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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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幕間7「四凶災」【ゼメキス・アングレン】

 ルーヴェルアルガンの王都シュベルポスから遠く離れた小さな町に、護衛の傭兵を引き連れ隊商がやって来た。


 軍神国ルーヴェルアルガンでは現在、三大公爵家の仲違いに端を発した領地紛争が起こっている。

 そんな中、国内では略奪を繰り返す『赤走団』という名の略奪集団が問題となっていた。

 だがそれでも一部の商人たちはルーヴェルアルガンへ商品を仕入れにやってくる。

 王都にある戦獄塔から産出する特殊な鉱石のためだ。

 この特殊な鉱石が、莫大な利益を生む。


 ルーヴェルアルガンは貴族同士の紛争が多いことでも有名である。

 帝国の脅威が去ってからはなお一層、国内で中小規模の紛争が頻発していた。


 この国を治むる軍神王は勝者に大きな価値を認める。


 事と次第によっては王お抱えの神罰隊が派遣される場合もあるが、基本、王都からの仲裁が入ることは稀だ。

 このようなお国柄も相俟ってか、大陸で傭兵を志す者はその多くがルーヴェルアルガンの地を踏む。

 結果、戦慣れした傭兵が多くなり、商人たちも優秀な腕利きの傭兵を選ぶことができた。


 そんなわけで、この町にやって来た商人もかなり腕の立つ傭兵団を雇ったようだ。

 だがその隊商に襲いかかった一団があった。

 赤走団である。

 一部の噂によれば赤走団の凶悪さに、神罰隊が動いたとの話もあった。


「ふぅん、なるほどねぇ……そういう感じか」


 ゼメキス・アングレンは手すり寄り掛かりながら、物見台にいた男の首を手軽くへし折った。

 顔面を蒼白にしていた男は血の泡を吹きながら痙攣する。

 男はすぐに動かなくなった。

 なぜ、殺したのか。

 それは昨今のルーヴェルアルガンのお国事情、町にいた隊商と傭兵団の情報、そして赤走団の情報を引き出し用済みになったからだ。

 用済みになったら殺す。

 用があるうちは殺さない。

 実に単純明快な話だ。


 ゼメキスは物見台の下を見た。

 傭兵団の団長を名乗った金髪の男が死んでいる。

 顔面が陥没していた。

 すでに絶命しているようだ。

 あの男……先ほど確か挑発的に聖樹士だと名乗っていたはずだが、聖樹士というのはあんなにも弱いものなのだろうか。

 ゼメキスは、ふとある女のことを思い出した。

 いつのことだっただろうか。

 あの赤い目をした女も、聖樹士だと名乗っていたはず。

 確か聖樹騎士団の副団長と言っていたか。

 術式が効き辛い自分たちに術式で傷をつけた女だったから、今でも記憶に残っている。

 死にざまが鬼気迫っていたのも記憶に焼きついている理由であろう。

 アングレン四兄弟の長男ですら、時折その女の名を口にすることがあった。

 あの長男が過去の人間のことを口にするのは珍しいことだ。

 傷をつけられたのがよっぽど嬉しかったのだろう。


 ゼメキスは、眼前の死体を見下ろす一人の男へ視線をやった。

 こと切れた元聖樹士を邪魔そうに蹴り飛ばしたのは、黒い筒帽を被った二ラータルほどの男。


 感情のない目。

 その下には黒い隈。

 厳めしい顔。

 筒帽の下から伸びる黒髪。

 額から目の下へと走る斜めの十字傷。


 アングレン四兄弟の長男――ベシュガム・アングレンである。


 ゼメキスは顔を上げた。

 先ほどから立ち続けに遠くから悲鳴が聞こえてくる。

 どうやら三男のマッソと四男のソニは、お楽しみの真っ最中らしい。

 ゼメキスは十ラータルほどの物見台から飛び降りると、危なげなく着地した。


「楽しかったかい、兄貴?」

「ゴミだな」


 表情ひとつ変えずベシュガムは吐き捨てた。

 いつも通りだ。


「ひ、ひぃぃ」


 十数分前、ベシュガムの一撃により見るも無残な姿と化した馬車。

 護衛の傭兵たちの死体に囲まれた二人の商人が、その手前で震えていた。

 ベシュガムがそちらに目を向けると、二人は両手を地面に突き頭を下げた。


「お許しください! 商品はすべて差し上げます! い、いえ、全財産、持って行ってください! ですからどうか命だけは助――ぎゃっ」


 ぐしゃり。

 一足で肉薄したベシュガムが右側の商人の頭を踏み砕いた。

 隣でぽかんとする商人は一拍遅れて今起きた事態を理解したらしい。

 さらに震えが増し、歯の根が合わずカチカチと小刻みに鳴りはじめる。

 漏らした小便が、じわりと股間に滲んでいた。


「我々は、平等なのだ」


 その不吉な双眸でベシュガムが生存している方の商人を見下ろす。


「びょびょ、平、等……? な、ひっ、何、ひっ、何、が、ひっ、ひっ、たす、助、け――」


 ぶんっ。

 横なぎに、ベシュガムが足を振りぬいた。

 もう一人の商人の首の骨があり得ない方向に折れ曲がる。

 生き残っていた方の商人も一瞬で息絶えた。


「我々は、平等なのだ」


 言い聞かせるように再度、ベシュガムが言った。

 平等――それは四兄弟の、というよりは、長男であるベシュガムの信念。


「我々は、殺戮する」


 ベシュガムがすでに動かぬ肉塊となっているはずの商人の胸ぐらをつかむと、自身の方へと引き寄せた。


「我々は強き者も弱き者もすべて平等に殺す。差別は存在しない。殺す。それが我々の存在理由。これは嗜好ではなく義務である。よって殺さねばならぬ。これは人が食べ、睡眠し、繁殖行動をとるのと同じことだ。殺す。我々が殺戮の役割を請け負っている。そう――我々自身が、我々に役割を与え、我々が請け負っているのだ」


