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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
94/284

幕間6「そして二人は」【キュリエ・ヴェルステイン】

 キュリエは寝台で横になっていた。


 だいぶ前にセシリーたちは部屋から出て行った。

 予約していた混浴の時間となったからだ。

 だが、キュリエは体調がすぐれないと断り部屋で休ませてもらうことにした。


 気を遣ってかセシリーがクリスタル光を切って出て行ったため、室内は暗い。

 光源は部屋の窓から差し込んでくる月明かりくらいだ。


 体調がすぐれないからと説明したが、実際は体調に問題はなかった。

 すぐれないのは、


「気持ちの、方か」


 そう独りごちた後、自然と笑みが零れた。

 きっと自虐的な笑みになっただろうな、とキュリエは思った。


 嘘をついてまで湯場に行かなかったのは、なんとなくクロヒコと顔を合わせづらかったからだ。

 といっても、クロヒコの方は顔を合わせづらいなどとは思っていないだろう。

 自分だけが一方的に合わせづらいと感じているだけである。


「何やってるんだろうな、私は」


 自分の銀髪が寝台の敷き布上に無造作に広がっていた。

 キュリエは毛先を指でつまみ、弄りはじめる。

 すると、次第にまばらであった思考は一つの事柄と二人の人物へと収束していく。


 少しして毛先を弄る手がぴたりと止まる。

 人の気配。

 続いて鍵の開く音。


「ただいま〜」


 アイラの声。

 どうやら混浴から戻って来たらしい。

 キュリエのことを慮ってだろう、その声は控えめだった。


 体勢を少し変えて様子を窺う。

 アイラに続いてレイとヒルギスが姿を見せた。

 雰囲気から察するに、楽しい時間だったようだ。

 何よりである。

 ただ、待ってみてもセシリーの姿が出てくることはなかった。

 キュリエは薄手の掛布団を握りしめながら、ゆっくりと上体を起こした。


「あ、キュリエ。具合……大丈夫?」


 心からの気遣いのうかがえる顔でアイラが声をかけてきた。

 体調不良だと嘘をついたことに後ろめたさを覚えつつ、キュリエは答えた。


「ん、もう大丈夫そうだ。こういう場所は慣れてないから、少し疲れただけだろう」

「あ、あのさ――」

「その、アイラ」


 二人の言葉がほぼ同時に重なった。


「え? うん、何?」


 アイラも何か言いかけたようだったが、キュリエに譲ってくれる。

 悪いと思いながらもキュリエは自分の質問を先にした。


「……セシリーは、どうしたんだ?」


 セシリーだけクロヒコと残ったのだろうか。

 だとすれば……やはり自分はこのままおとなしく寝ているべきだろう。

 そうキュリエが思った時、


「そのことで今アタシも、キュリエに聞こうと思ってたんだけどさ」


 そのことで、とはどういうことだろうか。

 アイラがヒルギスの方へ振り返った。

 と、ヒルギスが一歩前に出る。


「大事な話があると声をかけてきて……ロキアと名乗る男が、セシリー様を連れて行ったの」


 ぴくっ、とキュリエは眉をひそめた。


「何?」


 困惑を表情に浮かべたアイラたちが顔を見合わせる。

 それからアイラはキュリエへ向き直る。


「ロキアってさ、確かキュリエが言ってた覗きをしてたっていう不届き者、だったよね? けど……自分はキュリエとは親戚みたいなもので、さっき男湯で鉢合わせしたから、その腹いせに勝手に覗き魔にされたんだろうって説明されたんだけど……」

