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一章 『少年と少女』

所々おかしな箇所があるかもですが完結が目標なので勢い重視で。

 佐々木一百合(ささきかずゆり)は苛ついていた。

 ドイツに着いて数日。

 とある事情により徹夜続きの鈴木をホテルから引きずり出し、ドイツに入国したばかりの恋人とブランデンブルク門で落ち合うことになるまではよかった。

 しかし、その道中で二人は何者かに尾行される事となる。冬休みに海外で過ごす恋人とのひと時に水を差され、一気に不機嫌になる佐々木はすぐさま尾行犯を拘束するための作戦を開始したのだ。

 先ず尾行者の姿を怪しまれずに確認する為、自身の後方、ショウウィンドウのガラスに薄っすらと映る鏡像を目視。もう一人がマネキンに見惚れるふりをする一人を呼び掛けるため振り返り、直接眼で確認。二人同時に足を止めガラスや鏡に注視し、いきなり後ろを振り返って視線を彷徨わせるよりは自然な方法だろう。

 そんな思惑の下、佐々木は足を止めたのだが鈴木はそれを見事に見送った。

 この確認作業は二人が尾行に気が付いていることが前提になるが、佐々木にとってそれは疑う余地など無く、鈴木にとっても同じであった。

 自然を装う動きも幾度無く繰り返し、息を合わせるのも慣れたものである。そこに杞憂や不安も無く失敗など有り得なかった。

 しかし、鈴木は見送った。

 何故か。

 眠たかったのだ、もの凄く。

 尾行者の顔とかどうでもいいからと、投げやりになるほど眠たく、頭も回っていなかった。そしてフラフラと前を行く鈴木の後ろ姿で佐々木はなんとなくそれを悟った。

 伊達に祖国から遠く離れたドイツくんだりにまでやってきてつるむ腐れ縁ではない。と同時に同郷の幼馴染であるがゆえ、真面目にやれという遠慮の無い説教のつもりで佐々木は蹴りを放ったのだ。

 無論、避けるなり受け止めるなり出来ると知っていての行動である。だが鈴木は何もせず素直に蹴られてしまった。

 佐々木はそのことを、二度も自分の信頼を裏切った行為と勝手にみなし、「なにをしているんだ」と叫んだのである。

 尤も、鈴木から見て理不尽なことに変わりはないのだが。

 とにかく二人はこの騒ぎに乗じ尾行者の顔を確認することができた。

 後を付けるのは灰色のコートを羽織るスーツ姿の中年男性。くすんだ金髪に深い青色の瞳を持った、何所にでも居そうなゲルマン系の白人である。

 そして次にとる行動も決まっている。

 この男の目の前で二手に分かれ、男がどちらか片方を追いかければもう片方が後ろから近づき隙を突いて拘束。

 そんな手筈だった。

 だが佐々木にとって予想外の出来事が起きる。

 鈴木に背を向け走ること十数秒。

 車線と中央の遊歩道と更に車線を挟んだ反対側。つまり自身と五十メートルは離れた反対側の歩道でそれは始まったのだ。

 もう一人(・・・・)の尾行者による、佐々木と並走する形での全力疾走だった。







 佐々木がそれに気が付いたのは全くの偶然だった。

 中年男から距離をとるため完璧な短距離走の姿勢で全力疾走する佐々木へ驚き目を向け足を止める人々。中には面白がってスマホを向ける者も。

 老いも若いも関係なくスマホを構える。そんな人々が行きかう歩道で佐々木の進行方向上に居た人物が此方ではない何所かを指差していた。

 やはりスマホを向け何処かを撮影し始めるその姿を見た佐々木は疾走中にも関わらず無意識のうちに視線をそのカメラの先へ向けてしまう。スマホのレンズが向く先、自身の真横へと向けてしまったのだ。

 確実に目が合った。

 黒いジャケットに真っ赤なパーカーと黄色いジーンズ。

 こちら側を向き、正面を見ずに走る特徴的な追走者。

 何故かフード部分だけが黒くなっているパーカーを被り、大きな赤いサングラスを掛け、真黄色なスカーフをマスクにして顔を隠す、背の低い恐らくはドイツ人男性。


(……いや、ベルギー人の可能性も ―――)