 そう叩き込むように言った。


「例外もないってわけじゃないけどねぇ」


 ゼメキスはドト棒を一本取り出し、口に咥えた。

 ドト棒とは、小指ほどの長さの細い棒状の嗜好品の名である。

 弾力性があり、強く噛むと独特の味の蜜が滲み出てくる。

 主にルーヴェルアルガンの北部に密生するトドの木を削り出し、それを加工したものだ。


「今日おまえは、まだ誰も殺していないな」


 ベシュガムの声には棘が含まれていた。


「物見台に隠れてたもんでねぇ。ん〜、ま、仕方ないでしょ。俺たちの風貌で『四人』ってのは……やっぱり、まずいだろ?」


 四人がまずい。


 これはどういうことか。

 つまり、自分たち四兄弟を目にした相手が即座に『四凶災』だと連想してしまうのが、まずいのである。

 兄弟それぞれの名や顔はさほど知られてはいないようだが、どうやら四兄弟をひっくるめた『四凶災』という呼び名が異様に知れ渡ってしまっているらしい。

 となると、この見るからに不吉そうな四人組を目にすれば、何人かは『四凶災』を連想してしまうだろう。

 追いかけて殺すのは簡単だが、さすがにいきなり散り散りに逃げられるのも面倒である。

 そこでいつからか、ゼメキスたちは人数を調整して殺戮に乗り出すようになっていた。

 だからゼメキスは姿を晒さないよう気をつけつつ、物見台で見物と洒落こんでいたというわけである。


 アングレン四兄弟の長男、ベシュガム・アングレン。

 彼は極度に無表情な男だ。

 兄弟のゼメキスでさえ、彼が笑ったところを目にしたのはたったの二度しかない。


 一度目は『なぜこのような弱点が、このような場所にあるのだ』と言って、睾丸を自分で握りつぶした時だ。

 潰し終わった後、ベシュガムはじっとりと汗を顔面に滲ませながらニヤリと笑い『これで、オレはまた一つ強くなった』と呟いた。


 二度目は己の額に自分で傷をつけた時だった。

 ベシュガムの額に走る大きな斜め十字の傷は、彼が自分でつけたものである。

 若き日の彼は『なぜ誰もオレを傷つけてくれない』と不満げに言い、自分で額に傷をつけた。

 確かその時に使ったのは聖魔剣だったはずだ。

 ただ、流し込んだ膨大な魔素が剣の許容量を上回ったのか、その時使った聖魔剣は砕け散ってしまったが。

 その時である。

 ベシュガムが再び笑みを浮かべたのは。

 彼は禍々しい笑みを浮かべて、言った。


『これよりオレは、このオレ自身に祈りを捧げることにした』


 それ以来ベシュガムは信仰心を得たのだという。

 己自身への。


「いいか、ゼメキス」


 過去に思いを馳せていたゼメキスに、ベシュガムが言った。


「我々は糞だ」


 ベシュガムはゼメキスの後頭部を掴むと自らの方へと手繰り寄せた。


「……それ、前も聞いたなぁ」

「我々はまき散らす。否――」


 眉一つ動かさずベシュガムは真顔で言い放つ。


「自ら、まき散る」

「糞って喩えは勘弁してほしいがねぇ。しかも、自らまき散るって」

「我々はこの世を殺戮という名の汚物で穢す。汚物となりてこの世を凌辱する。そして浄化が終われば再び穢す。穢して穢して穢し尽くす。だが物事には順序というものがある。浄化、我々、浄化、我々、だ。聡いおまえならば、わかるな?」

