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二章 『浴衣とスーツ』 その1

長くなったので分割です。

短いです。

もしかしたらこの部分は一纏めにするかも。


終わりの方、少々加筆しました。

 厳し過ぎる日差しに焼け付くアスファルト。

 週末にも関わらず、街を往く人影は少ない。

 それもそのはずで、気温は昼前だというのに三十九度を越え四十度に近付きつつあった。

 休日を楽しむ大人達は冷房の効いた部屋で寛ぎ、夏休みも終盤に差し掛かった学生達は残る課題と夏期講習に涼しい室内で冷や汗をかく季節。

 そんな蝉の鳴き声も止む真夏日のこと。

 とある会議室に集う大人達がいた。

 正面に巨大なプロジェクタースクリーンと、天井に届く高さで上下二枚組の可動式ホワイトボードが設置された広大な室内。

 横長の会議机が整然と数十枚並び、その机と供に並ぶパイプ椅子に腰かける白いシャツと暗色系のスラックスを穿いた姿の男達。ちらほらと女性も混じるその集団は一様に顔を顰め、袖や襟を捲り広げきっていた。

 シャツは汗で透け髪は額や頬に張り付き、靴の中は熱気でじっとりと蒸れている。

 突然起きたエアコンの故障。これにより会議室内は巨大なサウナと化していた。

 幾ら広大な会議室内とはいえ、百人以上の人間がすし詰めになれば室内温度も否応無しに上がってしまう。

 袖で顎を、ハンカチで額を拭う。

 机に置かれた配布資料は汗で滲み、不用意に腕をのせれば張り付き皺が出来てしまっている。支給されたペットボトルのお茶は直ぐさま空になり僅かに残った水分は容器の中で白く結露している。暑さが言い難い不快感となって白シャツの集団を襲っていた。

 開け放たれた西側の窓を覆う黄ばんだ白いカーテンはじっと静止を決め込んでいる。集団の誰もが室内から飛び出し、風呂場で汗を流して冷たい飲み物を喉へ流し込みたいという衝動に駆られつつも全力で己の義務を果たさなければという強い使命感にも駆られていた。

 もしくは眼前の上司にかけられる無言のプレッシャーによって。

 それは室内の正面中央で巨大なスクリーンを背に、集団に向き合う形で一列に並ぶ年老いた男達だった。

 彼らもまた白いシャツ姿で、先程まで着ていたサマースーツのジャケットはパイプ椅子の背もたれに掛け、机に腕を置いて険しい表情のままに集団を見詰めている。

 立ち替わり入れ替わり、集団から何人もの報告が室内全体へと届けられる。しかし、正面で並ぶ者達は欲しい情報が得られなかったのか、加えて暑さにも参ってしまったのか、一様に項垂れ目線を机の手元へと下げている。

 熱気と湿気に包まれ、緊張と落胆で息が詰まる会議室内だったがその後方、広大な室内の四分の一程が使われた余剰空間は全く別の雰囲気を漂わせていた。

 コピー機やファックスが置かれ、中身が空になったポットやペットボトルが大量に並ぶ、スクリーンやボードから一番離れた場所。そこは集団が同じ空間に居ることを忘れさせる程の静けさに包まれていた。

 静寂の中、身を置くのは二つの影。

 一人は半袖の、やはり白いシャツに茶色のスラックスという、集団と似たり寄ったりの恰好の男。総白髪を後ろへ流し、大きな四角い黒縁眼鏡を掛けている。年からなのか、こけた頬に猫背で小柄な男は窓の外へと目を向けていた。

 彼は窓際に置いたパイプ椅子に腰かけ、左肘を窓枠の上に乗せて右手で祭りの文字が入った団扇を力なく扇いでいる。


(……こりゃあ堪らんな)


 いくら静かな最後尾とはいえ、室内の温度と湿度は変わらないのだ。

 男は窓際なら涼がとれるのではと考えていたが外から送られてくるのは熱波ばかり。アルミサッシも熱を持ち始め、腕を置いた時に感じた金属特有の冷たさは抗えない熱さへと転じ始めていた。

 素直に腕を椅子の元へ戻す男は右隣を見やる。

 もう一つの影。

 もう一つのパイプ椅子に姿勢正しく、ちょこんと腰かけた紅い浴衣姿の少女を。







 男の右隣。

 正確には右隣へ椅子一つ分開け、更に斜め後ろへ下がった位置。

 そのため少女の顔を見ようと体を捻る男は後ろを向く形に。少々行儀が悪いなと思いつつ、団扇を左手へ持ち代え右腕を椅子の背もたれへと乗せる。


「悪いねぇ、夏休みの最中に連れ出しちゃって。今、君達の中で捕まえれたの、君だけでさ」


 悪いとは言いつつも全く悪びれた様子を見せない男は低く嗄れた声で、へらりと笑って見せた。しかし少女はそれに応えず、薄っすらと開いているのかどうかも解らない細い目を正面へ向け続けている。