 などと、バカバカしい事を考えつつ佐々木は焦りを覚える。表情は窺い知れずとも赤いサングラスの奥の双眸はしっかりと自身を見据えているのだ。

 この奇抜な色合いの割に綺麗に纏まっている格好の追走者はなにも自分と一緒にランニングがしたい訳でもない筈だと佐々木は警戒する。このまま此方へ近づき危害を加えるかもしれないのだ。

 今回、佐々木が取った尾行者拘束の作戦は相手が一人であることが大前提である。相手が複数人である場合、自分達は別行動するべきでは無いことを佐々木はよく理解していた。

 佐々木を追いかけているのは国旗男一人だが、鈴木の方の尾行者は最早スーツ姿の中年男一人とは限らない状況なのだ。

 だからこそ佐々木は焦る。

 自分を追いかける鈴木の気配が無いことに。

 佐々木達としては尾行してきた者の正体を確認する必要があり、相手の目的もはっきりさせなければならなかった。

 二人のどちらかに対する私情か、二人が所属する集団、日本の行政機関に対してか。はたまたただの愉快犯か。いずれにしても佐々木は早々にこの状況を解決しなくてはならない。

 何故ならば佐々木にとって鈴木はただの気の置けない幼馴染という間柄だけではなく、恋人のいとこ(・・・)という立場でもあるからだ。

 本気で恋人との将来を望む佐々木にとって、もしものことがあれば顔向け出来ないどころの話ではないのだ。若干、気に掛ける動機が不純な気もするがそこは鈴木への信頼の表れでもある。もっとも、無意識的なことであるため二人はそのことに気が付いてはいなかったが。

 ともかく、だからこそ佐々木はこのまま恋人が待つブランデンブルク門に向う事を止める。

 国旗男を取敢えず撒き、スーツ姿の中年男と挟み込まれない様にブティックへと引き返し鈴木の元へ舞い戻ることにしたのだ。






 

「ここ暫く、といってもドイツに入ってからだけど、四六時中つけられてたのよ」


 ホフマンのスマホに充電器のプラグを差し込みつつ鈴木は語る。


「こっちも好きにさせて貰ってるし、それは別にいいんだけど」


 二台あるスマホをどちらから攻めるか、ホフマンの反応を見つつ、指差し選ぶ。


「今日はやけに積極的だから、ちょっとお話したいと思って」


 直感か、はたまた目の前の刑事が顔に出やすい性質だったからか、支給された仕事用のスマホを手に取った。


「相方が気付いたのは貴方で、私が気付いたのが別の方だったみたいね」


 ホフマンはこれまで鈴木が開帳してきた情報とその口振りから、自身より更に機密の高そうな国内組織が尾行していたのだと理解する。


「ふん。政府もスパイと解っていている人間を野放しにするわけもない………。もう一人と合流しなくていいのか」

「いいのよ、別に。向こうは向こうで勝手にするだろうし。自己責任よ。まあ、アイツを追い駆けてった方は大した事なさそうだったし、大丈夫なんじゃない?」


(……親しい人物に対する特有の遠慮のなさか? それに妙な刺々しさと突き放した感じ……男女の関係じゃないが、若干拗れた面倒臭い友人あたりだな)


「……随分余裕だな。ここは安全な日本とは違うぞ」

「……んーーー………?」

「………」


 やられっぱなしは御免だと、なんとか会話から情報を得ようとするホフマンだが、相手は捕ったスマホに意識が集中しているのか、緊張感もなく対応もお座成りに。

 スマホを眺めつつ唇に指を当て眉を顰める鈴木の姿に脱力するホフマンは暗証番号の有り難さを実感する。


「面白い情報なんて入ってないぜ。俺は下っ端だからな」

「自慢しないでよ。娘さんが泣くわよ?」

「なっ?!」

「貴方が何も話さないからでしょう。ちょっと強請れる位の情報でいいのよ」


 逆に、いとも簡単にカマをかけられ情報をばら撒く刑事に、これこそ罠なのではと妙に勘繰る鈴木。それでも、何もせずに帰す選択肢は無く探りを入れる。


「スパイ映画なら、トンデモマシンに掛けて一発なんでしょうけれど。私、刑事さんと一緒でアナログ派なの」

「………だったらどうした」

「私の経験上……」

「?」

「……バッジ番号の下四桁」

「…………」

「…………尋問され慣れてないでしょ、刑事さん」

「…………常にする側だからな」







 敢えて説明する必要もないと思われるが二人いた尾行者の内、鈴木は国旗男の方にだけ、佐々木はホフマンの方にだけ、それぞれ目を向けていた。

 結果、国旗男の存在に気が付いていなかった佐々木は別れた後、二人の尾行者が仲間である可能性を考慮して、ホフマンの存在に気が付いていなかった鈴木は尋問を開始するまで覗き魔の変態が尾行者である可能性を考慮せず行動していた。