「……ああ、わかりきってることさ。再考の余地すら、ないほどにね」

「我々は存在し、我々は殺戮する」

「そんなに心配しなくてもいいって」


 ゼメキスは原形をかろうじて留めている馬車を一瞥した。


「ちゃんと、わかってるから」


 ゼメキスは頷きつつも内心ため息をつく。

 そして兄は相変わらずだと思った。

 誰も彼を理解できない。

 長く人生を共にしてきた、血を分けし兄弟であったとしてもだ。


 ゼメキスはぼりぼりと頭を掻きつつ歩き出した。

 そして破壊された馬車の残骸を蹴り飛ばす。


「ひぃぃ〜!」


 露わになった空間。

 そこでは、息を殺していた隊商の生き残りが小さくなって震えていた。

 ゼメキスはここに生存者がいるのをすでに知っていた。


「残念だったねぇ」

「ぎ、ぎゃぁぁああああっ――」


 ゼメキスのいる方の逆側の隙間から這い出ると、男はそのまま逃亡をはかった。


「逃げるぞ」


 ベシュガムの声。


「逃げられないさ」


 口内に広がるトド蜜の味を心地よく感じながら、ゼメキスは首を撫でた。


「あっちも、あらかた終わったみたいだから」


 その時だった。


「――ぅぉぁぁああぁぁぁぁああああ――――」


 空に放物線を描きつつ、こちらへ咆哮を上げながら飛来してくる物体が見えた。

 三男の、マッソである。


「――ぁぁああああぁぁぁぁあああああああああああ!」

「えっ!?」


 通りを横に入ろうとしていた男が、ぴたりと足を止めた。

 そして――マッソの靴裏が、男の顔面を捉えた。


「シャッ、ぁ、らぁぁああああ!」


 後ろに倒れ込む男の頭を足場にし、ずどんっ、とマッソは着地した。

 常軌を逸した跳躍力。

 四兄弟の中でも飛びぬけているあの跳躍力には、ゼメキスも未だに感服せざるをえない。

 あの巨体で、どうすればあんな跳躍ができるのか。

 人体とは恐ろしいものだ、とゼメキスは思う。

 口の端を吊り上げ歯を剥き出しにすると、マッソは彼独特の笑いを歯の隙間から漏らした。


「ジャ、シャシャ、シャシャシャシャ」


 逃げようとしていた男の頭は、潰れた果実のような状態になっている。

 着地したマッソは足を男から引きはがすと、靴の裏をつぶさに観察しはじめた。


「ぎゃっ! 汚ねぇな……この靴は奪い替えかぁ。けっこう気に入ってたんだが。勢いで踏み殺すんじゃなかったぜ」


 ゼメキスはベシュガムに視線を送った。


「な?」


 ベシュガムは口をへの字にし、黙り込んだ。

 無愛想の極みのような兄を放置し、ゼメキスは弟に尋ねた。


「で、あっちはどうだった? なんだっけ……赤走団っていったか? けっこうな規模だったみたいだが」

「ん? ああ……あの連中な。親分とか呼ばれてたやつが帝国で名の知れた元剣闘士だとかなんとか言ってたが、歪みなく雑魚だった。ま、他の連中もいつも通りだ」


 マッソの口にした『いつも通り』とは、つまり『まるで相手にならなかった』という意味だろう。


 落ち窪んだ小さな瞳。

 その目は獲物を追い求めるかのようにいつもぎらついている。

 逆立った金髪。

 横幅の広い筋肉質な巨体。

 綺麗に生えそろった白く鋭い歯。