「…………」


 あながち間違ってはいないだけに、否定もし辛かった。


「そ、それでね? その男がキュリエのことで大事な話があるって言ったら……セシリーが、聞くだけ聞いてみたいって言い出して」


 なぜロキアがセシリーに。

 キュリエは妙な胸騒ぎを覚えた。

 咎める調子にならないよう注意しながら、尋ねる。


「誰も、止めなかったのか?」


 するとヒルギスが戸惑いがちに、実は、と切り出した。


「実はさっき廊下でわたし、少し揉め事を起こしてしまって……その時、わたしクロヒコと一緒にいたの。それで、しばらくしたらそのロキアという男が介入してきて、揉め事を収めてくれた。それに……クロヒコ自身が知り合いだって言ってたから、大丈夫かと思って。でも今になってみると、止めるべきだったのかもしれない。ごめんなさい、キュリエ」


 ヒルギスが謝ると、助け舟を出すような感じでレイが割って入った。


「でもね? 何よりセシリー自身が男の話を聞きたいと言って、譲らなかったんだよ。心配だから最初はボクたちもついていくって言ったんだけど……どうもセシリーとしては、ボクたちには聞かれたくない話だったみたいで。一対一で話したい、って言われちゃったんだ。そう言いだす前、何か耳打ちされてたみたいなんだけど……」


 レイもヒルギスもある種の責任を覚えているようだった。


「い、今から探しにいった方がいいかなっ?」


 アイラが焦った様子で皆に聞いた。


「私が探しに行く」

「きゅ、キュリエ?」


 キュリエは布団から滑り出ると、手早く乱れた宿着を整えた。

 そしてアイラたちの間を縫ってドアへと向かう。


「擦れ違いでセシリーが戻ってくるかもしれないから、アイラたちはここで待っていてほしい。あの男はある意味……危険な男だ。だから、私がなんとかする」


 そう言い残すとキュリエは勢いよくドアを開け放ち、部屋から飛び出した。


「あいつめ――」


 ロキアの顔を思い浮かべながら憎々しげに舌打ちすると、キュリエは廊下を駆け出した。


 建物の中は広い。

 だがセシリーはあの容姿だ。

 とにかく目立つ。

 ならば目撃者は多いはず。


 まずは、極力人の多い場所でセシリーらしき人物を見なかったか尋ねてみる。

 予想通り目撃者は多かった。

 努めて愛想よく話しかけたのが幸いしたのかもしれない、ほとんどの者は快く情報を教えてくれた。

 途中で遊び慣れてそうな貴族風の男たちに声をかけられたが、そちらは無視。


 キュリエは目撃情報を頼りにセシリーを探した。

 そしてようやく建物の端に位置する場所で、一人手すりに寄り掛かり風景を眺めているセシリーの後ろ姿を発見した。


 セシリーは建物の外にある露台のようなスペースに立っていた。

 ロキアの姿は……見当たらない。

 ガラスの嵌め込まれた引き戸を開けて外に出る。

 風にのった強い土と草の入り混じった匂いが、鼻に届いた。


「セシリー」


 呼びかけると、セシリーが振り向いた。


「キュリエ?」


 手すりの向こうには生い茂る樹木が広がっている。

 木々の隙間からは眼下に広がる王都の明かりがのぞいていた。

 スペースには木製の椅子やテーブルが置いてあるが、今はセシリーと自分以外誰もいない。

 ひと気がないのは建物の奥まった場所にあるせいだろう。 

 実際ここに近づくにつれ人の数はどんどん減っていった。

 そして――こんなひと気のない場所で、セシリーと姿の見えないロキアは何をしていたのか。


 キュリエは注意深く周囲を確認する。


「ロキアは?」

「彼なら先ほど中に戻って行きました。会いませんでしたか?」

「いや……」


 キュリエはガラス戸の向こうを振り返った。

 自分と鉢合わせになることを意識的に避けたか。


「…………」


 ふと、なんだかロキアの手のひらで踊らされているような気がした。

 あまりいい気分ではない。


「で、おまえは大丈夫なのか?」


 なぜロキアがセシリーに接触したのか

 姿を探すことよりも、まずはロキアの目的を探り出すことが先決だ。


 セシリーは肘をつくと、手すりに寄り掛かった。

 その口元にはいつもの微笑があった。


「どうやらキュリエの古い知り合いという話、嘘ではなかったようですね。つまり、彼も第6院の?」

「……ああ」


 微かな躊躇の後、キュリエは肯定した。


「なるほど。あれならば第6院らしいといえるのかもしれませんね。奇妙な空気を持った男ではありましたが第6院だと言われて納得はできます。あなたと違ってね」

「それで……大丈夫だったのか?」

「ご安心を。特に何かされたわけではありません。むしろ口調や言葉遣いの割には紳士的な応対だったと思いますよ? 下手なことをすると後でキュリエが怖いから、と言っていました」

