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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
98/284

第88話「ルーヴェルアルガンの客人」

 聖樹騎士団が王都を出立してから三日が過ぎた。


「なんか、がらんとしましたね」

「そうだな」


 戦闘授業を終えて運動服から制服に着替えた俺は、今ちょうど同じく着替えを済ませたキュリエさんと合流したところだ。

 一年生の階だと実感に乏しいが、他の階や建物の外に出るとひと気のなさが如実に感じられる。

 今日より三日間、二年生と三年生がいないためである。

 二年生はキールシーニャ公爵領で毎年恒例の海合宿。

 三年生は北の同盟国ルーヴェルアルガンの学生たちと合同合宿。

 両学年とも今朝、出発式を終え王都を発った。


 例の終末郷の住人による砦襲撃の件はこの合宿に影響を及ぼさなかったようだ。

 両合宿とも、襲われた砦とは正反対と言ってもよいほど離れた場所で行われるためである

 特に三年生の方は他国と合同であるため、よほど決行において困難な理由がない限り中止は難しかっただろうとのこと。


 とまあそんな理由で、今の学園内は一年生の階以外は普段と比べ静かなものだった。

 それでも教室の近くまでやって来ると生徒の数が増えてくる。

 このあたりはいつも、廊下に出て他の組の生徒とお喋りを楽しんでいる生徒が多い。


「ん?」


 あれ?

 なんか、あの人……。


「おまえも、気づいたか」


 足を止めぬまま近くにいた男子生徒に視線を残しつつ、キュリエさんが言った。

 俺たちは獅子組の教室の手前で立ち止まる。

 そしていかにも立ち話をはじめますといった体で、俺たちは廊下の壁に寄り掛かった。


 キュリエさんの視線の先にいるのは、女子生徒たちと楽しそうに話す美形の男子生徒二人組。

 こちらの視線に気づいた男子生徒の一人が、愛想のよい笑みを浮かべて会釈してきた。

 だがキュリエさんは、フン、とだけ興味なさげに鼻を鳴らしただけだった。


「多分あいつら、ロキアの仲間だ」

「それって……『愚者の王国』の?」


 改めて美形二人組を観察する。

 相手をさりげなくもてなすような立ち振る舞いや相槌からすると、ホストみたいにも見える。

 女子生徒はメロメロな状態で受け答えをしていた。


「ここ最近、少々ニオイの違う連中の姿が学園内で目についていたんだが……」

「ロキアの仲間が潜り込んで情報収集をしているってことで、いいんですかね?」


 あの二人とすれ違う時、妙な感じがした。

 敵、という感じではなかったけれど。

 にこやかに女子生徒と会話を継続する男子二人を、キュリエさんが見据える。


「制服はどこかで調達ようだな……あるいは、上級生がいなくなったのを見計らって宿舎あたりで盗んだか。どちらにせよロキアも動き始めたようだ。仲間まで投入してきたということは、包囲網が狭まりつつある証拠かもしれん」


 生徒に紛れて情報収集か。

 まあ入学して一か月経つか経たないかくらいの時期では、すべての組の生徒を把握している生徒もいないだろう。

 学外の人間が制服を着て紛れ込んでいても違和感は強くないのかもしれない。

 学園長であるマキナさんがお目こぼしをしていることから、学園側はあえて見逃している可能性もある。


「ある程度ノイズを捕まえる算段が立った、ってことなんですかね?」

「好機と見たのかもしれんな。今は二年と三年がいない。そしてノイズの目的が私やロキアなのだとすれば合宿先についていく可能性はない。つまり今ならば三分の一の人数から絞ることができるわけだ」