 アングレン四兄弟の三男、マッソ・アングレンである。


 彼は自らを『低俗な邪悪』と称している。

 かつてマッソは、


『おれはな、兄貴たちみてぇな高尚な考え方ってのが苦手でよ。だから腹の立つやつがいれば痛めつけるし、いい女がいれば無理矢理にでも犯す。もちろん欲しいもんがあれば、強奪する。ま、なんだ……おれは、いわゆる小悪党の欲望ってのが、そのまま肥大化しちまった人間なんだろうぜ』


 と口にしていた。

 自己分析ができているだけに、これにはゼメキスも何も言えなかった。


 ただしそんなマッソにも、兄弟以外に殺せない相手というものが存在する。


 これは、まだマッソが少年であった頃の話である。

 幼いマッソは試しにまず人間を三十人殺してみた。

 そして次に男だけを三十人、その次に女だけを三十人殺してみた。

 さらに次は、老人だけを三十人。

 だが一瞬たりとも彼が罪悪感を抱くことはなかった。

 マッソは頭を抱え、叫びを上げた。


『お、おれはなんて低俗な男なんだ! びっくりだ! まるで罪悪感が、湧き上がらない!』


 しかしである。

 次に子供だけを三十人殺してみようとしたところ、


 彼は、一人も殺すことができなかった。


 殺そうとしても、殺せなかった。

 殺そうと子供を前にした時、突如マッソは動けなくなってしまったのである。

 他の子供を殺そうとしてみても結果は同じ。

 やはり動けなくなってしまう。

 その晩、マッソは泣き腫らした。

 どんなに考えても、殺せない理由がわからなかったからだ。


『おれはガキの一人すら殺せない男なんだ! きっとおれが、低俗だからだ!』


 そして彼は、今も子供を殺すことができない。

 殺意さえなければなんともないのだが、殺意を抱いた瞬間、動けなくなってしまうのである。

 しかも彼の場合、兄が子供を殺す光景すらも許容できない。

 このことについてマッソはこう語る。


『きっと他の連中を殺す時に感じるはずの罪悪感は全部、ガキの方にいっちまったんだ。おれが、低俗なせいで』


 そのマッソの憶測が真実かどうかは神のみぞ知る、といったところか。

 ただ確実なのは、マッソが子供を殺せないということだ。


 通りの向こうから、長身の男が腕一杯の何かを抱えて走ってくるのが見えた。

 四男のソニだった。

 ソニは息を切らせながら、輝いた表情で腕に抱えたものを見せた。


「見てよ、兄ちゃん! ほら!」


 大量の生首だった。


「ベシュガム兄ちゃん! 小さい子以外は、みんなちゃんと遊び殺してきたよ!? へへ……これがぼくの、勲章さ」


 目をキラキラとさせ、ソニが腕の中の生首を見下ろす。


「よくやったな、ソニ」


 ベシュガムがソニを褒めた。


「えへへ……うん! ぼく、がんばったんだよ? すっごく、がんばったんだよ!?」


 くすぐったそうに笑うと、ソニは生首を地面に放り落とした。

 すでに戦利品への興味を失ったとでも言いたげに。


「でもやっぱり人間とか亜人って面白いなぁ! みんな少しず〜つ反応が違うんだもん! 一番だよ! 人間と亜人が玩具としては、ダントツの一番だ! すごいなぁ、人間と亜人は……ぼく、尊敬しちゃうな!」

