5年ぶりです
お久しぶりです。
ここは私が10代だった頃に、
抑えられない感情や鬱憤を
晴らすために作った空間でした。
そもそも対して勉強もせず、
本を読むわけでもなく。
そんな彼が小説家になろうなんて
おこがましい限りなわけですが、
その想いを許してくれる場所があるだけで、
泣かずに済んだ日があったことを覚えています。
ほとんど投稿をしていない
この5年間で、なにが変わったかと思い返すと、
残っているものがなに一つないほど、
変化した次第です。
具体的になにが、と言う点について
文字に起こす気はありませんが、
以前の様な詩が書けなくなった、と言うのが
自分に最も伝わりやすい表現です。
抑えられない感情や、
世の中に対してのアンチテーゼも
アルコールや煙に薄れ、
自分に話しかけることもなくなり、
考えをアウトプットする際のフィルターが
大幅に改善されたことで、
悲観的な言葉が頭に浮かばなくなりました。
当時は他人に感情を向けるぶつける機能が
だいぶ壊れていたんだなと、実感してます。
…ここから今回書きたかったこと
時代の変化に伴って、
文字が非常に手に入りやすい
環境になったなと思います。
書店や量販店に行き、
書籍を買うのはもちろん、
PCを起動する必要もなくなって、
ポケットや枕元にある板を使えば
求める文字列を閲覧できますよね。
文字を読むことは
誰に対しても素晴らしく、
尊ぶべきことだと思います。
ただ、似たような耳障りの良い言葉が
切って貼られることが多いのが残念です…。
しみじみと感じるのは、
文字は内容ではなく、
結果誰が書いたかで
価値が変わってしまうということです。
文字ではなく言葉も同様。
例え話が好きな上司がいましたが、
あぁ、昨日読んだ本に書いてたんだろうな…
今日はどのワイドショーの引用かしら…と
あまりの使えこなせなさに、
哀れさを感じるほどでした。
(内容は面白かったのに…)
もちろん話のスムーズさや、
間の置き方を重要なんですが、
結局話し手が自分にとってどんな立場で、
なにをしてくれる、してあげた人で、
どんな声で、どんな仕草で、
言ってしまえばどんな見た目で
その言葉を発しているのか。
それが全てであるという事実は、
非常に残酷でありながら、
揺るがない真理なのかなと。
ベッドの上は考える場所。
それが終わったら眠る場所。
夢の中は感じる場所。
それが終わったら起きる場所。
おやすみなさい。