「…………」

「…………」


 清々しいまでの無視である。

 この暑さだ、虫の居所が悪かったかなと男は団扇を扇ぎつつ改めてその少女の格好に目を向ける。暗褐色の会議室内において正しく異彩を放つ、鮮やか過ぎるほどの真っ赤な浴衣だった。

 真紅よりも抑え気味の明る過ぎない赤色。だがそれに金色の七宝柄が合わさり目を引く派手さが出ていた。

 帯も白地に形の異なる金色の七宝柄とやはり派手な物だ。帯紐も黒色と金色を合わせた物で、全体を金色で統一しているのが良く解る。派手で在りながら綺麗に纏まりを見せるのは赤白黒の、三色の絶妙な割合だろうか。


(こんな派手なの、よく着こなすねぇ)


 しかし、浴衣は派手でもそれを着こなす少女に派手さはあまりなかった。

 小さく面長な顔に目立つ少し太い眉。長く形の良い鼻梁は低くとも可愛らしさを感じさせる。

 軽く閉じられた奥二重に長い睫毛。

 極め細やかな白い肌。薄い小さな唇にはほんのりと紅が注され、切り揃えられた前髪は左へ流し、染み皺の一切無い綺麗なおでこが現れている。

 真っ黒な髪は後ろの高い位置で引っ詰められ団子を作り、真っ白な首筋と項が露わに。

 紛う事無き大和撫子だった。

 美人だとか可愛いだとか、そんなものは置き去りに、ただただ日本的な女性らしさのみを追求した様な造形美。

 男は浴衣姿の少女を十六歳の女子高生と知っているが白塗りの舞妓さん並みに強烈な純和風さを感じさせる所為か、ぱっと見の年齢がもの凄くあやふやだ。

 それこそ舞妓さんの年齢を言い当てる様な物である。


(うん。完璧に旅館の若女将だねぇ)


 そんな少女の見た目を不思議だなあ程度で流している男は特に彼女の容姿自体に興味は無いのか、高そうな浴衣だ、とやはり少々視点の違うこと考えつつ尚も話かける。


「今回の件、君はどう見る?」

「…………」


 続け様の無視だったが、年長者に対する気安いとも取れる失礼な態度に男は憤る事も無く、むしろそれを説明の催促と受け取った。


「八日前に起きた殺傷及び拉致事件。警護官三人の射殺に加え残り二人と警護対象を含めた計四名の失踪についてだ。今回の報告会で公開された情報を基にした君の意見を伺いたいんだよ」


 男は理解している。

 女子高生を刑事事件に関わらせる異常性に、ではない。

 この浴衣姿の女子高生にこそ積極的に関わってもらわなければ成らない事を。

 今回、警視庁本部で行われる報告会に無理を言って参加させて貰ったのものその為だ。


「こういうのは鈴木君とかの方が得意だって知っているんだけどさ。君以外はなかなか捕まらないし、それに彼女、警護官達とも随分仲良かったでしょ? 死んじゃったなんて聴かされて、取り乱されても面倒だしねぇ」


 男は知っている。

 この少女もまた二人の子供達と同様に、殺害された三人ともそれなりに親しくしていた事を。

 それでも尚、冷静で居られる位は大人であろう事を。


「…………」

「…………」


 前方で報告の声が響く中、後方で紡がれる沈黙に男は首を傾げた。

 昨夕、半ば拉致同然で連れ出して来た少女。

 最初は物凄く抵抗されたが事情を説明した後、素直に付き従って本日に至っている。冷静で在ったものの、怒りと不満は相当であった。勿論、幼い友人を攫った被疑者にだけではなく自身を強引に引っ張って来たこの男に対してもだ。

 最初の無視も、次の無言の返事もそんな不満から来る可愛らしい反抗の一つだと考えていた男だったが、もしやと、ある結論に至り徐に少女の耳元へ口を近付ける。


「……赤井(あかい)君?」

「…………はい?」


 少し大きめの声で名前を呼び掛けた所、微妙な間を置いて返事は返って来た。

 何か汚らわしいものが近付いてきたとばかりに、嫌そうな顔を隠しもせずに男から体を反らす少女。有る意味女子高生として真っ当な反応を示す少女に対し、普通に傷付きながらも男は確信する。

