幕間8「シ、来襲(1)」【ダビド・ハモニス】
長くなりましたので幕間「シ、来襲」は分割しました。「シ、来襲(2)」は三十分後くらい(12時30分頃)に投稿いたします。
「なんて、こった」
ダビド・ハモニスは眼前に広がる光景の痛ましさに表情を歪めた。
隣に立つ聖樹八剣の一人、ラムサス・ファロンテッサが唾をのみ込む。
到着した聖樹騎士団の面々が目撃したもの。
それは――
北門付近に散乱する四つの凶なる災害によって喰い散らかされた、衛兵たちの無残な死骸の山であった。
横たわる死体の中には市民の姿も確認できる。
生存者がいる想像を奪うほどの凄惨さ。
すでにこの近辺の王都民は逃げ出したのだろう。
周囲には不気味な静寂と臭気が漂っている。
四凶災と思しき四人組の出現および襲撃の報を受け、聖樹騎士団は北門へ急行した。
同時に、城、学園、貴族地区などにも避難誘導のため騎士団員が向かった。
そして現在、聖樹騎士団の精鋭は先日占拠された砦の奪還のため王都を発っている。
砦奪還へ向かったのは、
騎士団長、ソギュート・シグムソス、
副団長、ディアレス・アークライト、
聖樹八剣、聖位四位、リリ・シグムソス、
聖樹八剣、聖位八位、ノード・ホルン、
及び、聖樹騎士団の生え抜きが七十名ほど。
途中、近隣の都市で戦力を補強する予定となっているため、砦に到着する頃にはもう少し人数は増えるであろう。
ただ、とダビドは思う。
団長と副団長の実力を考慮すれば、案外、敵の実力によってはあの二人だけでも砦の奪還は可能かもしれない。
そう思わせるほど、聖位の頂点と次点である彼ら二人の実力は騎士団の中でも飛びぬけていた。
が、現在その二人は王都にいない。
とどめと言わんばかりに、まだ息があった生存者へ巨大な拳を打ちおろした金の短髪の男を、ダビドは微細な震えを覚えつつ見た。
拳を打ちおろした男の周りには三人、これまた巨体の男が悠然と佇んでいる。
最前列の筒帽を被った男が死体を蹴りあげた。
蹴りあげつつも、彼の顔はしっかりと先ほどからこちらを捉えている。
表情は――無感動に見えた。
敵意どころか、興味や関心を寄せている様子すらない。
殺戮に対し思うところが、何もないのだろうか。
左から、
深紅の髪と同じくその手足も異様に長く、焦げ茶色の革服に身を包んだ長身の男。
金髪の髪を逆立て、返り血を浴び赤黒く染まった、元々は白地であったであろう服を着、上半身だけが不均衡に発達した男。
藍色の髪を後ろへ撫でつけ、服の上にくすんだ群青色の外套ようなものを羽織っている眼鏡の男。
そして先ほど死体を蹴りあげた、無表情の全身黒ずくめの男。
全員が、その二ラータル前後は確実にあろうかという巨体のせいもあってか禍々しい威圧感を放っていた。
ふっ、とダビドは引き攣った笑みを口の端に浮かべた。
――その姿、忘れちゃいねぇよ。
紛れもなく、四凶災。
ダビドの脳裏に鮮明な記憶が蘇ってくる。
あの時……クリス・ルノウスフィアに救ってもらった命。
情けない話ではあるが、あの時は生き残りたくてとにかく必死だった。
がむしゃらに逃げた。
本音を言えば生まれてはじめて聖神に心から祈った。
どうかおれを助けてくださいと。
そして王都に逃げ帰り生き延びたソギュートからクリスの話を聞いた時――
もし再び四凶災に相対したならば、絶対に逃げないと誓った。
だが、
――よりにもよって、どうしてこんな時に来やがる。
せめてあの二人さえいれば、と口惜しさに唇を噛む。
それでも、とダビドは腕組みをしながら隣で佇む巨漢の男を仰ぎ見た。
ヴァンシュトス・トロイア。
ソギュート団長とディアレスに続く聖位第三位。
聖樹八剣の中では最も聖位が高く、騎士団の切り込み隊長。