「そう、か」


 だがロキアがなんの意図もなくセシリーに接触したとは思えない。

 一体何が目的だったのか。

 そこでキュリエはアイラの言葉を思い出す。

 確かアイラは、キュリエのことで大事な話があると言って接触してきた、と話していた。


「……私についての話、だったのか?」


 セシリーはこくりと頷いてみせた。


「その通りです。キュリエの話でした。話自体は、すぐに終わりましたが」


 キュリエは、セシリーの態度に微かな違和感を覚えた。

 そう、まるで内に何か怒りを秘めているかのような……。

 ロキアに何か吹き込まれたのだろうか。


 そよ風がふいた。

 セシリーの髪がふわりと柔らかく靡いた。

 月明かりの下の彼女は浮き世離れして見えた。

 自分が着ているものと同じ宿着だけが辛うじて彼女の存在を現実に繋ぎとめている――そんな感じだった。

 ただただ、美しい。


 セシリーは睫毛を伏せ、じっと木の床を眺めていた。

 そしてやや長い間があってから、彼女はおもむろに口を開いた。


「ロキアという男から……ノイズという人物のことが片づいたら、あなたがこの学園を去るつもりだと聞きました」


 不可解に思いキュリエは眉を顰める。

 一体そんなことをセシリーに話して、どういうつもりなのか。


「なぜですか?」


 セシリーの問い詰めるような視線が向けられた。


「なぜって……聞いた通り、私がこの学園に来た目的はノイズを探し出すことだ。目的を果たしたなら去るのは当然だろう?」

「では、ヒビガミの件はどうするんです? 彼は三年後、成長したクロヒコと決着をつけると言っている。あなたには……クロヒコの成長を見守る責任があるのでは?」


 クロヒコの名前が出たせいだろうか。

 キュリエの返答は、少し遅れた。


「……もちろんノイズの件が片づいても、私に迫る強さになるまではクロヒコには稽古をつけてやるつもりだ。あいつはヒビガミの矛先を私たちから自分に向けさせたわけだからな。最低限、責任は取らねばなるまい」


 セシリーは手すりに腰を預けたまま、緩く腕を組み合わせた。

 そして何かを推し量るような顔でじっとキュリエの次の言葉を待っていた。

 キュリエは視線を落とし、続けた。


「ただ……あいつは信じられない速度で成長している。あれも禁呪の力なんだろう。成長速度が、異常なんだ。そしてこの私にできることといったら、剣の稽古くらい……私にはそれくらいしか、取り柄がないから」


 キュリエは自虐さを滲ませ、鼻を鳴らした。


「私の見立てだと、あいつが私に追いつくのには一年とかかるまい。だから私は三年も学園にいる必要がない。用済みになるのは、すぐだろう」


 セシリーは床に視線を注いだ。


「用済み、ですか」


 感情の読み取りづらい声音だった。

 キュリエは微笑する。


「大丈夫。仮に私がいなくなっても、あいつなら自分でもっと強くなる方法を見つけるさ。学園長だっている。あの有能な学園長なら、強くなるための案を考え出してくれるだろう。なんならおまえの兄のツテで、聖樹騎士団のソギュート団長に頼んで鍛えてもらうのもいいかもな。あの男は、かなり強い」