 故に、佐々木程やる気のない鈴木は『尾行者の一人位、四人(・・)と合流すれば大丈夫だろう』と、佐々木の後を追わずにたまたま通りかかった行きつけのブティックへ。佐々木は『相手の総人数が不明のうえ、鈴木が後を追って来ない』と慌てて、先ず鈴木の安全確保優先のためブティックへ。

 この些細ではあるが大きな擦れ違いを知るのは佐々木が国旗男を振りきった後になるのだが、それまでの道程が長かった。

 先ず佐々木はパリ広場の入り口でUターンし元来た道、ウンター・デン・リンデンを逆走。

 全力疾走を続け撒けるかと思いきや余裕で後を追う国旗男。

 走りながら他に追手は居ないかと目を光らせていれば何時の間にかブティックを通り過ぎ。切羽詰まり業を煮やす佐々木は『菩提樹の下』から再建間もない王宮も過ぎ、隣国ポーランドから流れてくるシュプレー川に架かった石橋へ。路面はアスファルトで舗装されており一見歴史ある石橋に見えない所為か、橋を囲むように聳え建つ白く巨大な二体一組の石像達は場違いな程に浮いていたが佐々木にそんなことを考える余裕はなかった。

 多くの人と車が行きかう幹線橋にて漸く対峙した二人。

 だが悲しいかな。

 二人は道路を挟み向き合えど、何も始まらなかった。

 何故か。

 理由を求めるにあたりこの二人について特筆すべき事があるとすれば、それは目立つ変わった服装でもなければ何時の間にか双方懐から抜かれていた拳銃でもない。

 注目すべきなのは『拳銃を持ち命のやり取りを行える緊張状態のまま数キロに渡る全力疾走を行えば人体にどの様な影響を及ぼすか』である。

 過呼吸。

 血圧上昇。

 疲労と乳酸による両脚の痙攣。

 鉄の塊を握り締め腕を大きく振り続けた事による握力の低下。

 等々。

 結局の所、体力の限界を迎えた二人は膝に手を付き仲良く橋の上でへばっていた。

 そんな目立つ二人を眺める通行人達は呑気なもので、ドラマや映画の撮影か路上パフォーマンスとでも思ったのだろうか、やはり慌てず騒がず落ち着いてスマホを向けていた。

 軽い人だかりが出来てしまい、先に拳銃を抜いた国旗男の形振り構わずの雰囲気も感じ取っていた佐々木は被害を最小限にするべく良い案はないかと周囲を見渡す。

 そして嫌々決断する。

 国旗男が息を整える前に佐々木はふらふらと橋の欄干へ。

 いっそ仰々しく、冗談混じりに、大袈裟な感じで、コートの裾まで摘まみ広げ、人だかりに一礼して見せた。

 軽い悲鳴と水飛沫が二つ続いた後、橋の上で拍手が巻き起こる。

 心配そうに水面を覗き込む数人が、川岸の両端へと泳ぎ陸に上がる二人を見て安堵の息を吐くのも一瞬で、苛立ち紛れに発砲する国旗男に石橋の上は再び悲鳴に包まれたのだった。







 ゴム手袋を嵌めたうえでスマホはテーブルに置きタッチペンで操作をする鈴木。

 経験則からあっさりと暗証番号を割り出し、まんまと情報を明け渡してしまったホフマンに気の無い慰めの言葉を投げ掛けるも、意識は常に画面の奥へと向けられたままだ。

 初めて触る他人のスマホにも関わらず、操作するペン先の動きは淀みなく慣れを伺わせる。すいすいと筆を走らせ、時にはくるくると指の間で複雑に回して見せる程の余裕もあり、不意に口角を上げては眺める事しか許されないホフマンをドキリとさせていた。