ヴァンシュトスが残った理由の一つには、替え馬の問題があった。
砦を占拠した終末郷の住人たちが近くの城塞都市や町を襲撃する可能性がないとはいえない。
そのため一刻も早く事態を収拾する必要があった。
そこで急ぎ砦へ向かうため、途中の宿駅などで馬を替えながら向かうこととなった。
が、ヴァンシュトスの巨体を乗せて走れる馬が手配できるかどうかがわからない。
彼の愛馬であるマルスほどの馬を用意できないとなれば、移動速度にも支障が出る。
が、そもそも団長は元からヴァンシュトスを王都へ残すつもりだったのだろう。
団長は常に想定外の事態が起こることを考えている男だ。
だからいざという時の王都の守りも考えている。
実際、聖樹八剣も半分以上を王都に残した。
また団長とディアレスは、ヴァンシュトスに全幅の信頼を寄せている。
彼を王都に残したからこそ、あの二人は安心して王都を発てたはずなのである。
だが今回ばかりは――
「ご安心、ください、ダビド殿」
厳めしい顔で四凶災を見ていたヴァンシュトスが、口を開いた。
聖位はヴァンシュトスの方がダビドよりも高い。
にも関わらず目上のダビドを平素から立てる彼の謙虚さには、日頃から頭が下がる思いだった。
すべての点において実力は上なのに、彼はいつだって自分を敬ってくれる。
今の聖樹騎士団は、実力主義だというのに。
この男をこんなところで死なせたくない、と素直に思った。
ヴァンシュトスの横には彼の愛馬であるマルス。
その鞍には幅広の刃をもった巨大な剣の納まった鞘がぶら下がっている。
騎士団でもあの剣を扱えるのはヴァンシュトスしかいない。
「我は死力を、尽くします……仮に、勝てなくとも、聖王様、及び、聖王家の者、王都の民……そして、聖樹士の候補生たちが、逃げのびることができるよう、少しでも時間を、稼ぐつもりです」
ヴァンシュトスは殺意をその瞳に込め、四凶災を睨みつけた。
「この命に、代えて、でも」
「ヴァンシュトス――」
ダビドは自分を恥じた。
頭では決意を固めたつもりでも、まだ自分は心のどこかで決意し切れていなかったのかもしれない。
しかし今のヴァンシュトスの言葉で決意は固まった。
そうだ。
王都の人々が逃げるための時間を一秒でも稼ぐ。
聖樹の麓の避難地区、あるいは王都の外へ逃げるための時間を。
そのために――この命を使おう。
「わかった。おれも、命を賭けるとする。ただ……互いに死に急ぐのだけは、やめようや」
「無論――」
ヴァンシュトスが二対の大剣を、すらりと抜き放つ。
「その、つもりです」
四凶災は何やら互いに言葉を交わしていた。
妙な感じだ。
こちらに気づいていながら……まるで、歯牙にもかけていないような。
自分たちの間で行う会話の方が優先、とでも言うような。
「動き、ません、ね。誘っている風では、ありません、が」
「おれたちにゃ興味がねぇんだろ。ただ、どうする? 勝てるとまではいかねぇだろうが、せめて、時間さえ稼げれば……」
聖樹騎士団が王都を発ってから、五日。
砦までの距離は普通に休息を入れながらであれば三日である。
砦奪還の報はまだもたらされていないが、すでに事態を収拾し王都に帰還中という可能もなくはない。
もちろんすでに団長たちへの伝令は放ってあった。
ルーヴェルアルガンへも支援要請のための使者を遣わせた。
近隣の領主へは王都民の保護と、可能であれば援軍を送るよう要請済み。
そう。
団長たちが戻れば、あるいは――
「サガラ・クロヒコと、キュリエ・ヴェルステインの、もとにも、人を遣わせ、ました」
「ああ、例の……」
禁呪使いの少年と、第6院の少女か。
王の近衛隊は王や王子たちの傍を離れるわけにはいかない。
これは宮廷魔術師のワグナス・ルノウスフィアも同じであろう。