 依然としてセシリーは面を伏せたままだった。

 視線も未だ床に縫いつけられている。


「だから……支えてやってくれよ、あいつのこと。本当の意味でそれができるのは――多分、おまえしかいないから」


 キュリエは、ふとセシリーが浮かない表情をしていることに気づいた。

 否――そこはかとなく、怒りの感情すら見え隠れしている。

 はて、とキュリエは思った。

 何か気に障ることでも口にしただろうか。


「セシ――」

「それでどうして……あなたが学園を去ることになるんですか?」


 その声には責めるような響きが篭っていた。


「だからさっきも言っただろう。私は、目的と責任を果たしたら――」

「責任?」


 腕を緩く組むセシリーが右手で左腕を強く掴み込んだ。


「今、責任と言いましたね?」

「あ、ああ」


 セシリーが静かにキュリエを見据えた。

 背筋に冷たいものが走るのをキュリエは感じた。

 目の前で笑みを浮かべている少女が何か得体の知れない、凍てつく冷気を纏っていたからだ。


「だったら――」


 セシリーは氷の微笑を湛えたまま、突きつけるように言った。

 

「サガラ・クロヒコを惚れさせた責任は、どう取るつもりですか?」


 今された質問の内容を把握するのに数秒の時を要した。


「……な、に?」


 セシリーが呆れたように首を振る。


「やはり、自覚はありませんでしたか」

「ま、待てよセシリー……違うだろ。あいつが私に向ける感情――あれは、尊敬だ。いわば、弟子が師を慕うみたいなもんだろ? だから、おまえのとは――」


 ふとキュリエは セシリーの肩が震えていることに気づいた。

 どこか爆発しそうな感情を抑えているかのようにも見える。


「……たは……んにも……なぃ……」

「なんだって?」


 ぎりっ、と。

 セシリーが歯噛みした。


「やっぱりあなたは、何もわかっていないっ」

「セシ、リー?」


 セシリーが面を上げた。

 それからすたすたと歩み寄ってくると、キュリエの前で顎を上げた。

 感情の掴みづらい表情をしていた。

 その澄んだ空色の瞳がキュリエを真っ直ぐに見据えている。

 そして、次の瞬間――


 乾いた音が、静かな夜の露台に響き渡った。


 少し遅れて頬にじんとした感覚が広がっていくのを、キュリエは感じた。


「…………」


 避けようと思えば避けられた。

 だが避けるつもりはなかった。

 熱を持つ頬に手を当てながらセシリーの顔を見て、キュリエは言葉を失う。

 セシリーの目尻に今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっていたからだ。

 言葉を失わせるには、十分な表情だった。


「どこまであなたはわたしを惨めな気持ちにさせれば、気が済むんですか」


 惨めな気持ち。

 その言葉が耳に入った途端、キュリエは自分の中にこれまでとは違う感情が灯るのを感じた。


「……惨めな気持ちって、なんだよ」


 口にしてから、キュリエは自分の声に苛立ちが混じっていることに気づいた。

 だがそれも無理からぬことかもしれなかった。

 なぜならば。

 むしろ惨めな気持ちを味わってきたのは、自分の方だったからだ。

 そもそも、この学園を去る決意をしたのだって――


「……惨めな思いをしてきたのは、私の方だ」

「何が――」

「私の、方だよ!」


 思わず、声を荒げていた。

 しかし一度口をついて出た言葉は決壊したかのように止まらない。


「私がおまえより優れているのなんて……せいぜいが剣の腕くらいだ! だけどおまえは、私にないものをたくさん持ってるだろ!? もし百人の男がいたら、全員がおまえを選ぶ! だから――」

「だから、それが違う」


 セシリーの昏い声がキュリエの溢れ出した言葉をせき止めた。

 いたたまれない気持ちでキュリエは吐き捨てるように言った。


「何が、違うんだよっ……」

「九十九人の男がわたしを選んでも――きっとサガラ・クロヒコは、キュリエ・ヴェルステインを選びます」


 はっとなって、キュリエは顔を上げた。

 瞳に映るのは悔しげに口元を歪めるセシリーの姿。


「彼……サガラ・クロヒコにとって、キュリエ・ヴェルステインという人間は特別な存在なんです。わたしだけじゃない。他の人間と比べても……あなたへ向ける感情だけが、別種なんです」