「あ、なるほど」

「今は私としても、ノイズは一刻も早く捕まえるべきだと思っているしな」


 思いつめるようにキュリエさんが拳を握り込む。


 先日キュリエさんは、全快したベオザさんから例のノイズと思しき女子生徒について聞き出していた。

 その内容についてはすでにロキアと接触し伝えたらしい。


 ノイズが化けていたと目されている女子生徒は貴族の娘で、三年の生徒だった。

 元々術式の成績がよく、学内最強の術式使いであるベオザさんも以前から彼女には一目置いていたという。

 そんな彼女を誘ったのは、バシュカータだったらしい。

 ベオザさんによると、彼女がバシュカータの好みのタイプだったのが攻略班に誘った最大の理由であろう、とのこと。

 しかし攻略班に入ってからは特に目立った行動や言動はなく、どころか、たまに存在を忘れるほどの影の薄い人物だったとか。

 とはいえ、持ち前の押しの強い性格が削ぎ落されたわけでもなかった。

 特に変なところはないのに、違和感がある。

 存在感がないわけではないのに、存在感がない。

 不思議な印象の子だった、とベオザさんは語ったらしい。

 そのベオザさんは今頃、おそらく北の合同合宿場に向かっている最中だ。

 

 で、くだんの女子生徒であるが――昨日、彼女は死体となって発見された。

 王都の一角にある、人が住んでいない建物の地下に監禁されていたらしい。

 最初に発見したのは、腐臭に気づいた近くの住人。

 …………。

 ひどい表情で、死んでいたという。


「ノイズのやつ、脅すなり痛みを与えるなりして、あらゆる情報を吐き出させたんだろうな……成り代わるために」

「そうか。性格まではコピーできないんですね」

「ああ。あの変化呪文によって変えられるのは見た目だけなんだ。つまり完璧に近い形で成り代わるには、綿密な下調べに、対象の人となりに関する情報が必要となる。さらにあの変化呪文を使うには相手に直接触れなくてはならないし、持続時間は三日……意外と、制約は多いんだよ」


 沈んだ面持ちでそう零すキュリエさん。

 彼女のことだ、責任を感じているのだろう。

 自分のせいでその女子生徒、殺されてしまったのではないか、と。


 ノイズ、か。

 監禁していたのは持続時間が切れたら再び『触れ』に行くためだろう。

 殺したのは……多分、用済みになったから。

 下手なことを、喋らせないために。


「あの巨人討伐作戦で私に姿を見せた時点で、すでにノイズは『次』へ乗り換える算段だったのかもしれないな。となると……巨人討伐作戦が終わってから、数日以内に殺された可能性が高い」


 案の定。

 キュリエさんの瞳に灯っているのは罪悪感。


「キュリエさん」

「なんだ」

「悪いのは、ノイズですからね。あなたじゃない」

「……フン、礼は言っておくよ。だが――」


 自責するようにキュリエさんが右腕を左手で掴んだ。

 左手には力が篭っている。


「自分の見通しの甘さが、悔しい」

「キュリエさん……」

「ノイズを見つける手段を、何も考えてなかったわけではないんだよ」

「キュリエさんにも、策はあったんですね?」

「あいつが私を見る目つきは……かなり、異質だから」

「異質?」

「だから学内を歩き回っている時に『あの目』を向けられたら、すぐノイズだと気づくだろう……そう簡単に、考えていたんだ」


 ああ。

 それでキュリエさんは入学したての頃、一人で学内をうろつきまわっていたのか。


「それに堪え性のないあいつのことだ。どこかで痺れを切らしてすぐに私の前に姿を現すはず……そう、思っていた。だけど今のあいつは、以前より『あの目』を抑えることも、自分を抑えこともできるようになっている」


 キュリエさんが唇を噛む。


「したたかに、なっている」


 彼女は軽く歯噛みする。


「正直に言うとな、早々に手詰まり感を覚えていたんだ。だからロキアが策があるといってやって来た時……実は内心、私は少しほっとしてしまった」


 キュリエさんは口惜しげに、お喋りを続けるロキアの仲間を見た。


「悔しいがロキアは、剣を振るうしか脳のない私と違って頭が回る。人を上手く使う力もある。あれで意外と人望があるんだよ、あいつ。だから……今はあいつの頭と組織力を、頼りにするしかない」