学園の教官たちも生徒たちを守りながら逃がす役割がある。
これについては学園長のマキナ・ルノウスフィアもやはり同じ。
となると現在この王都で四凶災に対抗できる戦力として期待できるのは、聖樹騎士団以外では王の剣術指南役であるガイデン・アークライトくらいか。
「そういやおまえ、あのお嬢ちゃんの付き添い……断ったんだったか?」
「こうなる、のであれば……断らなければ、よかったかも、しれません、な」
冗談めかした微笑を浮かべるヴァンシュトス。
第6院の少女。
キュリエ・ヴェルステイン、という名だったと記憶している
詳細な経過は知らないが、本日、彼女は聖王家の人間と面会をする予定となっていたらしい。
そして先日、マキナ・ルノウスフィアからヴァンシュトスにキュリエ・ヴェルステインの付き添いを頼めないか、との打診があったという。
本来はソギュートとディアレスが付き添うはずだったのだが、例の砦襲撃のせいで彼らは王都からいなくなってしまった。
そこでヴァンシュトスに白羽の矢が立った、というわけらしい。
ヴァンシュトスはキュリエ・ヴェルステインと面識があり、かつ五大公爵家の息子でもあるため資格は十分。
が、自分は口下手で不器用であるからむしろ足を引っ張る可能性がある、と言ってヴァンシュトスは丁重に断ったという。
ヴァンシュトスが、ぶんっ、とその場で剣を振ってみせた。
重々しい剣が風を切り唸りを上げる。
こちらが動きを見せたら四凶災が反応するかどうか、試したのだろう。
赤髪の男と金髪の男だけが会話を続けつつ一瞥をくれる。
一方、トド棒を咥えた眼鏡の男と筒帽子の男は無反応だった。
――口下手で不器用、か。
思慮深げに四凶災を睨みすえるヴァンシュトスを再び見上げる。
本人は人づきあいが苦手な性格なのだと、いつも言う。
だが団員たちのほとんどはヴァンシュトスのことを慕っていた。
確かに不器用な面もあるかもしれないが、彼の実直で人情味に溢れる性格を誰もが快く思っていた。
決して驕らず、また彼は、どんな団員であろうとも必ず良いところを見つけようと努力する。
落ち込んでいる団員がいれば、黙って話に耳を傾け、彼なりに言葉を尽くして励ます。
彼の存在と言葉はいつも団員達を元気づけてきた。
聖遺跡の攻略において、未知の魔物や危険な魔物が現れた際、いつだって先陣を切ってきたのもヴァンシュトスだった。
迷いなく魔物の群れに飛び込み、二対の大剣で戦神のごとき働きを見せる。
彼の身体に走る無数の傷跡の多くは、その際に魔物につけられたものだ。
かつてヴァンシュトスは、ダビドにこう言った。
『あいつらは、おれに、居場所を、くれた……おれはこの騎士団が、好き、だ。だから一人も死なせたく、ない…………もちろん、あなたも、だ』
――死なせたくないのは、おれも同じだ。
今日ほど力が欲しいと思ったことはない。
悪魔に魂を売り渡してでも、今は力が欲しいと思った。
「ヴァンシュトス殿」
数人の乗馬した団員が、前に出た。
「どう、した」
表情を曇らせたヴァンシュトスの問いに、団員たちは四凶災を見据えながら答えた。
「まず我々が突撃して、一戦交えます」
「馬鹿、な」
にこり、と団員が笑いかける。
「おれたちが、最初の捨て石になります」
団員同士が頷き合う。
そして、
「相手の戦いを……手の内を、少しでも引き出してみせます」
「おまえ、たち」
見極めてくれ、と彼らは言っているのだ。
四凶災と戦う姿を見せることで、その戦闘能力、ひいては戦い方などを見極め、ヴァンシュトスらが戦う際の参考にしてほしい、と。
達観した顔で団員が四凶災を見る。