(……私用のスマホじゃなくてよかった)


 内心、心底安心するホフマン。

 刑事としてはスパイに支給物を漁られる方が問題ではあるが、一人の男としては私物を見知らぬ美女に弄くり回される方が色々と抵抗感が有ったりもするらしい。

 自身の妻子が昼間、仕事中の夫へ電話やメール等を送らないのは家族内で暗黙の了解にはなっているが、万が一という事も十分に有り得るのだ。未だ封じられたままの私用スマホではあるが、破られるのも時間の問題であるとホフマンは理解している。


(この女なら面白半分で電話をかけかねない)


 それは刑事としての勘か、目の前の美女と歳の近い娘を持つ父親としての直感か、ホフマンには判らない。指紋が残らない様にと気を付ける自称少年警察官が通話によって履歴や音声が残る可能性を考えない筈はないと思うも、敢えて身分を晒す自信家でもあるのだ。十六歳という年齢を知った上で観察すれば、確かに行動の全てが少年然として、不安定で危なっかしく気紛れなものに見えてしまう。

 だからこそホフマンは最悪の事態までも考える。

 子供らしく些細な事で激昂し、ものの弾みでとんでもない事を仕出かすのではと。

 強請り集り位ならば可愛げもあるが、殺人や人質といった行為にまで発展するのではないかと。


(覗きの負い目なんて感じてる場合じゃねえな)


 此方が友好的であれば相手も敵対する可能性が低くなるのではと当たりを付け、余計な諍いを起こすのを防ぐためにホフマンは敢えて組織を裏切る事も視野に入れる。

 刑事としては国家の安寧と市民の安全を第一に考えなければならない。だがルイス・ホフマン個人としては家族を、家庭を第一に守りたいという想いが強くなるのは至極当然のものだった。


『ちょっと強請れる位の情報でいいのよ』


 先程の会話を思い出しホフマンは冷や汗を流す。どんな情報を使って何所まで強請られるのかは判らずとも、こうしてスパイは手足を増やして行くのだろうと。


(……だったら、だからこそ私用のスマホじゃないのか?)


 至極当然と言えば当然の、些細な疑問だった。

 スパイのエトセトラなど知りはしないが、それでも個人的な情報を得るのであれば支給された仕事用ではなく、私物の方を漁る筈ではないのかと刑事は考える。


『私の経験上 ――― バッジ番号の下四桁』

(仕事用はそれでもいいが、私物なら誕生日とか記念日とかじゃないのか?)


 流石に現職の刑事であっても、一体どれだけの警察官が暗証番号にバッジ番号を用いているのかは知らない。それでも相手は経験則として通じる位に回数は重ねているのだ。


『何が望みだ』


 この質問に鈴木は答えず、曖昧な笑みを浮かべるだけだったが。


『共犯者に仕立て上げる腹積もりだろ』


 実害らしい実害もなく、ただ拘束されスマホを弄くり回されるだけに止まる現状と、強請るという言葉からみてもこれが(共犯作り)目的であるのは確実で。


『日本国行政機関、外務省』


 外務省に所属していることから何らかのスパイ活動の一環であると結論付けたのだ。

 だが、しかしと。

 ベテラン刑事は結論に待ったをかける。


(本当に……こいつの言っていることは本当で、本気で俺を強請気があるのか?)