 そう、男は知っているのだ。

 街ゆく多くの人々は相手が一瞬擦れ違いゆくだけだったり何もせず佇んでいるだけなのにも関わらず、オッサンという理由だけで無意識のうちに距離をとろうと行動してしまうことを。

 剰え隣に居るのは気難しい現役女子高生。

 絶対に此れ程まで、自他共に認めるオッサンの接近を許しはしないのだと。


「君、寝「居眠りなんてしとるわけないやろ」」


 喰い気味に発せられた否定の言葉は喧騒と熱気の中において、清涼感ある、透き通るような音色だった。







(わたくし)、もう諦めておりますの」


 先程の位置から更に左へ、男から二歩離れた場所にパイプ椅子を置き直し座る少女はぽつりと零す。

 諦めていると語ったその表情はどこかぼんやりとしていて虚ろだった。


「…意外だね」


 男は浴衣姿の少女、赤井苺(あかい いちご)を見やる。

 男の目は期待外れだと言わんばかりに冷たく、あっさりと親しい者達の帰還を諦める赤井をあからさまに非難していた。

 目だけではなく体も赤井の方に向き直す男。

 その顔は暑さにうなされる老人のそれでは無かった。人を物質的に値踏みする観測機器の様な、無機質な表情で男は確認するように赤井へ語りかける。


「本当に、諦めるのかい」


 赤井は体を正面へ向けたまま、やはり瞼が開いているのかどうかも解らない薄っすらと細めた瞳のみを男へ向ける。


「随分と ―――」


 紅く薄い小さな唇が、ゆっくりと動く。


「随分と、必死なのですね」


 その声は無感情にしても驚くほど平坦で。


「珊瑚君のお祖母様に泣き付かれでもしましたか、大乃(おおの)さん?」


 目的が珊瑚達の帰還では無い男を、大乃大介(おおのだいすけ)を冷やかに非難していた。







 赤井の言葉に虚を突かれ大乃が返答に一拍置いた瞬間、辺りが急に暗くなる。

 窓際からは相変わらずの暑苦しい程の日差しが、より鮮明にカーテンの隙間から溢れ出ている事が判るようになった室内。舞う埃がきらきらと綺麗に浮き出ていた。

 外が曇り空になったのではなく室内の消灯が原因で在る事が窺えた。

 今度は蛍光灯の故障かなと、瞬きもの間に意識を切り替えた大乃は天井を見上げつつ口を開く。


「別に隠している事じゃないけれど、余り人前で話して欲しくは無いねぇ」


 重大な、それこそ今の立場を追われかねない程の無責任極まる私情の肯定、にも関わらずその返事は急な消灯に対する照明の故障かどうかを問う様な、投げ遣りなものだった。


「スクリーンです」


 赤井はその返事に応えるでもなく、一瞬でも大乃を黙らせることができて満足したのか、それとも思っていたほどのリアクションを得られず興味をなくしたのか、消灯の原因の方について答えを返した。

 やはり急な話題転換にも特に何も感じ入ることもない大乃は天井を見上げたままの姿勢から首を横へ倒し、正面のスクリーンを見やる。そこには拡大された資料が次々と映し出されていた。

 スクリーンへと注目する、ざわめく白シャツの集団。

 大乃にとって目新しい情報が得られ無かったのか直ぐに首を元の位置へ、赤井の方へと戻してしまう。此方で得られる情報の方が重要だと言わんばかりだった。


「それで?」


 再度、仕切り直し確認する様に、問い詰める様に語りかける大乃。


「本当に諦めてしまうのかい」


 赤井は一度もスクリーンへ目を向ける事無く大乃を注視していた。

 薄暗くなった室内。

 大乃の輪郭は背中に当たる斜光の所為でぼんやりとしか掴めず、その表情は逆光で更に読み辛い。それでも赤井には大乃が先程と寸分違わぬ、無機質な表情をしているのであろうとが容易に想像できた。

 赤井の項から汗が滑り落ちる。

 首、背中を通り腰元へ一直線に流れたそれは、赤井に言い様の無い不快感を与えた。

 浴衣の内側から体を弄られた気分にさせられ、その触感を消そうとパイプ椅子の背凭れへ背中を押しつけてみる。浴衣の帯が背凭れに当たり膝先が前に押し出され、自然と反り返る上半身につられ天井へ顔を向けた。

 赤井は脱力し溜め息を吐き上げる。

 この老人が自分の都合でしか動かないのをよく知っているのだ。例えどれだけ自分が協力を拒んだとしても、この老人は譲らず強要して来るのだと。

 天井へ顔を向けたまま、行儀の悪い恰好だと思いつつも赤井は瞳を閉じ、口を開く。


「被疑者特定まで……それで宜しいですか?」


 室内に、光が戻る。

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