「ただ、おめぇは男も女も関係ねぇからなぁ。やっぱガキだぜ。シャシャシャ」


 マッソが笑う。


「違うよ! みんな同じ玩具さ! そうさ、だからぼくもちゃんと……平等なのさ!」


 えっへん、とソニが誇らしそうに胸を張る。


 伸び放題の長髪。

 髪の間から覗く瞳は無邪気。

 異様に長い手足。

 二ラータルを越える長身。


 アングレン四兄弟の四男、ソニ・アングレンである。


 三男のマッソを『低俗な邪悪』とするならば、四男のソニは『純粋な邪悪』といえるかもしれない。

 ソニはいつからか精神の成長が止まってしまった。

 そんなソニはいつも遊びを求めていた。

 無邪気に、殺し遊ぶ。

 殺戮を悪いことだとも思っていない。

 純粋に面白がっている。

 わかりやすい邪悪といえば、あるいはそうなのかもしれない。


 ただ――なんとソニも、子供だけは殺すことができない。

 ソニの場合、むしろ殺そうとするとソニの方が怯えてしまうのだ。

 子供に殺意を抱くのが怖い、とソニは言った。

 本人にも理由はわからないという。

 ただただ、無性にかなしい気分になるのだとか。

 ソニ自身は以前、


『玩具にならないんだ……小さい子だと、なぜか玩具にできないんだ……ぼくにも、わからないんだ』


 と涙を流しながら、震える声で言っていた。


「ん?」


 ふと、ゼメキスはソニの服の腕のあたりが切れていることに気づいた。


「その傷、どうしたんだ?」


 覗く傷口が薄紫色に変色していた。

 ソニは腕の傷に一度視線を落としてから、快活な声を上げた。


「うん、これは毒! 赤走団の中にいた、ええっと、帝国で活躍してた元暗殺者だとかどうとか言ってた女がナイフに塗ってたんだ! 確かね……ハマ毒、って言ってた!」

「シャシャシャ、よりにもよってハマ毒かよ」


 マッソがベシュガムを面白がるように見る。

 そして皆の顔が過去に思いを馳せる表情となる。

 ゼメキスも懐かしく思った。


 ――毒、か。


 毒。

 それは若き日の四兄弟にとって、よき遊び道具だった。

 いつの頃だったか。

 記憶が確かならば、それは子供の時分の話だったはず。


 まず、最初に致死性の毒と解毒剤を食卓の上に並べる。

 そして毒を服用し、死に至りそうな瞬間に解毒剤を飲む。


 一時、そんな遊びが四人の中で流行ったことがあった。

 猛毒として名高いハマ毒を飲んだ長男のベシュガムが解毒剤を手にしたまま激しく痙攣し、紫色の顔になって動かなくなった時は、マッソやソニと一緒になって心の底から大笑いしたものである。