「あの、ノイズのことは気にしすぎない方がいいと思いますよ。ロキアから聞いた印象だと、それこそキュリエさんがノイズのことで悩めば悩むほど、ノイズの思うつぼって感じがしますし」


 俺が言うと、彼女の表情から険しさが少し消えた。


「まあ、そうかもな……あまり思い悩むと、あいつを喜ばせるだけかもしれん。わかった。なるべく気にしないようにはするよ」

「思い悩むのは、キュリエさんが優しいって証拠でもあるんでしょうけどね」

「以前の私ならばこんな風に気にしたりはしなかったんだろうがな……私も、変わったのもかもしれん」

「本当は、ノイズを捕まえるための策を俺からも何か提案できればいいんでしょうけどね……」


 ただ、この件ばかりは手持ちの禁呪ではどうにもならないだろう。

 といってノイズの情報は、キュリエさんやロキア以上に知らないし……。

 …………。

 ん?

 待てよ?


「あの、キュリエさん」

「……なんだ?」

「その変化呪文ってのも、術式とかと同じで聖素によって効果を発揮するものなんですよね?」

「ああ、詠唱呪文も過程が違うだけで結局は聖素を体内に取り込んで発動するものだからな」


 術式とは別の系統として存在するのが、詠唱呪文だ。

 これも授業で習って知った。

 詠唱呪文とは文字通り、詠唱によって発動する魔術のことである。

 ただし、聖素さえ扱えれば誰でも使用できる術式とは違い、詠唱呪文には適性というものが存在する。

 つまり詠唱呪文は、適性のない者が唱えても発動しない。

 その適性だが……ほとんどの者が適性を持たないという。

 ゆえに、詠唱呪文の使い手は大変希少とされているのだ。


 そんな詠唱呪文も、使用には術式と同じく聖素を必要とする。

 なので、系統としては禁呪は術式よりも詠唱呪文に近いのかもしれないが、聖素を必要としない時点で、やはり禁呪は次元を異にする呪文なのだろう。

 