「だから、それは尊敬の――」

「最初から、異性としての好意でしたよ!」


 今度はセシリーが声を荒げた。

 まるで感情でも抑え込むかのように、きゅっ、とセシリーが自分の右腕を掴んだ。


「……クロヒコにその自覚がないせいで、気づきにくいんでしょうけど」


 セシリーの表情が陰る。


「言ったじゃないですか、あの時」

「…………」


 あの時。

 今セシリーが言った『あの時』というのは、図書館の前で学園長に諭された後のことだろう。


 キュリエは――『あの時』のことを思い出した。


          *


 学園の敷地内。

 夕日に照らされる図書館の前に三人の人影があった。


「――でも、今の俺は、二人のこと……どっちも比べられないくらい、好きですから」


 そんな言葉を残して、クロヒコは去った。

 遠ざかってゆく彼の背中を見守るように眺めていたセシリーが、


「どっちも比べられないくらい好き、ときましたか。ふふ……なかなかの大物かもしれませんね、彼」


 と興味深そうに言った。


「……じゃあ、私はこれで」


 もうここに用はない。

 女子宿舎に戻ろうとキュリエは踵を返した。

 すると、


「少し、お話ししませんか?」


 セシリーが声をかけてきた。

 だが、


「おまえと話すことなど何もない」


 キュリエは素っ気ない態度で突っぱねた。


「三人で仲良くしたいという彼の願いを叶えるには、まずはわたしたちが互いの理解を深めるのが先決かと思いますが」


 しかし、セシリーはめげなかった。

 どころかその飄々とした態度が崩れる気配すらない。


「別に、私たちがあいつの願いを叶えてやる道理なんてないだろ」


 言いながら、こいつ芯は意外と強いのかもしれないな、とキュリエは思った。


「何よりわたし自身、少々あなたに興味がありまして」


 本当に嫌味のない笑顔を浮かべる女だな、と思った。

 しかし、だからこそ嫌味だな、とも感じる。


「それに、もしあなたがわたしのことを鬱陶しいと感じているのであれば、この際しっかりと話をつけておいた方が、今後何かと余計な衝突を避けられると思いますが」


 口の減らない女だ。

 キュリエはクロヒコが去った方向を見ると、暫し考え込んだ。

 そして押し負けた気分で息をついた。


「チッ、いいだろう。わがままなお嬢様のために、少しだけ時間を作ってやる」

「ありがとうございますっ」


 両手を合わせて笑顔で小首を傾げるセシリー。


「…………」


 自分がやっても絶対に似合わない仕草だと思った。


 それから二人で食堂へ向かった。

 落ちかけた夕日の光が差し込む食堂。

 ひと気こそまばらだったが、やはりセシリー・アークライトは有名人のようだ、色めきたった数人の生徒が興奮気味に何やら囁き合っていた。


「随分、人気者なんだな」

「そうですね。『セシリー・アークライト』は人気がありますから」


 何を言っているんだろうか、とキュリエは思った。

 目の前に座っている人物がセシリー・アークライトの偽者というわけでもあるまいに。


「それはともかく、ヴェルステイン」

「なんだ、アークライトの娘」


 セシリーが不満げに口を曲げる。


「その『アークライトの娘』という呼び方、なんとかなりませんか?」

「間違ってはいないだろう」

「セシリー、と」

「なんでだよ」

「仲良くなるためにです」

「だから、なぜ仲良くなる必要がある?」

「では、どうしてキュリエはわたしの誘いに乗ってくれたんです?」

「……それは」

「誘った目的は事前に話しましたよね? それに納得したからあなたはここにいる。違いますか?」


 予想以上に喰えない性格の女だった。

 ただの理想にのぼせ上った箱入り娘、というわけではないのかもしれない。