「いやぁ、これでもね? ない知恵絞って必死に考えたんですよ? ほら、おれたちって騎士団の中でも出来が悪かった方でしょ? そんなおれたちにできる勝利の可能性を高めるための方法は果たして何か、ってね。なあ?」
問いを投げられた団員が四凶災へ苦笑を向ける。
「あれは僕たちじゃ逆立ちしたって勝てませんからね……実力の差くらいは、わかりますよ。けどヴァンシュトス殿や他の聖樹八剣ならば、あるいは」
「ま、無駄死にするつもりもありませんけどね。な、おまえら?」
後ろに控えている団員たちが無言で頷く。
団員たちが、抜剣。
話が終わったのか、あるいはついに興味が向いたのか。
ようやく四凶災が、揃ってこっちを向いた。
「ヴァンシュトス殿、今しかないから言っておきます」
ヴァンシュトスは厳しい顔をしたまま俯き気味になって口元を引き締めている。
先頭の団員は、とても穏やかな表情になって言った。
「あなたがこの騎士団にいてくれて、本当によかった。おれたち全員、あなたに感謝してるんです。あなたはどんな時も、出来の悪いおれたちを励ましてくれた」
ヴァンシュトスがきつく歯噛みしたのがわかった。
その剣を握る手の甲には、太く血管が浮かび上がっている。
先頭の団員が、剣を四凶災へ向けた。
「さて……そろそろ、行くか」
乗馬した団員たちが、おう、と言葉を返す。
その時だった。
「ハロルド!」
ヴァンシュトスが、声を張り上げた。
これほどの声量で叫ぶのは彼にしては珍しいことである。
彼の表情は強く顰められていた。
何かを必死に押し殺しているのが手に取るようにわかる。
それからヴァンシュトスは絞り出すように一言、
「……すまん」
とだけ言った。
ヴァンシュトスもわかっているのだ。
相手の力量を測るには、誰かが先陣を切って一戦交えてみるのが最も有効だということを。
そして……今先陣を切る役割を負うべきは、自分ではないことも。
他の八剣や後ろに控える団員たちも皆、口惜しげな表情をしている。
皆、悔しいのだろう。
そしてヴァンシュトスが彼らの捨て身の行動を受け入れているからこそ、誰も口を挟めない。
誰よりも団員たちを愛しているのが他でもないヴァンシュトス自身だと、皆わかっているからだ。
団員――ハロルドは、再び笑顔で応えた。
「ではあとを頼みました、ヴァンシュトス殿」
「おれ、もだ」
「え?」
「おれも、おまえたちが……この騎士団に、いてくれて……よかった。おれは、おまえたちに……救われた」
「ヴァンシュトス殿っ」
感極まった表情になるハロルド。
団員の一人が馬首を寄せ、配置が完了した、とハロルドに耳打ちした。
すぐに表情を引き締めると、ハロルドは馬を前へ出す。
「じゃ、いい具合に別れの言葉も残したしそろそろ行きますか。ああ、ヴァンシュトス殿……もしあっさり勝っちゃったら、その時は酒でも奢ってくださいよ?」
ヴァンシュトスは真っ直ぐに四凶災を見たまま、
「ああ……いくらでも、奢って、やる」
とだけ、答えた。
馬が速度を上げる。
蹄の音が、やけに大きく響く。
喊声。
四凶災へ向かっていく、団員たちの後姿。
四凶災はこちらの動きを待っているようだった。
彼らの様子から見て取れるのは余裕。
余裕があるということは……油断しているということ。
隙がある、ということだ。
何を話していたのかはわからないが、会話で時間を浪費などせず、すぐに向かってくれば実力を推し量られるような機会も訪れなかったかもしれない。
――その余裕が命取りになることを、心から祈るぜ。
北門の周囲の建物の窓や屋根から弓を構えた衛兵と術式を展開する衛兵が姿を現す。
一斉に放たれる矢。
術式。
――はじまった。
ダビドの目が最初に捉えたのは、
初撃と二撃目をかわされ筒帽の男に首を折られる、ハロルドの姿だった。