「で、それがどうかしたのか?」

「もしですよ? 聖素が必――」

「クロヒコ、キュリエ!」


 と、廊下の曲がり角から現れたのは――手を振りながら駆け寄ってくるセシリーさんだった。

 どうやらAランク組も戦闘授業が終わったようだ。

 …………。

 まあ今のは思いつき程度だったし、言いかけた策はもう少し自分の中で寝かせておくとするか。


 と、ロキアの仲間の一人がセシリーさんに近寄っていくのが見えた。


「ああ、君、ちょっとお話しさせてもらっても――」


 肩に手が置かれかけた瞬間、くるっ、とセシリーさんが半回転し、男から距離をとった。

 にこやかな表情で。


「すみません、残念ですが好みじゃないです。もう惚れている相手もいますので」

「あ、いや――」


 男が肩に手をかけようとしたポーズのまま硬直し、顔を真っ赤にしていた。

 見惚れているのが丸わかりだった。

 セシリーさんは、あんな女慣れしていそうなイケメンの心すらも速攻で奪ってしまうのか……。

 恐ろしい人だ。


「おい」


 もう一人のロキアの仲間が、紅潮している男に肩が触れる距離まで近づいた。

 そして耳打ちした。


「その子はいい。ほら、あれの」


 二人の視線が俺たちへと向けられる。

 セシリーさんに声をかけた男の表情が納得のしたものへと変わった。

 それから謝罪めいた会釈をしてから、二人は去って行った。

 話をしていた女子生徒たちが、黄色い声を上げながら彼らを追いかけていく。


「なんだったんでしょうね、あの人たち?」


 不思議そうに男たちを見送りながら、セシリーさんが近寄ってきた。

 フン、とキュリエさんが鼻を鳴らす。


「セシリー、やはりおまえは恐ろしいやつだ」

「え? 何がですか? わたしさっきの男の人を笑顔で照れさせた以外に、何かしました?」


 小首を傾げ、セシリーさんが微笑を浮かべる。


「イイ性格してるよ、おまえ……」

「そうですか?」

「ああ、やっぱり魔性の女だ」

「けど、心配しなくても大丈夫ですよ――わたしは、クロヒコ一筋ですからっ」


 セシリーさんが俺の腕に組みついてきた。


「ちょっ、セシリーさん!?」

「ふふ、嬉しいくせに? ねえ、嬉しいですか?」


 その時、


「何かあったのか?」

「教室の前で、何やってるの?」


 ジークとヒルギスさんがやって来た。

 そして二人は俺とセシリーさんを見ると、ため息をついた。


「さすがに教室の前でいちゃつくのはどうかと思いますよ、セシリー様」

「時と場所くらい弁えてください、セシリー様」

「え!?」


 びっくりした声を上げたのはセシリーさんだった。


「どうせセシリー様から引っついたんでしょう?」

「わたしもここは公平に判断します。セシリー様が悪い」

「ぐっ、これは意外ですね……一体、いつの間に二人の厚い信頼を勝ち取っていたんですか、クロヒコ」


 むしろあの二人がセシリーさんの本性を知っているだけなのでは……。

 はっきり口に出さないだけで。

 がくん、とセシリーさんが肩を落とした。


「わかりましたよ、わたしが悪うございましたっ」


 しょんぼりとなるセシリーさん。


「戦闘授業の間は会えないのもあって、ちょっと甘えたかった……だけなんです、けど」

「うっ」


 そんな捨てられた子犬のような潤んだ目をされたら……。

 優しい言葉をかけてあげたくなる。

 抱きしめてあげたくなってしまう。

 なんかあざとい感じがしても、否応なしに吸い寄せられてしまう……!


「ごっはん〜、ごっはん〜、わ〜い、やっとお昼だ! お腹すいた〜!」

 

 廊下の角から現れたのは、いやにご機嫌なアイラさんだった。


「あ、みんな揃ってるじゃない! 今日アタシさ、上級生が合宿でいないから一緒にお昼食べられそうなんだけど……どうかな?」

「いいんじゃないか?」


 真っ先に賛意を示したのはキュリエさん。 


「というか、この中で反対する者などいないだろう」

「わ、よかった! じゃあ行こ、ほらっ!」


 アイラさんがセシリーさんの手を取る。


「ちょっ、アイラ!? もう……しょうがないですね」


 みんなで食事できるのが嬉しいのか、アイラさんは弾むような足取りでぐいぐいと苦笑するセシリーさんを引っ張っていく。


「ほらほら、みんなも早くっ!」


 ジークとヒルギスさんが並んで、二人の後に続いた。

 俺とキュリエさんは顔を見合わせた後、互いに苦笑しつつ彼女たちの後を追った。


「そういえば、なんだが」


 と、憂鬱そうにキュリエさんが切り出した。


「知ってのとおり明日、私は王城に行くことになってるんだが……正直、未だに気乗りがしないんだよなぁ」

「結局、誰がついてきてくれることになったんです?」


 付き添いを了承してくれたというソギュート団長とディアレスさんは現在、例の砦の奪還のため王都を離れてしまった。

 もちろんマキナさんも無理なので……キュリエさんに付き添ってくれる人がどうなったのか、俺も気になっていたのだ。


「付き添いは、アイラに頼むことにしたよ」

「へぇ、アイラさんに?」

「あいつはホルン侯爵家の娘だから、地位的にも問題ないようだし。学園長、私とアイラが親しい仲にあることを知らなかったみたいだな」

「あ、じゃあキュリエさんから提案したんですか」

「うん。あのままだと面識のない人間を城の方から寄越されそうだったからな。アイラが傍にいてくれればかなりマシ……なんだが」


 キュリエさんが息を落とす。


「なんかさ、また格式ばった面倒そうなドレスを着させられるみたいなんだよなぁ……苦手なんだよ、ああいう格好。シーラス浴場の時も視線がきつかったし。聖王家の人間に、何を話せばいいのかもわからないしさ……」