 あのベシュガムが毒に負けそうだぞ、と。

 だが結局、誰もこの遊びで死ぬことはなかった。

 そして次第に皆、毒遊びに飽いていった(ちなみに次の遊びは術式戦争遊びだった)。


 気づくと自分たちは毒が効かない身体になっていた。

 身体に耐性がついたのだろうか。

 あるいは元々、毒の効果が薄い体質だったのだろうか。

 理由はわからない。

 しかし、とゼメキスは思う。

 あの頃は四人とも若かった。

 ゼメキスは感慨にふける。


「若かったよなぁ……そういや俺たち今、いくつだったかねぇ?」


 自分たちの年齢すら思い出せない。

 もう何歳なのだろう。

 いつからか……年齢を数えることはやめてしまった。

 まあ、しかし思い出す必要もあるまい。

 どうせ死ぬ気がしない。

 確固として己の内に染みついているのは、四兄弟の序列だけでよい。


 先日ベシュガムは言った。


『おそらく我々は、人間の最終到達点になりつつある』


 とはいえ、だからといってやることが変わるわけでもあるまい。

 いわば、自分たちがしているのは義務としての殺戮。

 そう。

 結局、自分たち四兄弟には確固たる『目的』がない。

 ただ『手段』が殺戮でさえあればいい。

 そして殺戮できそうな時に義務的に殺戮し、休眠する時には休眠する。

 ただ、それだけ。


 アングレン四兄弟は運命共同体。

 この四人が揃って『アングレン四兄弟』という概念であり、現象なのである。

 あるいは、とゼメキスは思う。

 誰か一人が欠けるようなことがあればその時にこそ呪縛は解けるのかもしれないな、と。

 現状、誰か一人が欠ける事態など想像もつかないが。


 その時、


「ところで――そこに隠れてんの、なんで生かしてんだ?」


 マッソが、建物と建物の間の路地裏へ視線をやった。

 積み上がった木箱の向こう。

 そこに、人の気配があった。


「お〜い、早く出てこねぇとしっかり痛めつけてから殺すぞぉ? 出てこい」


 マッソが呼びかける。

 姿を現したのは、怯えた様子のまだ年端もいかぬ少女であった。

 腕の中の薄汚れた人形をすがるようにして抱きしめている。

 顔は恐怖に染まっていた。


「ゆ、許して、くだ、さい」


 少女の目に零れ落ちそうなほどの涙が溢れた。


「殺さ、ないで……くだ、さい」

「あ、子供だよ兄ちゃん!」

「ったく……ガキかよ。しょうがねぇな。ほれ、さっさとどっか行け。あ〜、足元の死体にゃつまづくなよ? 危ねぇからな」


 ゼメキスはため息をついた。

 表情は動かないながらも、ベシュガムが苛々としているのがわかったからだ。


 ベシュガム・アングレン。

 彼は四兄弟の中で唯一、子供を殺すことができる。


 そう。

 実は、ゼメキスも子供を殺すことができない。


 アングレン四兄弟の次男、ゼメキス・アングレン。

 ゼメキスが子供を殺すことができない理由はマッソやソニと違って明白だ。

 理由は、かわいそうだから。

 心が痛むから。

 いたって普通の理由だとゼメキスは思っている。

 まだ未成熟な子供が死ぬのは、普通に間違っている。

 ただ、それだけ。


 しかし、とゼメキスは不思議に思っていた。

 自分はともかく、なぜマッソやソニは子供を殺すことができないのだろうか。

 ゼメキスは考えた。

 そしてある時ついに一つの結論を導き出す。

 幼子とは人間性が未発達であるため、まだ『人』ではないのかもしれない、と。


 そう。


 幼子とは、人に非ず。


 故に、


 幼子を殺すことは、殺人に非ず。


 で、あるならば。


 アングレン四兄弟は人を殺戮するために存在している。

 だが、もし幼子を『人』だと認識できないのだとしたら……殺せないのも、当然のことではあるまいか。

 つまり、殺戮対象と認識できないのだ。


 マッソは人を殺すことには罪悪感を覚えない。

 だが、幼子を殺すことには罪悪感を覚えてしまう。

 つまり幼子が『人』でないために、彼は罪悪感を覚えてしまうのではあるまいか。


 ソニも同じだ。

 彼は人を玩具にすることを楽しむ。

 だが『人』でない幼子は、玩具にすることはできない。


 マッソとソニは『人』以外のものには愛を持つし、慈悲も持つ。

 人ならざるものには、愛や慈悲の持ち合わせがある。

 ゆえに、それらを『殺す』ことができない。

 殺す道理がないのだ。

 つまり、彼らは優しいのである。

 人として正常なのだ。


 ――完璧な、理。


 ついにゼメキスは自らの内に完璧なる理を発見した。

 この理によって、自分を含む三人の弟たちはまだまだ正常であることが判明したのである。

 だがベシュガムは違う。

 完全に逸脱している。

 四兄弟の中の、異質。

 自分たちが幼子を殺すことができない理由を話した時も、ベシュガムは、


