ケ、ケツっ!
次に見た景色は、眩いばかりの光だった。なんだか、身体がよく動かない。とにかく、状況を把握しなけ――
痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だ痛だっ! ケ、ケツっ叩かれとる!
「泣けっ、泣けぇ!」
冷酷に放たれた言葉が、頭にガンガン響く。しかし、言葉はただの音として聞こえるだけで、意味がよくわからなかった。そして、何度も何度も尻を叩かれる。 が、俺は勇者だ。痛みでは、泣かないと決めている。
だから、ただひたすらアレスは耐えた。
結局、拷問のような仕打ちは続いたが、一向に泣かぬアレスに、敵はやっと諦めたようだった。
気分が落ち着いたところで、状況を整理してみた。
瞬間、先ほどの『神』と名乗る者の記憶が、滝のように脳裏に流れ込んできた。
いいように、俺は弄ばれている。
何に生まれ変わったかは、まだわからない。わからないが、確実に先の記憶がある。前世の苦い記憶が。神らしき者にアレスそのものを操作された事は明白だった。
思わず、悔しすぎて、涙が流れてきた。
こんな、屈辱、初めてだ。
「やった、泣いた! 泣いたぞ」
そう嬉しそうな声が聞こえた。
なんたる鬼畜共。いいか、俺はお前の拷問で泣いたのでは、断じてない。
この涙は悔し涙だ。
霞む視界の見える先には、泣いている女性がいた。
なぜ、この人は、俺を見て涙を流しているのだろう。それなのになぜ、嬉しそうなのだろうか。理由をどうにかして知りたいと思っても、身体の自由が聞かない。とにかく、何もできない。ただ、彼女は泣いていた。
自身が赤ん坊になっていることに気づくのにはそれから数日ほど掛かり、さらに、彼女が母親であることがわかったのは、更に少し経ってからだった。
深い闇に記憶だけ放り込まれた状態。身体と記憶のバランスがまったく取れていない状態がしばらく続き、当然アレス自身の心にも大きく影響した。
赤ん坊の自分を俯瞰する自分がいる、よくそんな感覚に襲われた。
柴田大輔。それが、この世界での名前だった。
記憶が残ったまま赤ん坊時代を過ごすのは、想像したよりも苦痛ではなかった。赤ん坊がやることが無いってのは、どうやら大間違いであったとを思い知らされた。
赤ん坊は、全力で泣き、全力で授乳し、全力で生きる。無駄な行為が何一つとして、無い。どうやら、生きるってことに、精一杯だった。そこに、アレスの記憶が入る余地は無かった。
自我が少しずつ芽生えてきた頃、再び前世の自分が、少しだけ蘇って来た。
「俺は勇者だ」
どこで、どの時点で、どういう風に言ったのかは、覚えてない。
「あらー、可愛らしい勇者だこと」
そう母である弥生に頭を撫でられた。嬉しい。
だから、まだ、やっぱり、それでも、俺は勇者なんだ。そう思った。
異なった世界に来ても、赤ん坊になっても、授乳しても、おもらししても、それでも俺は勇者なんだ。そう、確信した。
よーし、やってやる、やってやるぞー。
まずは、幼稚園の悪を絶つ、そう決心しておままごとで作った剣を携える。
こうして勇者アレスの容赦ない戦いが幕を開けたのだった。