「ぷっ」

「あ、今おまえ……笑ったな? 私は、本気でしんどいんだぞ?」

「すみません。でも、キュリエさんって普段は凛々しくてクールな感じなのに、たまにそうやって異様に弱気になるから……そうところギャップがあってかわいいな、と思って」

「……もうわからん、おまえの趣味は」


 ぶっきらぼうに言いつつも頬を赤らめ、キュリエさんが口を尖らせた。

 今みたいな点を指摘されるとやはり小っ恥ずかしいものがあるらしい。

 反応が新鮮だからつい、つつきたくなってしまうのだが……あんまりやりすぎないようにしないとかな。


 と、もう少しで学食に辿り着くといった地点で、


「あのさ、クロヒコ」


 再びキュリエさんが話しかけてきた。

 少し切り出しづらそうにも見える。


「なんでしょう?」

「あのロキアの仲間のこと、なんだが」


 ごくり。


「……何か、気になることでも?」


 まさか俺の気づかなかった高度な駆け引きでも行われていたのだろうか。


「わたしを見ても、セシリーみたいな反応しなかったよな」

「……しませんでしたね」


 なんだ。

 そんなことか……。

 けど、何気にそういうのキュリエさんも気にするんだな。

 ちょっと意外。


「やっぱり、あいつが特別なのかなぁ」

「うーん、あれじゃないですか? セシリーさんが素敵な笑顔をしたからとか」

「素敵な笑顔か……」

「笑顔が素敵だと、やっぱ男としてはドキッとするもんですよ」

「そう、か」

「そうだ! キュリエさんもやってみては?」

「……ああいう笑顔を? 私がか?」


 ええ、と俺は頷く。

 むむ〜、と悩み果てた末に、キュリエさんは決意を固めたのか自分の両頬を叩いた。

 気合いを入れるかのようにして。


「わかった。やってみよう」

「はい」

「い、いくぞ」


 にっこり。


「――っ」

「やっぱり……変、だったかな? 言葉を失うほど……気持ち、悪かった?」

「逆……」

「逆?」

「きゅんっ、ってなりました。胸のあたりが――いえ、どころか、ずっきゅんっ! ってなりました」

「つまり……よかった?」

「最高でした」

「そうか」


 ふふっ、とキュリエさんが指先を口元にあてて微笑んだ。

 そしてもう一度、少し弾んだ調子で、


「そうか」


 と呟いた。


          *


 翌日。

 休聖日。

 俺は予定通りシャナトリス・トゥーエルフなる人物と会うため、学園長室に来ていた。

 時刻は午前十時を過ぎたあたりだ。

 マキナさんはこれから城へ向かうキュリエさんの準備を手伝っている。

 しばらく待っているとマキナさんがやって来た。


「待たせてごめんなさい」

「キュリエさん、大丈夫でした?」

「少し手こずったけど、ミアとアイラ・ホルンが上手いこと手綱を握っていてくれたおかげでどうにかね。無事、出発したわ」


 ようやく一仕事終えたとでもいった感じに、マキナさんが俺の隣のソファに座る。

 隣に座ったのは正面にシャナトリスさんが座る予定だからだろう。


 シャナトリスさんが到着するまで、軽く雑談をした。

 俺にとって興味深かったのは聖遺跡調査の件だった。

 確かに異種の出現階層が今までと比べおかしいのは、調査にあたっている聖樹騎士団も感じたようだ。

 さらに気になるのは、聖遺跡の下層から何か唸り声のようなものが定期的に聞こえてくる、という話だった。

 本来は先日からソギュート団長ら騎士団の精鋭がその唸り声の原因調査にあたる予定だったが、例の砦の件で延期となってしまったらしい。


「唸り声、ですか」

「ええ。魔物のものだろう、とは思うのだけれど……あまり聞かない話なのよね。もちろん、まるでないってわけでもないのだけれど、あれほど大きな唸り声は、この学園の元生徒だった聖樹士でも聞いたことがないって――」