「「詐欺じゃね」」

「なんでだよ?!」


 嬉し恥ずかしいの結婚報告で冷やかしの祝福が貰えるかと思いきや、結婚詐欺かと疑われた左藤は憤る。


「普通におめでとうでいいやろ!?」

「「ないわーー」」


 至極真っ当な反応を期待していた新妻は普通に傷つく。

 だってオトメだもの。


「か、プラチナけ?」

「重さはそれっぽい」

「王水に浸けて溶けたら本物」

「浮いて来なかったら偽物で」

「魔女裁判?!」


 照れ隠しで右手にはめていた結婚指輪。左手の薬指に嵌め直そうとしたところ指輪を奪われ好き放題言われる左藤は若干涙目である。


「あの変人がねえ」

「ちゃんと綺麗なお金で買って貰ったの?」

「ちゃんと給料三ヶ月分! あと本物!」


 爪先で弾き耳元で音の確認まで始める右藤から指輪を奪い返し、ベンチから立ち上がって二人を睨み付ける左藤。


「そんな信じれんか」


 背を曲げドスの利いた声を放つ姿は正にスケバン。小心者なら竦み上がるであろう気迫で無理矢理認めさせようと言い含めにかかる、が。


「流石に指名手配犯を信用はできんちゃぁ」

「もっ、元だ!」

「私達もあんま人の事言えんけど、正直元犯罪者を親戚にはちょっと……」

「ぐうっ?!」


 至極真っ当な意見で言い含められそうになるスケバン。顔を逸らし、何とか耐えようにも二人の追撃は止まない。


「てか、よくジジイ共が許したわね」

「私達の同棲だって許してくれんがに。おかしい」

「アレじゃない? 証人保護的な名目で手早く日本国籍与えようってヤツ」

「政略結婚?」

「初な女、落とすのなんてワケないし」

「身の安全を保障する換わりに仕事手伝えっていうあれだよ」

「如何にもクソジジイが考えそうな事じゃない」

「ちなみに婚姻届の証人は?」

ジジイ(クソ)連中じゃないでしょうね?」


 息もつかせぬ詰問にちょっと不安になり始める左藤。そんな筈は無いと思いつつ、本気の心配をされては心が揺れ動く。

 結婚までの交際期間でいえば岩本達との付き合いよりも短い約八ヶ月。スピード婚である。不審に思うなと言う方が難しく、相手の素性も相俟って疑惑は深まるばかりだ。

 ドラマで男に騙される女を、もう無知だといって笑えそうにない左藤は覇気も無くごにょごにょと項垂れ答える。


「ス、鈴のじーさんとばーさん……だけど」

「「…………」」


 沈黙し、顔を見合わせる岩本と右藤。意外な答えだったらしく、きょとんという表現が似合いそうな顔を左藤へ向ける二人。


「てことは次郎も知ってんの?」

「まあ」

「伯母さんと伯父さんも?」

「おう」

「「…………」」

「な、何だよ」


 じっと見詰めてくる二人に左藤は後ずさる。拙い事だったのだろうかと、自身の常識に不安を覚えつつ、切羽詰まりぐるぐると思い詰める少女は当時の挨拶風景を思い返す。

 黒髪で化粧を落とし、改造されていないセーラー服を着込み臨んだあの日。恋人も含め、その場にいた全員が目を剥き驚いた光景は一生忘れないだろう。

 やはり婚約期間の有無だろうかと、一度離婚してから再婚約というトンデモなく面倒臭いうえに的外れなやり直しを本気で思案する左藤は二人の反応を待つ。


「まあ」

「うん」


 新郎の存在を置き去りにし、親友二人の言葉により勝手に成田離婚が可決されかねない現状をおかしいと説く者は居ない。

 指輪を握りしめる新婦。

 唾を呑みこむ音が響く。

 広場の喧騒から外れたベンチは異様な緊張に包まれた。

 そして。


「「いいんじゃね?」」

「…………」


 なんとも気の抜けた肯定の言葉に、左藤はその場にへたり込む。真っ赤なスカジャンの背に咲く柘榴の花が北風に吹かれ萎れていた。







 パリ広場に吹く冷たい風が紙くずを飛ばす。

 ひらひらと、落ち葉と供に舞うそれは人混みを抜けブランデンブルク門を潜ろうとする。

 誰にも知られず、木枯らしに運ばれどこか遠くへと行ってしまうかと思われたそれは、無粋にも堅い靴底に阻まれてしまう。

 制服姿の警官だった。

 彼はゆっくりと足を上げ、押しつぶされ、泥に汚れ裏表も判らなくなったレシートを見てニヤリと笑う。

 深く警帽を被り直し、男は広場のベンチを眺める。

 ベンチの前でしゃがみいじける友人をなだめる派手な少女達に目が行くと、その身を隠す様に門の石柱へ寄り掛かけた。


「ふふ」


 男は小さく笑みを漏らす。

 少女達に気取られぬ様に。

 見付からぬ様に。

 熱く見詰め、ウインクを飛ばす。


「旅は始まったばかりだ。存分に楽しめば良い」


 男の小さな呟きは観光客たちの雑踏に掻き消された。







 三人はベンチに座り身を寄せ合い、だらだらと時間を潰す。

 先程まで大分目立っていた三人だが、何人か立て続けに写真を一緒に撮ってもらえないかと尋ねられ、快く了承している内に『そういう人達なのだろう』という妙な認識が周囲に広まり、収まる頃には少し派手な風景の一部位として落ち着いていた。