「いいだろう。ならば、セシリーと呼ばせてもらうとしよう。まあ、確かに『アークライトの娘』だと長くて呼びづらいからな」

「なら、わたしもキュリエと呼んでもいいですか? ヴェルステイン、も長いですしね」

「勝手にしろ」


 キュリエは頬杖をついた。


 ――なんなんだ、この状況は。


「ではキュリエ、単刀直入に言います」

「ああ、さっさと済ませてくれ」

「あなた、サガラ・クロヒコとは相思相愛なんですよね?」


 がくんっ、と頬杖を突いていた肘がバランスを崩した。


「い、いきなり何を――」


 キュリエは眉根を寄せる。


「おまえ、頭がおかしいのか?」


 セシリーが卓の上に両肘をつき、重ねた手の上に顎を乗せた。


「ふーむ、自覚はなし、と。しかしこれならばある意味、わたしにもまだ入り込む余地があるというわけですか」


 キュリエは呆れまじりの息をつく。


「会話をしたいなら私にもわかるように話してくれ」


 セシリーがにっこりと笑った。


「もう少し好意という感情について深く考えてみることをあなたにはお勧めしておきます。気持ちがすれ違うのは、自分でなくとも見ていて寂しいものですから」

「フン、意外と感傷的なんだな」

「感傷的だからこそ……他者の気持ちに敏感になってしまうのかもしれませんけどね。自分でも思いますよ、難儀な性格だって」

「そうか? 私にはけっこう上手くやっているように見えるがな。不器用な私と違って、色々と器用そうで羨ましい限りだよ」

「むしろわたしは、そんなあなたが羨ましいんですけどね」


 その時セシリーが浮かべた微笑は、どこか寂しげに見えた。


          *


「――あの時、から?」


 馬鹿な、とキュリエは思った。

 あんな、前から……。

 先ほどまで引き結ばれていたセシリーの口元が弧を描く。

 ただ、その瞳はどこか切なげに揺れていた。


「クロヒコがあなたへ抱く気持ちに、わたしが追いつけないのはわかっていました。それでもせめて……近づきたかった。だから、クロヒコに気持ちを伝えたんです。だけど今のクロヒコが誰よりも必要としているのは――」


 セシリーはキュリエに背を向けた。

 その覗く横顔が垣間見せたのは一種の無念さだった。


「悔しいけれど、あなたなんです」


 セシリーが胸の前で拳を握り込む。


「ロキアという男の言っていたことには、わたしも同感です。サガラ・クロヒコはその力の源の多くを『求むる他者』に寄っている。そして『求むる他者』が動機となった時、平時の何倍もの力を発揮する……しかしその『求むる他者』との関係が断ち切られた時、彼の心は再び停止してしまう可能性がある……」

「馬鹿な。あいつは、そんな弱い男じゃ――」


 言いかけて、しかしキュリエは思い直した。

 否。

 そうだ。

 そのことは、自分もどこかで感じていたことではなかったか。

 初めて出会った時のあの涙から始まった、サガラ・クロヒコとの関係。

 そして今までサガラ・クロヒコを見てきて、なんとなく彼の『弱さ』は感じ取っていた。

 多分……否、だからこそ、自分は放っておけなかったのだ。

 聖遺跡に様子を見に行ったあの時もそうだった。

 背を向けて一人で歩き去っていくクロヒコの姿が何やら、危なげに見えて。


「そう、か」


 サガラ・クロヒコは他者とのつながりを求めている。

 実際、色んな人と関わるようになってからクロヒコは変わった。

 明るさにも無理がなくなりつつある。

 そして、強くなった。

 いや。

 今も強くなっている。

 キュリエは掌を見つめた。


「あの力の源が……私たち、か」


 セシリーがそっと視線を落とす。


「ロキアという男は、こうも言っていました。『サガラ・クロヒコは、キュリエ・ヴェルステインがいなくなったらほぼ確実に使いものにならなくなる』と。そして『おそらく今のクロヒコにとって唯一代替がきかないのがキュリエ・ヴェルステインだ』とも」