 その時、ノックの音がした。


「はい」

「シャナトリス様を、お連れいたしました」


 ミアさんの声だ。

 俺たちは立ち上がって、ドアの方へ向き直った。


「どうぞ、入って」


 マキナさんが促す。

 そっとドアが開かれる。

 ミアさんが開けたドアの向こうに、一人の少女が立っていた。


 微かにクリーム色がかった白髪に近い長い髪を、黒いリボンで二つに結っている。

 健康的な印象の褐色の肌。

 紫色の目――左目には眼帯。

 その容姿はまぎれもなく美少女、といえるだろう。

 不思議と独特の色香を纏っているような感じもした。

 軍服のような黒い服を着ているが、かなりスカートは短めだった。

 脚にもこれまた黒いニーソックスを着用。

 さらに白いブーツを履いている。

 手にはトランクのような鞄を持っていた。


 鞄を絨毯の上に置くと少女は、かっ、と笑って、捻った腰に手を当てた。


「久しぶりじゃな、マキナ・ルノウスフィア」

「ええ……久しぶりね、シャナトリス」


 ミアさんが一礼しドアを閉める。

 室内には俺とマキナさん、シャナトリスさんの三人になった。


「クカカ、ワシのことはシャナでよいといっているのに……相変わらずお堅い女じゃのぅ。あれじゃろ? そんな調子では男どもにはモテんだろう?」

「そんなことをあなたに心配される筋合いはないわね」

「じゃが『そんなこと』を心配しないから、おぬしはいつまでも背が伸びんのではないか?」

「ぐっ……それこそ、あなたには言われたくないわ」


 シャナトリスさんは――なんと、ほとんどマキナさんと同じくらいの背だった。

 身体のサイズもほぼマキナさんと一緒と言っていいだろう。

 つまり、その……子どもみたいな背と体型で。

 俺は意外に感じた。

 あの人が、神罰隊の副隊長であり『ルーヴェルアルガンの魔女』と呼ばれる人なのか……。

 予想してたのと、かなり違った。


「まあ世の中には幼女趣味のヘンタイもおるからな。一長一短、といったところじゃろ」

「短所しかない気がするけれど……」

「そんな欲望を煽るような服を着ておいて、よく言うわい」


 にんまりとシャナトリスさんがマキナさんの服を上から下まで見やる。


「し、失礼ね! そんなつもりで着ているんじゃありません! これは、私の趣味です!」


 心外そうな顔で、マキナさんが服を誇示するのように胸元へ手をやった。


「クカカ、だとすればむしろ罪作りな女なのかもしれんな。ま、ワシには他人の趣味を貶す趣味はない。気分を害したのならば謝ろう。で――」


 紫の瞳が俺を捉えた。


「そやつが、くだんの禁呪使いか」


 二人がこちらを向く。


「……ええ。そうよ」


 シャナトリスさんはツカツカとこっちへ歩みよってくると、挑発的な笑みを浮かべて俺を見上げた。


「ほぅ? なかなかよい面構えをしておるではないか」

「……どうも」

「じゃが女に対する免疫が薄そうじゃな。どうじゃ? ワシが手ほどきしてやろうか?」


 俺は救いを求めマキナさんを見た。

 マキナさんが、やれやれ、といった感じに首を振る。


「とりあえず、座りましょうか。立ち話もなんだし」

「クカカ、せっかちな女じゃな」


 俺と再びマキナさんとソファに並んで座る。

 シャナトリスさんは鞄を持ってくると、正面のソファに腰を下ろした。

 それから彼女は、脚組みをしながらふんぞり返った。

 …………。

 スカートが短いので、ちょっと視線のやり場に困る。


「フフフ、ウブな男じゃな。覗き込みたければ、覗き込んでもいいんじゃぞ?」

「……クロヒコ?」

「どうぞ、話を進めてください」


 俺は先を促した。


「フム、ではまず自己紹介といこうかの。ワシはシャナトリス・トゥーエルフ。軍神国ルーヴェルアルガンの神罰隊副隊長を務める傍ら、王都では様々な研究に携わっておる」

「彼女が『ルーヴェルアルガンの魔女』と呼ばれる所以がそれよ。シャナトリスは副隊長という肩書きではあるけれど、実質上、神罰隊の頭脳であり心臓といっても過言ではないの。隊長であるローズ・クレイウォルにしても――」