「セーラー服が珍しいとか、海外って感じだな」

「写真撮って、何が楽しいんやろね?」

「だら。レイヤー見る目やったろが」


 一人渋々付き合っていた岩本は小さくなった飴玉を噛み砕き、口直しにと懐を弄るも、煙草を没収されていた事を思い出し舌打ちを飛ばす。


「……煙草」


 無遠慮に催促する岩本に、左藤は差し出された掌を叩いて返す。


「ガキ産むから止めた」

「梅ちゃんも良い機会やし、止めてみたら?」


 態とらしく岩本を左右から挟み込む様、両肩に腕をまわし固定する二人は頭もぐりぐりと押し付け合う。鬱陶しそうにするも嫌なそぶりは見せず、そのまま放置する岩本は気の無い禁煙の勧めに、やはりなんの気なしの答えを口にする。


「アタシは一生産まんからいいが」


 どこか近くで小さくシャッター音が鳴ったが三人は気にしなかった。







 空は冷たく、重たい雪雲に覆われていても周囲には人が溢れている。他のベンチや広場内では早めのクリスマス休暇に入った地元民や観光客達が思い思いに集っていた。

 飼い犬の相手をする老人。

 小さな子供の手を引く夫婦。

 広場の出入口に停まった移動屋台のカリーヴルストを買うために順番を待つ若い男女達。赤く冷えた顔に立ち昇る温かな湯気をうけては目を細め、熱さと辛さを勢いよく頬張った唇は冷気を求めはふはふと空を啄んでいる。

 その香ばしい匂いと冬の屋台が持つ雰囲気につられてか、うきうきと、いつの間にか三人分のヴルストを買いベンチに戻ってきた左藤だったが、一口でそのくどい辛さとしつこい油に眉をひそめてしまう。右藤に至っては臭いだけで腹一杯と岩本に全部押し付ける始末。

 現地の空気に当てられ、考えもなしに余計な買い物をしてしまう旅行者そのものだった。


「ねえ左藤……私、辛いの苦手って知っとるやろ?」

「旅行先の名物、思い出づくりに一口位食っとけま」


 苛々と投げかける右藤に、アレルギーでもあるまいしと取り合わない左藤は岩本にも同意を求めた。が、特に旨いとも不味いとも言わず黙々と食べ続ける岩本の様子に段々と胸焼けがして来た左藤も残りを渡そうかと考え始める。


「なあ右藤。本当に食わねえの?」


 プラスチックのフォークとナイフで紙皿の上、ブツ切りにされた赤と黄色の粉塗れのヴルストを突きつつ、右藤に確認してから岩本に渡そうと声をかける左藤。


「右藤?」


 しかし返事はこない。へそでも曲げたかと顔を向ける。


「はあ?」

「どしたん?」


 左藤の妙な反応に、岩本もヴルストを頬張りつつ右藤へ顔を向けた。

 そこには土足のままベンチの上に登り、直立不動で明後日の方向を見詰める右藤が。


「「ええぇ~……」」


 いきなりの奇行に揃ってポカンと口を開け、何かの冗談かと半笑いになりつつ腰を引かせる二人だったが、それも一瞬だった。

 右藤の一言で状況は一変する。


「――― 銃声」


 無言で紙皿とヴルストを投げ捨て、ちゃちなナイフとフォークを構えた二人が右藤の頭を押さえ屈ませ前後を陣取った瞬間、広場中で身の竦む様な警報音が響き渡った。

 大勢の人々がスマホを取り出し、身を寄せ合い子供や犬を抱え門の側、巡回中の警察官の近くへと移動していく。

 凶悪事件(テロ)発生の緊急速報だった。







「…………何をしている?」


 困惑に満ちたホフマンの言葉にローテーブルの下から這い出た鈴木は居住まいを正し、キリッとした顔で椅子に座り直してから答える。


「何のことかしら?」

「……」


 仄かに赤くなった鈴木の白い顔に『黙れ。忘れなきゃぶっ殺す』という文字を読み取ったホフマンは疑問を呑み込む。だが、文字はイタリア語にまで変換されていなかったらしく。