「それはまるで理になっていない。おまえが一番、我々の中では狂っているぞ」


 と、あっさり切り捨てた。

 馬鹿な、とゼメキスは思った。

 狂っているのは――


 幼子を殺せてしまう、ベシュガムの方だ。


 見ろ、今、まさに――

 ベシュガムが少女の方へと一歩、踏み出した。


「では、オレが殺そう」


 ――幼子を殺すなど、狂っている。


 うぅ、と少女が上体を引いた。

 恐怖のあまり膝が笑っている。

 さらにベシュガムが一歩足を踏み込む。

 すると、


「ここを通すわけにゃいかねぇだろ、ベシュガム」

「駄目だよ、ベシュガム兄ちゃん」


 ゼメキスを含む三人の兄弟が、ベシュガムの前に立ちふさがった。

 張りつめた空気を漂わせて。


「どけ」


 ベシュガムが手を横に払った。


「ベシュガム」


 ゼメキスが呼びかけた。


「確かに兄貴は強い。四兄弟の中じゃ文句なく最強だろう。しかしだねぇ、俺たち三人ががかりならば――おそらく、兄貴を上回ることができる」


 一触即発。

 久しく覚えていなかった全身の総毛が逆立つ感覚。

 だとしても引くわけにはいかない。

 すでに自分たちの視界に入ってしまった幼子を、殺させるわけにはいかない。

 ベシュガムは暫し弟たちを睨みつけていた。

 そして、


「――ちっ」


 一つ舌打ちすると、ベシュガムは踵を返した。


「オレは先に戻っている。そこの女……命拾いしたな」


 少女を凶眼で睨めつけそう言い残すと、八つ当たりでもするかのようにそこかしこに転がる死体を蹴り飛ばしながら、ベシュガムは去って行った。


「え、エミリー!」


 建物の陰から夫婦らしき二人組が駆けだしてきた。

 おそらくは少女の両親。

 いてもたってもいられなくなったのだろう。

 夫婦は少女を庇うようにして抱え込む。

 怯えを浮かべつつも、二人はゼメキスたちを睨みつけた。


 ゼメキスは、回れ右をした。

 そして壊れた隊商の馬車のところへ行き、金の入った小袋と、食料の入った背負い袋を手に取った。

 さらに傭兵の死体から細身の剣を二本見繕った後、町人の死体から比較的血の多く付着している服を剥ぎ取る。

 ゼメキスは親子のところに戻り、それらを差し出した。


「これだけの金があればしばらくは暮らしていけるだろうさ。この食料も持って行くといい」


 父親が呆然とゼメキスを見上げる。


「あ、あの……」


 ゼメキスは二本の剣を差し出した。


「道中、野盗にでも襲われたらこの剣でその娘を守れ。死にもの狂いでな。それと、この服を着ていくといい。この血まみれの服を着て『今、四凶災から逃げている』とでも言えば、相手も少しは躊躇するだろうさ」

「は、はぁ」

「ああ、勘違いはしないでくれよ?」


 ゼメキスは母親にしがみついている少女を指差した。


「これはすべてその子のためさ。その子がいなかったら、あんたたちはもう死んでいる」


 少女の両親は言われた通り、血にまみれた服に着替えた。

 そしてゼメキスたちに見送られ、放心気味な表情で町を出て行った。

 理解が追いつかない、といった顔だった。


「大丈夫かねぇ、あの両親」


 心配げにつぶやきながら親子を見送った後、ゼメキスは馬車の残骸のあたりで光っているものへと視線を向けた。

 交易品の一部。

 煌びやかな調度品だ。

 銀製。

 金製。

 クリスタル製。

 ゼメキスは裏路地に入ると、汚水の溜まった桶を手に取った。

 再び馬車の付近へ。

 そして、どろりとした桶の中身を調度品目がけにぶちまけた。

 汚水は泥やら虫の死骸やらが混じったもののようだ。


 ゼメキスの口元が緩む。

 美しい調度品が、汚水で穢れている……。

 なんの抵抗もできずに。


「素晴らしい」


 ゼメキスは囁きかけるような声で呟いた。

 その時、布にくるまれた長方形の何かが近くに落ちていることに気づいた。


「ん? なんだ?」


 手に取って布をほどく。


「お……?」


 どうやら中身は絵画のようだった。


「肖像画、か……?」

「なんだなんだ?」


 マッソが興味を持って近づいてくる。


「これは――」


          *


 四兄弟は酒場に集まって酒を飲んでいた。

 今後の方針を話し合うためである。

 ベシュガムは歩き去った後、生かしておいた人間から色々と情報を引き出したらしい。


「現在ルーヴェルアルガンは国内で紛争がいくつか勃発中……その王都の方も、最近は何かと騒がしいようだな」

「国がこうなったのは軍神の加護を失ったせいだ、なんて噂もよく聞くよな」

「で、帝国は、ギュンタリオス三世が急逝してからというもの後継者問題で国内がきな臭くなってきているようだな。それと最近、帝都分都市では妙な男が現れ金品や貴重品を強奪していったらしい。なんでも逃亡の際、たった一人で三百人の帝国兵を切り殺したとか」

