の様にビールで流し込む女子高生岩本。ぐびぐびと旨そうに喉を鳴らしジョッキを呷る姿はやはり十六歳には見えなかった。
「アンタ呑まんがけ?」
「タバコ止めたなら酒も止めるに決まってんだろ」
普通に勧めてくる岩本を制し、バニラアイスと生クリームが乗っかったコーヒーフロートをスプーンで突っつく左藤。
止めたと言っている辺りアレだが二人の年齢を知り咎める者はこの場には誰もいない。
「アイスコーヒー頼んどらんだ? てか、カフェインはいいが?」
「アイスコーヒー頼んだがにこれがきた。あと、カフェインレスのヤツだからいいの」
店員に文句を言わんとする岩本を『もう口付けたから』と宥める左藤。残念ながら店員のオーダーミスではない事を二人が知る機会は失われてしまった。
岩本は早々にジョッキを空けると二杯目に黒ビールを注文し、なみなみと注がれる間に改めてバーの内装をぐるりと見渡す。
店内は半円形のトンネル状で、天井が高く横幅もかなりある所為か地下特有の閉塞感や圧迫感は受けなかった。奥行きもそこそこあり、テーブル席に座り寛ぐ二人がいるのは出入口手前のバーで、一人ぶらつく右籐のいる奥が資料館の体をなしている。
突き当たりの真新しい白い漆喰の壁が、以前まではその奥にトンネルが続いていた事を窺わせた。
「防空壕ねえ……」
天井まで繋ぎ目なくアーチ状に続く壁には色取り取りの明るいタイルが、蛍光灯に照らされ煌々と眩しく輝いている。当たり前だが通気や換気も完璧で、じめじめとした雰囲気やおどろおどろしさもない。
「どっちかってぇと地下鉄じゃね?」
「……っぽいよなあ」
岩本の感想に同意しつつ左藤も元防空壕とは名ばかりの現地下二階を微妙な顔で見渡している。
「で、それがどうしたんよ。正直、注文の間違いよりも更にどうでもいい話しなんやけど」
「まあ、なあ……」
同意しつつも何故か唇を尖らせ不貞腐れた態度を見せ始める左藤。スカジャンのポケットに両手を突っ込み、背を曲げ襟に首をすぼませる姿は、大柄な体躯の彼女にはとても似合わないものだった。
そのスケバンらしからぬ態度に岩本は片眉を上げる。
「なんけえ? 何がそんな気に食わんがよ」
「なーん」
テーブルに頭を乗せ更に身体を丸める左藤。今度は大量のマヨネーズが乗っかったフライドポテトを勧める岩本だが、やはり一口食べ『味がくどい』と止めてしまう。
返された残りのポテトを黒ビールで流し込み、やれやれと気怠げに肘をつき尋ねる。
「つまんなそうね」
「べっつにいぃ」
とは言いつつも、全身からお家に帰りたいと訴える静かな駄々っ子左藤に岩本も呆れたとばかり金髪を軽く小突く。
「…ってぇ」
「アンタ飛行機じゃ寝れん位はしゃいどった癖して」
「だってよお~」
飛行機を乗り継ぎドイツに入国して早数時間。
このバーへと到るまでの道程は左藤にとって酷く面白みに欠けた寒々しいものだった。
思い出すのは色褪せた古臭い建造物と何所の都会でも見掛ける様なチェーン店や土産物屋ばかり。
石像を眺める趣味もなければ歴史に触れ感動を覚える性質でもなく、趣味の合う店も見付からずじまい。
「次郎や変態みたいな、ロマンチストの話しだけで期待値上げっから」
「うっせえぇ~~」
慣れない食べ物に挑戦するも口に合わず、挙句に発砲やテロ騒動と続けば左藤でなくとも旅行者は嫌になってしまうだろう。
岩本は旅行気分の左藤と違い右藤の付き添いという意識からか、そこまでの落胆や退屈も感じてはいなかったが。
「そういやアンタ、初めて東京行った時もそんな感じやったわね」
「~~~~」
言われて思い出したのか、自身の反応の子供っぽさを客観的に指摘されてか、羞恥に悶え始める左藤。とうとう臍を曲げ無言のまま、テーブルに突っ伏したままじたばたと地団駄を踏み出してしまう友人の赤い頬を突きつつ、ワインを頼む岩本は顔を綻ばすのだった。
「イィ~~ヤァ~~~ッ!!」
「お、落ち着けミヒャエル?!」
「大丈夫だからっ、何が嫌なのか話してみなさいっ!?」
軽トラの助手席に乗るのを全力で嫌がるミヒャエルに右往左往するいい歳した大人達。
「やはり都会に連れて行くのは早計ではないかねヨーゼフ?!」
「誘拐未遂まで発生したんですよ!? 悠長なこと言ってないで、兄にも相談して別の所へ保護してもらうべきです!!」
「ヤァ~~ダァ~~~ッ!!」
「ほら見なさい!! この子も嫌がっているじゃないか!!?」
「いいえっ、これは単に車に乗るのを嫌がってるんです!!!」
先日、黒服を纏った犯罪者集団に車で誘拐されそうになったからか、ミヒャエルは乗車に対し尋常ではない拒否反応を見せていた。
それはもう親の仇と言わんばかりの目で睨み、小さな足で憎々しげに車体を蹴り付ける程だった。
「ヴゥ~~~~ッ」
「こらっ!? ベーベルに向かって唸るんじゃない!!!」
「……君、軽トラに名前を付けてたのかい?」
嫌々管理を任されていたのかと思いきや、結構気に入っていたらしいヨーゼフは蹴られた個所に傷や凹みがないか気遣わしげに摩っている。
「とっ、とにかく! 一刻を争いかねない状況なのですから観念してください」
「しかしだなぁ……」
ミヒャエルよりも頑なで煮え切らないヘルマン神父を『こんな人だったっけかなあ』と、遠い目で見詰めるヨーゼフ。すっかり孫を帰りさせたくないと渋る寂しがり屋な独居老人になり果てていた。
気を取り直し、ただの我が儘にも見えないミヒャエルの嫌がりっぷりが更に酷くなる前にと、一旦ヨーゼフが抱え一緒に乗り込む作戦に。
「ムュ~~~~」
「よ~し。そのままだぞ~~そのまま~~~」
「やはり私が……」
「大丈夫ですからそこでじっとしていて下さい」
ヨーゼフの胸に顔を埋め、ダウンジャケットに包まれたまま開いたドアを潜る。
固唾を呑むヘルマンは羨ましげだったが、二メートルを超える巨体が軽トラに収まるのは難しかった。
「ほ~~ら。何も怖くないだろ~~~?」
「フャ~~~」
尚も奇声を発するミヒャエルはぐずぐずと泣きだしてしまう。
小さな子供が大人に対して見せる精一杯の抵抗だった。
しかし、大人というのは時に残酷なほど狡賢く、かつては自身も子供だったが故に対抗する為の知識も豊富で。
「この後は如何するのかね?」
「泣き疲れて眠ったらチャイルドシートに括り付けて出発です」
姪っ子のシッター経験も有るヨーゼフに泣き落としは通用しなかった。
作中未成年者の飲酒等の描写がありますが決して推奨するものではありません。喫煙飲酒は二十歳から!