「お姉ちゃん。もしかして地震と間違えちゃった?」


 鈴木が一緒にローテーブルの下へ引っ張り込んだままのアンジェラが頭だけ出して無邪気に語りかける。


「……そーよ。悪かったわね、驚かせちゃって。貴女も早く出てきなさい」

「はーい」


 嬉しそうに笑うアンジェラは這い出ると、そっぽを向く鈴木の膝上にすとんと腰かけた。定位置らしく、慣れた手つきでお腹に腕を回し旋毛に顎を乗せる鈴木を笑顔で受け入れるアンジェラは楽しげに足をぱたぱたと揺らしている。

 この間のやり取りは勿論イタリア語であるため鈴木の奇行を理解できず置いてけぼりをくらうホフマンだったが、ラウンジに集う女性達はちゃんと理解している様で、二人のじゃれ合いを微笑ましげに眺め終始穏やかな空気が流れていた。


「いやいや警報は?! 今スマホから流れたのテロ発生の緊急警報だろうがっ!!?」


 場の空気に流されかけるも、近隣でテロ行為が発生している事実を見過ごせない刑事は正気に戻り一人慌てふためく。しかし、暫定覗き魔に対する周囲の反応は冷たかった。


「いやいや。服屋はテロの標的にされないでしょ?」

「きっとどさくさに紛れて逃げるつもりね」

「絶対解いちゃ駄目よ、ベル」

「そうねぇ。もしかしたらだけどぉ、犯罪者の一味かもしれないじゃなぁい」

「ええ~~、幾らなんでもそれは有り得なくない?」


 外国(フランス)語のためやはり意味は伝わらずとも、思い思いに言葉を交わす女性従業員達の落ち着いた態度に不安が募るホフマンはことの深刻さを鈴木に伝えようとする。


「電話会社と連邦警察からの一斉警報だ。そこらのチンピラが発砲したレベルじゃ鳴らない。取敢えずどの程度の規模かだけでも教えてくれっ!!」

「知って如何するのよ?」


 如何なる状況であろうと職務上特別な立場の人間として何かするべき事はある筈だと、警察機関の人間だからという理由ではなく、己の正義感に従うべくホフマンは縋る。だが、再びスマホをいじりだした鈴木の答えは真摯に懇願する男を付き離すものだった。


「アンタに出来ることなんて、何もないわよ」







 名残惜しげにアンジェラを立たせカウンターの方へ向かわせる鈴木はコーヒーを三つ頼む。ただ、手錠を外す素振りもないことからホフマンに飲ませる気はさらさらないようだ。

 一方、当のホフマンは些細な嫌がらせに気が付けない程に動揺していた。


「れ、連邦刑事局内で?」

「そう。一般市民の避難誘導の必要性もなければ交通規制も行われない。職員の御家族には悪いけれど、万が一の際には気兼ね無く実弾を用いた特殊部隊の突入も可能でしょうね」


 ホフマンに顔を向けずスマホを操作し続ける鈴木の受け答えは淡々としたものだった。

 他人事。

 言ってしまえばこれ以上もない納得しやすい理由。それに尽きる鈴木の態度は容易に刑事の神経を逆撫でにする。


「……おい。少年刑事だかスパイだか知らないが身内の緊急事態だ。じっとしている訳にはいかん。すぐ解いてくれ」

「繰り返すけど、行って如何するのよ?」


 心底不思議そうに投げ掛けられる質問。この質問に真面目に答えたとしても『それで?』『だから?』と続くのは目に見えていた。

 そして、この不毛とも思える遣り取りにホフマンは覚えがあった。


(覗きの現行犯で確保され、そのまま十六の小娘に取り調べられ。次はこれかっ……)


 自身が不利になる状況が続き、テロ騒動さえ偶発的なものではなく鈴木の作為的なものなのではないかとホフマンは疑い出す。ともあれ、今の鈴木側の立場に自分を置き換えればこの堂々巡りの状態からも光明は見出せるヒントは見つかるのだ。