「そんなこと、ないだろ」

「しかしそれを否定しているのは、あなただけですが?」

「それは――」

「かといって、わたしはクロヒコを諦めるつもりはありませんがね」


 すでに決意を終えた後のような晴れやかな顔で、セシリーは言った。


「キュリエ」


 セシリーが月を見上げた。


「いつかわたしも代替のきかない存在に、なれるんでしょうかね」

「セシリー、私は――」

「ねぇ、キュリエ」


 セシリーが儚げに笑いかけた。


「だめですか?」

「……何がだ?」

「わたしたち二人でずっとクロヒコの傍にいるというのは、だめですか?」

「私たち……二人で?」

「わたしは自分一人だけクロヒコに愛されようだとかは思っていません。多分それは、彼を苦しませることになるから。それに……最近、三人でいる時間がひどく心地いいんです」


 それは……キュリエも同じだった。

 複雑な思いから来る遠慮こそあったものの、三人でいる時間を楽しいと感じはじめている自分がいるのも、また事実だった。

 セシリーが生白い自分の首筋をそっと撫でた。


「わたしも、三年待ちます」

「三年?」

「クロヒコからの返答……わたしも三年、待つことにしました」


 三年後。

 それはクロヒコやセシリーが聖ルノウスレッド学園を卒業する年であり、そして何事もなければヒビガミとクロヒコが決着をつける年でもある。

 セシリーの首筋。

 そこは、ヒビガミが刃を突きつけた場所だった。

 ひょっとすると彼女の頭の中には、クロヒコとヒビガミの約束のことが浮かんだのかもしれない。


「だからキュリエも三年、待ってくれませんか」

「…………」

「わかっています。ただの先延ばしだってことくらいは。あるいは望まぬとも、いつか自然と別れは来てしまうのかもしれない。だけど……その先延ばしによって得た時間がわたしにとっては、とても貴重な時間になる気がするんです」


 ふっ、とセシリーが笑みを零した。

 妙に大人びた微笑だった。


「都合がよすぎることくらい、わかってます。わたしのわがままにすぎないといういうこともね。それでも今のわたしは、そんなことがどうでもよくなるくらい――」


 彼女の声には決意と覚悟が宿っていた。


「あなたたちのことを、好きになってしまったんです」


 その時。

 ふと、虫が一斉に鳴き声を止めた。

 静かな夜が、さらに静けさを増したような気がした。


 随分と私たちの関係も変わったものだ、とキュリエは思った。

 最初にやり合った時は互いに喧嘩腰で、まるで売り言葉に買い言葉といった状態だった。

 それが今や互いを思いやる言葉をかけあっている。

 まったくもって世の中というのは、わからない。


 セシリーがたおやかに笑いかけてきた。

 吸い込まれそうな笑みだった。

 男だったらこの笑みですっかりやられてしまうだろう。


「最後に一つだけ、はっきりさせておきましょう」

「…………」

「キュリエはクロヒコのことが、好きなんですよね?」


 涼やかな風が、吹いた。

 風で散る銀髪をキュリエは手でおさえる。

 そして数拍の間の後、

 頬に熱を感じながら――


「――ああ、好きだよ」


 迷いを振り払って、その言葉を口にした。

 セシリーは慈しみに満ちた微笑を浮かべた。

 そして、


「ようやくそれを、あなたの口から聞くことができました」


 とても穏やかな口調で、そう言った。


          *


 小さく深呼吸をする。

 それから控えめにドアをノック。 

 廊下にひと気はない。

 時間のせいもあるのだろう、客室周辺の廊下はすでに静まり返っている。


 ここはクロヒコの部屋の前だった。

 しばらくすると、部屋の中から何かが動く気配。


「えっと、どちら様ですか?」


 ドア越しにクロヒコの声がした。


「キュリエだ」

「あ、キュリエさん?」


 もう一度キュリエは気持ちを落ち着けるべく呼吸を整える。

 そして、言った。


「クロヒコ、大事な話がある」

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