 マキナさんが視線を送ると、シャナトリスさんはそのまま言葉を引き取った。


「そうじゃな、ローズ・クレイウォルは現時点ではワシの『最高傑作』。じゃがのぅ、マキナ……今、実はローズを越える怪物が生まれそうになっておる」

「怪物?」

「ま、これは余計な話じゃったな」

「あの……お二人は、どんな関係なんですか?」


 さっきからやけに親しげに話しているけど……。

 するとマキナさんが説明してくれた。


「彼女とは元々、学園長と学院長として出会ったの」

「え? じゃあシャナトリスさんはルーヴェルアルガンの……アルガン学院の、学院長?」

「その職から、今は退いておるがな」


 ルノウスレッドとルーヴェルアルガンは同盟国。

 両国の交流の中で自然と関係が生まれた、といったところか。


「まあ、ワシのことはマキナの考えに賛同した者だと思ってくれればよい。協力関係にある、ということじゃ」

「協力関係、ですか」

「ワシもな、あの四兄弟に関しては非常に危険だと感じておるのよ。あやつらは国、引いては、この大陸に住むすべての者にとっての潜在的脅威だと言っても過言ではあるまい」


 四兄弟。

 つまり――四凶災か。


「元々ローズも、四凶災に対抗するために作り上げたものじゃしな」


 なるほど。

 マキナさんとシャナトリスさんは、この大陸から四凶災は抹消すべきである、という点で見解が一致しているわけか。

 それにしても――


「前から気になっていたんですが……四凶災って一体、何者なんです?」

「ん?」

「その……彼らの目的や、どうして今みたいになったのかとかって、ある程度は判明してるんですか?」


 シャナトリスさんは肩をすくめた。


「残念ながら、それは今もわかっておらん。さしものワシも、あの四兄弟についてはお手上げでな。何をどうすればあのような人間が存在できるのか……いや、そもそもあれが人なのかどうかすらわからんのじゃ。どこから来てどこへ行くかの見当もつかん。行われる殺戮にしても必ず皆殺しというわけではない……なんというか、あれらは自然の脅威に近いものを感じる。まさに、災害というわけじゃな」

「とはいえ、このまま何も対策を講じないわけにもいくまい、と」

「うむ、そういうことじゃ。じゃが、あの四兄弟の危険性をわかっておらん馬鹿が意外と多くてのぅ……中には、崇め奉る馬鹿までいる始末じゃ」


 シャナトリスさんは見下すような冷淡な目つきで、ふんぞり返ったまま腕組みする。


「愚かすぎて、笑いの一つも出んよ。アレは本来なら帝国も巻き込んで、三国が共同で取り組むべき『課題』だと言っても過言ではないんじゃがのぅ。どいつもこいつも、なぜやつらの矛先が王都に向かないと思えるのか……事実、帝国の帝都分都市が過去に襲われているというのに」


 忌々しげに口にした後で、シャナトリスさんがはっとなった。


「すまん。ここでおぬしにこのような不満をぶつけても、詮無いことじゃな。えっーと――」

「クロヒコです。サガラ・クロヒコ」

「ふむ、名からすると東国の出身か。クロヒコ、か……よし、覚えたぞ。まあ……今ほどの無礼は許せ。お詫びといってはなんだが、今度ワシが一夜を共にしてやるから」

「しなくていいわよ……なんでそうなるのよ……」


 マキナさんが険しい視線をシャナトリスさんに送っている。


「カッカッカッカ、まあよいではないか。なんなら、ワシとマキナの二人で相手をしてやればよい」

「しません。未来永劫、ありません」

「ったく、本当につれない女じゃのぅ。で――」


 シャナトリスさんの顔が真剣味を帯びる。


「そんなわけで、じゃ。その四凶災を倒すために禁呪の呪文書が必要とのことであれば、ワシも呪文書を差し出してもよいと考えておる」

「禁呪の、呪文書」


 マキナさんと視線を交わす。


「ワシの所有している禁呪の呪文書は、実は我がトゥーエルフ家が代々所有していたものでな? 国の所有ではないから、その点についても心配ご無用じゃ。ああ、軍神王の方も心配ないぞ。アレは、ワシにだけは強く出れんからな」