 意を決する刑事は口を開く。


「……取引だ」


 年齢に見合わない、されどスパイ(鈴木)には似合う妖しげな笑みが零れた。


「それじゃあ司法取引といきましょうか? 変態さん」







 小気味良い鐘の音が響いた。

 聞き覚えのある音色に、発生源が気になるホフマンは辺りを見渡す。


「アンジェラ」

「sì !」


 カウンターで寛ぐ銀髪の女性、フィガロの指名に元気良く返事を返すアンジェラはとことことラウンジの出入り口へ。

 首を傾げるホフマンが続けて鳴り響く音色に『ああ、レジの呼び鈴か』と気が付き、改めて交渉中の鈴木へと意識を向けようとした。

 しかし、再度大きく呼び鈴が鳴らされる。

 鈴木の顔が僅かに強張り、出て行こうとするアンジェラを引きとめる。

 その間にも呼び鈴は間隔を狭め、一度鳴り終わる毎に再度強く押し叩かれ音量を上げて行く。


『なんかヤバそうな奴が来た』


 ラウンジに居た全員が下の階へと続く出入り口を見詰め思う。


「ちょいと刑事さん。うちの子達じゃ心配だからさ、ベルと一緒に見に行ってくれないかい?」


 何気なくホフマンに向かって呟かれたフィガロの一言。

 勝手な事言わないでよと間に入る鈴木は引き止めたアンジェラの手を握りつつ反対する。


「よっぽどな相手でもなければ私一人で大丈夫よ」

「テロ警報が流れたうえ、警察機関が麻痺してるんだろ?」

「警察機関ていうか、警察官そのものが麻痺してる感じだけどね」


 今度はようやく片手のみ解放されていたホフマンに視線が集中する。何となく自分についての会話だと理解するもフランス語は理解出来ない男は愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「め、めるすぃ~ぼふぅ?」


 引きつった笑顔で片手を上げるホフマンンに笑顔で手を振り返すフィガロ。


「やっぱり私が一緒に行こうかね」

「そうね。お願い」


 椅子から解放される千載一遇のチャンスをみすみす棒に振ったホフマンだった。







「●×▽◆●!! ○●□◆%$?!」

「▽▼△××●●###!!!」


 ホフマンは椅子に括り付けられたまま、聴き取り困難な怒声の応酬をはらはらと眺めていた。

今しがたフィガロとの会話を切り上げ、出入り口を目指す鈴木は肩を怒らせ階段を上がって来た男と顔を合わせるなり舌戦を繰り広げ始めたのだ。

 ホフマンにとっては正直意外な展開であり、理解の及ばない状況でもあった。


(別れてた間に何があった?)


 アンジェラが泣きそうな顔で二人の間に立ち、助けを求め視線を周囲に彷徨わせている。

 恐らくは口汚く罵り合っていると思われる二人の足元に転がるのはレジで見た呼び鈴。

 長身痩躯で学ランとコートを着込む黒縁眼鏡を掛けたずぶ濡れの溝臭い男がラウンジに上がり込むなり、呼び鈴を鈴木に目がけ投擲したのだ。

 咄嗟に身を捩り呼び鈴を躱すまでは良かったのだが位置が悪かった。射線上にアンジェラがいたのである。幸いにも肩を掠める程度で大事には至らなかったが、呼び鈴を躱した時にこれを目にした鈴木がキレたのだ。

 眼鏡男が我に返り謝ろうと慌ててアンジェラに近付き手を伸ばすも鈴木に払われてしまい、ヒステリック気味に鈴木が金切り声を上げた所でゴングが鳴った。


(どうする? 止めに入るか?)


 ホフマンも答えを探る様に周囲を見渡すも、フィガロは再びカウンター席に腰を落ち着かせ、他の従業員達は眼鏡男を非難がましく離れて見詰めるだけ。

 二人してホフマンの方を指差しつつ、いよいよ身振り手振りが入り顔も近づけ動作が段々と大きく過剰なものになってくる。


(危ないな)


 職業柄か、十六年を迎える結婚生活の経験からか、嫌な兆候にホフマンは気が付く。加えて喧嘩の理由に自身も入っていると知ればこのまま黙っている訳にもいかず、何とか仲裁に入ろうと椅子ごと身体を動かす。


「おいお前等っ! 子供の前だろ、いい加減に ―――」



 ――― 小さく、ラウンジに頬を張る音が響いた。

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