「一人で、三百人!?」


 ソニが目を輝かせた。


「すごいすごい! そいつを探そうよ、ベシュガム兄ちゃん!」

「だが居所がわからん。しかしその男、ただの盗賊にしては少々異様な感じもするが……」


 ベシュガムが唸る。


「さて、どうしたものかな」

「おれは、ルノウスレッドを推す」


 言って立ち上がったのは、マッソだった。


「ルノウスレッドか」

「場所は、王都クリストフィアがいい」

「王都か……それに、おまえが詳細な場所まで挙げるとは珍しいな。何か理由でも?」

「こいつを探してぇ」


 マッソは脇に立てかけてあった絵画を卓の上に載せた。

 ベシュガムが目を細める。


「何者だ?」

「アークライト伯爵家とかいう貴族の家の娘らしい。名前は確か、そう――」


 マッソが絵画の裏面を確認する。


「セシリー・アークライト」


 絵画の裏には人物の名などの情報が書き込まれていた。

 それはゼメキスも先ほど確認済み。

 ベシュガムが腕組みする。


「それが欲しいのか?」

「ああ、欲しい」


 マッソが頷いた。

 彼が特定の人物に執着を見せるのは非情に珍しいことであった。


「おまえの意見は?」


 ベシュガムがゼメキスに意見を求めてきた。


「ん? いいんじゃないか?」


 言いつつ、ゼメキスはセシリー・アークライトの描かれた絵に視線を向ける。

 最初にあの肖像画を目にした時。

 さすがのゼメキスも、息を呑まざるをえなかった。


 淡い檸檬色の髪。

 雲一つない澄み切った青空のような瞳。

 処女雪のような白い肌。

 滲み出る気品と気高さ。

 何よりも人並み外れた、凄絶とも呼べる美。


 ゼメキスは思った。

 もし、この女が実在するのなら――


 精神を、打ち砕きたい。

 絶望の淵に叩き落とされた顔が、見たい。


 輝くものがくすみ穢される姿を見てみたい。

 絶望とは縁遠そうなものが絶望する姿を見てみたい。 


 そう。

 これは人として当然の欲望。

 正常な心の動き。

 弱ったもんだ、とゼメキスは思う。

 自分は人々が恐れるあの四凶災の次男だというのに――


 ――実に、まともだ。


 ベシュガムが椅子を軋ませつつ、マッソを見た。


「しかしその肖像画……信用に足るとは言い難いぞ? そのセシリー・アークライトとやらは貴族なのだろう? 貴族の連中というのは本来の容姿よりも何倍も美人に描かせるものだ。実物は絵画とはまるで別人、という可能性は高い」


 確かにベシュガムの言葉は否定しきれない。

 描いた人間の補正が入っている可能性は大いにある。

 美しいのは確かだが、さすがに浮世離れしすぎている気もする。

 ただ……実在か、非実在か、その真偽を確かめてみたくなるほどの不思議な魅力あるのも、また事実だった。

 それは絵の写実性ゆえか。

 いるかもしれない、と思わせる何かがあるのだ。

 単に、画家の腕がよいだけなのかもしれないが。


 そして確認してみたいという思いは、マッソも同じだったらしい。


「シャシャ、おれの目に叶わなけりゃあ単にその場ですぐ殺すまでよ。それに……おれたちにとっちゃ、目的なんざどうでもいいだろ?」


 マッソの問いに、ふん、とベシュガムが鼻を鳴らす。


「ああ、その通りだ」


 ベシュガムは立ち上がると、一気に酒瓶の中身を飲み干した。

 それから口元に残った酒を服の袖で拭った。

 彼はどれだけ飲んでもまったく顔に出ない。

 酔ったことすらない。


「そうだな、今回はその女を手段のための目的とするか。よし、決定だ。次なる我々の殺戮の場は聖ルノウスレッド王国――」


 ベシュガムが酒瓶をぶん投げる。

 壁に叩きつけられた酒瓶が、粉々に弾け飛んだ。


「王都、クリストフィアとする」

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