「けれど、そうすんなりと渡すつもりもないのでしょう?」

「まあの。ちゃんと条件は用意させてもらった。まずは、禁呪使いとワシを引き合わせること――この条件は、すでに果たされたな」

「では、次の条件を聞きましょうか。当然、際限なく聞くことはできないけれど」

「安心せい。次の条件で終わりじゃ」

「あら? 意外とあっさりなのね。で、その条件とは?」

「禁呪使いを一月ほどルーヴェルアルガン――ワシのもとで、預かりたい」


 マキナさんの反応が遅れる。


「……なんですって?」

「なに、もちろん危害を加えるつもりはない。これは……そうじゃな、ワシなりの知的好奇心というやつでな? 研究者としてのサガみたいなものなんじゃ。なんたって、あの禁呪を使える人物が現れたのじゃぞ? 色々調べてみたいと思うのも、当然ではあるまいか?」

「けれど、それは……」

「悪いようにはせん。もしこの条件を呑んでくれるのであれば、禁呪使いにもある程度、いい目をみさせてやるつもりじゃ」


 不意に。

 マキナさんと、目が合う。


 互いに何を思ったかは明白だった。

 特にマキナさんの方は、妙にくすぐったい感じがしているのだろう。

 なぜならば、


 ――あなたにはある程度、いい目をみさせてあげましょう。


 シャナトリスさんの放った誘い文句が……こっちの世界に俺が来た初日にマキナさんが放った誘い文句と、ほぼ同じだったからである。

 マキナさんは自己嫌悪に陥ったかのように、頭を抱えた。


「あぁ……私ってば、あんな感じだったのね」

「鏡で見てしまうと辛いものって……ありますよね」

「なんじゃ? おぬしたち、一体どうしたんじゃ?」


 目をぱちくりとさせるシャナトリスさん。


「まあ、ともかくじゃ。今言ったように、もし禁呪使いをワシのところへしばらく置かせてもらえるのであれば、ワシとしては禁呪の呪文書を――」


 その時、だった。

 ばんっ、と扉が開け放たれた。


「が、学園長!」


 一人の教官が、血相を変えて学園長室へ飛び込んできた。

 マキナさんが立ち上がる。


「何事かしら? 今、来客中なのだけれど……一体、何があったというの?」

「き、北門で、兵士が止めたところ……その、殺されたらしく、しかも、普通に、正面から――」


 動揺のせいもあるのだろう、話の内容がぼやけている。


「落ち着いて。ゆっくりでいいから……一体、何があったの?」

「し、四凶災です!」

「――え?」


 マキナさんの口から出たのは、意外さのあまり感情を忘れた声だった。

 シャナトリスさんが、きつく眉根を寄せる。


「なんじゃと?」


 青ざめた顔の教官が、恐怖に染まった声を室内に響かせた。


「四凶災が、王都に現れました!」

 いつもお読みくださりありがとうございます。

 また、お気に入り登録、評価、感想や誤字脱字のご報告等々、いつも本当に色々な面で支えてもらっております。改めて、心より感謝いたします。


 それとすみません、第88話の投稿が少し予定していた投稿時間より遅れました……(汗



 次話は幕間8「シ、来襲」となります。

 しばらくは展開の都合上、少し幕間の頻度が高くなるかもしれません。できるだけ幕間は幕間で楽しめる話になるよう……努力いたします。


 今後とも、おつき合いいただければ幸いでございます。

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